未生の魔道士と禁域の魔女
はいはい、今度こそマジで完結ですよ。紘然の再生。
劉老師が再登場。そして、予定より早く明かすことになった、エリカさんの希少な血統について、ぐだぐだ語る店主夫妻。今回も、やっぱりチラチラ見え隠れするアンリの影。白と黒の明日はどっちだ。
星の、夜。
「セイヤ」
絶対強者の魔女の唇が、新しい名前の音を紡ぐ。
その音が、紘然と名付けられていた男の皮膚に響いて、反応を起こす。
「……ッぐ、あ」
走ったのは、激痛だ。
「あー、ダメだ。この名前、馴染みが悪い……」
構わない、という本人の思いとは別の次元で、拒絶反応が起きたらしい。
「ごめん、もうちょっと、痛い思いさせちゃうかも」
そう言いながら、エリカは、解呪作業に揺らぐ「存在」に触れた。
今までは痛みの感覚が鈍麻するように設定されていたせいなのか、それとも本当に、かつてないほどの苦痛を伴う作業に入っているからなのか、判断はつかないが、全身を熱と稲妻が走り抜けていく。
「……変ね。文字には反応が起きてない……すると、読みの相性か……」
「どういう、ことだ?」
「『セイヤ』って読みが日本っぽ過ぎて、君の『根源』と不一致を起こしているみたいね。星だって音読みなんだけど……」
そう呟いて、彼が先ほどまで読んでいた字書を手に取り、ページをめくる。
「あー、音が古すぎる? 漢音で『ショウ』か、呉音で『シン』……」
ふむふむと字書を読みながらも、『探る』手は止めない。
「あああ、っづううぅう」
よっぽど痛いのか、悲鳴がいよいよ大きくなる。
「神秘薬追加で飲んで!」
痙攣しながら、それでもスキットルに口をあてて、薬酒を飲む。
「全部『読む』から、皮膚が剥げそうなぐらい痛くなるわよ!」
想像もつかないことを言われ、しかし、それでも過去に経験したことのない激痛を覚悟して、シーツを噛み、爪が真っ白になるほど寝具を握り込む。
「『透視』……『全域精査』!」
血管の一本一本に、劇薬が染み込んで、全身に広がっていく。
気を失う寸前、意識の八割ほどが灰色の混濁に呑み込まれたところで、無理矢理に引き戻される。頭がぐらぐらして、気持ちが悪い。吐きそうだ。
「基礎回路判定完了……王朝『晋』、五行『金』……複合回路解析……付属断片・四カ国……『曹』『漢』『呉』『斉』……珍しいミックスね」
人の悲鳴をよそに、エリカの「解析」は猛スピードで進む。
それから、もう一度、呼びかける声が響いた。
「シンヤ」
その音が、鼓膜に、全ての皮膚に触れた瞬間に、全身の熱が一気に、何か冷たいモノで上書きされていくような感覚に襲われる。
「……適合したわ」
エリカの声に、喜色がわずかににじむ。
「シンヤ……『未生の魔道士』……生まれ今生まれ、生きまた生くる……」
日本語の曖昧な時制を応用して、運命を書き換える術を馴染ませる。
「私は『エリカ』……孤独の魔女……蠱毒の魔女……渦中に生まれながら抗う者……わたしは『えりか』……選別された者にして選別する者……前に立つ者にして左に立つ者……せなをかえりみ、右手を握る者……星を聞き、星に囁き、星を読み、星を惑わす者……」
部屋中の水分が、淡い虹を描いて揺れる。
今までに、誰の術ででも見たことがないほどの、大規模な「ゆらぎ」。
「解放する……」
ぽたり、とエリカのこめかみを、一筋の汗が流れ落ちた。
「『水』の魔導師の『メイ』をもって……」
低い声と高い声とが混じり合った、奇妙な音が、一つの喉からこぼれる。
「因習より解放する」
聞いたことのない言語で、長々とした呪文の詠唱が始まった。
淡く虹がおどり、漂う霧が舞い、風邪の揺らぎが肌を震わせ、高音と低音の混じる不思議な声は、やがて歌へと変じて、さらに部屋の空気をゆらす。
韻を踏む音は朗々と、詩を読み上げる様にも似ていた。
ハオラーム、レオラーム、という音が、妙に繰り返されて耳に残る。
聴き入るうちに、痛みも熱も、感じていることさえ忘れていく。
「彼は生き……そして彼は死に……私は引き上げる・死のさだめから……そして彼は生きるだろう……」
生まれ変わっていく男の「存在」を、刻印が埋め尽くしていく。
<私は告げる>
揺らめく音が、意味を伝えてくる。
何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。
人が労苦してみたところで何になろう。
わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。
神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。
旧約聖書「コヘレトの言葉」第3章1節から11節である。
敬虔な聖句の朗誦と思われたそれは、だが、次の瞬間に、その気配を一変させた。
