逢魔が時の公園に
いよいよ戦闘シーンに突入します。シリアスなのに、ところどころヒドイ。主にレイ先輩の呪文がヒドイ。
でも、こんな凄まじい相手と単体でやり合うあたり、個人戦闘に関してだけはセンスあるんです、レイ先輩。
図書館を出ると、カァカァとカラスが鳴いていた。夕焼け小焼けで日が暮れて、でも山のお寺の鐘は鳴らない。ついでに、お手手も繋がない。
レイ先輩を先頭に、マイを次に、そしてモモが殿の一列で進む。
帰宅にあたっての方針は、こうだ。
まず、二人が付き添った状態でマイを家に送り届けて、その後、マイの家に防御結界を張り、そこからモモが帰宅する。本日「天文の魔女」サヤの「予知」で、危険信号が出ているのは、マイ一人である。そしてモモは先天型の退魔体質。マイのように強力な「ホイホイ」が傍にいるのでもなければ、多少の「残念様」程度は近寄らないそうである。
「日本でも中国でも、基本的に、桃っていうのは『死』に抗う性質と見なされてるのよね。だから、伊弉諾尊は桃で黄泉醜女を撃退する。名前がズバリそのものな『桃』ちゃんは、だからむしろ『残念様』の方が逃げたい相手よ」
「……なんで『死に抗う性質』なんです?」
「それは『桃』が……」
そこまで説明しかけて、あ、と言ってレイ先輩は口を閉じた。
「どうしたんですか?」
訝しげに問うモモに対して、いや、と先輩は口ごもる。
「これ……アヤ先生からの夏の課題の答えかも」
チッ、とモモは内心で舌打ちした。
ここまでペラペラ喋ってくれた先輩だから、と少し期待はしていた。
モモに出された課題は三つ。一つは今日、ほとんど基本が完成した『古事記』のレポート。もう一つは、この『黄泉下り』に似た、世界の類似神話を探してくること。そして最後に、己の「坂之上桃」という名前について、考察を深めること。
何じゃそりゃ、と、最も思った課題だ。
いや、アヤ先生はマイの「空」適性を解説する時に、どうしてそういう素質が開花する可能性があるのかを、本名たる「上代麻衣」の漢字ごとに分析して、詳細に教えてくれた。なので、マイの「名前」にチカラがあることは分かる。
だが自分の場合は、3月3日生まれの「桃の節句」由来だ。まぁ、この祭り自体、厄災避け・ケガレ落としの意味を持っているから、そこは分からなくもない。だが「坂之上」などという名字は、おうちが坂の上に建っていたとか、そういう類の、実にシンプルな理由だろう。
クラスメートの山本と田中が、名字特集番組の感想で「俺らの名前って庶民代表だよな」「日本の原風景的な意味では最強じゃね?」「キラキラしてねーだけマシだよな」「『小鳥遊』とか『月見里』とか、マジ読めねーよな」とか騒いでいた記憶がある。
おそらく、己の名字も「山のふもと」とか「田んぼの中」と同レベル。
それが何故に、特別な意味を持つのか、サッパリだ。
(……レポート終わったら、何か民俗学の本でも当たってみるかな)
こっちの世界に足を踏み入れて、ちょっとは講義だってかじってきたのだ。民間伝承というやつの油断ならなさについては、多少は理解している方だろう。
などと考えながら、けれども「聴くチカラ」はちゃんと半分開いて、周囲に警戒を怠ることはなく、歩みを進めていく。
二つ番地が変わったところで、異変が起きた。
「……ッ! 痛ァッ!」
キィィィィン、と飛行機が空をつんざくような不快な音が、大音量で耳を……いや、正確に言うと、「魔女としての聴くチカラ」の中枢に、突き刺さる。
