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曹大人と劉老師と孫先生

 なんで現代で三国志……な内容です。いや予定通りなんだけど。ジョンさんとアインさんの正体判明。「ファースト・カルテット」の顔ぶれとは……





 謎の「ヘイラン」という語を聞くなり、レイ先輩は顔を歪めて叫んだ。

「またかよ!」

 ……と。

 突如現れた、シーフ系エルフコスプレ「野良の魔道士」ユウさんは、軽い調子で「うん、そうなんだよねー」と返す。この状況下で。

「さすがのツァオ大人ターレンも、日本だと分が悪いからさ。っていうか、元部下って時点で、ちょいとアレなので、僕が雇われたわけです」

「野良、ってことは『連盟』不所属?」

 そうだよー、という答えも軽い。

「ちょっと所属できない事情があるんだよね。なんていうか、鉄火場をよく回るから、平和的運用とかどうとか、暢気なこと言ってられないんだよ、僕の場合」

 ものすごく「業界」の話をしながら、平然とユウさんは、亡霊軍団の中へ突っ込んだ。いやいや、もう相手の攻撃範囲内でしょ! とモモは思うが、何故か気づかれない。

「……あれ?」

 相変わらず……どころか、もはや「幽鬼紅軍」の兵士たちは、結界をとりまく状況にまで到達しつつあり、現在進行形でガンガン「防壁」を叩かれているのだが。

 なのに、ユウさんは全く平気な顔である。

「あはは。血統回路起動も知らないか。いや、僕は弱いけど一応『色』適性でね。集中したら、入っている血筋の『術』を、短時間だけ行使できるんだよ。今は、僕の中に混じってる『漢族』の回路を励起れいきさせて、連中に同族だと認識させてる……つまり、日本人だと思われていないので、攻撃されない、っていうわけだね」

「……なるほど」

 日本人を敵と認識して攻撃するなら、日本人じゃないように擬装すれば、攻撃を受けなくてすむ、というわけか。たしか『はだしのゲン』で、米軍の捕虜が空襲を避けるために、ペンキで屋根にアルファベットを書いて合図にしていた、とかいうエピソードがあったが、あんな感じだろうか……その後、まとめて原爆を投下されたことについては、忘れておこう。

 というわけで、亡霊をすり抜けて、ユウさんも「結界」に入った。

「おー。こりゃ見事な『空』適性だね……大人ターレンも欲しがるわけだよ」

 マイを見ながら、何やら聞き捨てならないことを言う。

 先輩も同感だったのだろう。目つきがきつくなる。

「どういう意味?」

「いやぁ。今回の『はぐれ』は、ツァオ大人ターレンの側近の、その部下だったみたいなんだけど、ものすごい『空』適性がいる、って聞いて、それを確保したら大人ターレンを出し抜ける、って思って裏切ったらしいんだよね、どうも」

 知らないところで、マイの希少適性が、早くも噂になっているらしい。

 実にまずい、と内心に焦るモモの横では、ケッ、と、昼間のゆるふわ女子力を欠片も感じさせないガラの悪さをにじませて、レイ先輩が吐き捨てていた。

「……馬鹿でしょ? あの人に勝てるわけないじゃん!」

 へらっと笑って、ユウさんは弓をいじりだす。

「いやぁ。今回の『はぐれ』は、複合回路は無理だけど、複数の回路なら、切り換えて使えるんだよねぇ……それで調子こいちゃったみたいだ」

 どうやら、下手人は無駄にハイスペックだったらしい。

「あンのオッサンは……能力しか見ないにも程があるわね、ホント! 今回で『ヘイラン』崩れの事件は何件目よ?!」

「日本国内だと10は超えたかなぁ」

「中国本土のは?」

「そこまでは知らないなぁ。知る必要もないし」

「……ツァオのオッサンには、今は亡きソン先生を見習って……って、無理か。無理ね。よくよく考えなくても無理だわ。黒人ヘイレンで結社作ってる時点で、もう色んな意味でアウトだあの人」

「あと、孫氏の場合は台湾系だからねぇ。共産党指導部の圧力は関係ないし……ま、後継者はサヤさんで日本人になっちゃったし、いよいよ『天文』の拠点は日本に移ったねぇ」

 よく判らないが、ユウさんとレイ先輩は、中国系呪術集団に結構詳しいようだ。まぁ、レイ先輩の第三師匠を考えれば、その点は理解できる。ついでに、どうやら件の史上最年少『天文の魔女』サヤさんの先代は、ソンという台湾系の人だったらしい。

