ヒトであり人間ではないもの
現代中国……というか、中華人民共和国の「闇」に触れます。曹大人は、相当にえぐい手段も平気で使う。この人に、劉邦&劉備の能力者(※人材ホイホイ)が協力体制なんて、強烈な内ゲバ発生フラグ以外の何モノでもない。
謎の液体の調合が終わったらしい。ピペットを握っていた申静哲こと、ジョン先輩が、ほれ飲め、と小ぶりのビーカーを、モモの方に差し出した。
繰り返す。ビーカーである。
「……あ、あの、何ですかね、これ?」
やや引きつった笑みを浮かべながら、モモは問うた。
甚だ不本意である、とばかりに鼻を鳴らし、先輩はビーカーを押しつける。
「可愛い後輩に毒盛るわけねーだろ。未成年用の回復薬だ」
「あ、ノンアルコールの」
マイの言葉に、うんそう、とジョン先輩は肯定する。
薬草をウォッカに浸けて作る「エリクサー」は、未成年の飲用は禁止だ。
「さっきから『結界』の維持で、エネルギー使いっぱなしだろ? あと、明後日まで保たねーんだ、これ。だから今日明日で使い切りてーの。協力頼むわ」
そう言われると、断れない。
だが、モモはもちろん、忘れてはいない。
この人の調合した「ノンアル回復薬」を飲んだ人物の様子である。
青汁の宣伝さえ、美味しそうに見えるような顔だった。
ぐっ、と覚悟を固めて、一気に飲み込む。
「……ッ!」
ああ、不味かったんだな、と、マイは理解した。大いに。
「口直しに『清水』要る? こっちは神域で採っただけの、ただの水だけど」
弓弦を打ち鳴らしていたユウさんが、笑いながら振り返る。
と同時に、迫り来ていた「幽鬼紅軍」の兵士たちが、十体ほど吹っ飛ぶ。
やはり、そのスジで「傭兵」と呼ばれるだけの人物らしい。
「お願いします」
「はいよ」
手際よく、腰の後ろに装着していた小型のボトルを、投げてくれる。
「半分残しとけよー。次、姫巫女ちゃんだから」
ジョン先輩の言葉に、うぐっ、とモモは飲む勢いを急いで落とした。
「まずは『結界』維持のフォロー……同時に姫巫女ちゃんの経過観察……んで、打ち込まれた分の攻撃対策用のノンアル回復薬を作るのが、俺の仕事」
半分で飲むのを終えたモモが、ボトルをマイの横に置く。
「なんか、すみません……こんな大々的なフォローをしてもらって」
申し訳なさそうに俯くマイに、いやいや、とジョン先輩は首を左右に振る。
「君が『黒』の連中の手に渡った場合に出る被害を考えりゃ、この程度、3倍にしてもお釣りが来るぜ? ユウさん、術者の詳細プロフは知んねーッスけど、『死霊使い』ってことは、多分『封魔鏡』を使ってんですよね?」
「そうだねぇ。僕の見立てでは、あと最低一種類は呪具があるけど」
パァン、と食い下がる亡霊兵を弾きつつ、ユウさんはのんびり答える。
「そのもう一種類は?」
ジョン先輩の問いに、さぁ? と、何とも無責任な返事がくる。
「アインちゃんが何とかするでしょ。ベトナムは自称7000年の歴史を誇る、銅使いの国だ。封魔鏡の特質から考えても、おそらく素材は青銅……彼女に有利でしょ」
ん?