必死に両耳を押さえながら、ふらついた体を立て直す。
レイ先輩は、紫水晶のペンダントを外すと、マイに投げた。
「マイちゃんは、全『回路』オフ!」
声が、ゆるふわ系から、完全に戦闘モードに入っている。
「これ以上閉じられないんですけど!!」
「じゃあその状態をキープ!」
ビシッと指を突きつけると、軽く周囲を見渡した。
「……中原公園で、迎撃に入るわよ」
「逃げないんですか?」
戦闘は極力避けるのも護衛の仕事、と言っていたのは、レイ先輩だ。
だが、その当人は今、首を激しく左右に振っている。
「さっきのは『魔術師』の先制攻撃! 向こうはすでにこっちを探知済みよ! 出力コントロールが不安定なあなたたちが、逃げ切れる相手じゃない!」
そう言いながら、レイ先輩は、池もあるなかなか広い公園へ走り出した。
「『魔術師』って……今日の襲撃相手、空襲犠牲者の『残念様』じゃないんですか?」
マイが怒鳴りながら追いかける。
「その可能性が一番高かったけど、いくらサヤさんだって、全力全開じゃない簡易予知で、そこまで細かいことは見えないわよ! 『七大魔女』では最弱なのよ!」
なにげにヒドイことを言いながら、中原公園の入り口まで走り抜ける。距離にしておよそ400メートルぐらいだろうか。結構しんどい。文化会系の現役女子高生二人は、すでに肩で息をしている。対して、もはや体育の授業もないはずの社会人の先輩は、息切れ一つしていない。
「……すごいですね」
若さはこっちの方が断然なのに、と思いながら、モモも額の汗を拭う。
「福祉系の社会人の基礎体力、ナメんじゃないわよ」
そういえば、たしかその系統の学部に論文で合格したのだったか。
介護にしろ何にしろ、福祉系に体力は必須項目のようだ。
そして、そんなことを言いながら、レイ先輩は大容量バッグを開くと、何やら小さな粒の入った紙包みを取り出して、公園入り口の両端に、釘で打ち込んだ。もちろん、金槌で。
促されて公園に入る。入った瞬間に、二人は異変に気づいた。
「人がいない……」
「ここ、ジョギングの定番コースなのに……」
モモとマイの言葉に、人払いってやつよ、とレイ先輩は応じる。
「大規模呪術の行使を視野に入れるなら、見られちゃ困るってことよね」
そう言うと、もはや四次元ポケットのような鞄の中から、魔法陣を描き込んだA4用紙を取り出した。きちんとクリアファイルに入っているあたり、変なところで几帳面な人である。
「……いいわね? 笑うんじゃないわよ?!」
どうやら、これから例の「恥ずかしすぎる呪文」を使うらしい。
レイ先輩は四次元バッグから、ビールの缶を一つ取り出すと、魔法陣の上にのせて、その凹んだ底面に、また鉄釘を打ち込んだ。もちろん、金槌で。
「しーんてっこーう!」
半分ぐらい投げやりに、先輩は叫んだ。
いや、なんかもう、呪文が恥ずかしすぎるのなら、いっそその金槌で戦闘したらいいんじゃないですか、と、モモとマイは目で会話したのだが。
こんなもんじゃなかった。
レイ先輩は魔法陣の中央に、底面に鉄釘を打ち込んだビール缶を立てると、鞄からごそごそと、新たなるビール缶を取り出してきたのである。
カラン、と音がして、最初のビール缶の空き口から、小石らしいものが落とし込まれたのが分かった。自分たちの流派から考えるに、なにがしかの「水晶」だろう。
先輩は、次のビール缶をとりあげると、自棄全開といった調子で叫んだ。
「あるみかんのうえにー! あるみかんー!」
ブッフォォォッ!
