史上最強の魔女
モモっぽい視点に回帰。時々ややマイ寄り視点。安定のゲロマズ回復薬を作るジョン先輩と、鬼軍曹エリカ様。天才と凡人の溝は、狭いか広いかはともかく、深い。
その人がやってきた瞬間に、モモは全身に緊張が走った。
公園に入って来るなり、のびやかな、けれども背筋の凍りそうな歌を紡ぎ出し、瞬く間に「鬼連」……術師に操られた亡霊の軍団を、彼女は消し去った。
自己紹介をすることもなく、そのままゆったりと歩みを進めていく。
その背を見送りながら、ジョン先輩は二の腕を軽くさすって、呟いていた。
「相変わらず、桁外れの大天才だな、エリカ様は」
「……様?」
マイが首を傾げたが、先輩は、当たり前だ、といわんばかりだった。
「そりゃ、様づけするレベルだろう。少なくとも俺ら『カルテット』はな、どう足掻いたってあの人にゃ敵わねーんだ。むしろ、アヤ先生すら勝てねーかもだ」
史上最年少で「七大魔女」の一角、文系四科の「修辞の魔女」の名乗りを認められた、あのアヤ先生ですら、勝てない。それが「あの人」と。
「歌使いなんですか?」
モモの問いに、ジョン先輩は、ちょい待ち、と言ってピペットを握った。
「仕上げの一滴までは、ちっと」
「はい……」
いよいよ、マイ用の回復薬は、仕上げの段階らしい。
死霊ホイホイな特殊体質「姫巫女」様には、やはり調合すべき回復薬も、特別に細心の注意を払う必要があるらしい。ついでに、呪術作用もつけるようだ。
ごにょごにょと、何を言っているんだかモモにはさっぱり理解できないのだが、ジョン先輩は呪文らしきことを唱えながら、今までになく儀式がかった様子の手順に入る。
ピペットで空中に図形を描いたり、一滴ずつ落とす合間に、呪文を挟んだり。
こんな魔法魔法しい回復薬作りを見ていると、レイ先輩や自分に渡されたのは、ただのブレンドハーブティーですね、という感じだ。
消毒用アルコールスプレーで滅菌し、乾かした、大きな水晶の結晶を入れる。
それから、低い声で、今度は長々とした呪文を詠唱する。ビーカーを、東西南北に傾けるような動きから察するに、大地だか天だかのチカラに関わるのだろう。
「……よし! できた!」
「この水晶は……」
マドラーに使うには、あまりにぶっといのだが。
「飲み終えるまで入れたままにしておいて。入ってるのが重要なんだ」
「……了解です」
変な要請だが、変な要請が来るのは、この世界ではわりとありふれた話だ。
割り切り、そして諦めたらしいマイは、意を決して鼻をつまんだ。
……ああ。
やはり魔法魔法しい手順を踏もうとも、ジョン先輩のノンアル回復薬は、安定のゲロマズ仕様なのだなぁ、と、モモは理解した。
先ほど、ユウさんからもらった清水のボトルをスタンバイする。
マイが目で「ありがとう」と伝えてきてくれた。
が、真の試練はここからだった。
「体に馴染むまで2分ちょっと、何も飲まないでね」
ジョン先輩は、こともあろうにそんなロクデモな宣言をしたのである。
「えっ……清水でもダメですか?」
「むしろ、だからこそ余計ダメ。呪術機能が変に干渉する恐れがある」
「神域で採っただけ、で、ただの水だそうですが」
ユウさんの言葉を思い出しつつ言ってみるも、ジョン先輩は首を左右にしか振らない。
「神域で採った時点でアウト。神道のですよね?」
突然のように話を振られても、ユウさんは、驚く様子もなく頷いた。
「うん。伊勢神宮」
「はい完全にアウトー」
日本最強クラスの神域のはずだが、アウトらしい。
「この回復薬は、日本じゃなくて大陸の術を基本に組んでるからな。日本の独自色の強い伊勢神宮じゃ、干渉でどんな副作用が出るか、ちょっと俺の頭じゃ想像つかねーの……できれば全身に基本の成分が浸透するまで、本来は……そうだな、最低30分は何も口にしないのが望ましい」
おえっぷ。記憶の中の味が、モモの口中にも蘇って、吐きそうになった。