「な・な・せ・ん?」
モモとマイは、顔を見合わせて、首を傾げる。
なんだか、中国四千年の歴史、より壮大な話が出てきたぞ。
「ハハッ、自称自称。日本の2600年なんて、東アジアじゃ謙虚なモンさ」
「韓国は5000年を『半万年』とか言ってるしなァ」
己の本国の歴史について、ジョン先輩も何やら壮大な話を始める。
「えっ? えっ?」
「まぁ、あのドンソン文化がキン族の文化かについては、大いに疑問符がつくけどねぇ」
「そこツッコんじゃ駄目ッスよ、多分。ベトナム政府的には」
「韓国および北朝鮮政府的にもじゃないのか?」
「黙秘権を行使します」
「あっはっは」
おどろおどろしい亡霊兵の攻勢を前に、ふざけたやり取りをする二人。
つまり、これに恐怖を感じるなど、とっくに通り越しているのだ。
「本当に東アジアの……特に、朝鮮半島とベトナムの歴史は、実に『小中華』の体現で、面白いねぇ。朝鮮半島は、特に北京に遷都されて以後はめちゃくちゃ睨まれてるけど、ベトナムなんか、離れてるのをいいことに、相当やりたい放題だからねぇ。対中コンプレックスが、実に複雑に現れていて、まったく興味が尽きないよ」
「ああ……五本爪の龍の『大越皇帝』ですか」
「知ってるの?」
「実戦訓練がてら、アインと一緒に、サイゴン……じゃねーや、ホーチミンに行きまして。そこの博物館でバッチリ見ましたよ。中華皇帝以外着用しちゃいけないはずの、『爪が五本ある龍』の刺繍した、『ベトナム国王』こと、自称『大越国皇帝』の服」
「笑った?」
「いや、一瞬とはいえ『大韓帝国』名乗ってるので」
それもそうか、とユウさんは笑う。いったん手を止め、自分用の回復薬のアンプルを取り出す。平然と飲んでいるのは、味の故か、慣れているからか。
「カミナリ親父と、監視されてる長男と、基本放任の次男、って感じだよね。中国と朝鮮とベトナムって。まぁ、次男の方は、たまに落ちるカミナリがえぐいんだけどさ」
「ああ、アインのやつ、永楽帝を『あんこくだいまおう』って読んでたなぁ」
「永楽帝の侵攻で、それ以前の資料は、ほとんど燃えたらしいもんね」
……中世ベトナム史研究が進まない最大の理由だ。
「歴史学的な意味で、正しく『暗黒時代』ってやつですね。まぁ、多少は石碑とかが残ってるそうですけど、そこいらの研究は、ぶっちゃけベトナム本国より、日本の方が進んでるそうですし。っつーか、国語のせいで、歴史学者が古文を読めねーとか、どーなんッスか。文学者に石碑を解読させて頑張った挙げ句に、日本の研究者に『この石碑は後世作のニセモノだよ』って指摘されるとか」
自国の歴史を、外国の研究者にぶった切られる。恐怖だ。
「あっはっはっは!! マジ話なのそれ?」
ユウさんは、亡霊兵を吹っ飛ばしながら陽気に笑う。
「なんでも、たしか……南? だったっけな。石碑にその文字が入ってたそーですけど、日本のセンセイの指摘によると、その時のベトナムの王様の本名に入っている文字だから、石碑にする時には、同じ音の別の文字を使っていないと、時代考証的におかしいとか」
南の字が使えない? なんて面倒なんだ! 方角どうする気だ。
「中国の、皇帝の名前の文字は、存命中は一切使用禁止、と同じだねぇ」
ユウさんは、なかなか中国通のようだ。
「いわゆる『真名呪術』対策ってヤツですね」
マイ用ノンアル回復薬の調合をしつつ、ジョン先輩が返す。
そ、とユウさんは頷いて、また少し弓を調整した。
「名前には特別なチカラがある。意味がある……だから、それをむやみに使うことは、その名前の持ち主自身を呪うことに等しい……日本だと、徳川家康の『国家安康』が有名だねぇ」
方広寺の鐘の銘文で、大坂の陣開戦のネタになった文字だ。
「あ! 私、それ、よく分かんないんですけど!」
モモが、きちんと「結界維持」の仕事をこなしつつ、質問をした。
「それの何がどう無礼に当たるんですか?」
彼女は日本史選択希望である。
「見たまんまじゃん。家康の名前が、ぶった切られてるだろ?」
ピペットを、左右の両の腕で器用に操りながら、ジョン先輩が言う。なんだか奇妙な二刀流である。いや、二ピペット流か。
「いや、それがなんで『言いがかり』じゃない、と?」
そりゃ、とユウさんが、弓のプログラムをいじりながら返す。
「『名は体をあらわす』ってやつさ。名前そのものに念をぶち込むことで、名前の持ち主に影響を及ぼす呪術は、現代でも現役だ……まして、本名を呼ぶのは基本的に無礼だった時代の話だよ?」
ん?