マンガのオノマトペで表現するなら、まさにそんな感じであった。
笑うなと言われても、笑う。
むしろ、笑わずにいられるだろうか。
たしかにこれは、恥ずかしい。恥ずかしすぎる。もし正式の呪文なら。
「あるみかんのうえにー! あるみかんー!」
先輩の恥ずかしすぎる呪文詠唱は続く。
最初は、そのベタを極めたひどすぎる内容に、笑いを堪えるのに必死だった二人だが、5回目の詠唱ぐらいからようやく落ち着いてきた。
そして、一つのことに気づく。
レイ先輩は、アルミ製ビール缶の上に、次の缶を載せる前に、必ず「コトリ」と音をさせている。つまり缶を重ねる前に、中に「石」を仕込んでいる。
缶が七つ重なったところで、先輩は大きく息を吸い込んだ。
「魔術剣錬成!」
いきなりマトモそうな……ちょっと中二病っぽいが、さっきまでのダジャレよりは、やはりよほど呪文らしく聞こえる……文言を叫んだので、二人は目を見開く。ただのコピー用紙に描かれた魔法陣が、モモの目には青白く発光して見える。
そして、レイ先輩の手が、一番下のビール缶を掴んだ瞬間に、その衝撃的な「不思議」は発生した。いや、正確には「現象した」と言うのだったか。
握られた部分から、ビール缶がバキバキと音を立てて変形し、あの「宣言」どおりの、細身の剣へと、姿を変えていったのだ。
呪文のダサさが吹っ飛ぶぐらい、格好良い光景だった。
錬成した「魔術剣」を、すらりと構えながら、レイ先輩が二人を見る。
「錬金術師の弟子を……ナメんじゃないわよ?」
振りかぶった次の瞬間には、地面から無数の細い鉄の棘が生える。
「……砂鉄操作?」
マイは、思わずそう呟いた。この感触、アキの「不思議」に似ている。
「私の適合水晶は、タンジェリン・クォーツ……和名は蜜柑水晶よ。得意属性は『火』『土』……五行説で『金』。最適金属は鉄。得意魔術は金属錬成。魔法は磁性操作と、酸化還元よ」
軽く剣を振ると、棘の形状を成していた砂鉄が、ざぁっ、と再び砂に戻る。
「さあ……」
凄みをにじませた声で、ゆるふわ髪を風になびかせ、先輩は暗がりを睨む。
「とっとと姿を見せな! 血反吐吐かせるよ!!」
なんだか凄まじいセリフとともに、雑木林に剣先を向けた。
その瞬間だ。
全身の皮膚を、ミミズが這い回るような気持ち悪さを、マイは感じた。
「ヒッ……」
必死でスイッチを落とす。だが、落ちきらない。
しかし、モモの「目」には、もっと壮絶な光景が写っていた。
「何これ……何なの、この人たち?!」
暗がりから這い出してきたのは、人間の「霊」のようだった。
だが「残念様」と呼ぶには、あまりにおかしい。
レイ先輩は「残念様」について、「死んだ場所の位置情報を、強く『握って』いる」存在だ、と言っていた。それはつまり、基本的に死んだ土地から動けない、ということのはず。
(こんな場所で、こんな数が、出てくるわけ、ない!!)
「……視覚リンク・強化」
ぼそり、とレイ先輩が呟いた瞬間、モモの負担が軽減した。正確に言うと、見ていたモノの圧倒的なプレッシャーを、半分ほど預かられたのだ。
「なるほど……相性最悪の相手ね……」
基本的に「見えない」らしいレイ先輩だが、負担と引き替えに、モモの「見る」チカラを、一時的に借りているらしい。ということは、今の視覚は基本的に通じている。
「レイ先輩、見えます?」
「おかげさまでね」
全身を震わせているマイを、抱きしめるようにして庇いながら、モモは先輩に問いかける。視線は、暗がりから出てきた「モノ」たちに、固定したままだ。
「『残念様』に、軍人がいる可能性は理解できます。でも、この『ヒト』たちの装備は、旧日本軍のじゃない……ここで、こんな数死んでる存在じゃない」
「ええ。そうね」
剣を構えたまま、レイ先輩は落ち着いた口調で返す。
「……この連中は『鬼連』。日本語で言うなら『亡霊軍団』ね。それも、魔術師が相手にするには、最悪の霊体で編成してるわ」
なんたって、と言いながら、レイ先輩は足に力を込める。
「共産主義の……宗教を否定する特殊集団の霊で構成してある『幽鬼紅軍』……最ッ悪のタイミングで繰り出してこられた」
「タイミング?」
「生前の所属の紅軍は、今の中国人民解放軍の前身……結成は8月1日」
日付を思い浮かべて、げっ、とモモは顔を引きつらせた。
「意気軒昂じゃないですか!」
8月は始まったばかりである。つまり、組織結成直後の日付だ。
「そうよ……そのタイミングに、無惨な死に様の記憶を持ってる連中を再編して、送り込んで来てる……おそらく全員が、日中戦争での死亡者だわ!」
「え、と……それって……」
最悪の予感しかしない。
「こいつらの記憶は、バリッバリの戦時中で止まってるってこと!」
やっぱりか!