「だが本当だろうか?」
「確かに我々は愚かである……だが私は智恵ある者……私は反逆する!」
バァン! と部屋中の空気が揺れた。まるで大地が揺れたように。
わたしはつげる わたしのなをつげる
わたしは「魔女」 「禁域の魔女」
喫茶店のスペースにいたアヤは、大規模な「禁術」行使の衝撃波を感じて、顔をしかめた。工房部分と同じ建物とはいえ、それなりの距離はあるはずだ。
「もうちょっと静かにやれないのかしら?」
人間の運命を書き換えるという、最難関の術を実行している相手に対して、実にめちゃくちゃな言い様である。しかし、ひっくり返せば、エリカならば「スムーズに」やれるという信頼だ。
「さすがのあの人も、人生初体験の術は難しいんだろ」
慣れた調子で電卓を叩きながら、夫たるリョウがそう返す。
「姉さんなら、涼しい顔して『聞こえたからできた』って言うと思ってた」
その言い分は分からなくもない、と思った時点で、リョウもずいぶん毒されている。
「……いや、さすがに無茶振りすぎるだろう」
声を発している対象から「受信」するのは、エリカにとっては通常運転である。できない理由が分からないレベルで、できて当然のことである。
しかし今回の術は、エリカ自身が「発信者」になるものだ。
つまり通常時とはベクトルが逆を向く。
もちろん並大抵の術ならば、あの魔女なら「感覚でできた」と言ってもおかしくはない。が、いかんせん、リョウ自身も知識としては知っていても、実際に行使された事例など知らない禁術である。
西洋魔術の世界で研究をしていたリョウは、一部の術が「創造主に対する反逆」の要素を含んでいることを知っている。
基本的に「世界に従う」水晶の魔女の一門において、詠唱に明瞭に、世界秩序に対する叛意を含む術の行使など、本来ならばあり得ないことだ。少なくともこの一門の魔女にとっては、世界とは交渉対象であり、世界秩序とは遵守すべきものである。
が、エリカは「規格外」だ。それも色んな意味で。
店の帳簿をつけ直しながら、リョウは妻に話しかけた。
「ちょっと話していいか?」
「どうぞ」
カウンター席に腰掛け、論文の骨子を汚くメモしながら、アヤは夫に返す。
「僕は、こっちの世界に入ったきっかけこそ劉老師なわけだけど、あの人が兄弟子の曹さんの影響で歪みはじめた頃から、西洋魔術界に籍を移した。主に支援してくれたのは孫先生だったんだけど、実際に『向こう』で行動する時には、エリカさんの影響が絶大だった」
「まぁ、でしょうね……あの人たしか、イギリスの魔術師の血が入ってるんだっけ?」
「正確には全欧州規模だ……やったら長い名前に、ルーツがてんこ盛りされてる」
「あれ? エリカ・ワイズマン、で終わりじゃないの?」
それ略式の名乗り、と、リョウは答える。
「あの人の本来のフルネームは、中二病級に長いんだよ……」
「聞いたことないわね。まぁ、西洋系術師の名前って、欠伸が出るほど長いのが多いから、多分聞いたって忘れるような気がするけど」
「……お前が忘れることはないような気がするんだけど」
仮にも文系三大魔女の一人、史上最年少『修辞の魔女』である。
弟子たちが「無茶言うな」と口を揃える程度には、アヤも規格外だ。
例えば、一度すれ違っただけの会話内容を、何年でも記憶しているとか。
いっぺん聞いたら覚えるじゃない、と言われて同意したのは、現在絶賛禁術行使中の、超絶規格外魔女であるエリカ様だけである。
史上最年少『天文の魔女』サヤすら、んなわけあるか、と言っていた。
「で、覚えてるの? そのフルネーム」
水を向けるにしたって、やり方があるだろうと思う。
「覚えてるけど言わねーぞ。西洋系術師にとっちゃ、フルネームなんて秘術行使の切り札みたいなモンだからな。ましてあの人の名前は火力重視だ」
「『水の魔女』に火力って」
ぷぷぷ、と、アヤは堪えきれずに吹き出す。
エリカの「番の石」は、オーストラリア産の貝オパール。水分子を含む宝石を「適合水晶」にしているだけあって、彼女は水の操作能力がぶち抜けている。もちろん、その他の術だって、ほとんど全てがぶち抜けて優秀なわけだが、こと水を操ることにかけては、彼女を超える存在は無いだろう、というレベルだ。
『魔導連盟』での、彼女の正式の称号は『水の魔女』。
いわゆる『四大元素』である、地・水・火・風の一角を名乗ることを許された、ベタな形容をするならば『魔導連盟四天王』の一人。それがエリカである。
ついでに言うと、彼女は四天王最強だ。最大出力を誇るのは『火の魔女』もしくは『火の魔術師』であることが多いわけだが、エリカの場合は基礎力がおかしい。
むしろ『四大術師』の上の称号作るべきじゃね? と言われるレベルだ。
