表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/12

孤独の魔女エリカと元刺客

キリが悪かった気がするので、あと2話足すことにしました。

「死体」とされた紘然さんのその後の末路、不完全燃焼だと思いまして。

あと曹氏はともかく、劉老師がほいほい引き下がるかというと疑問な気が。





 ホンランは、目を覚ました。

 起きた瞬間に、意識を失うまでの出来事が、超高速で脳裏をよぎる。

 ツァオ大人ターレンの「十七国計画」の始動……その引き金になる周王室の回路保有者「姫巫女ヒメミコ」……夕暮れの公園での召喚術を使った襲撃……

 殷王朝回路保有者の魔女の、人造生命ホムンクルスによる攻撃。

 あのたった一人の登場で、戦局は一瞬で逆転した。

 韓国系回復術師の支援、越南ベトナム系攻撃術師の加勢……元から加わっていた華僑系術師の回路解放が加わって、持久戦になりつつあった状況が、あの魔女の参戦で一気に決着した。

 圧倒的な血統呪術回路保有量。サラブレッドという形容詞すら生易しい、まるで魔法と魔術のためだけに編み上げられたような「遺伝子」の持ち主。

 生死すら術の延長上のものとして操る、規格外の魔女。

(たしか「あの人(・・・)」が「蠱毒コドクの魔女」と呼んでいた)

 音だけを聞いた時には「孤独」かと思ったのだ。

 だが、送られてきた文字イメージは「蠱毒」だった。

 そして、現実の彼女を目の当たりにして、体感で全てを理解した。

 そのまま、己は死んだはずだったのに。

(……わたしは、生きているのか?)

 内心に自問自答していると、寝かされていたベッドの脇、サイドテーブル上に置かれた青銅製の鈴が、独りでに動いて音を鳴らした。

 ぎょっとして身を竦ませると、ほんの数瞬後には、ドアがノックされた。

「入るわよ」

 聞こえた声は紛れもなく、自分が意識を失う寸前に聞いた、魔女のもの。

 身を硬くする紘然に構うことなく、真っ黒なマントを羽織った魔女が、姿を現した。西洋系術師の正装、にしては、いくらか装備が手薄な感じはする。が、正直そんなに装備を持たなくとも、体一つで、過剰戦力とも呼べるほどの性能の持ち主だ。

 相対する己の装備を確認するが、血統呪術回路さえ起動しない。

 服が、倒れる前に自分が着ていたモノではなく、彼女が用意しただろうモノに替わっていた。だが、術師としての基本能力が起動しないのが、この服による「拘束」のせいなのか、「暴走」の代償なのか、紘然には判然としなかった。

 魔女は紘然の眼前で、天窓を閉じると、悠然とマントを脱いだ。

 そうか、自分は、太陽の光で目が覚めたのか。

 そんなことを今更に感じた。

 魔女は、部屋のランプを手際よく灯すと、古びたチェアをずるずる引っ張って、その上に腰掛けた。紘然と、ちょうど向かい合うような形になる。

「……中国語はまったく喋れないから、日本語でお願いできる?」

「はい」

 答えてから、喉が少し痛い、と感じた。

 それを察したように、魔女はクリスタルガラスのデキャンタの封を外し、中の薄茶色の液体を、同じクリスタルガラスの杯に注ぎ入れた。

「『鑑定』回路、封印、限定解除」

 日本語だった。が、それでも紘然には、どういう方法でかは不明ながら、己の呪術回路が彼女の統制下に置かれていることが、はっきりと理解できた。

 今、己がどのような能力を起動できるか、彼女はそれを選べる。

 この桁外れの異能者が、へまを踏むとも思えない。よしんば、凡人のようなへまをしたところで、圧倒的天才によって、そんなものは吹き飛ばすだろう。

「ほら、飲めるかどうか、解析して。安心して飲みたいでしょ?」

 言われるまま、唐突に戻ってきた「鑑定」を起動させる。元から自分が持っていた能力だったのだな、と改めて思うほど、自然に起動できた。

 有毒作用はなし。体力回復の作用を確認。

 杯の液体に口を付ける。まぁ、なんというか、漢方薬よりはだいぶマシだが、しかし、あえて美味しいと言えるか、と問われれば、頷きかねる味だった。

「あら、まずいって言わないのね」

 驚いたような顔をする。何だろう。まずいものを飲ませている自覚はあるようだが、まずいと言って嫌がる顔を見たかった、とでもいうのだろうか。だがそれにしては、落胆している風も、面白がっている風も、特にない。淡々とした観察という感じである。