「……大河ドラマで『信長様』とか言ってましたが?」
「あー、アレね。判りやすさ優先なの。本来なら時代に応じて『上総介様』とか『右府様』って呼ばないとアウトなんだけど、一般の視聴者は、そんな呼び方されたって、誰のことだかチンプンカンプンでしょ? 家康も『内府様』とか、あの時期なら『大御所様』って呼ぶのが礼儀だった時代に……いきなり呼び捨て、アンド、ぶった切り、だよ。ある意味、呪いでしょ?」
うーん、現代人の感覚では、やっぱり解らない。
「クラスメートに、侮辱的なあだ名を付けた顔写真を、個人情報つきでネットに拡散された、ぐらいに思ってみたらいい」
ジョン先輩の言に、なんてこった、とモモは口を開いた。
「そんなレベルでヤバイんですか?」
さすがに、そこまでのことをされたら、モモもキレる自信がある。
「南光坊天海あたりなんか、ブチ切れMAXじゃね? 坊主も術師の一種だからな。豊臣側に悪意があったにしろなかったにしろ、契約術者としては、契約主への『呪詛』にとれる行為を防げなかったのは、言い訳できない失態だろ」
そう喋りつつも、ジョン先輩は、ピペットを取り替えたり洗浄したりしながら、着々と、ゲロマズ回復薬の調合を進めていく。
「契約術者?」
「んー……ほら、僕は今、曹大人との契約で、君らの護衛と、組織の裏切り者の抹殺を請け負ってるよね? そういう雇用関係のこと」
……今、非常に物騒な単語が聞こえた気がする。
とりあえず、その事実を、二人は即座に記憶から抹殺した。
「あと、今も『姓名判断』が現役なことからも、名前で相手に影響を及ぼすという行為への『信仰』が、まだまだ根強いことは解るはず」
それは盲点だった。そうか、言われてみれば、うん。
「まぁ、実際の名前すら軽く扱われる現代じゃ、『名前の魔術師』の発揮できる力ってのも、せいぜい知れたものになっちゃってるけどねぇ……」
「……何故ですか?」
マイの問いに、そりゃあ、とユウさんは軽く肩をすくめる。
「ウィンドウズアップデート版がオープンソース並みの価値に……」
即座に「?」を頭上に浮かべた二人を見て、ユウさんは苦笑した。
「某魔法学校の小説の、金庫に保管されていた最終章、みたいなモンだよ。金庫の中にあるうちは、皆が知りたい秘密として価値があるけれど、出版されてしまえば、誰でも知ってるものになって、ガタッと価値が落ちる……『名前』ってものの価値が暴落したんだよ。だから、本名という『禁域』にアクセスする、という『名前の魔術』そのものの効果が、がた落ちした」
ふむ。よく分からないが、わかった。何となく。多分。
あーあ、と言って、ジョン先輩はピペットを洗浄する。
「それを避けるために、俺なんか敢えて普段の生活のリスクとっても、大学から本名だもんな……魔法と魔術が生活の中心になっちまったオチだぜ……親父はともかく、じいちゃんが、涙流して『お前にも大韓民族の誇りが』云々言ってて、すっげぇ罪悪感だった……」
ジョン先輩は、少なくとも高校までは「日本名」を使っていたらしい。だが、この「真名呪術」への対策として、敢えて大学以降は、本名使用に切り換えた、と。そしてそれを、ジョン先輩の祖父は、先輩が「民族の誇りに目覚めた結果」だと、そう理解したらしい。
……うん、コメントに困る。
というか、創氏改名政策を推進した日本側からは、何も言えない。
「いまだに偽名使って生きてる術師もいるから、まぁ『こっちの世界』でのリスクヘッジの方法としては、まぁ賢明だと思うけど。曹大人なんかは、ぶっちゃけ政府の戸籍に登録してる名前の方が、いわゆる『字』で、呪術的な意味での『本名』じゃあ、ない感じだしねぇ……」
それはある意味、政府に存在自体で喧嘩を売っている、ような。
はー、とため息をつきながら、ユウさんは空を見上げる。
「中国の国内問題って、ぶっちゃけ、国力的に考えて、明らかに国際問題になっちゃうもんねぇ。核兵器を持つ五大国の一つであり、広大な国土と圧倒的な人口を持つ、『数の暴力』を体現した集団……しかも正直、呪術的観点からは、最強だもんねぇ」
ですよねー、とジョン先輩が頷く。