「火力でいいだろ、あの人の場合は……『水の魔女』って、普通は流体操作の第一人者だろ? あの人の場合はリアルで水分子を操ってんだから、シャレにならん……『プラズマカッター』事件とかな……」
「まぁ、あれは、普通『火』の魔術よねぇ」
プラズマを操る『火の魔術師』が、涙目になっていた。
ちなみに『風』が気体、『土』は固体で、『水』は本来液体である。
「『やってみたかったから☆』でプラズマ繰り出されちゃ、火属性組が浮かばれねーわ」
事件の状況を思い起こし、リョウは遠い目をする。
なお、お題は鉄鋼の切断であった。通常の『水の魔女』は、高圧放水でクリアするのだが、エリカ様はエリカ様であった。
「『水属性』……つまり『液状操作適性』ってより、ただ単に水よね」
「属性とかいう分類超えてるよな」
ちなみに「火属性」は、能力がきれいに二極化する傾向にある。他の三つが、どれもそれなりに、平均前後に集合の山が来るのに対して、平均部分に谷が来る。
「んで……姉さんの影響が、欧州の結社でどうだったんだって?」
アヤが話を元に戻した。
「んー、『ワイズマン』家の、東洋系実験体の産物なんだよな、あの人は……ところが、当の本家が、第二次世界大戦で壊滅してる。アメリカに逃れた分家が残ってるけども、東洋系で生き残ってるのって、あの人が多分、最後の一人なんだよな」
「まぁ、そうらしいわね」
「ローゼンブルク門下でも、ゴールドスミス門下でも、遺伝系の研究者にちょくちょく干渉されたんだよなぁ……今にして思えば、曹氏と同じ、激レア回路のサンプル欲しさだったんだろうな……エリカさんのデータを交渉材料にしたら、だいたいどんな要求でも通ったし」
「……初耳よソレ」
妻の視線が、液体窒素並みの冷たさになった。
しかも液体第Ⅱ相の「超流動」のごとく、冷ややかなんてレベルじゃないその視線が、じわじわと皮膚をはい上がってくる。
「本人のデータじゃなくて、本人が弾き出した術のデータ!」
「個人情報を使ったことはないのね?」
「……皆無とは言わない」
「アウトー!」
ドアベルの讃岐石が震えて、リョウに衝撃波の直撃を食らわせた。
「……夫に容赦の『よ』の字もねーな」
帳簿に頭からダイブしつつ、リョウはうめく。
「魔術師の個人情報がどんだけ恐ろしいか分かっててやったでしょうがこの魔術師!」
同語反復のようになっているが、まあその通りである。
自分自身が魔術師であるリョウが、魔術師にとっての個人情報の価値、というものを、理解していないわけがない。エリカの個人情報は、今は滅びたワイズマン本家の『叡知』に繋がる、魔術共同体の中でも一級に価値があるものだ。
ワイズマン。
神聖ローマ帝国でその基礎を固めた、魔術師の一族だ。
環地中海世界に広範なネットワークを有し、キリスト教世界のみならず、イスラーム世界の魔術や、アフリカ系の土着呪術にもその研究の手を伸ばしていた、学者の家系であった、らしい。
伝聞系になるのは、近代に壊滅したからだ。
決定打となったのは第二次世界大戦だが、第一次世界大戦が始まる前から、すでに衰亡の兆候は見えていたそうだ。ワイズマン家は「叡知」独占のために、一族内部での婚姻が多かったらしく、おかげで遺伝性の疾患が蓄積していたらしい。
その打破と新分野の開拓を兼ねて、ワイズマン家ロンドン分家から、当時イギリス領であった香港へ移住して、華僑の術師との間に新しい家系を作る試みが行われた。それがワイズマン東洋分家で、こちらも日中戦争でほぼ壊滅したという。
むしろ、エリカが生き残っているのが奇跡である。
そこいらの情報については、エリカは断片的な情報しか寄越してはくれないのだが、彼女の話がホラではあり得ないことは、彼女の血統呪術回路を見れば分かる。
「……最初の最初は、故意じゃあ、なかったんだよ」
とりあえず、言い訳を開始する。
「ほう?」
「紙数えてる時に切ったのかして、論文の縁にあの人の血液が付着してたんだよ……それを見た、ローゼンブルクのゼミの先生が、途端に目ン玉引ン剥いてさ。僕は当時はまだ東洋魔術界の感覚だったから、まさかそんな騒ぎになるなんて思わなかった……一夫一妻制の西洋魔術界では、そもそも『家系』に対する感覚が、一夫多妻制の東洋魔術界と同じワケがなかったんだけど……そこまで考えが及ばなかったんだよな。あの当時は完全に理系だったし、比較文化史とか全然門外だったし」
妻であるアヤにより、現在はそこらへんの知識も増えているが、ローゼンブルク門下に留学していた当時のリョウは、完全に理系学生だった。歴史の知識というのは、大まかには把握しているが、文化の違い、というものには大いに鈍感だった。
一夫一妻文化と、一夫多妻文化とでは、家系の重みが違う。
つまり、前者と後者とでは、前者の方が圧倒的に、断絶の可能性が大きい。