「……漢方よりは、マシ」

 なので、淡々と自分の実感を返すと、大いに納得、とばかりに頷かれた。

「アレで慣れてたら、西洋のハーブティーなんか優しいモノだわね」

 なるほど、これが西洋術師の簡易回復薬か。

「まぁ、若い子にはこんなの飲まさないんだけどね、普通は……こんな回復最優先の、味わい無視の栄養剤みたいなブツは……次回からは、もう少し味に期待できると思ってね」

 次回?

 彼女のその言葉に、抑えてきた疑問が、どんどんふくれあがる。

 何故、自分は生きている?

 ここは、どこだ?

 お前は自分に、何をしたのだ?

 今、自分はいったい、どういう状況になっている?

 どうして、そんなことをした?

 わき上がってきたそれらの疑問を、紘然は口には出さなかった。

 だというのに、ほうほう、と魔女は頷いた。

 彼女の指先は、真っ黒な平たい器に入った、水をゆるやかに弄んでいる。

「君が生きているのは、私が殺さなかったから。私が最終的に行使したのは、致死性の術を掛けられたと思いこむ催眠術。それによって君は仮死状態になったの」



 魔女の言葉は続く。

「君の仮死状態を私が『固定』することによって、対外的には君は死亡者として確定した。ツァオのオッサンと劉老師には、これで引き下がってもらったわ。つまり君は……『黒人ヘイレン』としての君は、確定的に死亡した。今ここにいるのは、魔術師の素養を持つ、身元不明の人物、よ」

「は?」

 ぺらり、と、魔女は封筒から取り出した書類を、紘然に差し出した。

「『魔導連盟』には、いくつか貸しがあるからね……君を、中立地域の修行志望者として、ねじこむ許可を取ったわ。君がもしも望むなら、子どもに幸福をもたらすチカラの使い方を、新しく『修行』することができる……呪術の世界と縁を切ることなく、けれど、誰かの手駒になって動くのでもなく、自分の意志で他人と自分を幸福にするために、生きていく道を選べるわ」

 そんな。

 そんな、ばかな。

「わたしは、ひとごろしだ」

「でしょうね。けど、闇に生まれたあなたを裁く法律は存在しないわけで、そうすると魔術師の流儀では殺すのが通常なんでしょうけど、私は人殺しを裁くためであろうとも、人殺しをするのはイヤなわけよ」

 カチカチカチッ、と、歯車がかみ合うような音がした。

 腕の一部が、じりじりと焼かれるように熱い。

「気になるでしょ? 見ていいわよ」

 ジェスチャーで、袖をめくるように示されて、その通りにする。

 両腕の表面に、びっしりと、明らかに呪術的な紋様が浮かび上がっていた。

「『回復薬ポーション』を飲んで、体力がある程度回復したと見なして、解呪作業に入ったのね……多少は熱くて、ちょっと痛いかもだけど」

「解呪?」

「君には、裏切り防止とか、その他諸々の機能を組み込んだ、結構複雑な術式が埋め込まれててね……一部は自力で解除しようとしたみたいだけど、一部だけ変に書き換えたせいで、全体のバランスが狂って結構大変なことになってるのよ。というわけで、それを全部、調整して書き直して、消してるとこ」