「漢族は『思想感化』特性……通常の『伝統呪術師』の能力は、家系の伝統に則った『専門職』で、どう足掻いても数に限りが出てきます。けど、漢族は基本、ナチュラルに『感化』を発現してて、思想に感化された人間をガンガン内部に取り込めるんですもんねー」
青海鉄道を通した時の、中国側のセリフだそうであるが。
曰く「よし、これで100年ぐらいすれば、チベットも『漢化』できる」と。
億単位の、驚異的な「人口圧」による「数の暴力」だ。
しかも、平然と100年とか言っちゃうあたり、スケールが違う。
「『漢化』は、後天的学習で能力を磨く系統の『東洋型魔術』の、極致だよ。西洋魔術は、キリスト教という文化を一度経由しなきゃ、十分なチカラを発揮できない。だから浸透するのに時間がかかる。だけど、漢族の場合は文化そのもので、ダイレクトに『感化』が実行できる……追い上げはしてるけど、西洋系呪術は、どう足掻いてもキリスト教の制約がかかっちゃうからねぇ」
あ、そうなのか。
それでアヤ先生は、わざわざ「ミッションスクール」である、自分たちの学校に、標的を定めたのか、と、マイとモモは、はからずも理解した。
キリスト教の基礎知識がなければ、西洋呪術は効果が落ちる。
日本の公立校は、政教分離政策により、宗教の授業は存在しない。
アヤ先生の狙いが、西洋魔術も扱える魔女のスカウトにあるのなら、むしろ、ミッションスクールに狙いを定めるのは、当然の帰結だろう。
モモは「結界」を維持しつつ、二人の雑談に耳を傾ける。
「ま、そんな『中華思想』の継承者として現在君臨するのが、宗教を否定する『共産主義』の政権っつーのが、俺的にはマジ笑えちゃうんですけど」
たしかに。
「まぁ、よそ事なら笑い事だけど、正直、僕らには笑えないよ。中国がトラブったら、日本含む周辺国は、ほぼ間違いなくもれなく巻き添えなんだから。しかも、政権の性質上、漢族の基本スペックも、変な具合に歪みが出てるしね……で、曹大人は、一人っ子政策の落とし穴を、切り札に揃えて勢力を絶賛拡大中だ」
「黒人ッスね」
何やら話がきな臭くなってきた。
が、その前に疑問を解消しておこう。
ジョン先輩の「黒人」で気づいたのだが、現在、自分たちに攻撃を仕掛けている人物は、レイ先輩いわく「『黒狼』崩れ」だ。
このネーミング、ただの偶然とは思えない。
「あの……『ヘイレン』と『ヘイラン』って、関係があります?」
マイも同じことを考えたらしい。問うたのは彼女だった。
……もっとも、最終調整段階に入っているらしい『ノンアル回復薬』を、チラチラ見ているあたり、あるいは現実逃避かもしれないが。
「『黒人』ってのは、大人になった『黒孩子』さ……『黒い人』って書くけど、この『黒』は『記録に載らない』『闇に葬られた』って意味だ。中国では現在『一人っ子政策』がとられていて、二人目以降の子どもを産むと罰金がかかる……罰金を支払いたくない親は、二人目以降の子どもが生まれても、それを役所に届けない。つまり、その子どもは公には『存在しない』ことになる。生きながら幽霊……いや、幽霊にすらなれない存在になるわけだ」
「幽霊にすらなれない?」
「『生まれていない』存在は、『死ねない』でしょ?」
淡々としたユウさんの口調に、ぞくっとした感触が背筋を走る。
キリキリと、ユウさんは、今までより鋭く弦を引き絞る。
「生命体としては生きていても、人間としては生かされていない……ようするに『人権』がないのさ。天安門事件で、人間を戦車で轢き殺した『あの』中華人民共和国で『人権』を語るのも妙な話だけれども、あの国の制度で認められる最低限の『人権』すらも得られない存在、それが『黒孩子』、そして『黒人』たちだ。教育を受ける権利もない。戸籍がないから真っ当な仕事にも就けない。病気になっても医者にもかかれない……戸籍がないことは、近現代の国家においては、人権を持たないことと同義だからねぇ」
バシュッ、と強い衝撃波を残し、チカラが放たれる。
「探知術ッスか?」
「うん。そろそろ二人が『本体』の追い込みにかかってるようだから」