ワイズマン家もまた、「一族」のレベルで血統の保持を行っていたとはいえ、個々は一夫一妻だった。必定、血統のレア度は、東洋世界とは比較にならない。
無論、西洋世界にも愛人だとかそういうのはあって、血統の拡散は起きている。が、魔術共同体という閉鎖社会にあったワイズマン家の場合、それは起きても限定的なものだった。各地に血縁者が散らばって分家を形成したが、一族の総数が大きく増えることはなく、大戦での壊滅を迎えたのだ。
それ故に、生き残りの血統の希少価値は、桁違いになる。
「その騒ぎ以来、僕は『ワイズマン』の生き残りに繋がりがある、っていう何ともな理由で、一目置かれるというか、それなりに気を遣われる存在になったんだ」
「実に何ともな理由ね……」
それにしても、エリカが己の血液の価値に気づかなかったとは思えない。
あるいはあの姉弟子は、分かっていて、血をつけっぱなしにしたのかもしれない。気遣いが下手な彼女なりの、援助のつもりだったのかもしれない。
「っていうか、催眠干渉とか受けなかったわけ?」
魔術の基本とは催眠術である。生粋の魔術師ともなればやりそうなものだが。
「逆に質問するけど、それが発覚して『ワイズマン』の生き残りを敵に回したい西洋系術師が、『魔導連盟』に所属していると思うか?」
アヤは開きかけた口を閉じ、しばしの沈黙の後に、答えた。
「……ないわね」
連盟に敵対的な結社ならば、むしろ何としてでも「ワイズマン」の情報は欲しいだろう。しかしその思惑は、連盟所属の術師たちによって、徹底的に妨害されたはずだ。「白」にも「黒」にもなり得る、圧倒的な知の蓄積。少なくとも「白」の結社の人間は、自分たちの手に入らないことを納得はしても、だからといって「黒」の手に渡すつもりなどない。
そんなことになれば、かの「世界魔法魔術大戦」(World Witchcrafts VS Wizardry Wars)の悲劇再びである。黒魔術師にチカラを与えてはならない、というのは、西洋魔術界の「白」の共通認識だ。
なるほど。生暖かく扱われたのだろう。外部からの攻撃からは全力で保護されつつ、できれば情報をくれないかなー、という感じでちょこちょこと干渉。
「正直、マリ先生の元に入門した頃には、エリカ姉さんのことなんて、なんか西洋の血も混じってる人なのねー、程度にしか思ってなかったんだけどさ。むしろ、アンリといい、私みたいないわゆる『純血』の日本人が、ちゃんと西洋魔法なんかマスターできんのかしら、とか思ってたぐらいで。若かったわぁ」
しみじみと言うが、結果は現在の状況通りだ。
「魔術はともかく、魔法は血統はあまり関係ないんだけどな」
連綿と継承されたカリキュラムを持つ魔術と違い、魔法は天賦の才だけで全てが決まる。遺伝の要素は絡まなくもないが、魔法の才能というのは、持って生まれた運動神経に近い部分がある。優れたアスリートの親を持つ場合、子どももアスリートの才能を持つことはある。が、親の素質とは関係なく才能を開花させたアスリートなど、枚挙に暇もない。環境以上に素質が物を言う。
残念ながら、西洋系の血統などなくとも、アヤの魔法使いとしての才能は、十分という形容を上回ってあまりあった。
あるいは、アヤこそが、アンリの闇堕ちの決定打だったのかもしれない。
キメラと呼称されるほどに複雑な血統呪術回路を継承するエリカが相手ならば、敵わないことにも諦めがついたかもしれない。
だが、アヤの血統呪術回路は、むしろ弟子たちよりも貧相なぐらいだ。オリジナルの術式開発が多いのは、血統呪術回路の応用という、基本的な「魔道士」のやり方が、彼女自身には使えないという理由も大きい。
血統でエリカに敗北し、実力でアヤに敗北する。
自分と他人を比べることは、闇堕ちの第一歩と言われるぐらいだが、まさにその通りの道を、アンリは歩んでしまったわけだ。
「とりあえず、やばい情報は隠し通せたの?」
「僕が握ってる分は、それなりに頑張ったと思うよ。ただし、例の論文の血液はゼミの先生が持っていっちゃったから、その後どう扱われたかは分からない」
アテにできない回答に、アヤは顔を歪めた。
「ま、私が一番危惧してるのは、アンリが握っている分のエリカ姉さんの情報だけどね……アンリも、持っている情報を全部売ったりなんかしてないでしょうけど……」
「少なくとも、僕がドイツとイギリスにいた頃については、『黒』で目立った研究の進展はなかったはずだ。例の『極夜の帳』については、継続的に情報を集めているけど、少なくとも結社全体で動きに変化は出てない。『黒』の連中は、自分の勝利のためには結社も踏み台にするから、もっと決定的な研究成果が出るまで、内密にしている可能性も大だけど」
そこが本当にイヤだわ、と、アヤは口を尖らせる。
「その『極夜の帳』の『ハインリヒ』が、アンリのドイツでの姿よね?」