頭を抱えたくなったが、その暇もなかった。
〈日本鬼子!!〉
怨念の絶叫が、モモの脳髄を揺さぶる。
レイ先輩は、剣を振って五芒星を描いた。軌道が黄色く輝いている。
「五行相克……行動制限!」
国語力がアレなせいで単純な呪言になるのだろうが、おかげで方針がよく分かる。
「西洋系の術は基本効かないわ! 老師のアレを使って、防御壁を構築して!」
桃の種、か。
モモは防壁を構築すると、一切こっちに「戻れ」ない。
だが、迷っている暇は、本当に、ない。
図書館で手渡された袋を取り出すと、手を突っ込み、そして「聴」く。
「……いっ?!」
モモは思わず、袋に問いかけてしまう。
「そ、そんなんでいいの?」
浮かんだのは、単純な正方形の陣。
もっと複雑な陣を要求されるかと思っていたので、拍子抜けした。
が、腑抜けている暇はなかった。
「モモ……ごめん、も、苦し……頭、痛い……」
適合水晶が「幽霊水晶」というだけあって、マイはこの類への対抗能力が低い。
「ごめんマイ! 急ぐ!」
空襲犠牲者の子どもだったら、敵意ではないただの悲鳴、だ。
だが、今襲いかかってきているのは、おそらくは日中戦争真っ直中で命を落とした、中国軍の兵士たち。つまり、日本人であるマイとモモに、敵対意識がある。いや、攻撃にかかってきている時点で、明確な敵意を示している……ならば、問題ない。
モモの基礎能力は、害意ある存在をはねつける。
手にした「種」から「聴こえる」声に従い、順番に正方形に配置する。
「『東辺には青銅をおき』」
「『南境には赤銅をおき』」
「『西辺には白銀をおき』」
「『北境には黒鉄をおき』」
意識が「離脱」し始めるのを感じるが、気合いで踏みとどまる。
「『以て四方の守りとなす』!」
次の瞬間、配置した「種」がそれぞれ、青・朱・白・黒の閃きを見せ、マイとモモを囲む「内側」と「外側」との間に、「ズレ」を作り出す。
「……すごっ」
自分で言うなという話であるが、前にアヤ先生相手に、適合水晶である紅水晶を使ってやった時よりも、格段に「燃費が良い」感じがするのだ。
おそらく、一学期の中国史の授業の内容や、レイ先輩との会話などから、即座に五行説と、そして正方形から四神の配置を想起できたからだろう。
(そうか……相手が中国の思想で来ると理解すれば、同じ思想を土台にすれば、効率よくチカラの消費を抑えられるのか……)
あの、初めての防壁構築の時、マイはアヤ先生がナイフを振り下ろすことしか分からなかった。いわば、相手方の攻撃術の基本式を理解していなかったわけだ。だから、全開の、物理的な「盾」を構築するイメージしか、作れなかった。
しかし今回は、霊体が相手で、東洋呪術で対抗できる。基本の「基」の字は知らないが、「き」の音ぐらいは知っている。
たったそれだけで、燃費が格段に変わったのだ。
(『知る』って、すごいな……)
ふぅ、とマイが、小さく安堵の息を漏らした。
眼前では、レイ先輩が、細身の剣を華麗に捌いている。
「破!」
ひねりもへったくれもない一言とともに、また一体の霊が姿を崩す。もっとも、わらわらと出てくる怨念の軍団はきりがない。
「モモちゃん! 電磁誘導するから、今から言う番号に電話して!」
……陰陽五行説を使おうと、現代は現代だった。
叫ばれた通りの番号にコールする。電池が残っていて幸いだ。
「もしもし?」
聞こえてきたのは、男の声だった。
「あー、どちらさん?」
見知らぬ番号から電話がかかってくれば、このご時世、当然の反応だ。
「あの……」
確かに言われたとおりの番号にかけたとは思うが、間違い電話だったらどうしようと、モモは今更のように不安に襲われる。この状況をなんと説明すればいいのか。
だが、呪符と思しき何かで爆発を引き起こし、一撃離脱で「結界」内に入ってきたレイ先輩が、そんな諸々をあっさり吹っ飛ばした。
「ジョン! レイよ! 今、中原公園で、紅軍の亡霊どもと交戦中!」
「は? って、じゃ、さっきの子は……」
「退魔体質の方よ! 姫巫女様はすでに消耗してる」
「やっべ。急ぐ」