「けど、俺の調合の腕じゃあ、ゲロマズになるのは解ってるから、妥協して3分だ」
口を付けてから、ということらしい。
こんな地味にイヤな「3分間待ってやる」も、そうあるまい。
ちびちび行く方が地獄だと覚ったのか、マイは漢らしく豪快にイッキした。
「よし、もうちょっと頑張れ」
空になったビーカーを受け取りながら、ジョン先輩はタイマーを示す。
口直しOKまでのカウントダウンらしい。残り2分21秒。
「……うう」
マイは恨めしそうに、タイマーを睨んでいる。
「護衛の仕事は、これでアガリかなぁ」
エルフ耳の飾りに、聞き耳を立てるように手を当てて、ユウさんが言う。
「動きがありました?」
「まぁ……むしろ、トドメ? アインちゃんが、レイちゃんとやらの『張飛』の回路を、強制的に解放した段階で、かなり勝負は決してた感じだから」
一度は死霊軍団にやられかけた側が言うのも何だが、犯人がオーバーキルされていないかが、逆に心配になる布陣になっている。
「消毒用エタノールをぶっかけたんだと思います、多分……やりそうな気配はしていたんで、それを見越して『回復薬』を調整しておきましたけど」
「あー、道理で殺気が歪だったわけね」
納得したように頷いて、ユウさんは弓を畳み始めた。折り畳み式ならば、職務質問をされても何とか隠して逃れられそうである。コスプレな姿はともかくとして。
「殺気が歪?」
マイが、口の中の感触を誤魔化すように、変に顔を歪めて問うた。
「うん。殺したい衝動を、無理矢理に回路の中に抑え込んでる。本人が殺人を嫌がっているのもあるだろうけど、外的要因による強制解放の場合、本人の意志の効果は結構制限されちゃうからね……他にも抑制要素があるんだろうとは思ってたけど」
折り畳んだ弓をジャケットの内側に収納しつつ、ユウさんは言う。
「まさか君のレベルで、そこまで出来るとはね」
ものすごい上から目線発言だ、と、マイとモモは思ったのだが。
ジョン先輩は、ははは、と笑い返した。
「友だちを殺人犯にする気はねーんで、これの調合はまず真っ先に鍛えたんですよ」
「麗しい友情だねぇ」
「リーとは、植民地組同士の連帯感が……あと、俺アインには頭上がんねーんで」
「韓国系術者とベトナム系術者なら、ベトナム系術者の方が若干優位?」
「それもッスけど、ホーチミンにあいつと特訓に行ったついでに、戦争の博物館に行きまして……まぁ、ソンミ村で韓国軍がやらかしたアレの解説を読みましてね……いやぁ、気まずかったのなんのって……南京に行った日本人の気分ですよ、多分」
と、いうことは、虐殺的な行為なのだろう。
「しかも俺は回復系の後方支援術師だから、実際の戦闘に入るとアインに頼りっぱで……ていうか、ベトナムでの特訓がいきなり実戦だとは……」
ふむ。とりあえず博物館の展示内容と、実際での戦闘で使えなかったこととが理由で、ジョン先輩はアイン先輩には頭が上がらなくなった、ということか。
「あはは、良い経験になっただろ? アレ、企画したの僕なんだ」
清々しいほどのドヤ顔で、ユウさんはサムズアップをした。
「……ものすごく貴重な経験にナリマシタ」
「アヤさんから、『兵役よりは若干軽めのメニューで』って依頼されてたから、生命には危険がない範囲で頑張ったんだよねぇ……下手打ったら術者生命は終わってたけど」
今、さらっと爆弾発言が出た。
「ちょっ!」
「まぁ結果オーライ? あと、まぁ何とかなるとは思ったし? だって相手、ベトナム戦争の米兵の『残念様』だからね。歴史的に北ベトナムが勝利した事実は動かない上に、そんな場所で、ベトナム人のゲリラ戦が得意な術師を前衛に使うんだから、地理的にも歴史的にもゲタ履かせまくりじゃないか」
タンマ。
「それで下駄がプラスされるのは、アインだけじゃねーッスか」
ジョン先輩も気づいて、恨めしげな口振りになっている。
が、ヘラヘラ笑ってユウさんはそれを受け流した。