妻の問いに、多分、とリョウは頷いた。
「ドイツ系の『黒』の結社は、『例のあいつら』の系譜に所属するから、外国系の術師は滅多に入れない。日仏ハーフの術師は、把握する限り『ハインリヒ』だけだった」
継続的に、なんだか厄介な術を行使する気配は、ここへ届いてくる。
多分、先日出入りした曹氏や劉老師ですら使えないだろう、大規模禁術。
体当たりでそれを実行できる潜在能力を、組み込まれている家系。
「『ワイズマン』一族ってのは、魔法と魔術を極めるために、本当に全てを費やした家系なんだろうな。で、行きすぎて滅びたが故に、変なロマンチスト共に執着されてる……純血を極めてもろくな事にはならないってのを、あの一族が身を以て示してる。なのに、阿呆共は純血とやらに執着するんだ。お笑い種だけど笑えやしないよ」
カタン、と「=」キーを叩いて、帳簿の最後の数字を出す。
「けど今なら、『白』の魔術師たちすら『ワイズマン』一族のことを気にしていたのが、理解できる気がする……文献で読んだことはあるけど、現実に『星を欺く』術を行使できる存在があるなんて思わなかった。大昔のおとぎ話を現実にしてしまうような、桁外れの『魔導師』だ」
エリカと同レベルの存在が生き残っているとすれば、それはアメリカに逃れたワイズマン分家の生き残りぐらいなものだろう。
しかし、よしんばそんな存在がいたとしても、東洋系の血統呪術回路を組み込んだエリカとは全く違う存在であろうことは疑いない。つまり、彼女の希少性は、まったく薄れない。
「魔術師は他者の『叡知』を呑み込んで、実行に移す。術のスタイル的に、そもそもそれこそが正統派だ。そういう人間からしたら、エリカさんは垂涎モノの一級資料。『白』さえ揺らぐんだ。『黒』が狂わないわけがないし、それこそ『間』や『境』の連中なんて、一気に堕ちるだろう。エリカさんの術を丸呑みした後、彼女を殺せば、ほぼ間違いなく自分が世界最強なんだから」
暗黒面の話だわー、と、アヤは肩をすくめた。
「曹氏や劉老師は、漢族の血統回路の絶対優位性を信じている部分が強いから、そういう意味では与しやすい相手だよ。エリカさんを分析したところで、最終的には『中国』系の回路だけで『世界最強』の術師を生み出そうとするだろうからね。残りの情報は解析されるだけされて、放置されるだろう」
「取引材料に使われる可能性はないの?」
「アヤ、君は魔術師の暗黒面を甘く見ているね。曹氏だって、どれだけ漢族の優位性を信じていても、リスクの可能性は全部排除するだろうさ。一度は列強に半植民地化されてるんだ。西洋系の回路を封じる方法の研究はするだろうけど、強化する方法は、見つけたとしても情報を流すわけがない」
戦争することが大前提の行動である。
戦略としては正しいのだろうが、暗黒すぎて何とも言えない気分だ。
「魔術師って、本当にきな臭い連中ねぇ……」
妻のしみじみとした感想に、いやいや、と魔術師の夫は抗弁する。
「『黒』に限定してくれないか?」
「いやぁでも、『黒』の封じ込め方法を常に研究してるなら、基本的には『白』も、魔女の世界よりかなりきな臭い思考回路よね?」
まぁ、それはそうかもしれないが、と内心に呟き、リョウは気づく。
「……そういや、気になったんだが」
「何?」
「『白魔女』って、『黒魔女』と戦争したりはしないのか?」
あー、と夫の言葉に、アヤは何度か頷く。
魔女にも『黒』は存在する。世界との交渉を、悪意に基づいてする連中だ。
「魔女の『魔法』っていうのは、世界を説得した結果として起きること、なわけだから、魔女同士の魔法合戦とかいうファンタジーなものって、基本的に起きないのよね。白魔女と黒魔女が、それぞれの意図に基づいて世界と交渉して、説得に成功した側の『依頼』が『現象』になって現れる……だから、『現象同士の衝突』ってのは、まずありえないわけ」
「交渉で相手の妨害をするとかは?」
「少なくとも『白』にはそんな術はないわね……真摯に感受性を磨いて、世界との交渉能力を上げれば、こっちの説得が通るに違いない、っていう思考だから。人間相手の交渉とは、根本方針が違うから。私みたいな魔術ミックス使いはともかく、純正の魔法使いだったら、悪い気配を探知したら、まず真っ先に世界と交渉を開始して、実力で相手を上回ることを考えるわ」
まぁなんとも、優等生の発想である。
「品行方正すぎて、魔術師はぐうの音も出ないな」
人の蹴落としとか弱点探りを、「黒」だけではなく「白」も、習い性のようにやってしまうのが、魔術師たちの基本である。
そんな労力は一切払わず、徹底的に自分磨きだけをしているというのなら、魔法使いの「自己研鑽主義」には、本当に恐れ入るしかない。
「対人術じゃないからね、魔法は……人間同士の交渉は、その分下手だけど」