「あんたとアインに、連携水晶に位置情報を送信したわ。急いで! 人海戦術で中国軍に勝てる勢力なんてない!」
「ラジャッ!」
その一言を残して通信は切れた。
が、レイ先輩は非常に不吉な予言をしてくれた。
「……人海戦術って」
文字通り、漢族が世界最大最強の勢力である、その根拠である。
10億人を捨て駒にしても、お釣りが2億の民族だ。
「中ソ開戦ジョークって、知ってる?」
「いえ、あの、っていうか、ジョークを聞いている暇は……」
モモの正論に、レイ先輩は状況を再確認する。
「……それもそうね。とりあえず、この陣、三重構造にして増強して」
「え?」
さっき見えたのは、この正方形だけだ。
「もう一度『聴』いてみなさい。意味は分からなくても、あなたの素質なら何とかゴリ押しできるわ……この防御陣の位置、ちょっとまずいのよ」
「何故です?」
「……宿題の答えになっちゃうけど、モモちゃん、伊弉諾尊は『現世に戻る道』で、黄泉平良坂を、上った? 下りた?」
「それは上って……あ!」
宿題の答えが、出た。
自分の名字である「坂之上」は、「黄泉平良坂」の「上」、すなわち「現世」とも、解釈可能だ。だから、名前と相まって「悪霊退散」体質だったのだ。
モモが理解したということを、レイ先輩は認識したようだ。
「あなたのチカラは、敵勢力より標高が、1センチでも高い方が有利なの」
「なるほど」
公園に入ってすぐのグラウンドに、モモは陣を描いてしまった。
敵の潜んでいるらしい雑木林は、緩やかな丘陵部にある。
そう、モモは、位置取りの時点で、すでに有利を奪われているのだ。
「そんじゃ、引き続きアタックかけるから!」
そう言いながら、レイ先輩は「結界」からまた出ていった。
「破ァッ!」
一進一退の攻防というと聞こえがいいが、こちらで戦っているのは実質レイ先輩一人。向こうは無尽蔵のごとく湧き出てくる「幽鬼の軍団」である。
「ていうか、援軍来なかったら、これ、五丈原の蜀じゃん……」
死せる孔明、生ける仲達を走らす、のネタでお馴染みのアレは、物量に勝る魏が先手で有利な地に布陣してしまい、持久戦に持ち込まれた戦でもある、らしい。兵站で不利な蜀軍は、持久戦に持ち込まれた段階ですでに「詰み」であり、某ジャーンジャーン三国志での諸葛孔明大先生の格好良い死に様も、視点を変えれば初動の段階でしくじった結果の、なんとか退却成功、なのだそうだ。
こっちもある意味「退却戦」なのだが、生死が逆である。
「……死せる紅軍兵、生ける日本人を翻弄す、か」
笑えない。
実に、まったく、笑えない。
とりあえず、戦争ヨクナイ、とは思う。
憎悪に歪んだ兵士たちの顔は、見ているだけでも、精神的にクる。
(コレが日常になるとか嫌すぎる)
そして現在の自分たちを振り返ってみる。
モモの手持ちの種は残り30個ほど。レイ先輩が差し入れしてくれた指輪に、紅水晶が大小合わせて3つ。あと、普段から持ち歩いているタンブルが一つ。
とりあえず、タンブルは自分と馴染んでいる分、最終切り札だろうか。
とにかく、増援が来るまで、しのぎきらないといけない。
最強チート魔女エリカ様は、何故かは知らないが、日没後にしかかけつけられないらしい。現在は、絶賛「逢魔が時」……残照あかあかたる西空が恨めしい。
モモは再び袋に手を入れ、込められた老師の有り難い教えを「傾聴」する。
「……は?」
意味不明である。
提示されたのは同じ正方形だったが、先ほどが、真北に一つ、真東に一つ、真南に一つ、真西に一つ、という配置だったのに対し、今回はちょっと面倒だ。
配置済みの陣を「菱形」と見るなら、それをさらに囲う形で、東西南北に七つずつ、この桃の種を置けというのが、今回の指示なのである。
繰り返す。種の残りは、約30個である。
7×4=28
……小学生でもわかる計算である。そう。後がなくなるのだ。
しかし、戦況は刻々とヤバくなっていた。
「モモちゃん! 急いで!! ……行動制限!!!」