「高負荷環境で真っ先に倒れちゃダメなのは回復役だから、君には厳しめで当然だよ」
ぐうの音も出ない正論である。
確かに、回復役が倒れたらオシマイだ。
「だからって、自分と壊滅的に相性の悪い相手に囲まれた中で、昨日の今日でビミョーに気まずい相手のために、延々回復術使い続けるって、プレッシャーすごすぎです!」
「極限状況でこそ磨かれる才能というものもあるのさ」
HAHAHAHA。
大物の風格を漂わせて、ユウさんはカラカラと笑う。ひどい。
が、モモは別のことが気になった。
「……あの、韓国系の術って、アメリカと相性悪いんですか?」
ジョン先輩は、ウワァ、としかめ面を作った。
「今この状況でそれを質問できるとは大物だな、モモちゃんよ……正確に言うと『韓国系の術』じゃない。南北分裂以後、大韓民国は米国を後ろ盾にしてる……そういう歴史的政治的観点から、行動制限がかかるんだ。しかもベトナム戦争では、韓国軍は米軍と一緒に参戦してる。ベトナム系術師のアインと一緒に行動する韓国人の俺、イコール、米軍の『残念様』視点からすれば『裏切り者』、イコール、相性最悪」
「なるほど」
「帰国した親類の話じゃ、在韓米軍は、在日米軍以上にやりたい放題してるらしいしな……色んな意味で相性最悪なんだよな」
マイとモモは顔を見合わせる。
特に沖縄における在日米軍の諸々については、本土でもニュースになるし、相当に非道いものだが、こっちに伝わらないものも含めれば、もっとあるはずだ。
しかし、それはジョン先輩も知っているはずである。
「もしかして、ひき逃げして素知らぬふりとか、すでに朝飯前?」
そんなモモの予想は、まだまだ甘かった。
「軍事演習で大規模土壌汚染を被っても、文句いえねーらしい」
うわっ。
「やりたい放題極めてますね……」
「けど、在韓米軍がいるから、中国がバックについてる北になんとか対抗できてる、って面があるのも事実だしな。ソウルはそもそもが統一朝鮮の首都として設置されてるから、38度線越えられたらほとんど目の前っていう、常に喉元に刃物チラついてる感がな……」
地続きの国境を一つも持たない日本では、考えられない緊張感だ。
が、韓国の人間はきっと常に、いつ何時北の軍隊が、ひょいっと「その気」を起こすかについて、警戒せざるを得ない状況下にあるのだろう。
それ故に、圧倒的な軍事力を有するアメリカに、強く出られない。
「人間は正論で動けるけど、国際関係は暴論で動くからねぇ」
ユウさんは、へらりへらりと笑う。
「ヤクザの世界ッスよ。英語で言うアレです。"Might is Right" だ」
「『力こそ正義』だね、直訳すれば」
とユウさんが言ったところで、横合いから別の声が入った。
「意訳すると『勝てば官軍』ってヤツで、ソ連が崩壊した以上、資本主義と共産主義なら、資本主義が正しいってことになるワケです。どんだけ歪みが来ようとも、それに対抗できるだけの強力なシステムが生まれない限り、最良は正義になるという……ベトナム社会主義共和国的にも、ちぃっと今の政治情勢はキツイ感じですねぇ」
アイン先輩のご帰還である。
「お、戦利品?」
「えーえー……青銅製と、一部銀製の呪具です。結界の中には当然入れない、危険レベル相当なブツが勢揃いですよ。さすがは大人・曹文宣結社の元構成員。脱走者風情が、よくもまぁこれだけの装備を抱えて逃げられたモンですね」
「いやぁ、助かったな。回収の手間が省けたよ」
ユウさんは、躊躇なく「呪わしきブツ」どもに手を伸ばすと、熟練の窃盗犯のごとき、無駄に洗練された無駄のない動きで、どこからともなく取り出した布袋に、それらを遠慮なく詰め込んでいった。袋はみるみる膨らんでいく。
ついサンタを連想しそうになるが、実に嫌なサンタクロースもどきである。
袋の中には夢と希望ではなく、悪夢と絶望の呪いがいっぱい☆