ジョン先輩の問いに、軽く答えて、ユウさんは二人を振り返る。
「『黒狼』は『黒人』で構成された、『結社』の非合法特殊部隊だ。生まれていない人間が死ぬことはない。役所が把握していない存在を、かぎつけることはできない……体の良い捨て駒だけど、実績を積めば、正式な戸籍が獲得できる……そうやって、死にものぐるいの競争を煽って、優秀な存在だけを『人間』に認める。そういうシステムだから、時折こういう事件になる」
えげつない。
いや、なんてむごい。
あともう一つ、気にかかる。
「これだけの『亡霊』を操れる人間でも、戸籍取れないレベルなんですか?」
援軍が来なければ、とっくにこっちは全滅している。
多分、ゆうに千人以上は突撃してきた。
「呪具補正がかかってるよ。地理的に不利な条件であることを鑑みて、『封魔鏡』……端的に言うと、亡霊を内側に封じ込めておく、青銅製の呪術用の鏡だけど……それを使っているんだ。強力な鏡なら、十万人ぐらい封じ込めておけるけど、今回のは、そこまでのじゃないようだねぇ」
じゅうまんにん。
勘弁してくれ。
だが、もっと勘弁して欲しい衝撃の事実が、ジョン先輩に暴露される。
「劉老師なら、呪具なしでも万単位を操れましたよね?」
ナンダッテ?!
「うん。『漢族』を名乗る限り、『漢』の皇族である劉一族の血統呪術は、ヒット率が上がる。曹とか衛とか蔡とか魯とか、もっと古い家系なら話は別だけど。ただ、古くても孔一族は無理だねぇ……前漢武帝のせいで、拘束力が強化されてる」
武帝は、儒教を国家統制の仕組みに取り入れた皇帝である。
その因果か、孔子の子孫は、劉家の血統呪術への耐性が低いらしい。
「中国最大の血統集団なのになぁ……でも、逆に考えると、老師の『ホイホイ』に引っかかる人材が、大量に準備されてるってことか」
「その前に、儒教の要素が強くなると、今度は道教への適性が下がるけど」
「あー……そッスね」
どうやら、中国呪術の世界もややこしいようだ。
そうか、儒教って、宗教だったんだ。
とりあえず、モモとマイが思った共通事項はそれである。
朱子学のイメージが強すぎて、学問的なかほりが漂いまくっているが、儒教は元々は、儀礼的要素の強い、れっきとした「宗教」である。
「ちなみに、正式な追っ手は李君になるはずだったんだよねぇ。ただ、一緒に戦ってきた友人が、大人を裏切ったショックで、動けなくなって」
「……曹氏の部下の『李』って、あの『独眼竜』?」
「そ。よく夏候惇呼ばわりされてる、例のあの人」
「よっぽど仲良かったんですかね」
「幼馴染みだったらしいよ……とはいえ、李君は生まれながらの戸籍持ちだ。黒人の鬱屈を理解するのは、やっぱり難しかったみたいだねぇ」
そう言いながら、ユウさんは弓の石突きを、地面にぶっ刺した。
「Search!」
ユウさんがそう叫んだ瞬間に、モモも、マイも、ぶわっと肌が粟立つのを感じた。土に含まれている微量のケイ素を通じて、術を行使している。
「……これ『水晶の魔女』の?」
「僕流に改造した、実戦用索敵術さ。透視の応用」
一瞬だけそう返すと、ユウさんは「索敵」作業に集中を戻す。
モモも、マイも、疑問をぬぐえない。
自分たち「水晶の魔女」一門は、魔法・魔術・伝統呪術の「平和的運用」を目指す、「魔導連盟」所属の組織としか、交流しないはずだ。
師匠の夫に、道士が第一師匠のリョウ先生、という例外がいるが。
しかし、こんな広範囲の探知術を、呪具の補正つきとはいえ、実戦で使用できるというのは、相当な「傾聴」能力のある「魔女」のはずだ。
それが「傭兵」だという。
しかも道教系結社の大幹部の命令で、きな臭い仕事を請け負っている。
「ん?」
何やら妙な声を、ユウさんが上げた。
「ストップ! アイン!!」
アインは木立の中を疾走していた。対霊耐性は、ジョンと行ったホーチミンで、嫌と言うほど引き上げた。ベトナム戦争の残念が、まだまだ色濃いジャングルの中で、何日も何日も訓練をした。まとわりついてくる米兵の霊を、散々に吹き飛ばした。
あの時のことを思い出せば、操られているだけの亡霊なんて!
