開戦の夜
うはー、長かった! 長かったああぁぁ……いや、もっと長いものも完結させているんだけど、ストックなしの状態から「なろう」で完結まで持ってきたのは、実はこの話が初めてですよ。ああ、ようやく一区切り……。
視点がガンガン移動しちゃうのはスミマセン。空白カウントなしで1万2000文字ずつ、という制限をつけたので、どうしてもこうなった。
重々しい緊張は、りぃん、という鈴の音で破られた。
チカチカと星が光って、それから、圧倒的な気配が一気に迫る。
再び、紅水晶のサザレを投擲しかけたモモだったが、振りかぶろうとした瞬間に、全身が硬直して動けなくなる。
「……?」
ぱぁん、と、膨らみきった風船が弾けたような感覚。
黒いロングマントに、フードをかぶった姿が、一瞬のうちに現れる。
「エリカさん……」
レイ先輩たちが、半ば呆然と、そう呟く。
そうだ。公園ですれ違った、やたらと圧倒的なチカラを感じさせる魔女だ。
「お久しぶりです、『共鳴の魔女』劉老師」
一歩、エリカさんが踏み出した瞬間、ばちんっ、と何かが弾ける音がした。
フードを外すと、複雑に結われ、編み込まれた、黒髪の頭が見えた。
「久しぶりね、『孤独の魔女』」
年齢不詳をきわめたチャイナドレスの美女が、にんまりと笑う。
「遁甲術なんて、また古いものを、よく平然と使うわねぇ」
「今日は、星が読みやすいものですから」
右手に短い杖を持って、エリカさんは星の瞬き始めた空を指した。
老師は、とても面白そうに笑った。
「あっはは。それ、うちの人が聞いたらあきれるわよ。常人の言葉じゃないわ」
「『孤独の魔女』ですから」
「そうね。そうね……あなたは『孤独の魔女』。現代ではもはや絶えたほどの、強力な血統呪術回路持ち。太古の智恵を継承する、最後の一人」
じっ、と、まるで値踏みでもするように、老師はエリカさんを見る。
「あなたも『こっち』に来たら、面白いんじゃない?」
「私の能力を全開にすると、曹氏の想定以上の流血沙汰になりますよ」
「でしょうねぇ……それはそれで、アリかとも思ったんだけれど」
老師は、物騒なことを言いながら、手のひらであの銅鏡をもてあそぶ。
「春秋『宋』程度では、私を持て余します。そもそも、あなた方の『計画』の対象に、私の回路はろくに適合しないでしょう?」
「たしかに、北宋まで引っ張る予定はないわね」
そこまで引っ張ると、せっかく再構築した「漢」が崩れかねない。
「五胡十六国に突入したくなければ、劇薬をまぜようなんて思わないことです」
警告するように言いながら、エリカさんは空中に、ふわりと円を描いた。
ちょっ、とユウさんが叫んだ。互いに呪文を詠唱する声が重なり合って、モモの耳にはさっぱり聞き取れなかった。
分かったのは、エリカさんが杖を振った瞬間に、すさまじい衝撃波が射出されたことと、それを「ユキ」の鐘の音が迎え撃った、ということだ。
「銅鐘使い……けど、ジュン君ほどの腕はないわね」
小さくそう、挑発するようなことを言って、次は手首だけを振る。
通り過ぎていったはずの「音の波」が、何故か引き返してきて、エリカさんの周りで、その振幅をさらに大きく増すのを感じる。
「勝ち残り組に入りたいなら、このぐらいできなさいね!」
ヒュッ、と両腕が振られると、朱珪雪の体が、軽々と吹っ飛んだ。
「振動滞留……鳴らした音をリサイクルする術よ。音響系術師は、最初の音を外した瞬間に、一気に分が悪くなる。だから一撃で終わらないように、必ず、一撃目を打つ瞬間には、二撃目の準備まで終わらせておくのよ」
ぶぅん、と、エリカさんの周囲で、また音が増幅される。
「そして、二撃目を打つ時には、三撃目の準備が整っているの!」
そう言い終わるか否か、というタイミングで、三回目の攻撃が行われる。
ゲームで例えるなら、見事な連続コンボという他ない。