「コレ、勝手に塞ごうとして暴発した鏡ですけど、大丈夫です?」
二枚の銅鏡を、アイン先輩はさらに取り出してみせる。
「エリカ様の『鎮撫』が効いてる限り、どう詰め込もうと問題ないだろ。それに、この袋は大人謹製の封術呪具だ。何がどう組み合わさって暴発しかけても、袋の中にある限り問題ないさ。取り出すのには神経を使うだろうけど、それは向こうが頑張るだろ」
HAHAHAHA。
無駄に大物というか、もうナイロンザイル製の神経の持ち主ではなかろうか、という感じに、ユウさんはカラカラ笑って、無造作に呪具を袋に放り込んでいく。
取り出す役の人に幸運あれ。
……いや、なくていいか。
そもそも、あの結社がマイの「特異体質」に目をつけたのが、事の始まりだ。
ピピピピ、とタイマーの電子音が鳴る。
「OK。水飲んでいいよ、マイちゃん」
ジョン先輩がタイマーの音をまだ止めない内に、マイは清水を一気飲みした。
「あああぁぁ……」
不平不満よりも雄弁な感嘆詞に、本当に不味かったんだなぁ、とモモは同情する。
「……洗浄用の純水だけど、飲むか?」
「下さい」
ピペットなどを洗うのに用いていた高純度の水である。当然、味わいを出す物質などもほとんど含まれておらず、不味い。不味いが、それは「水として」の不味さであって、回復薬のような能動的に味覚を攻撃するゲロマズさとは別物だ。
躊躇なく手を伸ばしたマイに、予備の洗浄水を渡せば、これもイッキ。
「よっぽど不味かったみたいだなぁ……」
自分で調合したくせに、なんという言い様か。
「ていうか、口の中乾いたせいで、こびりついたというか」
「ああ。なるほどなぁ」
そうかと納得したような口振りが引っかかり、マイは問うてみる。
「……ジョン先輩は、コレ、飲んだことおありで?」
「あるわけないだろ。憑依体質向けの特殊回復薬なんて、俺が飲んでどうするよ?」
正論である。感染も発症もしていない病気の薬を飲むようなものだ。
が、単なる飲み物として考えると、ヒドイ話だ。
つまり、一度も味見したことがないブツを、飲ませてくれたというわけである。
「ジョン先輩は、儀式手順抜きで良いから、いっぺん味わうべきです」
じとりと、マイが睨みながら言う。モモも睨んでやる。
「下手に飲むと俺自身の呪術回路がなぁ」
目が泳いでいる。おそらく言い訳だ。飲んで飲めないことはないのだろう。
「じゃ、上手に飲みましょう」
「HAHAHAHA」
ユウさんのように笑おうとするが、貫禄に差がありすぎる。
貫禄ある方の「HAHAHAHA」の人は、呪具をあらかた袋に詰め終えていた。
「これで全部?」
「いえ、エリカ様が、銅鏡1枚持ったままです」
「あ、ならそれは直接受け取ろう。こっちはもう封しちゃえ」
不思議な呪文のようなものが描かれた、東洋呪術~な感じの朱色のお札を、ぺったりと袋に貼り付ける。中には木ぎれのようなブツを放り込んだ。何だろう。
「暴発防止呪符・起動!」
心を読んだようにそう言いながら、ユウさんは袋の口を縛った。
「あー、あとは、残る銅鏡1枚を回収して……んで、暴走術師を始末して……で、追加料金を計算して、請求して、今回の仕事はアガリ、だな。うん」
……物騒なセリフが聞こえた。
そう。すっかり忘れていたが、ユウさんは今回の件について「『結社』の『裏切り者』の『抹殺』」という、極めつけに物騒な仕事も請け負っていたのだ。
「そういえば『傭兵』なんでしたっけ……」
マイの思い出したような言葉に、HAHAHAHA、とユウさんはまた笑う。
「ま、人は僕をそう呼ぶね。僕は依頼を受けて、それを遂行するだけの、ただの何でも屋のつもりなんだけどね……ただ、鉄火場まで回れる『何でも屋』の術師は少ないから、必定そういった系統のお仕事が回って来やすいんだよ。地球の裏側まで引きずり出されるのは、さすがに本気で勘弁して欲しいんだけどね……どうやら僕も僕で、後進を育てる必要がありそうだ」