 わりと面倒だったわぁ、とのんびり言う。

「『結社』の面々、特に君がいた『黒狼ヘイラン』では、多分ほぼ全員が標準で埋め込まれているみたいなんだけど、君はもう違うわけだし」

 そんな命に関わる強制拘束ギアスはもう要らないでしょ、と魔女は言う。

「ギアス?」

「あ、西洋魔術は門外か……もともとは古いアイルランドの言葉で『ゲッシュ(geis)』とか『ギャサ(geasa)』って言うんだけど……禁忌に関する制約のことね。破ると禍が降りかかるかわりに、守る限り恩恵が受けられる、っていう長短両所のある魔術なのよ。君に掛けられたのは能力増幅。対価が精神汚染」

 理解できず、紘然は首を傾げる。

「つまり、ツァオのオッサンに従う限り、持って生まれた能力を限界以上まで使うことが出来る、っていう恩恵。それに、オッサンに逆らった瞬間に、正常な思考ができなくなって自滅的な行動を取る、っていう呪いがセットになってたわけ」

 私に戦いを挑んだ、っていうあたりが自滅よね。

 と、反論しようがないけれども、あまりに自信満々なことを言う。

「それを、わたしは掛けられていた?」

「多分、本当に記憶もないぐらいの幼児の時にね。いつから『結社』にいた?」

 それは、話せないのでは……と思ったが、声は存外するりと出た。

「物心着いた時に、は……」

「驚いてるわね。そういうのを話せない拘束は、真っ先に解除してあるから。そのせいで丸二日以上も寝込むほど体力食っちゃったわけだけど」

 自分が意識を失ってからの時間が、なんでもないことのように語られる。

「……別に」

 感謝すればいいことなのか、紘然には判断が出来ない。

 生き延びられると、少なくともあの最後の瞬間にはもはや思っていなかったし、今まで自覚もしていなかった呪いについて、寝込むほどの体力消費をさせられながら「解除している」と言われても、うまく理解の中に落とし込めないのだ。

 魔女は、別段それを気にする風もなく、うん、と頷いた。

「基本的な部分をオッサンに『探知不能』にして、ようやく本格的な解呪作業に入ったのが、ついさっき。丸三日ぐらいかかると思ってね。呪いって掛けるのも面倒くさいけど、解くのはもっと面倒くさいから。日常生活には支障ないと思うわよ。ちょっと痛いだろうけど」

 さっきから、ちょっと痛い、を繰り返している。

 が、紘然には少なくとも、今のところは痛みを感じることはなかった。

 たしかに、地味に熱いのは続いているけれど。

「別に、痛くはない、が?」

「そのうち痛くなるから、先に言っているのよ……痛覚を鈍磨させる機能が入ってるから、その部分を解除しちゃうと、常人並みに痛みを感じるようになる、っていうか、むしろ今までよっぽどでないと痛いと思わずに来た分、下手すると常人よりも痛みに敏感になるかもだから」