「さってと……まだしばらく、進行抑えられそう?」

 弓の調整が終わったらしいユウさんが、そう問うてくる。

「追加の岩塩があれば、あと5分くらいは」

 なんというか、冷めかけのホッカイロみたいな感じがする。

「はい、追加よ!」

 すかさず、レイ先輩が新しい岩塩に取り替えてくれる。

「もうちょっと保つかもです」

「オッケー! なら、十分に余裕だね!」

 明るい声でそう言って、矢もつがえない弓弦を、ユウさんは引いた。

帰去来兮かえりなんいざ! 田園将蕪でんえんまさにあれなんとす胡不帰なんぞかえらざる!」

 次の瞬間、パァンッ、と五体以上の「亡霊」が弾けて消えた。

 その聞き覚えがあるフレーズに、モモは思わず呟いた。

陶淵明とうえんめい帰去来辞ききょらいのじ……」

 中国文化史の授業で、ちょこっとだけ聞いたが、よく覚えている。

「そ。この部分だけが有名だからね。応用できちゃう」

 軽く返すと、今度は詠唱もせずに、ユウさんは次々と弓弦を弾く。そのたびに、五体以上の「亡霊」が、パンパンと「浄化」されて消えていく。

 ものすごい攻撃力だ。

 あっという間に、視界に入っている限りの「軍団」は消えた。

「うん……タイムラグがあるね。術師は一人で、呪具は最低二種類、かな」

 レイ先輩もすごいが、自分で「鉄火場を良く回る」というだけあって、ユウさんの戦闘能力は、福祉系社会人のレイ先輩とは比較にならない。

「こんな大量の『亡霊』を『召還』するなら、多分一つは『封魔鏡』か」

「……とすると、素材は青銅?」

 レイ先輩の問いに、うん、とユウさんは頷き返す。

「ほぼ間違いなく」

「それなら多分アインが対処できる……青銅が最適金属だから」

「あー、それにこれ『拠点防衛戦』だもんね。彼女にはお誂え向きだ」

「知り合いなの?」

「ちょっとだけ稽古をつけたことがある」

 のんびりした調子で、ユウさんは再び弓をいじる。

「さて、と……ちょいと荒療治いくよ」

 そう言うと、なんとユウさんは、マイに向けて弓弦を引いた。

「祓え!」




 ピィン、と、先ほど聞いた音とほぼ同じ音が響く。

 どういう仕組みかはわからないが、効果は覿面だった。

 マイの中に潜り込んでいた「残念様」が、するすると肩の方へ戻っていく。

 そして、ぽとん、と地面に……落ちる寸前で、ユウさんはそれを「試験管」的なものの中に、封じ込めてしまった。ご丁寧に、神道式のお札まで貼る。

「反応して、何か回路が励起してると、適性が壊れちゃうけど……今のところ異常はないね。後で精密検査が必要だけど、まぁ、とりあえず回復薬エリクサー飲ますかな」

「えっ?!」

 ユウさんはゲームの人みたいな格好をしているが、この世界の人間である。そして、モモがアヤ先生から受けた授業を思い返すに、エリクサーとは、薬草をウォッカに漬け込んだものだ。つまり、要するに、ものすごいアルコール度数のお酒でもあるのだ。

「あの、未成年なんですが……」

「消毒用アルコールなら小学生にだって使うよ」

 からから笑いながら、ユウさんは、現代ミリタリー調ジャケットの内側に、ずらりと並んだアンプルの一つを、迷うことなく取り出した。

「重装備にしておくもんだね。いつもなら持ち歩かないよコレ」

 笑いながら、遠慮もへったくれもなく、マイの口を開けてアンプルの中身を流し込む。まだ虚ろだったマイの目に、すぅっと生気が戻ってくる。

「おー、口移しじゃなく飲んでくれて助かったよ。普通のエリクサーは口移しでも効果落ちないけど、これはちょっと特殊だからねぇ」

「……何がです?」

「薄いから、最初に口にした人間にしか効果ないんだよね」

「え?」

「神道系の『清水しみず』なんだよ。伊勢神宮の水に、日本の薬草をいくつか混ぜて作った、純和製のエリクサーだ。これなら高校生相手でも合法だろ?」

 なんてドンピシャな手回しだ。重装備って素晴らしい。

「ただし、傷口の方は容赦しないよ」

 別のアンプルを引き抜いて、マイの右肩にぶちまける。ぶちまけながら、聞き慣れない言語で何か呪文のようなモノを唱えている。さっきの「和製エリクサー」のせいで、エルフ耳の印象が崩れかけたが、やはり基本は西洋呪術使いらしい。