「地球の裏側?」
マイが目を見開く。
暗に、そのエルフコスプレでか、と言っているのは、モモには分かる。
が、幸いにしてユウさんは気づかなかったようである。
「うん。パキスタンの部族地域でトラブル仲裁をしていたら、コロンビアから依頼が来てね……しかも銃撃戦一歩手前まで行きかけたってんだから、本当にさ……パキスタンの話は、ひとまず冷却期間と称してまとめなおしさせて、即コロンビア行き。で、鎮定したら、またパキスタンに戻って紛争調停をして、お次は南アフリカの鉱山トラブルだ。ヨハネスブルグで強盗に遭うし……やれやれだよ」
そんなのの後進には、絶対になりたくない。
と、ジョン先輩とアイン先輩の泳いだ視線が、雄弁に語っていた。
「強盗にはどう対処を?」
場つなぎに、気になったことをモモは訊いてみた。
「目眩まし一発。ついでに記憶を少々引っこ抜いたかな。通りすがりのトラブルは基本的にこれで対処できるよ。殴られる前に相手を昏倒させれば、まぁ何てことないさ」
いえ、何てことあり過ぎます。
殴られる前に殺れなど、ものすごい無茶振りだ。いや、命は取らないが。
「銃での狙撃なら、気配探知をして、撃たれる前に避ければいいし」
ジョン先輩とアイン先輩が、互いに互いの肩を叩いていた。
「いいかジョン、これが基本的な『天才』という人種の姿なんだ」
「ああ、アイン……俺たちとは別世界の住民だな……」
「そう考えると、やはりアヤ先生は素晴らしい指導者じゃないか」
「ああ。詐欺まがいにこっちの道に引っ張り込まれたけど、フォローはちゃんとしてくれる分、何てことないさ、で済ます人よりはよほど優しいな」
なんとヒドイ会話であろうか。だが、実感として同意するしかない。
少なくともユウさんよりは、アヤ先生の方が指導者として丁寧で親切である。
いつの間にか、二人して、某四次元ポケット青狸ソングを替え歌している。
「なんてこ~とな~いさ~♪ や~れば~でき~るさ~♪」
「あんな無茶こんな無理いっぱい言うけど~♪」
「みんなみんなみんなが~♪ できるわけ~な~い♪」
「夢見た魔法は叶えられ~な~い~♪」(「才能の壁でな」)
ボソッと、アイン先輩の歌に、ジョン先輩が囁きの合いの手が入る。
聞くだけで涙がこみ上げてきそうな歌詞である。
というか、こもりまくった実感が切なすぎる。
きっと「カルテット」の面々は、大学受験合格と引き替えに人生を売り飛ばし、売り払った先の人生で、さらに自分たちの「壁」にぶつかりまくる日々を過ごしたのだろう。
国境を越えた四人の絆は、きっとその苦難の日々によって育まれたのだ。
「ん~? そんな悲観的になる必要はないと思うけどなぁ」
ユウさんはぽりぽりと頭をかく。
「天才は黙ってて下さい」
ギロン、とアイン先輩がユウさんを睨む。
「え~? 僕だって、すっごい努力してきたつもりなんだけどなぁ……」
ユウさんは少し困ったような声だが、何だろう、実感があまり滲んでこない。
「凡人の努力と天才の努力には、根本的な差が存在するんです!」
半分涙目で、ジョン先輩もそう言った。
うん、だろうな……と、モモとマイも頷きあった。
自分たち二人に伝わってくる「実感」の差というやつが、おそらくはジョン先輩が言うところの、凡人の努力と天才の努力の、根本的な差というやつだ。
やればできるよ! と言われても、できない人にはできない無茶振りも、この世にはあるのである。そう、たとえば寝たきりの人に「立って歩きなさい」と言うような。
そんなモン、出来たら奇跡である。
そして出来たから奇跡として、福音書に書かれているわけだ。
ユウさんは神の子ではないようなので、おそらく「やればできるよ!」と言ってくれたところで、できるようには勿論ならないのであろう。うむ、残酷である。
「……補助呪具で底上げしてるのになぁ」
エルフ耳イヤーフック、その他諸々の装備のことだろう。