 えっ? と紘然は目を丸くした。

「わたしは痛みに鈍いのか?」





 変な質問だ、と多少思いながら、エリカは紘然の指を示した。

 戦闘中の負傷なのだろうが、ほぼ全部を突き指していた。まぁ多分、戦闘狂の回路を開放してしまった、ジャン麗華リーファによるものだろう。

「今、痛くないんでしょ?」

「これは、普通の人間は、痛いと感じるものなのか?」

 なるほど、これが常識の違いというやつか。

「突き指、って、案外と痛いと思うんだけど……」

「……突き指は痛いものなのか」

 しみじみ言われた。しみじみすることじゃないと、エリカは思う。

「指先なんて神経の集中している器官にダメージ受けたら、痛いと思うわよ」

「痛みというのは、自己防衛のための機能、だと学んでいるが……指先をなくしたぐらいで、人間は死なないぞ? それなのに痛いと思うのか?」

 アカン。これは基準が違う。

「指が無くなったら生活に支障が出てくるでしょうが。そういう、支障が出てきそうなこと、細やかに対応してくれるのが、人間の本来の体なのよ」

「……そうか。そういう部分も、わたしは奪われていたのか」

 ぐっ、と拳を握る。よせ、折れた指で何をする。

「解呪作業が進んだら、絶対その行動しちゃダメよ? 痛みで泣くわよ?」

「別に泣いたり……」

 と言いかけて、その保証のない体になることを思い出したらしい。

 いや、しょんぼり顔をするのではない。本来の肉体になるだけなのだ。

「今の君の耐性がおかしいだけだから! それ修正するだけだから!」

「……どういう感覚になるのか、想像もつかない」

「あんまりつらいようなら、命と生活に支障がない範囲で、痛みを抑えるようにまた術式を考え直すから、とりあえず解呪させて。今のままだとつかれる(・・・・)の」

「つかれる?」

 これは「取り憑かれる」で聞いたに違いない。

「being tired で解釈して。疲労するの。君に埋められている術式、崩れてはいるんだけど、場所を探知する機能もあってね……オッサン、多分それで『結社』構成員の行動を把握してるんでしょう。そいつを完全に除去してしまわないと、死んだはずの人間がオッサンの探知網に引っかかって、たいそう面倒くさいことになっちゃうから」

「……理解した」

 ものすごく嫌そうな顔をしているのは、多分、GPS機能を勝手に埋め込まれていたから、だろう。それに関しては、まぁ、組織を統轄する側として曹氏の心が分からないでもないが、自分がやられたら即解除するだろう、とも思う。

 とりあえず、回復薬ポーションをおかわりさせる。

「心機一転するために、まず名前を変えないとね」

「……考えてくれ」

 丸投げかよ、と内心でツッコミを飛ばした。

「それ、運命の支配権を私に委ねる、って意味なのは分かってる?」

 なんだか頭痛を感じるような気がする頭を押さえて、エリカは問いかける。

「呪術回路を全て支配下に置かれているのに、今更だろう?」

「私の説明聞いてた?」

 眉を跳ね上げるエリカに対し、今はホンランの名をあてられたままの男は、理解できない、というように眉をひそめる。

「説明は聞いた。理解はしたつもりだ。及んでいなかったなら、日本語が難しかった」

 うああ、と、エリカは頭を掻いた。

 確かに母語話者ではない者特有の訛りはあるが、かなり流暢なので忘れていた。

「つまりね、今、私が君の回路のコントロールを全部握っているのは、やむを得ない事情からなの! 理由その1。君の回路は暴走のせいであっちこっち壊れていて、放置しておくと危険なので、繋ぎ直しと再調整が必要だから。そのためには、全権を私が握る方がやりやすい。理解した?」

「理解した。続きは?」

「理由その2。むしろこっちが本命だけど……君の回路に、位置情報の発信機能がある。暴走のせいで回路に歪みが出ているから、私が全部掌握した状態でないと、下手すると君が生存しているという情報が、オッサンに伝わってしまう可能性がある。公的に『死人』と報告した以上、そんなことになると面倒」

「……それも理解しているが?」

 なるほど、とエリカは大きく頷いた。

「そして、現在はそういう条件があるから、面倒くさいので君の回路を乗っ取らせてもらっているけれど、それは別に私が君を支配したいから、ではなくて、君をオッサンの支配から完全にひっぺがすために必要な処置だからしているだけ、なわけよ。やりたくてやってるワケじゃないの」