「ん、これでまぁ、東西の術で相殺、かな」

「ありがとうございます」

 頭を下げるモモと、それからマイに、いやいや、とユウさんは言う。

「こっちは、依頼された仕事をしただけだから……にしても、この『清水』の分、大人ターレンには、追加の代金を請求しないとなぁ」

「そんな貴重なんですか?」

 モモの質問に、っていうよりは、とユウさんは首をひねった。

「単純に、アルコールが入ってないから、腐るの早くてね。入っている薬草の効果で、普通の水よりは日持ちするけど、ってやつだ……だから量産できないし、日本国内でしか需要がないしで、まぁ持ってる人は滅多にいないねぇ。これも二日ほど前に、神子柴みこしばから融通してもらったものだし」

 みこしば?

 詳細はともかく、神道系呪術使いであろうとは、モモにも判った。

 そう言いつつ、ユウさんはまた弓の調整に戻る。

「はいはーい。ちょっと大きめの技使うよー」

 ぽちぽち。

 そう、ぽちぽち、だ。

 モモはようやく気づいたのだが、ユウさんの「弓の調整」は、普通の調整とは違う。弦の具合を見たりとかではなく、本体に埋め込んだ、各種の宝石らしきものを、さながらプログラマーがキーボードを叩くようなノリで、指で順番に触れているのである。

「そんじゃ、詩聖いきまーす! 『兵車行へいしゃこう』!!」

 陶淵明の次は、杜甫とほか。

 宗教を信じない人であろうとも、言葉のチカラには心を動かされる。

 だから、漢詩で勝負を仕掛けているのだろう。

くるま轔轔りんりん うま蕭蕭しょうしょう……ッ!」

 パンッ。



 行人弓箭各在腰 : 行人こうじん弓箭きゅうせん おのおの 腰に在り

 耶嬢妻子走相送 : 耶嬢やじょう 妻子 走りて相送る

 塵埃不見咸陽橋 : 塵埃じんあいにて見えず咸陽橋かんようきょう

 牽衣頓足欄道哭 : 衣をき足をとんして道をさえぎりてこく

 哭声直上干雲霄 : 哭声こくせい 直ちに上りて雲霄うんしょうおか

 道旁過者問行人 : 道旁どうぼうを過ぐる者 行人こうじんに問う

 行人但云点行頻 : 行人 ただいう点行てんこうしきりなりと

 或従十五北防河 : あるいは十五より北 を防ぎ

 便至四十西営田 : 便すなわち四十に至って西 でんを営む

 去時里正与裹頭 : 去る時 里正 ためこうべつつ

 帰来頭白還戍邊 : 帰り来ってこうべ白きにへんまも

 辺庭流血成海水 : 辺庭へんていの流血 海水と成るも

 武皇開辺意未已 : 武皇ぶこう へんを開く意 未だ已まず

 君不聞漢家山東二百州 : 君聞かずや 漢家山東かんかさんとうの二百州

 千村万落生荊杞 : 千村万落せんそんまんらく荊杞けいきを生ずるを

 縦有健婦把鋤犁 : たと健婦けんぷ鋤犁じょうりる有るも

 禾生隴畝無東西 : 隴畝ろうほに生じて東西無し

 況復秦兵耐苦戦 : いわん秦兵しんぺいた苦戦に耐うるをや

 被駆不異犬与鶏 : 駆らるること犬と鶏とに異ならず

 長者雖有問 : 長者 問う有りといえど

 役夫敢申恨 : 役夫えきふ えて恨みを伸べんや

 且如今年冬 : つ今年の冬の如きは

 未休関西卒 : いま関西かんせいの卒をめざるに

 県官急索租 : 県官 急にもとむるも

 租税従何出 : 租税 いずくより出でん

 信知生男悪 : まことに知る 男を生むは悪しく

 反是生女好 : かえってれ女を生むは好きを

 生女猶得嫁比鄰 : 女を生まば比鄰ひりんするを得るも

 生男埋沒随百草 : 男を生まば埋没して百草にしたが

 君不見 青海頭 : 君見ずや 青海せいかいほとり

 古来白骨無人収 : 古来 白骨 人の収むる無きを

 新鬼煩冤旧鬼哭 : 新鬼は煩冤はんえん旧鬼きゅうきこく

 天陰雨湿声啾啾 : 天(くも)り雨湿(けぶ)るとき声啾啾(しゅうしゅう)