まぁそれについては、と二人は思ったのだが、アイン先輩のセリフが遮った。
「その呪具を自作する時点で才能です」
「少なくともその質は才能です」
ジョン先輩もすかさず援護射撃に入る。見事な連係プレーだ。
「えー? いやほら、耳を澄ませば、っていうじゃない? 素材の声をさ……」
ポン、と二人の先輩は、再び互いの肩を叩き合った。
「これだから天才様は無自覚で困る」
「凡人の苦悩とは別世界の住人であらせられるのだ」
ひそひそと話し合う素振りであるが、聞かせる気満々の音量だ。
「……っていうか、僕としては天才ってエリカ様レベルのことなんだけど」
瞬間、ギュンッ、とすごい勢いで、ジョン・アイン両先輩が振り返った。
「「あの人は『大天才』です!!」」
一字一句まで揃った声は、見事なまでのハーモニーを奏でた。
「……大天才、ねぇ。彼女だって努力してるはずだけど」
ぴこぴこと、ユウさんはエルフ耳をいじくる。
「あの人の努力は桁が違いますよ」
「むしろ次元が違いますよ」
畳みかけるように言葉を続ける両先輩方。
その二人に、今度は「まぁ、それはそうかもね」と同意するユウさん。
「さすがに、あんなのを『泥人形』なんて言われちゃあ、ね」
「……ゴーレム?」
モモは目を見開き、マイは首を傾げ、先輩二人は固まった。
「ちょ、ちょ、ちょっ……ユウさん、エリカ様、ゴーレム使ったんですか?」
硬直から復帰したジョン先輩が、あわあわしながら質問する。
「さっきの戦闘で『ゴーレム』と自称する術を使ったね」
エルフ耳の呪具を叩きながら、ユウさんは答える。実に高機能な呪具だ。これを「素材の声」とやらに「耳を澄ませば」作れるというなら、この人も十分天才だ。
が、妙な表現がモモには引っかかった。
「自称する術?」
思わずおうむ返しに問うと、爆弾返答が返ってきた。
「本人は『泥人形』って言ったけど、ありゃ『人造生命』だね」
「ぎゃーーーーっ!!」
……と、ジョン先輩は、悲鳴を上げた。
「ちょっ! ゴーレム行使自体、高レベル魔術師すら失敗して暴走する危険術じゃないですか! ホムンクルスとか、真面目な成功例知らないですよ俺!」
「完全子音詠唱で、一分間の限定起動よ……」
その現物を目撃してきたアイン先輩が、詳しく説明をくれる。
「土から毒ガエルの量産……」
「触っただけで死ぬカエルを量産……」
実態のおぞましさにうち震えるのは、新米魔女の二人。
「近縁種ではなく、無生物の土を素体にして、両生類とはいえ脊椎動物を、生体機構に至るまで、緻密な式に変換して現出……ッ!」
内容の高度さにわなわな震えるのは、ジョン先輩である。
「学会に発表できないレベルの危険術よね」
アイン先輩の言葉に、いやいや、とジョン先輩が冷静にツッコミを入れる。
「発表しても、使えるヤツがいねーと思う」
「でも、もうちょっと念入りに準備して、簡便化の呪具を揃えたら、数人ぐらいはいるかもしれないじゃない……世界に何人の術師がいると思ってるのよ?」
「現時点では、そのレベルでこの準備でやれるのは、エリカ様だけだろ」
「それはまぁ……むしろ、そうであってくれないと泣きたい。マジできもかった……」
「おー、そうかそうか」
思い出してガタガタ震えるアイン先輩の背中を、とんとんと叩くジョン先輩。
「カエルなんて平気なつもりだったけど……ダメだ、トラウマなりそう……米兵の亡霊よりえぐい。っていうか雑木林の土すらトラウマになりそうな勢いできもかった……」
見下ろせば、土がぼこぼこと、毒ガエルに変化していくというのだ。
うむ、トラウマ級の悪夢な術には違いない。
「まぁ、仕方ねーだろ……史上最強の魔女なんだから」
「単体戦闘なら、異論はないねぇ」
ユウさんが、内ポケットから小さな望遠鏡を取り出して、言う。
「……『単体戦闘』なら?」
マイとモモは、それぞれ同時に、首を傾げていた。