おそらくはマイを狙って、結界方向へ動こうとした兵士の霊を、先輩が何かの術で足止めする。それでようやく、レイ先輩が、何故安全な「結界」内にとどまらず、わざわざ外へ出て攻撃を仕掛けているのか、モモは理解したのだ。
全ては、二重目の陣を構築させるためだ。
そのためには、設置範囲内に、敵に入られるわけにはいかない。
「意味が分からない呪文って、むっちゃくっちゃ負担なんだけど……」
しかも、28個も種を使ってしまう。
だが、このままではジリ貧だ。
「……かく、こう、てい、ぼう、しん、び、き」
本当に意味は分からないのだが、とにかく、貴老師と思しき人物の誘導に従って、謎の呪文を唱えながら、まずは東側に七つの種を並べる。
「けい、ろう、い、ぼう、ひっ、し、しん」
西側に、七つ。
「せい、き、りゅう、せい、ちょう、よく、しん」
南側に、七つ。
「と、ぎゅう、じょ、きょ、き、しつ、へき!」
北側に七つ目の種を置いた瞬間、先ほどよりも堅固な「結界」が構築されるのを感じる。だが、同時に、凄まじい量のエネルギーが、自分の脳から搾り取られるような……そう、脳みそを雑巾絞りされるような、激烈な痛みに襲われる。
「ツーッ!」
意識が吹っ飛びそうなのだが、慣れない術で半端に集中できなかったせいか、ひたすらに痛い。痛い。とにかく痛い。術に集中して意識が飛ぶことも、痛みで意識が飛ぶこともできないという、拷問のような状況に陥る。
とにかく、親友の状況を確認する。
これで成功していなかったら、五丈原どころではなく詰んでいる。
「……良かった」
マイの顔色は回復している。結界内の空気も、より軽くなった感じだ。
「連破!」
大技をぶちかまして、レイ先輩が戦線を一時離脱する。
「……ゴリ押し成功したみたいね。あー、回復するー。さすが紅水晶系は、ヒーリング系統が強いわねー」
さすがの先輩も、肩で息をしている状況だった。
こんなになるまで戦わせるなら、出し惜しみせずに二重目を急ぐんだった。
と、後悔するのはまた後にしよう……すべきことが他にある。
「はぁ……あの、さっきの呪文の意味、分かりますか?」
呪文の意味が分かれば、この防御陣の「維持コスト」が下げられるはずだ。
「二十八宿よ……四神それぞれに対応する、古代中国の七つの星座。鞄の中に、電子辞書あるんでしょ?」
大急ぎで、にじゅうはっしゅく、で検索をかける。
「……なるほど」
理解した瞬間に、少しだけだが負担が減る。
「多分、地方陣はこれで完成だから、あとはこの正方形の外接円で、天円陣を描けば、基礎の防衛陣は完了よ」
外接円……つまり、この正方形の四つの頂点が接する円だ。
「もう、残りの種が……二つしかないんですが……」
「一つをマイちゃんに持たせて、彼女を中心に設定して……できれば、あなたが普段から持ち歩いている紅水晶があれば、いいんだけど」
「あ、あります」
最終切り札のつもりだったタンブルに、いきなりの出番だ。
「じゃ、保険にそれを渡して……最低限の自衛術は、指輪ので足りるはず」
なるほど。やはり、それなりに入念な準備ではあったらしい。
「了解です……外接円を描けばいいんですね?」
「全力で防ぐから、慎重に円を描くように歩いて。最後の円は、歩くだけで完成するから。その間に、連中が隙間に入って来なかったら、ギリギリ保つはず」
「はいっ!」
人海戦術というか、霊海戦術で、怨念軍団はまだまだ減らない。はぁーっ、と一つ深呼吸をすると、レイ先輩は再び、剣を手に「結界」を飛び出した。
モモはタンブルと、残る種の一つをマイの手に持たせ、自分はもう一つの種を持った。それから、思い切って「外界」に出る。
「うぐっ……」
モモは、死臭というものを知らない。
だが、吐き気を催すような悪臭が、一帯に漂っていた。
(こりゃ、レイ先輩も「結界」で深呼吸するわけだ)
ずっとそんな前線で戦闘してくれていたわけである。
桃の種を握りしめ、モモは丁寧に、円を描くように歩き始める。
「天円、地方……天円、地方……」
自然と、ぶつぶつそう呟いているのも気づかないほど、集中していた。
それこそ、目の前を敵の攻撃が横切ったのにも、気がつかないほどに。