自然の声を聞くことに特化しすぎて、浮世離れしてしまう者も少なくなく。そういう理由で、魔女狩りの時代には迫害された者もあるらしい。
「『黒魔女』との直接戦闘、がないとは、ちょっと意外だったな」
やはり、基本となる思考が違うのだな、と二人はしみじみ感じる。
「存在しないものを説明することは、考えつかなかったわね……そこを『魔術師』と同じ感覚で捉えていたとは、予想してなかったわ」
「対立する相手とは直接戦闘になるのが、魔術師の世界では普通だからなぁ」
「対立する相手がいたら、自己研鑽に励むのが、魔女の世界の常識だからねぇ」
両者の壁を超える、新しい「魔道」を開拓しようとしている二人だが、時々こうして、こういう「思い込み」から来る認識の相違にぶつかる。
今、エリカが運命を書き換えている男は、さらなる文化の違いに驚愕することだろう。黒魔術師と白魔女というのは、真逆も真逆の存在である。
帳簿と論文の作業を再開し、それぞれにペンを走らせる。
「実験時の室温は摂氏の27度……湿度は40パーセントで統一して……」
アヤは、論文の体裁をまとめ始める。
「19番が28回、20番が41回、21番が18回、22番が37回……」
リョウは、簡易グラフを作って、メニューの売れ行きの分析を始めた。
「21番の売れ行きが悪いわね」
「二日酔い対策のブレンドだ。けどウチの客って、そもそも二日酔いするほど飲まないからな。持ち帰り用のパックを増やすかな……」
店主のリョウは、一応、真面目に経営のことも考えている。
「4番の売れ行きがおかしいな。2位にトリプルスコアだ」
「注文何回?」
「240超してる……飲みやすいからなぁ……」
4番のブレンドは、レモンバームにレモングラス、ペパーミントにローズヒップをベースにした、非常に飲みやすいものだ。ちょいとオーツが入っている。
「ミント系が、食後の一杯によく売れている。追加での注文が多いな」
「あー、健胃作用が強いし、口当たりスッキリするしねぇ」
真面目に経営の話をしていた二人の顔に、緊張が走る。
人工着色の「煙水晶」が、不審者の接近を探知したのだ。
共鳴レベルを上げて、透視を実施したアヤが、即座に目を見開いた。
「劉老師?」
「……手を引くんじゃなかったのか?」
「術の余波を探知されたのかも……」
「結構ガチで結界張ったぞ? まぁ第一師匠に勝てるとは言い切れないけどさ」
ひそひそ話すうちにも気配は近づき、カランカラン、とドアベルが鳴る。
「好! また来ちゃった」
先日のようなチャイナドレスではない、街中にとけ込む洋装で、年齢不詳を極めた美女が顔を出す。まったく何でもない顔で笑っているが、讃岐石を使った攻撃を、一瞬で中和した後である。
「疎遠になったとはいえ第一師匠に攻撃をするとは、リョウも偉くなったものね!」
うふふふ、と笑いながら、ずかずか上がり込んでくる。
正直、この喫茶店の防衛システムは、十人並みの術師なら余裕で弾けるレベルなのだが、防衛よりも重視する機密が内側にできてしまった現状と、現代としては標準をぶっちぎって強力な劉貴深という術師が相手という事情で、撃退に失敗したようだ。
「……余計な干渉はしてくれるなと、先日話したはずですが?」
リョウが引きつる顔を堪えながら、ふてぶてしい師匠に声を掛ける。
「ええ。だからウチの人には内緒で来たわ。監視回路も全部切ってあるから」
自信満々のドヤ顔で、答えになっていない答えを寄越す。
「紘然のこと、結局どうするのか気になってねぇ……星は墜ちてるって報告しといてあげたんだから、私には教えてくれたっていいじゃない?」
どうやら、エリカの「書き換え」は、一歩遅かったらしい。
「星にもう一度お問い合わせ下さい」
「ヤダ。疲れるもん。占星術適性は低いのよ私……孫兄が異常だったんだけどさ……っていうか、リョウあなた適性高いんだから、今からでも真面目にやったら?」
「イヤです。疲れますから」
師匠と同じ文句を繰り返してお断りする。変なところが似た師弟だ。
「慣れたら疲れないって! っていうか、戻ってきなさいよ」
ね? と言う姿は、耐性のない人間なら一発でコロリであろう。が、相手が悪い。
「ごめんこうむります」
「……本当、なんで私の『魅了』が効かないのかしらね?」
「僕の漢族の回路が、すでにポンコツだからじゃないですか?」
「あの人の『鑑定』が間違ってるわけない……あなた諸葛亮の回路あるんでしょ?」
「諸葛氏なのは認めますが、孔明の回路じゃあないと思いますよ、血統的に」
「『姫巫女』みたいに、先祖返りで合致するケースがあるでしょう」
「そんな極レアケースが、ほいほい起きてたまりますか」
「起きる可能性があるから『計画』が始動してるんじゃないの」
「成功率の低い暴挙に賭けてるとしか思えませんが」
「やるしかない時もあるのよ、この世には」