「苗回路・励起」
呪具は青銅製だろうが、術師は防御に銀をよく使う。ミャオ族は銀に適性が高い。その血統呪術回路を、集中して無理矢理こじ開ける。
思った通り、青銅の反応はあちこちにあるが、銀の反応が一箇所ある。
術者を直撃する前に、使用済みの……より正確に言うなら、貯蓄分の「亡霊」を吐き出した「封魔鏡」を回収する。この呪具は基本的にペア使用だ。二つの鏡の、鏡面を合わせて封じ込める。霊を中に入れた場合の「合わせ方」には作法があるが、吐き出しきった鏡なら、普通に重ねるだけで問題はない。
(あれだけの数の「幽鬼」も、これだけ鏡使ってれば、まぁ納得ね)
中国軍の真価、数に物を言わせた力押し、も、あのユウさん相手にはいつまで通じるやら、だ。対霊戦闘と対術師戦闘の基礎を、ベトナム行きの前に教わったが……しかし、あの人は何故「姫巫女」のそばにいるのだろう。もし曹氏が関わっていたら、この上なく厄介だ。
(いや……関わってるよねぇ)
まず「幽鬼紅軍」が出てきている時点で、中国系術者だ。
そして、ものすごく高品質、というわけではないが、まずまずの質の呪具を、これだけの数揃えられる、となると、まず曹氏と無関係ではなかろう。
姫巫女様とは、困った相性のオッサンだ。
そう、ベトナム人である自分が、劉老師と師弟になるぐらいに。
劉一族は、ベトナム人にとっては反発の対象である。
ベトナムの国民的ヒロインである、徴姉妹の蜂起を武力鎮圧したのが、漢王朝だ。それから千年の時を超えて、ベトナムは中国に時折絞られつつ、反発を繰り返した。痛快なのはモンゴルだ。日本では「神風」が吹いて2回の攻撃を撃退しているが、陳朝ベトナムは「神風」なしに、3回撃退している。白藤江の戦いは、ベトナムにおける赤壁の勝利である。中華(笑)ざまぁww だ。
そう、千年以上の長きにわたり、中華勢力相手にゲリラ戦を……もちろん、モンゴル侵攻時もだ……展開してきた、誇り高き越の血が、己の身には流れているのである。雑木林にこもって、呪具に頼って「姫巫女」を強奪しようなどという、ふざけた漢族術師など叩きのめしてくれよう。
密林の戦闘民族の恐怖、とくと味わうが良い。
早くも3ペアめを「閉じ」ようとして、アインは手を止めた。
「……?」
悪寒がする。
〈アイン! ストップ!!〉
脳内に、ユウ師匠からの伝令が飛ぶ。
何だ、と思って苗の回路を再び動かす。銀の気配は動いていない。
〈その鏡は「ペア」じゃない! 罠だ!〉
「え?!」
普通は回収時に便利なように、ペアの鏡を隣に置く。
なので、自然とそのように、鏡面を合わせかけ……ていた、すでに。
「うわっ!!」
ベトナム人の自分にはノーダメージだが、罠というのはよく分かった。これを拾ったのが、日本に国籍を変更した麗華こと麗佳だったら、多分、何がしかの巻き添えでダメージを喰らっていただろう。
「……あー、なるほど、そういう罠ね」
片方の鏡に封じられていたのは、「紅軍」……つまり、共産党軍の兵士の亡霊ではなく、国民党軍の兵士の亡霊であった。繰り返された「国共合作」の崩壊を思い起こせば、衝突は必至である。
〈ごめんなさーい! 国民党軍兵士がまじりましたー!〉
ケイ素成分を通じての「通信」回路に、軽く謝罪を入れる。
〈……手遅れだったか〉
〈てへぺろ☆〉
〈あのねぇ……で、この先「鏡」どうするの? 下手に鋳つぶすと大変だよ?〉
〈こっからは全スルーで、もう直接術師を叩きに行きます!〉
〈ああ、うん……その方がいいかもね〉
ちなみに、この会話は全て「水晶の魔法」で行われている。
ということは、いわゆる「水晶の魔女」には、筒抜けなわけである。
半人前にも達しないであろうが、マイとモモにも聞こえただろう。
(あー、テヘペロとか聞かれちゃった……まぁ、いっか!)