「青銅製の武器の時点で、私相手は大いに不利よ。あなたの青銅適性より、私の青銅適性の方が、遙かに強力なのだから」
パリパリと、青白い火花が散って、まるで帯電したようになりながら、エリカさんは朗々とした声で挑発をくり返す。ユキは小さく唇をかんでいる。
「ほうほう……少し腕がうずくわねぇ」
劉老師が、面白そうに笑いながら、青銅製の分銅を取り出した。
「……下げ振り」
少し驚いたように、エリカさんが呟く。
「西洋呪術ではそう呼ぶみたいね。中国武術では、暗器の一つだけど」
ぶらん、と鋼線でぶら下げた分銅を、ゆらゆらと老師は揺らす。
「ッ!」
エリカさんが勢いよく腕を振り、風を巻き起こす。分銅の揺れがずれる。
「あらぁ、一発看破か」
さして動じるふうもなく、ケラケラと劉老師は笑う。
「催眠と振動発生の合わせ技……あなたのオリジナルの術ですね?」
「ジュンも覚えたけどね」
「まぁ、彼なら覚えるでしょうよ……で、これ以上まだ『戦闘』を継続されるおつもりで? ここは日本……私のホームフィールドで、あなた方には不利ですが」
「好戦的なのは、あなたの方じゃないの? 『孤独の魔女』……会談の提案なら受けたわ。ユキにも、そこの子を闇討ちしないように言い聞かせたし」
嫌な語が聞こえてきて、モモは顔をしかめた。
「呂布の真似をするわけじゃありませんけど、劉老師……あなたが一番、何を考えているのか分かりませんね」
エリカさんの言葉に、うふふ、と老師は笑った。
美しいはずなのに、底知れない不気味な笑顔だった。
「じゃあね。また会いましょ」
そう言い残して、老師は現れた時と同じように、一瞬で姿を消した。
ずるり、と、朱珪雪も、闇の中へ姿をひそめた。
ユウさんが一人残り、けらけらと笑っている。
「いやぁ、エリカ様、さすがエリカ様。劉老師に喧嘩を売れるとは」
「縄張り荒らしは向こうの方でしょ。ルール違反は、犯した側の弱体化というペナルティで顕れる……違反者相手に恐れることなんて、何一つないわ」
「それを堂々と言えちゃうのが、実力派術師たる所以ですよ。並大抵の連中なら、老師の威圧ですくんで、身動きも取れなくなるのが通常です」
「私が十人並みの凡庸な術師だとでも?」
ふん、と鼻を鳴らし、傲然と言う様子は、まさに「様」である。
「まさか! それにしても、ふらついてる老師はともかく、ユキにまでモモちゃんのことがバレたのは、ちょっとやばいかもですねぇ」
私? とモモは首を傾げる。あの朱という術師は、たしかに、マイを確保する過程で、障害になりうるモモのことを、排除しようとしていたが。
「大陸系の回路は感知できない。面倒と言えば面倒ね」
少し考えて、エリカ様までもが頷いた。モモはおそるおそる挙手をした。
「えーっと、質問をしてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ。『未来の魔女』」
「えー、あの、私の『血統呪術回路』は、大陸系が入っていない、ということですか?」
とりあえず、疑問は一つずつ潰していこう。
ええ、とエリカ様は肯定した。
「あなたは、珍しいぐらい純正の『ヤマト系』の回路よ。四国の神道系術師で、一人見たことがあるかどうか、ね。仏教とかの影響で、ヤマト系の術師も、かなり大陸の影響を受けているはずなんだけど、ごく稀に古い回路しか起動しないケースがあるのよね……あなたは、それ」
ピッ、と杖でモモを指さす。ビッ、と背筋が伸びる。
あの杖は、朱珪雪を軽々吹っ飛ばしたほどの術を行使した媒体だ。
今は、ただの風変わりな「指示棒」のようだが。
「上代麻衣の件といい、二人揃って、よくもそんな古式ゆかしい珍しい回路だけが起動しているものね。国粋主義系の極右術師集団になら、むしろあなたの方が狙われるかもよ?」
ナ、ナンダッテ?!