「……?」
モモの意識を引き戻したのは、マイの凄まじい悲鳴だった。
「マイ?!」
振り返ると、マイの右肩に「ナニカ」が命中していた。
「……ッ!」
おかしい。ちゃんと「結界」は機能したはずだ。
「先輩!」
「天円陣を完成させて! 地方陣だけだと、地面に接触しない攻撃が防げないの!」
つまり、飛び道具を弾けない、と。
(知らない、って恐い……)
そして、それ以上に、情けない。
ぐずぐずしていて、レイ先輩を消耗させるし、マイは負傷した。
焦る心を抑えながら、モモは円陣の歩みを再開する。これを完成させないと、第二弾が飛来した時に防げない。
(絶対防ぐ! 絶対守る! マイを「食べ」させたりしない!)
円陣の「起動」を体感するなり、モモはマイへ駆け寄る。
「……ひどい」
謎の攻撃は、マイの中をうねるように侵蝕している。
マイに握らせたタンブルに手を合わせ、やり方なんて全然分からないけれども、とにかく「害意」を弾き出すことを意識する。自分の名前なら、これが出来る。
そのはずだ。
「嘘? なんで効かないの?」
出てけ! 出てけ!
その一念を、さらに強く込めると、マイの全身が痙攣しだす。
「『くるしい』」
マイの口から、マイのものではない声がこぼれた。
「は?」
「『どうして追い出すの? 帰ってきただけなのに?』」
ぼやけて性別は判然としないが、子どもの声だった。
「やばいっ! それ、開拓団の死亡者だ!」
天円陣の完成を確認しながら、レイ先輩が「結界」に戻ってくる。
「……どういうことです?」
「『紅軍』の亡霊……戦中死亡者の、攻撃意識を利用して、モモちゃんの能力の隙をつかれた! 今、マイちゃんに入り込んでいるのは、旧満州開拓団の死亡者……持っているのは『望郷の念』で、攻撃意志じゃあ、ない!」
「えっ?!」
でも、そうか……だから「出ていけ」に対して、嘆いたのか。
「だけど、分かってると思うけど、その子どもは、もう60年も彷徨ってる『残念様』よ。今のマイちゃんには、負荷がかかりすぎる……」
口惜しそうに、レイ先輩は剣を握りしめた。
「黒幕が誰だかは判らないけど、マイちゃんの『身柄確保』は、うまくいけば儲けもの……半分以上は『壊す』つもりだった、ってことね」
「なんで……」
「言ったでしょう? マイちゃんは、未完成の『器』だって……神さえ下ろして使役できる可能性を持つ、強力な霊媒体質……欲に駆られた呪術師なら、誰だって欲しい『素材』なのよ。特に、今回みたいな『死霊使い』は……でも、だからこそ、誰かが独占したら、パワーバランスが崩れる。それならいっそのこと、破壊してしまえ、っていう寸法なんでしょう」
「でもアヤ先生は……」
「マイちゃん自身が意識を持って、ヨリシロの機能を使えるようになるには、まだまだまだまだ修行不足。だけど、他人の操り人形としてなら、今でも十分なのよ」
そう言いながら、先輩は鞄の中を漁る。焼け石に水だけど、と言いながら、ピンク色の岩塩の塊を取り出して、マイとモモの手に握らせた。
「塩は、死者の念を浄める作用があるけど……60年分の念は……」
「……消えませんね」
除霊定番アイテムにも、さすがに荷が勝ちすぎるようだ。
「あ、でも、止まりました」
もぞもぞと、マイの中を匍匐前進するように動いていた「ナニカ」が、その動きを止めた。浄化はできなくとも、進行は抑えられるらしい。
「ホント?!」
「はい、でもこのままじゃジリ貧ですし……」
例の「幽鬼紅軍」が、包囲の構えに入り始めた。ヤバイ。
「『説得』に切り換えれば……」
と、そこまで言ったところで、ピィン、とまた得体の知れない「音」が、魔女の「聴くチカラ」の中枢を刺激した。
「……ッ?!」
だが、攻撃開始の時の音と違うのは、不快感がないこと、だ。
「増援ですか?」
モモの問いに、しかし、レイ先輩は眉間のしわを深めた。
「いえ、多分違う……ジョンも、アインも、この系統の術は使わない」
「え?」
と、いうことは、もしや「敵」の増援か? さっきのは合図か?