「捨て駒にされた子どもたちの恨みをどう処理する気です?」
「恨むなら文化大革命と一人っ子政策その他、伝統文化破壊行為の諸々を恨むべきよ。アレがなきゃ、どん詰まった回路の歪みの是正に、こんな計画使う必要はなかったんだから」
ポンポンと、軽く応酬する師弟。調子は軽快である。内容はともかく。
魔術師ってやっぱり黒いわ、と思いながら、アヤはそれを眺める。
で、と劉は振り向いた。
「うちの子は結局、どうなったのかしら?」
「……やっぱりか」
小さな声でリョウが呟いて、ん? とアヤは首を傾げた。
「わざわざ確認に来るなんてまさかと思ってましたが、やっぱり実子ですか」
ナンダッテ? と、アヤは夫とその第一師匠の顔を交互に眺めた。
「まぁ血はね。卵子提供しただけだから、私が生んだわけじゃないんだけど……それにしても、私の卵子提供で生まれた子は、なんでこうトラブルに巻き込まれちゃうのかしら……」
「才能は血統じゃない、ってことじゃないですかね?」
曹氏の「十七国計画」に、真っ向から喧嘩を売ってみるリョウ。
「言ってくれるわね……それにしても……呪いでも掛かってるのかしら?」
はぁ、と無駄に悩ましげなため息をつく。
「これはもう研究課題ねぇ……失うのはあの子で三人目だもの……」
リョウとアヤは、目を見合わせた。
「前に二人いたんですか?」
「そうよ。二人とも『処刑』されちゃったけどね。一人は私の目の前で」
天井を見上げる目は、どこか虚ろだ。
「私の目の前で私の子を……その子が唯一、私がお腹を痛めて産んだ子だったわ……それを殺したのは、政府関係者よ……大義より先に、私情で政府が憎いのね、私」
ぎょっとした反面、アヤもリョウも、少し納得した。
劉貴深は、元々は白寄りの呪術師だった。
それが、兄貴分の曹文宣の影響で、無謀で血なまぐさい計画に加担するほど歪んだ、というのが、今までの見解だったわけだけれども、それだけでは彼女の変貌は、あまりにも腑に落ちない部分が多かった。エリカすら「何を考えているのか一番分からない」と言ったほどだ。
しかし、その過去の話を聞くと、彼女の歪みの根源が見えた気がした。
子を失った母の悲嘆が事態を激変させるのは、神話にすら枚挙に暇がない。それほどの重い経験が彼女の中にあったのならば、そしてその恨みが全て、現在の中国政府に向いているというのなら、現体制の打破のために、己の全力を尽くそうと考えるのも頷ける。
少なくとも、単に曹文宣の術中に嵌った、というよりは、百倍も納得できる。
彼が希有な高位術師であるのは事実であるが、彼女も同等の実力者なのだ。
「二人目は、女術師の仲間に頼まれて卵子を提供した子だったのだけど、勢力争いの中で壊れちゃったわ。小さな頃から監禁されていたみたいね。私が何も知らないうちに、殺されていたわ。私がそれを知ったのは、死んで何年も経ってから……孫兄さんに、星を読んでもらって、はじめて知ったのよ……」
その時ね、生死ぐらいは星を読めるようになろう、って思ったのは。
「正直、二人目の子どもは、自分の子どもって感覚があまり無かったのよ。最初の子のことで、当時の私はいっぱいいっぱいだったから……だけどね、結社や術師間での抗争の連続は、本当に、私も私たちも、無力でいるわけにはいかない、と思うのには、十分すぎた」
それで、卵子を抜いたのよ、と、なんでもないことのように彼女は言った。
「私の血を継いだ子どもだというのが、二人目の子が監禁されて、死に至った理由だった……だから私、もう子どもなんて生まないって決めたの……だけど、あの人は」
ぎゅっと、白い手を青くするほどに握りしめる。
「あの人は、私の血統を惜しんで、勝手に体外受精で子どもを増やした……紘然はその一人よ。そして、私の失う『三人目』の子になった」
苦しそうに、眉根を寄せる姿は、懊悩する母のものだった。
「史記と三国志に、似た逸話があるわ。一つは劉邦、もう一つは劉備。いずれも、自らの実子を投げ捨てる話ね……だけど、それは父親のやることだと思うのよ、私」
そっと、彼女は己の腹を撫でる。
「私に期待されている役割は理解している……だけどね、私はあの二人とは違って、やっぱり女なの。母親なのよ……自分の子どもを投げ捨てるほどの冷酷に、私はなれない」
だから教えて、と、劉家の女術師は言う。
「あの子は、どうなるの?」
返事に困る二人と、彼女の間に、重い沈黙が降りる。
と、術の連続行使の気配が止まった。
そして、トントンと足音が近づいてきた。
「ラガヴーリンの残り、全部貰っていい? 今度ちゃんと弁償するから……」
なんでもないような顔で現れたのは、真夏と思えぬ黒マント姿の、エリカだ。
「……なんでここにいるんです?」
「あなたが、私の気配に気づかないとはね……」