 区切りのいいところで、ユウさんはパンパンと弓弦を弾く。詠唱部分の長さや内容で、攻撃力に差が出ているらしく、消し飛ぶ亡霊の数がまちまちだ。

 この『兵車行』は、杜甫の「社会派詩人」としての側面を代表する、といわれる作品だ。表現はちょっと難しいが、要するに、領土をめぐる戦争ばかりして、農民たちは疲弊し、国土は荒廃している、と嘆いている。

 杜甫がこの詩を書いたのは、唐中期の「安史の乱」が起きて、中国全土が混乱期にあった頃だ。漢王朝、と書いているのは、ズバリ唐と書くとお役人に捕まるから、現代のことを古代のことに置き換えて、という中国文学でよくある手法である。実を言うと、玄宗と楊貴妃のことを歌ったとして有名な、白居易の『長恨歌ちょうごんか』も、文中では「漢」になっている。

 が、昔々……みたいに話しても、解る人には「あーハイハイ」だ。どう考えてもアレのことですよね、わかります、である。

 しかし、呪文としてこの詩を詠唱すると、時代設定をずらしている原文のために、共鳴事項のある時代の体験者、全てに影響力を発揮することとなる。

 もちろん、杜甫は意図していなかっただろうが。

 ユウさんが『兵車行』を詠唱しながら、新しく出てきた『グイリァン』を、片っ端からバッタバッタとなぎ倒すので、モモはとりあえず、意識を失っていたマイに、レイ先輩の魔術剣錬成から、今に至るまでの状況を、簡単に説明した。

 マイの「空」適性が「死霊使い」にとっては、喉から手が出るほど欲しい「素材」と見なされていることも、きちんと伝えた。マイは怯えた様子は見せたが、現状をしっかり認識したようだ。一刻も早く、対抗能力を育てないと、実にヤバイ、と。

 レイ先輩は、ひとまず「援軍」に戦闘を任せ、回復に専念している。

「うー……モモちゃん、回復魔法使える?」

「具体的には習ってないんですけど……とりあえず、疲労回復をイメージすればいい、ですかね? 呪文とか必要ですか?」

「いや、イメージで十分よ、多分」

「わかりました」

 指輪の紅水晶ローズクォーツに意識を向け、疲労回復をイメージする。

「あー……うん、ジンワリ効くわぁ……」

 その様子を観察していたマイが、首を傾げながら、呟く。

「……エリクサーもらったら早いんでは?」

 言われて、そういやたしかに、代金を払えばユウさんが分けてくれるのでは、と、モモも思ったのだが、レイ先輩は力無く首を左右に振った。

「それNGなのよ。私、一般的なエリクサーを使うと、狂戦士バーサーカー化するの。ていうか、アルコールを摂取すると、戦闘系回路が過剰に活性化される体質で」

 モモとマイは、同時に、先輩の魔術剣を見た。

 今でこそ格好良い剣であるが、原材料はアルミ製ビール缶、だ。

「これはアインに飲んでもらったのよ。でも流しきれなかったみたいで、錬成直後は、ちょーっと好戦的になっちゃった、かな」

 ああ、あの、血反吐を云々という物騒なセリフには、そんな背景が。

 っていうか、回復薬アウトというのは、なんと面倒な体質か。

 いや、マイの「空」適性よりは、面倒ではないかもだが。

 ふはー、と深呼吸を繰り返す先輩に向けて、男女の呼ぶ声がした。

「レイ!」と、男の声が。

「リー!」と、女の声が。






 んっ? と、モモとマイは目を見合わせた。リー?

「ジョン! アイン! こっちよ!」

 レイ先輩は、大きく手を振って、新たにやってきた二人を見る。

「……えっぐい相手だな」

 まだまだ押し寄せる「幽鬼紅軍」を見て、ジョンさんが顔をしかめた。ジョンという呼び名だったが、見るからに東アジア系の顔立ちである。ついでに、白衣だ。

「うわ、ユウさん来てなかったら、今頃激ヤバだったんじゃないの?」

 手に竹箒を持った、上下黒のジャージ姿の女の人が問う。

 この女性が「アイン」さんか。やはり、ユウさんと顔見知りらしい。

「激ヤバでした。姫巫女ヒメミコ様、一発被弾」

 レイ先輩の返事を聞きながら、二人はすたすたと、ユウさん同様、亡霊兵の攻撃をスルーして、結界の中へと入ってくる。ユウさんと同じカラクリだろうか?