「あー、組織戦闘は向かない一兵卒気質ですよね」
アイン先輩には、納得できる部分があったらしい。
それを手がかりにして、ジョン先輩が詳細を理解したようだ。
「あの人一人で能力が突出しすぎてるから、配下とかチームとか組んでの戦闘は無理ですね……まぁ、催眠で傀儡化するとか、『ゴーレム』使うとか、数を補う方法はありますけど」
「一人で攻撃役も回復役も兼ねてるからね……」
攻撃役オンリーのアイン先輩が呟く。
「しかも、攻撃も回復も、喉一つあれば問題ナシとくる……」
回復役オンリーのジョン先輩が呻く。
「……インフル感染させる?」
「あの人にウィルスが効く気がしねーよ」
ひどい会話である。ひどい会話であるが、そこまで桁外れの大天才様が「闇堕ち」すれば、さすがに手段は構っていられないという、一つの作戦会議なのだろう。
何せ、アヤ先生がマイをスカウトした理由には、エリカ様の闇堕ち対策がある、と、本日いまだ帰還していない残る一人の先輩が、言っていたのだから。
それにしてもインフル感染など、バイオテロである。
そして、そんなバイオテロすら無効化されそうな予感がするとは、すでにエリカ様、人間扱いをされていない。ご愁傷様と言うべきなのだろうか。
噂をすれば影、とはよく言ったもので、ひそひそ物騒な話をしていると、圧倒的なプレッシャーが徐々に近づいてきた。亡霊軍団が消え失せると、隠されも抑えられもしない「史上最強の魔女」の気配は、もはやそれそのものが「威圧感」だった。
まるで何てこともない顔で、レイ先輩を背中に背負って戻ってくる。
フードに隠れた表情はよく見えず、街灯の明かりを反射する眼鏡が目立つ。
「診察と回復を」
結界の外の地面に、背負ってきた体を横たえて、彼女が言う。
「は、はいっ」
ジョン先輩はアタッシェケースを持って、結界の外へ出た。
仰向けに横たえられたレイ先輩の顔や体の上に、無色透明の水晶をのせて、ジョン先輩はじっと集中するように目を閉じる。これが彼の「診察」らしい。
「申静哲……適合水晶は無色透明の『水晶』、俗に言う『番なし』。最適産地は中国・四川省。晶洞の群晶に好相性。得意技は、水晶を媒体にした生体透視。最適金属は鉄。現在は『医療の魔女』アユミの弟子……ね?」
その確認に、はい、とアイン先輩が頷く。
「仰るとおりです」
「お手並み拝見といきましょうか」
ものすごく嫌そうな顔を、一瞬だがジョン先輩が見せたのを、モモとマイは見逃さなかった。嫌だろうとも。圧倒的上位に「拝見」される。何というストレス。
ジョン先輩は、集中を戻して、意識を失っているレイ先輩の「透視」を続ける。意識に乗っかってみようかなという気も起きない。元気良く剣を振り回していた先輩が、意識を失って戻ってきたという、この現実の前に、新米二人は自分たちの「無力」を痛感した。特に、終始守られっぱなしだったマイに、その感情は強い。モモは一応、防御結界構築という実績をあげた。
しかし、二人でも、レイ先輩と三人でも、逆転は出来なかった。ユウさんが来て、アイン先輩とジョン先輩が来て、そして、この人が来て。
そう、「未知の魔女」エリカ。
マイがやがて「対抗するべき存在」と見なされている人物。
しかし、マイはエリカに勝てる自分というものを、もはや想像すら出来ない。手も足も出ず、結界の中で守られっぱなしだった自分。先輩方すら武器を使わざるを得なかった相手を、歌だけで「鎮撫」してしまうエリカ。さらに、エリカは他にも恐ろしい術を行使した。土から毒ガエルを量産。もはや、桁が違う。違いすぎて、対抗できるとか言われても実感がない。
結界の中に座り込んだままのマイに、一瞬だけ、エリカからの視線が来る。フードに隠れてよく見えないが、間違いなく、見られた、と思う。
冷たい視線だった。ぞっとするような、凍りそうな。
やがて敵対する可能性を考慮して「スカウト」された存在だから?