 何を言われているかわかりません、という顔をされた。

 本当に、修羅場を生きてきた人間なんだなぁ、と思うしかない。

 他人の回路に干渉することが、人を救うことではなく支配することに、イコールで繋がるのが、彼にとっての「世界の常識」であるようだ。

 まぁ、魔術師とはそういう人種なのかもしれない。

「私は魔女よ……他人を支配するのは、魔女の領分じゃないわ。魔女の仕事は、他人の助けになること……だから、私の行動は、魔女としては普通のことよ」

 そう言い聞かせると、心底信じられない者を見るような目で見られた。

 文化の溝は、随分と深いようだ。



 エリカはしばらく、自分たち「水晶の魔女」一門における、魔女と魔術師の定義について講義を行わなければならなかった。

 紘然の理解は、彼の生い立ちを考えれば当然のことではあるのだが、全て「結社」に統制された教育の中で育まれたもので、著しく偏っていた。

「『善意』で行動する者が『魔女』で、『悪意』で行動する者が『魔術師』?」

 講義の内容を、元々頭は悪くないのだろう、簡潔にまとめてみせる。

 うん、とエリカは頷いた。

「基本的にはそれで問題ないわ。もっとも、善意の行動の結果が常に良いとは限らないし、悪意故の行動であっても、誰かを救うことに繋がることもあるけど」

「それは理解する」

 エリカはまた一つ頷いて、そして付け足した。

「私が君を殺さなかったことは、善意からの行動かもしれないし、そうじゃないかもしれない。悪意のつもりはないけれども、私が人殺しをしたくなかった、というワガママからの行動。つまり、善意とか悪意とかいう分類では難しい場合もある」

 紘然は、難しそうに顔をしかめた。

「善意で助けた、と言わないのは何故か?」

「いやいや。どう考えたって、君、これから生きていく方が色々と難しいじゃない? そうなることを分かっていて、それでも、自分が人殺しになるのが嫌だという一心で、あれこれ小細工を弄したんだから、それはもう、善人のすることじゃないと思うわよ?」

 まだ、彼には理解が及ばないようだ。

「……こういう面倒ごとは、お人好しでなければやらない」

「臆病者もするわよ」

 肩をすくめて、少しおどけてみるが、紘然は真面目に考え込んだ。

「コドクの魔女……あんたが臆病になる理由が思いつかない。わたしが知っている限り、あんたはツァオリウとも渡り合える、最強の魔法使いの一人だ」

 少なくとも、その言については、エリカは否定しない。

 たしかに、単独で向き合った場合は、エリカの勝率が勝るだろう。

「魔術戦で勝てることは、臆病さを持たない理由にはならないわ。私は『孤独』の魔女……あの二人とは違って、集団戦には徹底的に向いていない。数で迫られたら苦戦必定よ。そういう面倒を避けるためなら、他のことはたいした面倒じゃないわ」

 紘然の理解を超えた世界の話をしているのだろう。

 なので、日本国の標準的感性を、改めて伝える。

「いい? 人殺しを超える面倒ごとなんて、この世にはないの」

 戸籍がないから、いない人間。だから、殺したって、生まれたことすら知られていないのだから、いないものが消えても、何の問題にもならない。

 そういう、紘然にとっての当たり前、は、この場で粉砕せねばならない。

 少なくとも、彼を「水晶の村」に匿っている間に、この程度の感性は体に馴染ませておかないと、外に出すこともままならない。

「目障りなら潰す、消す、殺す……そういう世界とは、君はお別れするのよ」

「……うん」

 難しそうな顔をしながら、しかし、紘然は小さく頷いた。

「利益をいつも計算するような世界とは違う。そんなことを『しない方が普通』という世界に、君はこれから馴染まないといけない。馴染まないと、生きていけない……わかった?」

 紘然は、本当に難しい課題を与えられたように、眉間にしわを寄せて、顔を赤くさえしながら、それでもなんとか、頑張って頷いた。

「……わかる、と言い切れるように努力する」

 この律儀さと生真面目さが、自滅の引き金を引いたのだろう。

 きっと『結社』の一員だった時から、生真面目に、小難しく、与えられた仕事の利益を勘定し、与えられるであろう物事について、全て理解しようと考えてきたのだろう。そういう人間は、使い捨ての歯車を要求する上層部とは、絶対に摩擦を起こす。

 遅かれ早かれ「こう」なっていただろうな、と思いながら、しかし、それでもなお、あのタイミングで、上代麻衣に襲撃をするという巡り会わせが、彼を「肉体の死」からは遠ざけた。そこは、持って生まれた悪運とでもいうのだろうか。(精神については、そもそも今までを「生きている」と形容するかで、判断が別れるだろう)

 そういえば、占星術の偽装をまだしてない、と、エリカは内心に呟く。

 占星術を専門にしていたのは「天文の魔女」であった孫先生で、曹氏も劉老師も専門外ではある。だが、専門外だからといって、まったくできないか、というとそういうわけではない。それに、曹氏にはウンザリするほど大量の部下がついている。占星術師もいるだろう。