「俺が診療入るから、アインは前線な」

 ジョンさんは小ぶりのアタッシェケースを広げた。中身は、なんだろう。医療器具とは、少し違う感じである。そうだ、化学実験器具っぽい。

「お願い。ちょーっと体力使いすぎた」

「オッケー」

 レイ先輩の「お願い」に、軽快に返事をして、アインさんは……箒の先をスポッと引っこ抜いた。なんと、まさかの仕込み竹槍である。

「さーて、と……史上最大兵力の民族が漢族ってーんなら、あたしらは、局地遊撃戦の最強民族よ……術者引っ張り出して、袋叩きにしてやる!」

 キュッ、と慣れた手つきで竹槍を操り……ちなみに、箒のお掃除部分は、結界の中に取り残された……アインさんは、雑木林の方へ単体で突撃した。

 アインさん本人には、バリッバリの攻撃意志があるのに、亡霊兵は彼女に欠片のダメージも与える様子がない。押し寄せる大軍を幻影とすり抜け、姿を消す。

「……えっと、あの」

「あー、安心しろ。攻撃標的設定が『日本人』なら、アインにゃ効かねぇよ。グェン・ティエン・アイン……中国と千年以上、フランスと百年も戦争をして、最後はアメリカまで撃退した、森林戦は最強のゲリラ民族ベトナム人だ。雑木林でも木立の中なら、アイツの独擅場だよ。あと、あれキン族以外の少数民族も混じってるからな。血統系呪術で、漢族にも何とか対抗するだろ」

 ケースから小瓶を出し、手早く並べながら、ジョンさんが言う。

「キン族?」

 マイの問いに、おう、と、目線は手先からずらさず、答えてくれる。

「通称ベト人……ベトナムの主要民族だ。つっても、漢族ほど圧倒的多数じゃない。全人口の半分ぐらい、ってぐらいの『多数派』だから、ベトナムは少数民族も結構強いのさ。ベトナム共産党書記長の、ノン・ドゥック・マインだって、タイー族出身だしな。日本で言うなら、与党の総裁がアイヌみたいな感じか? ……って、これは極端か」

「いっつも思うけど、タイー族とターイ族って、日本語だとややこしいわね」

 仲間の到着に、先輩もどうやら、軽口を叩く余裕が戻ったらしい。

「『サー』の語尾を上げたら『茶』になって、平坦に発音したら『スプーン』になる、お前らに言われてもなぁ……」

 んっ?! と、またモモとマイとは、顔を見合わせた。

「いやいや。もう日本国籍だから。張本はりもと麗佳れいかさんだから。ジャンリーファさんじゃないから」

 んんっ?! である。

「はっはっは。まぁ公務員試験受けるには、なぁ」

「よねー」

 ……つまり、レイ先輩は、元は日本国籍じゃなかった、ということ、だ。

「あの、ひょっとして『ファースト・カルテット』って……」

「今、ちょうど五島列島に帰ってる福本ふくもと以外は、血統的には『ヤマト』じゃないわね。私は元の本名が、ジャンリーファで、中華民国籍だったのよ」

「俺は今も大韓民国籍だ。フルネームはシンジョンチョルで、通称がジョン。諸事情あって、今は医専に通ってる」

「あ、だから白衣……」

「いや、これはコスプレ。これ着てたら、医療行為っぽいことしてても、スルーしてもらいやすいんじゃないかなぁ、って。あはは」

 なんというか、ものすごく、たくましい? したたか?

 笑いながら、けれども繊細な手つきで、ジョンさんは何かを調合し終えた。烏龍茶のような色合いだが、いかにも苦そうな液体である。

「ほれ。四川系回路遮断機能付き、ジョン様お手製ノンアル回復薬エリクサーだ。まったく、お前は特殊血統ばっか発現しやがって……」

「好きで発現したわけじゃなーい! っつーかマジ要らん。平成日本で生きるのに、酒乱な張飛の回路とかマジで要らん」

「えっ?! 張飛?」

 それ、三国志の例のあの人ですか?

「世が戦国時代なら、お前、ゲームキャラになるレベルの女傑なのにな」

 ……ズバリ、例のあの人ですよね、それ?!