「私も捕獲対象に入っちゃうんですか?」
「だって、奈良時代か、下手すると飛鳥時代ぐらいでしょ? あなたの基本回路」
当然じゃないか、という顔で、エリカ様は爆弾発言をする。
「いえ、初耳です、それ……」
アヤ先生は、マイの血統呪術回路についてだんまりだったのと同じく、モモの血統呪術回路についても、平等にだんまりを決め込んでいた。
いや、知ったところで、それを起動させて使用するには、スペックも知識も全然足りていないので、術者としては知る意味は、そもそもなかったのだけれど。
「そっか。とりあえず、あなたの回路も、人によっては『サンプル』にしたいレベルのものだから。気をつけてね。日本をホームフィールドに設定している限り、国内では、基礎の結界術さえ使っていれば、さっきの程度は弾けるから」
「はぁ……」
さっきのって老師と朱嬢のどっちだ、という気はするが、まぁ多分、朱嬢の方なんだろうな、とモモは理解した。劉老師が相手になったら、結界も怪しい気がする。というか、今日自分が結界構築に使った桃の種は、そもそも劉老師が開発した使い捨ての呪具だ。
地力で防衛陣を築けるようになっておかねば。
「とりあえず、頑張ります」
「ええ。『カルテット』のサポートなしでも、動けるようにね」
はい、と頷く向かいで、おいおい、とユウさんが先輩方に話していた。
「エリカ様がそれを仰いますか、ってヤツだな……」
うんうん、と先輩方は、先ほどの緊迫感が嘘のように、落ち着いて頷いている。
「よしんばモモちゃんの回路が飛鳥時代に遡るとして、1400年がせいぜい」
レイ先輩の言葉をつけたして、うわーああ、とアイン先輩が天を仰ぐ。
「超級の伝統呪術回路持ちに言われても、説得力皆無だよねぇ」
「1400年でも、十分に古いでしょう?」
エリカ様が、心外だ、とでも言わんばかりの顔で、話に割り入った。
いやいやいや、と、三者同様に首を左右に振る。
「一般の術師は、遡れてせいぜい1000年程度の血統ですよ」
ユウさんの言葉を、レイ先輩がつぐ。
「モモちゃんの1400年もたしかに古いですけど、マイちゃんやエリカ様とは比較になりませんって」
マイの回路は、邪馬台国女王の「先祖返り」で、それでも約1800年前だ。だが、周王朝の初代に近い時期の「徳治」回路の場合、余裕で3000年を越す。
「……エリカ様、の回路は?」
おそるおそる問うと、両腕を交差させて、バッテンを作られた。
「こう見えて、私、日本呪術界の最終防衛兵器の一つなんだわ」
「こう見えても、そう見えてですよ」
ユウさんが混ぜっ返して、軽く衝撃波を飛ばされた。
「うぉっと……」
華麗に宙で一回転し、危なげなく地上に降り立つ。さすがと言うべきか。
「機密事項だから、それはナイショ」
軽く片目を閉じたのは、多分茶目っ気の演出なのだろう。
モモは帰宅し、レイ先輩とアイン先輩が、家の周囲に防護結界をつけた。
……その様子を、エリカは水面の上からじっと観察する。
止まった噴水の水面を、鏡代わりに使う、遠隔透視術である。
「やれやれ……これで、半分素人の子たちはオヤスミナサイ、ね……」
術を切ると、エリカは空を見上げ、宙に陣を描いた。
すっ、と歩みを進めると、即座にその姿は、夜の暗闇の中にかき消えた。
ふわっ、とマントを翻して、彼女が出現したのは、アヤ先生の喫茶店である。
暗がりから、突如として人間が出現しても、喫茶店に集う面々は驚きもしない。
さもありなん。
今、この喫茶店には「CLOSED」の看板が掲げられ、常なら客用に使われている席にいるのは、全員が「魔女」か「魔術師」、さもなくば「呪術師」ばかりだ。
エリカは、じろりと店の中を見渡して、小さくため息をついた。
「錚々たる顔ぶれね」
「おお! 『孤独の魔女』の帰還だな!」
真っ先に声を上げ、楽しそうな笑い声を上げたのは、今宵の元凶である。