 星の書き換えとは、これまた大技になる。

 自分の持って生まれた回路を、今までにないほど総動員して、磨いてきた感性を、それはもう極限まで研ぎ澄まして、それでも成功率はきわどいだろう。

 だが、それでも、少なくともエリカは「人殺しより面倒」だとは思わない。

「命は奪ったら取り返せない……それが世界の大原則よ」

 いいこと言ったぞ、と内心に思うが、紘然はやはり不思議そうな顔だ。

人造生命ホムンクルスを使う魔女の言葉とは思えない」

 エリカは目を泳がせた。

「……あれは擬似的なモノに過ぎないわ」

 術を行使している本人は、ちょっと高性能な泥人形ゴーレムの感覚なのだ。





 解呪作業の二日目に入る。紘然は、字書を読んでいた。

「痛みは?」

「少しかゆくなってきた。ひっかいたらまずいか?」

 字書から顔を上げ、首を傾げる。

「皮膚に刺青入れてるわけじゃないし、まぁ問題はないと思うけど、ややこしい術を動かしている最中なので、なるべく不確定要素は入れないで欲しい、かな」

「つまり、ひっかいていいのか? 悪いのか?」

「ひっかかないで欲しい。でも、ひっかいても罪悪感は感じないで欲しい」

「……なるほど」

 日本のネイティヴの言い回しは、ずいぶん遠回しで難しい。

 そんなことを、中国語で呟いている。

 エリカは中国語は出来ないが、ニュアンスは「振動」で理解できる。

「突き指の具合は?」

「一応、動くが、感覚がない。変な感じだ」

「いっ? 神経系に異常出た?」

 大急ぎでスキャニングを実施するが、特にサインは出ていない。

「……ゴメン、経過観察だわ。こんなのするの初めてだから、何とも言えない」

「別にいい……相手があんたじゃなかったら死んでた体だ」

 淡々と答えられた内容に、エリカは苦い顔をする。

「うぇーい、その物言いはよそうね。二人称があんたのはいいけど、死ぬとか殺すとかからは、とりあえず外れよう。君の命は軽くない」

 そう言われると、やっぱりまだイマイチ理解しきれない、という顔で、しかしそれでも、律儀に頷く。お堅いと形容するべきか、何というべきか。

「作業の進捗状況は、今でどのぐらいか?」

 ベッドでクッションにもたれかかったまま、紘然は一度字書から目を外す。

 エリカは軽くスキャンを再始動して、答えた。

「4割。今から6割を超すまでが、いっとう面倒くさいヤマ場」

 そう言いながら、エリカは椅子に腰を下ろす。

「そういうわけだから、3時間ぐらいはここにいるかも」

「問題ないのか?」

「目を離す方が問題でしょうが。妹分も納得済みよ」

「……妹?」

「いま君がいるのは、私の妹弟子の『工房アトリエ』の一角。曹のオッサンに思いっきり顔が割れてる人物、というか、その夫に至っては元は劉氏の弟子なんで、いよいよ君をオモテに出すのは難しいんだわ。もうちょっとして、解呪が終了したら、もっと目立たないところに移動するけど、あの公園に一番近い身内のナワバリが、ここしかなくってね」

「……問題ないのか?」

「そのために、現在進行形で頑張っているんじゃないの」

 ほれ飲め、と、エリカはスキットルを差し出す。

「アルコール度数に気をつけてねー」

 所詮は昨日の回復薬ポーションレベルと高をくくったのか、あんまりにも気軽に口を付けるので、エリカは急いで言い足した。時すでに遅し。

「……ッホ、ゲホッ」

「ウィスキーぐらいの度数があるので」

 紘然はまだ噎せている。

「いやいや、今日の作業は、昨日とは比較にならないほど、複雑で煩雑だからね? 体力を上げるだけじゃなくて、基礎魔術適性とかモロモロ底上げする必要がね? イヤガラセじゃないのよ?」