「酒飲んだら殺人衝動が出てくるスイッチとか、マジ要らんわ!」

 さらりと衝撃的な会話を交わしながら、ジョンさんがたった今調合したばかりの「ノンアル回復薬エリクサー」を、レイ先輩は鼻をつまんで一気飲みする。

「うーし、戦線復帰します!」

 青汁の宣伝もかくや、という顔をしながら、レイ先輩は剣を取る。

「行ってらー」

 ジョンさんは気分を悪くするでもなく、ひらひらと手を振る。

 国籍を日本に変更したせいなのか、レイ先輩はアインさん……いや、アイン先輩のようには、亡霊兵の攻撃を避けられないらしい。剣戟が響く。

 ユウさんは相変わらず、結界の隅に佇んで、弓で援護射撃をしている。

 よく知らないが、多分ものすごい顔ぶれなのだろう。

 モモの説明を思い返しながら、おそるおそる、マイが声をかける。

「あの……ジョン、先輩?」

 例の「ファースト・カルテット」出身者、ということは、この人も母校の卒業生だろう。そして、アヤ先生の門下としても、先輩呼びは間違ってはいまい。

「どうした、姫巫女ヒメミコちゃん?」

「その……その『ヒメミコ』って、どういうことですか?」

 モモが、マイの意を察して、問いを続ける。

 昼間から、気になっていたのだ。

 だから、この際「知った」方がいいと、二人は思ったのだが。

「あはは。それここで知っちゃったら、連中を操っている本体の攻撃意欲が上がっちゃうから、少なくともそれまではNGね。とりあえず、悪霊ホイホイに加えて、君に死霊使いホイホイの機能が追加されちゃったことは確かだ」

 なんということだ。

「……要らん」

 マイは、レイ先輩と全く同じ結論に到達した。

「レイと同じだよ。術者血統の希少回路は、本人がいくら望んでも開花しないものもあれば、いくら拒絶しても強制的に起動するものもある……レイの場合、ツァオ氏の横槍で覚醒した部分もあるんだけどな」

 ……横槍で「酒乱殺人衝動機能」が追加されれば、嫌いにもなろうな。

 と、マイは似た境地から同情したが、モモはさらに踏み込む。

「その『ツァオ』さんって、何者なんですか? ユウさんは『大人ターレン』って呼んでましたけど、たしか中国語の『大人ターレン』って、『大物』とか『顔役』的な意味がありましたよね?」

 おや知ってるねぇ、と、ジョン先輩は笑う。

ツァオ氏は、中国本土全域に根を伸ばしつつある、道教系術師連合の大幹部で、ついでに言うとアジア各地の華僑社会の顔役であり、裏社会でも有力者だ。本人は表向きは骨董商だけど、まぁ、うん……チャイニーズマフィアと呼ばれても、全面的な否定は難しい、かもな」

「げっ!」




 そんな物騒な人物が、マイの適性に食指を動かしている、だと?

「っていうか、その人とグイ老師は、どういう関係で?」

 モモの問いに、ジョン先輩は、さらりと爆弾発言を返した。

「あー……義兄弟」

 ……ナンダッテ??!

「ちょっ! ちょっ! ちょっ!」

 モモが口をぱくぱくさせる。

「リョウ先生の師匠の義兄弟がマフィアってことですか、それ?!」

「そうなるな」

 ジョン先輩は、今更気づいたという顔で、補給用らしい回復薬エリクサーを、新しく調合し始める。というか、それを気にする様子もない。

「……アリなんですか?」

「しょーがねー、っつーかね。そもそも、俺らがこの道に足を踏み入れる前から、ツァオ氏とリウ老師とソン先生は、義兄弟の契約してたんだから、どーにもならん、っつーか」

 あれ? 三人目が出てきた。

 そして何だろう。

 イメージで伝えられる「漢字」の並びに、中間考査を思い出す。

「……三国志?」

「まぁ、ツァオ氏は曹一族の子孫の一人だし、リウ老師は、劉邦と劉備の能力を発現してるし、ソン先生は孫子の子孫だけど……孫権も孫子の子孫を称してたから、たしかに、三国志の復元といえば、そうか」

 いやいやいや!

 いやいや!

 いや、たしかに、ジャンリーファこと、張本はりもと麗佳れいか先輩が、張飛の回路を発現して、アルコールを摂取すると「酒乱殺人衝動」のスイッチが入ると、先ほど聞いたばかりだけども!

「なんでそんなに揃ってんですか?!」

「それはもう運命だ、と、三人は思ったらしい」

 運命的なのは否定しない。

 それは否定しないが、なんだこの、否定したくなる組み合わせ。

「で、桃園の誓いよろしく義兄弟?」

 モモの質問に、うーん、とジョン先輩は首を傾げる。

「年齢順に、孫先生が長兄で、ツァオ氏、劉老師、だけどな」

「いやいやいや……論点はそこじゃないんですが……」

 詠唱に一区切りをつけたユウさんが、半分はシャレでしょ、と口を挟む。

「真面目半分、悪ふざけ半分……っていうか、そもそも本家の劉備と関羽と張飛は、史実では別に、義兄弟の契りを交わしたりなんかしてないしねぇ」

「えっ?!」

 マイ、モモ、ともに絶句する。

 おっかしぃなぁ。授業ではなんていってたっけ?