「曹大人……」
160cmぐらいの、東アジア人であることを差っ引いても、小柄な分類の男性が、にやにやとカウンター席から、エリカに向かって手を振った。
曹文宣。東アジア一帯に拠点を持つ道教系結社の大幹部でもある、控えめに形容してチャイニーズマフィアな御大だ。
一見ただの「ちっこいおっさん」なのだが、近寄ると凄まじい威圧感がある。漢族の基本血統呪術でもある「威圧」が、ナチュラルに最大値で発現しているのだ。なので、遠目の印象でナメてかかると、大いに、どころではなく痛い目を見ることになる。
その隣には、さっき追い払ったばかりの、年齢不詳美女がいる。さらにその隣は、不自然に空間が歪曲したような、澱んだ闇になっていた。どう考えても、朱珪雪がひそんでいる。
「リョウ、なんで追い出さないの?」
カウンター席で、渋い顔をしながら茶を淹れているマスターに問う。
「俺に追い出せると思うか?」
のんびり、長いおみ足を優雅に組みつつ茶を喫する劉老師と、曹大人の二人。
三国の英雄のうち二人が揃っているような、オソロシイ顔ぶれである。
「全開でいったら、いけるんじゃないの?」
「アンタと一緒にするな。俺の回路は不完全なんだよ」
リョウは、諸葛氏の回路を部分発現しているとはいえ、完全回路持ちの二人には敵わない。特に、劉老師との相性は本当に悪い。向こうが第一師匠なこともあり、弱点を軒並み把握されているのだ。この二人を相手取るとなると、やはり、現「天文の魔女」サヤぐらいの人材は必要だろう。
まぁ無理だろうな、と思っていたので、エリカも深くは追及しない。
「ふぅん……こちらいいですか?」
朱珪雪がひそんでいるだろう方とは、逆のカウンター席の椅子をひく。
「ああ、座りたまえ」
「失礼します」
全然失礼とも思っていない口振りで、エリカはカウンターに座る。
「リョウ、ブレンドティーの17番出して」
メニューも見ずに注文を出すと、おい! と抗議の声が挙がった。
「17かよ! ジンセン単価上がってんだぞ! 利益出ねぇ!」
ハーブティーに使われるのは、アメリカンジンセンとシベリアンジンセンとがあるが、17番は両方使用するレシピである。
「注文しただけ優しいと思いなさいよ。何なら私が厨房を占拠して、調合をしたっていいのよ?」
エリカの言葉に、リョウは顔をしかめた。
「在庫管理がややこしくなるから、是非ともやめろ下さい」
30近い種類の、予めブレンドを終えておいたストッカーから、17と書かれたものを取り上げ、ガサガサとシェイクして、蓋を取って茶葉をすくう。
この喫茶店、店主が顔色や何やを見て、直々にハーブティーをブレンドしてくれることもあるが、それだと調合手数料を取られるので、先にブレンドした「ナンバリング商品」も、案外と需要がある。
アヤはそもそもナンバリング商品に否定的だったのだが、リョウの「在庫管理の計算がめんどくさい」の一言で、手のひらを返した。この店の経営者はリョウであり、帳簿云々は全てリョウの管轄である。計算をボイコットされて、年末やら年度末に、税務署ににらまれるのはゴメンだ。
「私のせいで忙しいんでしょう?」
どどーんと言い放った言葉は、驚くほどに残念な内容だった。
「そう思うんなら、真面目に計算して持って来い下さい!」
「私は私の価値基準しか分からない! 無理!」
えっへん、と胸を張って、エリカはろくでもないことを宣言した。
あああ、とリョウは首を振る。
「チクショー! なんでアンタ、アヤの姉弟子なんだよ! アヤもわりと丼勘定だけど、アンタは本当に、丼通り越してタライ勘定だな! 一品で誤差6万円って何だよ!」
その言葉に、エリカは真面目に目を丸くする。
「えっ? そんな高価なの作ったっけ?」
「これだよ! コンチクショー! 自分の作ったブツの価値が分かってねぇ!」
「石の声を聞いたら勝手に出来たのよ」
「これだから天才は……」