「疲れてるんですよ……っていうか、曹氏との連結回路切ってて大丈夫なんですか?」
疲れていようが何だろうが、やはりエリカの勘は十分に鋭いらしい。
「毎日毎日監視されているのも、肩が凝るものよ。時々やることだから、まぁ大丈夫でしょう。戻った後に束縛がきつくなるでしょうけど……」
なんだか物騒な言葉が続いた。
「束縛……」
アヤがドン引きの顔だ。いやいや、とリョウがフォローをする。
「『十七国計画』の総仕上げが、成立しなくなるからだろ?」
ええ、と貴深は頷いた。細かいこと気にしちゃだめよ、とも付け足す。
「あの子はまだ生きてるの?」
エリカは問いの内容に一瞬眉をひそめ、いいえ、と返した。
「紘然とかいう『結社』の兵隊なら、この世での生を終えましたよ」
その言い回しの含みに、老師の方も即座に気づく。
「……そう」
「『未生の魔道士』への手出しは、『魔導連盟』の原則で禁じられていますし、侵犯者には加盟する全ての組織に敵対認定が下されます……と伝えておきましょうか」
「ええ。それだけ分かれば、十分よ」
小さく笑って、邪魔をしたわね、と告げる。
「戻れない道を歩む愚かな母に、似た子にならずに生きて欲しかったわ」
ぽつりと、そう言い残して、足音もなく彼女は店を後にする。
何か歩法を使ったのか、数瞬のうちにその姿は消えた。
「……母?」
「血統上は老師の息子らしい」
リョウの言葉に、は? とエリカは眉をひそめる。
軽く事情を説明されると、いよいよエリカの顔は険しくなった。
「……あのオッサンは、本気で腐れ外道ね」
その言葉に、まさか、と店主夫妻は顔を見合わせた。
「父親は……」
曹氏なのか、と問いそうになった妹弟子の声を、エリカは遮った。
「それは何とも。ベース回路は『晋』だったし……それに『漢』『曹』『呉』『斉』が混じっていたけど……とすると、漢は母親譲りなんでしょうね。かなり弱ってたけど。ただ、こんな変な組み合わせの回路なんて、普通、私みたいな人為的なミックスにしか出ないのよ」
ひそめられた声に、二人も表情を厳しくする。
「彼は、単純に劉老師を生物学的な母にしているだけじゃなくて、何らかの実験の結果生まれた……と考えた方がよさそうよ。特に『斉』の回路が、田氏斉じゃなくて、太公望の方の斉だったの。古代回路の復元計画が、絡んでいる可能性が高いわ」
それは、たしかに珍しすぎる組み合わせだ。
「こうなると、やっぱり底がはかれないのは、曹のオッサンってことか……」
リョウが呟き、ああ本当に魔術師ってヤダヤダ、とアヤはぼやく。
「血筋より努力が大事でしょうに」
「アンタが言うと説得力があるわよね」
保有する血統呪術回路が、段違い少ないアヤならでは、だ。
「まぁ多少は血も要るのかもですけど……で、姉さん、状況はどうなんです?」
「ヤマ場は超した。今は体力回復のために休ませてるわ。で、残りのラガヴーリンを、回復薬の材料に譲って欲しいんだけど……」
ほい、とお金でも支払うかのように、エリカは水晶をカウンターに置く。少しヒビが入っているが、それに到達した光が屈折し、七色の輝きを放っている。
「光学系の術式を組み込んだ、虹彩水晶なんだけど、対価に足りるかしら?」
夫妻は、無言でアイコンタクトを交わした。
「お返しします。もってけドロボー」
「えっ?!」
「足りるどころか、余りすぎて困るわマジで! 本気で計算しやがれ下さい!」
妻の言葉に、さらに夫が叫びを重ねる。本当に、規格外の魔女め。
「え……いいの?」
「回復薬のレシピで十分です……で、結局、彼をどうしたんです?」
リョウの問いに、ああ、とエリカは笑った。
「新しい名前をつけ直して、違う運命を『移植』したわ。『未生の魔道士』星夜……それが、彼の新しい人生よ」
エリカさんの日本名は別にあるのですが、魔法・魔術の世界では、もっぱら「エリカ・ワイズマン」で通しています。フルネームは呆れるほど長い。ダンブ○ドア校長ぐらい長いかもしれない。ただ、あの人の場合は、セカンドネームとかがやたら多いわけですが、エリカさんの場合は、氏族名とか地名姓とかの、ファミリー系の部分が長い。
劉老師の闇堕ちの契機が、政府の弾圧だったという話。もうちょっと引っ張るつもりだったんだけど、明かさないと、あまりに得体の知れない人物になりすぎるのと、紘然の末路を気に掛ける理由が希薄な気がして、ぶっこみました。
曹氏は元々権勢志向の強いキャラとして設定してあります。
で、今後のシリーズから、シンヤさんが追加されるわけですね。カルテットの面々に顔を見られているわけですが、そこは暗示か、最強魔女の「無言の圧力」で、知らんぷりになると思われます。
今回のシリーズ、マイちゃんが一番蚊帳の外でありました。
変に潜在能力が大きすぎると、本当に動かせないんだな、って痛感。