「『義兄弟』っていうのは、そもそもは北方の遊牧民の習慣だから、後漢から三国時代にかけての『中国』には、あり得ねーの。五胡十六国時代に多少は入っただろうけど、その後の漢化政策で消えたっぽいし。本格的に浸透したのは、モンゴル帝国支配時代らしい」

 ジョン先輩の言葉に、あれ? あれ? と二人は頭を抱える。

「君らの思い浮かべてるのは『三国志演義』だねぇ。それ、モンゴル支配後の、明の時代にまとめられた本だから、違和感なく義兄弟なんてネタが入ってるんだよ」

 ナンダッテ?!

 ユウさんの言葉が、なんだかぐっさり胸に刺さる。

「……ってことは、昨今は中国の若者すら知らないから、まぁ、君らが知らなくても、別に恥ずかしがることはないよ」

 HAHAHA、と、ユウさんは慰めにならない慰めをくれる。

「あの授業はなんだったんだ!」

 世界史Aを真面目に受けたら、自分が残念な子になってしまった!

 モモはショックを隠せないようである。

 そんな様子に、まぁまぁ、とジョン先輩がフォローをくれる。

「担当教師、まっつん先生じゃなかったか?」

 その愛称……間違いなく、母校の先輩ならではの発言である。

「そうです!」

「あの人、試験の最低限の知識以外は、面白さ優先で授業するから」

 一瞬、呆れの沈黙が、現役女子高生二人の間に落ちる。

「もう決めた……今度からは疑ってかかる……」

「教育とは洗脳の美名、ね……」

 モモとマイは、現実に少しやさぐれたような顔をした。

 なるほど、黒板の前で言われることを正しいと信じるのは、阿呆だ。

 かくて戦前は皇国史観のもと軍国主義がまかりとおったのだろう。

 げに、教育は国家百年の計。おそろしや。あなおそろしや。

 誓う二人の前で、調合作業を続けていたジョン先輩が、ところで、と声を上げる。

「その弓とエルフ耳の呪具……傭兵の『ユウ』さんですよね?」

 顔見知りではないが、そのスジでは、やはりユウさんは有名人らしい。

 どのスジなのかは、あんまり知りたくないが。

「うん。今回は大人ターレンの依頼で。事件を起こしたのは、元『ヘイラン』のメンバーさ。大人ターレンの側近に目をかけられて、調子こいたらしい」

 事情を説明しながら、ユウさんは再び弓のプログラムを組む。

「呪具を使ってとはいえ、この数の死霊を一気に操るんですから、相当に素質は高かったんでしょうけども……あの人相手にまた……思い切ったことを……」

 とりあえず、ツァオ氏が「大人ターレン」と呼ばれるだけの実力の持ち主であることは、どうやら間違いないらしい。

「孫氏が死んだ今、『義兄弟』の縛りが崩れているのは確かだけど、肝心のリウグイシェン本人に、ツァオ大人ターレンの傍を離れる気がないのにねぇ……」

 ぽちぽち、と弓の宝石を叩きながら、ユウさんはぼやくように言う。

 今度のプログラムは、結構、複雑らしい。

「劉邦と劉備の共通能力を発現してますけど、老師は権力闘争とか興味ゼロで、ある意味もう仙人になっちゃってますもんね」

 ジョン先輩の言葉に、あはは、とユウさんは笑った。

「野心のない劉備とか、曹操にとっては一粒で二度以上美味しいねぇ」

 まるで三国志の話をしているようだ。

「本人が全力で拒絶してますが、結果として『張飛』が釣れてますしね」

 ……レイ先輩のことか!

「あのぅ、その、劉邦と劉備の共通能力、って何なんですか?」

 マイがおそるおそる、質問してみる。

 ジョン先輩は、新しい何かを調合し始めながら、端的に答えてくれた。

「人材ホイホイ」

 なんてステキな能力なんだ!