「……善意で動くのが、魔女、だろう」

 昨日教えたことを、すでに素直に思考に組み入れている。

 悪意を持った相手には、とことん相性が悪い男だと内心にため息をつく。

「こんなに高い度数になるのは何故だ?」

 向学心旺盛、でもあるらしい。

「『ティンクチャー』って言ってね、ハーブの成分をアルコールにしみ出させた『浸剤』があるんだわ。今回はそれを応用して作った、完全に大人向けの回復薬ポーション……ていうか、このクラスになると、西洋魔術の世界でも『神秘薬エリクシール』とか呼ぶかな? 通常の浸剤は、薬効成分の濃度が高すぎる上に、浸出剤が恐ろしく高度数のアルコールだから、まぁこんなウィスキーみたいな感じで飲むブツじゃないんだけどね」

「つまり、これは特別製ということか?」

「時短レシピともいう……」

 少し目を泳がせながら、エリカは正直に答えた。

「ゲール語……つまりスコットランドの古い言葉では、『ウィスキー』とは『命の水』を意味するの。その『原義のチカラ』を応用して、薬草類をウィスキーに漬け込んで、時短と機能底上げを兼ねて魔術と魔法で強化した。それでそんなアルコール度数」

「元のウィスキーは……」

 ちびちびとスキットルをあけながら、紘然は眉根を寄せる。

「分かったらビックリよ。ブレンデッドじゃなくて、シングルモルトだけどさ」

「スコッチ?」

「そりゃ、言葉の力を借りたのがスコットランド古語ですから、蒸留所はスコットランドですとも。申し訳ないレベルで元の味を破壊してるけどね……」

「……ラガヴーリン、か?」

 一発で正解が出てきたので、エリカは大げさではなく目を剥いた。

「なんで?」

泥炭ピートの感じが強いから、なんとなく」

 スコッチウィスキーの特徴ではあるが、あんまりにも適当だ。

「いやいやいや……ボウモアとかも泥炭ピート臭いでしょうが……アイラって分かっただけでもビビるのに、根拠それだけ?」



「半分以上、当てずっぽう?」

 真面目な顔で、そんなことを言われて、エリカは反応に困る。

「解呪作業が終わったら、ちょっくら感性テストしてみるか……味覚とか聴覚とか、基礎能力の測定と……それと、適合水晶の判定もしないとね……『村』には、水晶を持ってない人間は入れないしきたりだから」

 案の定、紘然には通じなかったので、説明をする。

「あ、テストに良いもんあったわ」

 ポンと手を打って、部屋の家具の中をごそごそと漁り、怪しい袋を持ってくる。

「簡易検査ならこれでいける……はず。多分」

 彫りこまれた妙な記号に、金の色どりが添えられた、色とりどりの丸い石。

「ルーンストーンよ。占いに使う道具の一つね。これは私が作ったブツで、アヤに卸したんだけど、なんか危険物扱いされて、店に出してくれないんだわ」

 何故そんなものがここにあるのだ、と、紘然はいぶかしんだ。そういえば、本当に今更なのだが、この部屋は何なのだろうか?

「あ、ここはね、なんでも部屋。緊急の来客があった時に、家主とかが入る部屋でもあるし、在庫とかを放り込んでおく倉庫でもある……そういう部屋」

 なるほど。それで、倉庫の隅っこに危険物が眠っていたわけだ。

 ほれ、とエリカは、まるで怖じる様子もなく、その「危険物」と自ら呼んだブツを、差し出してくる。戸惑う紘然に、ほれほれ、と突きつける。

 おそらく、いいのか、と問えば、いいからやってるんでしょう、と言われるような気がして、紘然はそれを受け取った。次から次へと渡されて、ベッドの上は、あっという間にカラフルな石で埋め尽くされた。