不穏な予測ばかりが脳をめぐる。
そんな緊張を吹き飛ばす、のんきな声が、公園に響いた。
「こりゃ、お代弾んでもらわないと、割に合わないなぁ」
若い男だ。だが、電話越しに聞いた「ジョン」の声とは、明らかに違う。
「……あなたは?」
「まぁまぁ、そうピリピリしないで。『ユウ』さん、とでも呼んでよ」
サラッ、と無茶なことを言いながら、戦死した中国兵の亡霊まみれの公園に、彼は姿を現した。平然と、何の気負いもなく、まるで散歩でもするように。
「まぁ、野良の魔道士、ってとこ? サヤさんの顔見知りだよ」
街灯の下に現れた人物は、なんとも、アレだった。
何だろう。
今、相当にホラーな状況という意味では、とても非日常的なのだけれど。
現れた「ユウ」と名乗る人物は、色々な意味で非日常的な姿だった。
そう、コスプレ的な意味で。
アレだ……RPGで言うなら、シーフ系エルフ、というやつか。身軽に動けそうな短パンにショートブーツ。上着はちょっと現代ミリタリー調だが、腰には短剣、手には弓である。それも、無駄にファンタジー風な、凝ったデザインの弓。とどめに、エルフ耳型のイヤーカフ。
その姿をひとしきり眺めたレイ先輩は、ぽつりと呟いた。
「ものすごい重装備ね」
……ファンタジー的には、重装備どころか軽装だと思うのだが。
が、ユウさんはぽりぽりと頭をかくだけだ。
「んー、腐っても『黒狼』出身者が相手だからねぇ」
その返事に、アルミ缶なら確実にぺしゃんこにしそうな握力が、レイ先輩の手にこもった。目にギラギラと嫌悪感が滾っている。
「またかよ! またかよ!!」
……ナンダッテ?
一応「錬金術師」に師事していただけあり、金属系の術は得意なレイ先輩。蜜柑水晶は、針鉄鉱に覆われて、オレンジ色を帯びた「錆びつき水晶」のことです。
見た目はツヤツヤしたオレンジ色でも、割ったら中身は色がないブツです。身も蓋もない言い方をしたら、表面が錆びてるだけだから。
呪文開始の「しんてっこう」は「針鉄鉱」と「芯=鉄鋼」のダジャレ。「あるみかんのうえに、あるみかん」は、「アルミ缶の上にアルミ缶」と「アルミ缶の上にある蜜柑(水晶)」のダジャレ。これで錬成の負担を軽減しているのです。ええ、彼女の古文の能力では、格好良い呪文なんて考案できません。
というより、むしろ「どれだけイメージを強化できるか」が、能力活用のポイントになってくるので、響きが格好良くても、正確なイメージが思い描けなければ、古語の呪文でもろくに効果はでません。
ただし、同じだけ正確にイメージが出来るなら、歴史的背景という「重量」の分だけ、古文系の呪文の方が威力が上がる設定です。
ジョンとアインは、次話で登場。男の術者ばっか続いてますが、アインさんは女性です。あと、ジョンは別にイギリス人とかアメリカ人ではなく、アインも別にドイツ語の1(Ein)とは、何の関係もないです。
二人の正体と「黒狼」および「またかよ」は、次で!