 悪霊ホイホイになってしまった我が身をかえりみ、マイは遠い目をする。

 ユウさんが、軽く弓弦を弾きながら、説明をつなぐ。

「ただし、三十歳近くにならないと発現しない。孫氏と大人ターレンは、大学で知り合いだったみたいだね。日中国交正常化の後に、こっちで会って意気投合したとか」

 オッサン、とレイ先輩が言うだけのお年ではあるようだ。

「劉老師は孫先生の紹介で、一時はツァオ氏のところで修行して……で、その時に鑑定能力で素質を見抜かれた。で、ツァオ氏の暴走を懸念した孫先生の意向で、三人で『義兄弟』の契約を結んだ」

 そのジョン先輩の説明が、どうも引っかかった。

「『義兄弟の契約』って、相手の行動制限機能があるんですか?」

 モモの問いに、うん、とジョン先輩は頷く。

「『演義』の誓いみたいに、同じ日に死ぬことはない。ただし『勢力均衡』って作用があって、全員が生きている限りは、誰かが突出した力を持つことはない……が、一角が崩れたら、こうなる」

 と、眼前の戦闘を、ジョン先輩はピペットで指し示した。









 東アジア対中連合状態な今回の内容だけど、味方の一人ユウさんが、ツァオさんの指令で動いているので、やっぱり「対中」と形容するのはイマイチ合わない感じですね。

 ちなみに曹大人の「犯罪」は、中国共産党指導部への反抗の画策が、向こうの政府的には最大ですが、骨董品の闇取引に手を染めているのが、どうあがいても「白」と言い切れない国際法的な理由。国外に流出した品を回収しているだけ、と言われれば、まぁそうなんですけども。


 ジョンさんは韓国系でした。現在は第三師匠「医療の魔女アユミ」の弟子なんですが、師匠がアフガニスタンに旅立ったために、医専に通うことになった苦労人です。まぁ「カルテット」に入ってる時点で、医学部行くのは無理そうな成績であることは想像できると思いますが。

 お手製レイ専用エリクサーは、薬草をお湯で煮込んだ漢方系。アルコールを使わないで成分を効率よく取るために、ゲロマズ仕様です。実際には青汁の方がまだマシなレベル。


 あと、アインさん。ベトナム人は半分ぐらいが「グェン」姓なので、名字で人を呼ぶととてもややこしく、名前で呼ぶのが通常です。あれですね、祭りで「鈴木さん!」って叫ぶよりも面倒なことになる。

 ちなみに、漢字表記は「グェンティエンアイン」……女子の名前かコレって感じかもですが、はい、頑張って欲しかった親心。少なくとも、とっても逞しくは育ちました。

 なお、ベトナム民族=世界最強ゲリラ伝説は、恩師ダオ先生のお言葉。


 アインさんは、戦闘スタイルは白兵戦特化型です。遠距離系の術とかサッパリです。というか彼女は文系クラス出身で、数学が死ぬほど嫌い。なので、魔術師の適性はすごく低い。かといって魔女としての能力も高い方ではないので、「カルテット」の中では、血統系呪術に一番頼っています。なお、催眠系適性の高い五島の「地理の魔女」福本さんは無意識常時発動タイプで、アインさんは意識して励起しないと使えないタイプ。

 血統はキン族メインですが、ミャオ族とイ族が混じっている設定。



 なお、現ベトナムの「国父」ともいえるホーおじさんこと「ホー・チ・ミン」の名前は、潜伏時の中国名(漢字表記「胡志明」)であり、実はベトナム名は別モンだったりする。

 ついでに、ノン・ドゥック・マインには、ホーおじさんの隠し子説があるけど、本人は「ベトナム人民は皆ホーおじさんの子ですよ」と言って肯定も否定もしていない。元ネタは、バックカン省に潜伏していた時に、ホーおじさんのお世話をしていた女性がほどなく身ごもって云々、という、テンプレここに極まれりな話。テンプレ過ぎて噴いた。


 しかし、肝心のホーおじさんは、自分の悪癖として「タバコをやめなかった」などと列挙して「子どもをつくらなかった」と言っているので、身に覚えはなかったのかもしれない。ノン・ドゥック・マインも少数民族出身の自分に箔的なものをつけるべく、ぼかしているだけかもしれない。

 下手に子どもがいたら、某北の国みたいなことになってたんじゃないのか、と思うのですが。っていうか、タバコと同レベルの話なのかよ、と思わずツッコんだ記憶があります。


 なお、共産党支配下では、基本的に宗教施設は増やせないんですが、最近は「ホーチミン神社」を建立して、諸々の施設の代用にしているベトナム人。これは、さすがの党指導部も壊せとは言えないww

 堂々とホーおじさんの肖像画を飾って、「ベトナム人民は貴方の偉大なる業績を千年にわたって忘れない」と、喃字チュノムで書いている。

 フランス統治期にアルファベット表記のクォックグーに慣れたせいで、古文研究者以外はほとんど読めないのに、妙なところで懐古趣味なのは、永楽帝に歴史資料を燃やされた腹いせだろうか……。




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