「この一式で、めぼしい『水晶』は全部そろっているはずだから、順番に握って、なんかピンときたやつを探してみればいいわ」

「……この指で?」

 レイとの交戦の結果、現在、紘然の十本の指は、全て突き指している。

 本気で忘れていたらしい。エリカはベッドの端っこに顔を突っ伏して呻いた。

「そういえば、指先の感覚もないんだっけか……」

「動くことは動くが」

「しくじったわ……テストは後回しかぁ……」

 規格外最強魔女の、意外に間の抜けた部分を見て、紘然はちょっと笑った。この人物は、意外におっちょこちょいかもしない。そんな気がした。

 ちびちびと、神秘薬エリクシールの続きを飲む。

 皮膚の一部が、特に強く熱を帯びてきた。

「あ、解体に入ったわね」

 多少おっちょこちょいでも、やはり、魔術と魔法の腕は一級品だ。

「ところで、新しい名前は、考えついた?」

 気を紛らわせるためなのか、昨日は脱線したままで終わった話を振り直す。

「難しい。が、何となく『夜』という字が好きだ」

「ははぁ……私が部屋に入るたび、いちいち天窓を閉めているのに気がついたの?」

 エリカの言葉に、紘然は目を見開き、それから、そういえば、と呟いた。

「……理由があるのか?」

 自分で墓穴を掘ったエリカは、しかし平然と己の最大の弱点を暴露する。

「私、紫外線がダメなんだわ。回路を複雑に組み過ぎた代償か、ただの遺伝的なアレコレなのかは分からないけど、紫外線を浴びると皮膚がただれるのよ。だから、夏だっていうのにずっとマントを羽織ってるし、外出も夜しかしない。暑そうだと思わなかった?」

「わたしも正装で戦闘に臨んだ者だが?」

 真夏に、ひらひらした道士の漢服で、術を行使していた当人である。

「そういやそうだった……服が術の媒介とかの機能も持つ、とはいっても、暑いわよね。熱帯の呪術師が、アクセサリーとかボディペイントとか、地域によっちゃ入れ墨を利用するのが、よく分かるわ……まぁ私はアクセサリーに機能を移したとしても、着込まないとなんだけど」

 紫外線に当たれないのだから、暑い暑くないの問題ではない。

「なんで『夜』の字が好きなの?」

 質問すると、紘然は驚くほど真っ直ぐな目で、答えた。

「夜は明けるからだ」

 即答されて、エリカはしばし言葉を失う。

 殺し屋術師として生きてきながら、生真面目で、そのくせ詩人で。

 つくづく、生まれる世界に恵まれなかった男だと思った。

(いや、それは私が書き換える)

 じっと紘然の目を見た。漢族系の回路持ちだが、意外なことに気がついた。東アジア系の人間の目は、黒と茶色が圧倒的に多いのだが、紘然の目は、明るい茶色の中に、わずかに緑が入っていた。ティールグリーンと形容される色だ。

「『夜』の一字では難しいか?」

 なかなか言葉を継がないので、考えあぐねていると思われたらしい。まぁいい。

「さすがに識別に支障を来すレベルで普遍的すぎる、かも」

「入っていると、この先便利な字はあるか?」

 名前は術の適性に大きく作用する。が、新生児ならともかく、すでにある程度術師として腕を磨いている人間の場合は、改名してもすぐに効果は出てこない。

「それは適性次第だけど……『結社』の占星術師対策をやるのに、そのまま『星』があると、干渉がしやすくなって便利かも。結構大がかりな術になるから」

「星の夜、か……悪くないと思う」

「読みはまぁ、フツーにいけば『星夜セイヤ』かな?」

「わたしはそれで構わない」

 わぁ、アッサリ決めちゃうね、と、エリカは肩をすくめた。

「馴染むかテストしなきゃいけないけどね……」





で、儀式やら後始末やらもろもろで、後1話使うって寸法です。

モブかと思いきや、紘然さん、生真面目なロマンティストという、罠にホイホイひっかかりそうな不憫属性たっぷりの天然であることが判明。


ギアスとか出しちゃったよ……ミーハーっぽいから嫌だったんだよぉおおお!

けど、「ゲッシュ」って言われて通じるか、と問われたら……通じない気がするしなぁ。

あとミーハーくさい紘然さんの新しい名前ですが、もうちょっと揉めます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