今ここで悩んでも、亡霊使いは倒せない。
竹槍を構え、「銀」の気配を狙い、アインは木立の中を跳んだ。
近い。
(……見えた!)
アインは、元から高い暗視能力を、さらにゲリラ戦の血統呪術で補強している。そして、隠密行動スキルは、天性で発現している。
敵は、結構本気で「事」にかかっているらしく、この暑い中ご苦労なことに、きちんと術行使用の道服を着用していた。目立つったらない。
一足飛びに竹槍の間合いへ入り込むと、アインは満面の笑みを浮かべた。
「チャオ、中国野郎☆」
驚愕に目を見開く術師の頭に、遠慮なく竹槍を横薙ぎに一閃。
「とりあえず気絶しといてもら……え?」
道服は、漢服の一種である。
中国の民族衣装というと、チャイナドレスとかを連想するかもしれないが、あれは清王朝の支配階級であった、満州族の民族衣装であって、漢族の服装ではない。立て衿は防寒のため、細い筒袖は手綱を捌くため。そして、特徴的なロングスリットは、騎乗時にスムーズに鞍にまたがるためのデザイン。そもそもは、下にズボンをはいていたものであり、完全に、遊牧騎馬民族の実戦用衣装、なのである。
対して漢服は、全体的にヒラヒラとして、動きに大きく制約がかかる。
同系統の道服もだ。
しかし、アインの眼前の術師は、そんな服装のハンデをものともせず、ひらりと、一切の予備動作をつけることもなく、くぐって、跳んで、かわしたのだ。
「へぇ。やるじゃない」
「血反吐を吐くほど訓練してきた。小娘に負けるわけない」
訛りは明らかだが、なかなかに日本語が上手だ。
「お互い名乗りません? 漢族に『小娘』って言われると、すっごい腹立つ……仮にも曹麾下の兵士なら、黒人だろうと通名ぐらいはあるでしょ?」
「……私はもう、あの人の部下じゃない」
ああ、それでユウ師匠が「掃除屋」として雇われたのか。
「私はアイン。阮進英よ」
「……ベトナム人か」
道理で「幽鬼紅軍」が効かないわけだ、と、彼は呟いた。
「そ。私がアンタが漢族だって知ってるのに、アンタが私が何族かを知らないんじゃ、不公平でしょう?」
「ずいぶん余裕だ」
「いや、焦ってますよぉ? こっちは本名名乗ったのに、通称もくれないしぃ」
竹槍を軽く構え直しながら、わざと間延びした口調を選ぶ。
そして会話を続けながら、相手の全身を全回路を励起してスキャンする。
(うわぁ。刀剣装備してるよ。竹槍じゃ厳しいな)
アメリカ兵も撃退したベトナムの竹槍だが、使い方と使いどころの問題だ。
当然、刃物を持っている相手に正面切って使うモノではない。
「紘然……日本読みなら……コウゼン、だ」
「へぇ、紘然さん。改めて勝負といきますか」
「越南の回路で、勝てるつもりか?」
「少なくとも『感化』抵抗にだけは、自信ありますよぉ」
これは事実だ。漢族に抵抗しまくったからこその、ベトナム人である。
「あと、お気づきかとは思いますがぁ」
戦闘本能に任せて竹槍を振るいながら、ほぼ全ての集中力を、紘然の装備している武器……幸いなことに青銅製だ……へと向ける。変形を要求する「魔法」を使えば、アイン程度の実力でも、刃をナマクラに変える程度のことはできる。
変形を覚ったのだろう、紘然は青銅刀を抜いて、顔をしかめる。
「私の最適金属は青銅なのでぇ……そちらの装備を歪めて、呪術機構を機能不全にするだけなら、なんとかなるんですよねぇ」