けれど、今のマイには戦闘能力などないも同然だ。幻術の訓練はしているけれど、成功した記憶はあまりない。というか、本格的な実習に入る前に、塾はお休みになったのだ。ヒヨッ子どころではない。ペーペーとかいうレベルですらない。なのに冷たい目を向けてくる。
エリカはマイの、何を見ているのだろう?
「……ほとんど治療済みですね。体力回復だけ処置します」
「治療済み?」
モモが問うと、ジョン先輩はアタッシェケースを開きながら、おう、と言った。
「エリカ様、回復用の呪歌を使いましたよね?」
「呪歌とまで見抜いた根拠は?」
「筋繊維断裂などのダメージが早々に回復された痕跡がありましたが、通常の術師が回復に使う装備がないので。すると、エリカ様の得意技から推して、呪歌かなと」
「……振動痕跡の透視が出来たわけではないのね」
うぐっ、とジョン先輩は詰まった。論理的に完璧な回答に聞こえたのだが、天才、いや、大天才の要求は凄まじいハイレベルであった。
「精進します」
「ええ……じゃ、体力回復用の調合は?」
思わぬ口頭試験が続いて、冷や汗ダラダラになりながら、ジョン先輩は解答をする。ハーブの名を挙げ、調合する量を答えるが、バッサバッサとエリカ様は容赦ない。
「使う『レモングラス』の学名は? 流通しているものは複数種あるわよ?」
「し、シンボポゴン・シトゥラトゥス……」
「ウェストインディアン・レモングラスね。けど、あなたのアタッシェケースに入っているのは、『シンボポゴン・フレクスオスス』……イーストインディアン・レモングラスじゃないの?」
「え?」
ジョン先輩は瓶を取り上げ、においを嗅ぎ、「あ」と呟いた。
「細部まで確認なさい。連携治療が必要になった場合に問題でしょう」
「すみません」
「あと、タイムの煎剤、煮詰めすぎ。それから、どうしてハイビスカスを併用しないの? それと、このユーカリの学名は? 主に回復に用いられるのは三種類あるけれど……」
この調子で、ズッタボロに叩きのめされていた。ご愁傷様である。
「まったく。アユミさんが見たら嘆くわよ……と言いたいけれど、その技量の弟子を放置して、アフガニスタンに医療活動しに行くアユミさんも悪いわね」
ジョン先輩は、返答に困って、引きつり笑いを浮かべている。
「しばらくアヤのところにいるから、テストされたかったらいらっしゃい」
はい、とジョン先輩が殊勝に頭を下げたところで、視線が移る。
「次、阮進英」
びくうっ、と身を跳ねさせつつ、アイン先輩は竹槍、もとい、竹箒を握りしめた。
リオがコロンビアで起こした、エメラルド騒動の後始末は、実はユウさんが請け負っていたという話。ちなみにパキスタンの騒動にも、ワンクッションおいてリオが関わっていたりする。つまり、ユウさんの仕事の何割かは、リオの才能が引き金になって起きているのだ。恨んでいいぞ。
抜き打ち試験で鬼軍曹無双なエリカ様。弟子を持てないのは、圧倒的な地力の差もあるけれど、アメとムチではなく、ひたすらムチばかり、に近い、強烈な指導方法のせいでもあったりします。
まぁ、自主的に教えを請いに行く人は、だからすごい伸びますが。