「小癪な……」
それでも、一撃の打撃力は金属に軍配が上がる。
打ち合いを繰り返しながら、アインはなじみの気配を探る。近い。
「それからぁ……」
「なんだ?!」
「漢族として、ベトナム人にやられるのが不服ってんならぁ……」
ニタリ、と、とびっきり意地悪く笑う。
「『三国志』の英雄『張飛』が相手、ってのはどうですぅ?」
「……は?」
待っていた気配が、ようやく到着した。
〈アイン! ストップ!!〉
ユウ師匠の声が、再び脳内に響いてくるが、知らぬ。
「リー!」
そう呼びながら、アインは向かってきた影に、小さな瓶を投げつけた。
「アイン……覚えてなさいよ!!」
瓶の中の液体……純度ほぼ100パーセントの消毒用エタノールを浴びた、張本麗佳……張麗華が、憎々しげに叫んだ。
隠密行動に、全エネルギーを振り分け、全速で離脱する。
背後で、友人の「漢族」の攻撃系回路が、一気に開くのを感じた。
「いや本当、凄まじいねぇ」
まぁ、敵が元「曹」家の部下、という点も、麗佳もとい麗華の「張」の回路に、攻撃性を付加しているのだろうけれども。第一、大人とも呼ばれている、曹文宣様ご本人を、張本麗佳が地で嫌っている。
気配を遮断しつつ、アクロバティックに木の上へ登っていく。
麗佳の「張」一族の回路が、完全に起動した。
地中の砂鉄が、彼女の「磁性操作」に従って吸い寄せられ、魔術剣の刀身が見る間に、より攻撃的なものへと鍛え直されていく。錬成魔術の無意識の行使だ。「狂戦士化」とは、実によく言ったものだ。紘然は、血反吐を吐くほど訓練した武術でなんとかしのいでいるが、かの「張飛」の回路を発現した彼女相手に、どこまで持つモノやら。
ぶっちゃけ、ある符丁を囁けば、もっと凶悪な回路が開くのだ。
さすがにアレを起動するのは、最終手段過ぎるが。
視線を空へ向ける。宵藍の色に沈みつつある。
さて、そろそろ「ラスボス」登場の時間だ。
歴史を引き延ばすなんて、どこの国でもやってることです。さすがに「ベトナム7000年の歴史」と聞いた時には噴いたけど。本当に、対中対抗意識の塊みたいな国だな。胡志明て中国名だけどいいのか?
石碑の話は恩師ダオ先生より。ダオ先生はその場で読めるからマシだけど。他の先生はその拓本をいったん古典研究者に回すので、無駄骨感がパネェ。ちなみに「永楽帝」と「暗黒大魔王」もダオ先生のネタ。
アイン先輩の活躍がいまいちに見えますが、対面状態の一対一になった時点でゲリラ的に詰んでるので、仕方ない。白兵戦特化型とは言っても、一対一の接近戦で本気を出したら、「カルテット」のメンバーでは最強なのはレイ先輩。アイン先輩は、ホームフィールドに誘い込んでのゲリラ戦が、そもそもの本領。ジョン先輩は回復支援系です。
さぁ、次話いよいよ「ラスボス」登場。ついでに、平泳ぎの得意な両生類が出てくる、悪魔的必殺技が炸裂の予定。
後始末話で、曹大人と劉老師も登場するかなぁ。ちゃんと「姫巫女」の伏線は回収しますが、この話で気づいた人は気づいたかもしれない。はい、だから曹氏との相性がアレなんです。
ちなみに、あだ名「夏候惇」な「独眼竜」の李君は、すでに曹氏の結社で幹部まで昇進しています。が、上司ほど冷酷になれない豆腐メンタル(上司のメンタルがアレ過ぎるともいえるが)
いわゆる乱世って、要するに国内総内ゲバ状態だよね……