ボケたやり取りを交わした後、はいよ、とブレンドハーブティーが供される。
受け取って、においを嗅ぎ、エリカは軽く眉根を寄せた。
「……レモンマートルのブレンド量、減ってない?」
じろり、と後輩の夫を見やると、ばれた、と天井に視線を逸らされた。
「値上がりが酷いんだよ」
「ハーブティーみたいに、効能の変わるものでコレはいただけないわね……」
「店を再開する時には、注意書きをつけるとも」
こんなちょっとの変化で分かるのなんて、アンタぐらいだろうけどな、と、憎まれ口を叩きながら、リョウはグラスを磨きに戻る。
「リョウ君、お得意の紅茶を頼めるかね?」
曹氏がにやにや笑いながらそう言う。内定事項だ。
「茶葉は、どれにします?」
グラスを置き、カウンター向こうの、ずらりと並んだ紅茶の缶を示す。
「今のわしを読んで、決めてくれ」
「じゃ、失礼ですけど、お手を拝借しても?」
「おう」
何という様子もなく、曹氏は右手を差し出し、リョウはそれを凝視する。
「セントジェームズ、セカンドフラッシュのBOPにしましょう」
「ウヴァか。何故それを?」
「カフェインの強そうな感じをお好みのようですから。ただ、曹大人は渋みの強すぎるものはお嫌いだったので、柔らかさもあるものにしました」
砂糖は絶対に入れないでくださいね、と念を押しながら、滑らかな手つきで黒い缶を開封し、茶を淹れる支度をはじめる。リョウは、ハーブティーより紅茶の方を好む。
「よく覚えているな」
曹氏の感嘆を、リョウは作業への集中を言い訳に受け流す。
「客の情報も、『聴く』ものである点は、魔術や魔法と変わりません」
「そして、中立を維持する、と、遠回しに表明するわけか」
迂遠な嫌味を、リョウは、ええ、の一言で流す。
「曹大人、本当は台湾紅茶をご所望だったんでしょうけど、その注文を読んだからといって、今の僕が従うのは、立場として問題が生じますので」
「よく言う。それでセイロン・ウヴァを選ぶあたり、実にひねている」
「ひね者の自覚はありますよ。魔術師としては、異端もいいところですしね」
慎重な手つきで、湯を流しつつ、リョウは答える。
「金丹から錬金術で、専攻も不老薬の合成から、合成物質の錬成に移した、な……逆の道を通る者は多いが、お前のようなのは確かに珍しい」
曹氏の言葉に、そうよ、と劉老師が加担した。
「結構、素質高かったのに、勿体ない」
「適性が高いということと、それをやりたいかというのは、無関係です。持っている才能を腐らせる自由、というものも、この国では自由権に認められますので」
「大陸では出ない発想ね。宝を持ち腐れる権利は、基本、ないものね」
ねぇ? と同意を求められて、そうだな、と曹氏は頷く。
「ゴールドスミス門下が、よくお前のような風変わりを受け入れたものだ。約300年続く、欧州ではそこそこ古い魔術結社だろうに、未だに新風を許すとはな」
「エリカさんの口添えがありましてね」
「え? 私、そんなのしたっけ?」
「錬金術系の反応安定促進術で、論文を執筆したでしょうが」
じろ、と後輩の夫ににらまれ、エリカは記憶を検索する。
「……冶金かじってる時の副産物に、書いたような気が、しなくもない」
リョウは、これだから天才は、という苦々しい顔をした。
「その論文、名義は僕とエリカさんの共同執筆になってるんですよ」
「へへえ!」
自分の名前も入ってはいるが、本人の知らないところ(仮)で論文が共同名義で発表された挙げ句、留学を認めるのに使われていた、という事実。普通の研究者なら、業績の横取りとして怒るところなのだが、あいにくとエリカである。役に立てたのねぇ、の一言で終わった。
「今は多分、それより複雑な論文も書けるけど、いる?」
「アンタの複雑は、複雑というレベルで収まらんでしょうが!」
ぽいぽいと業績を丸投げするのは、真面目な研究者には狂気の沙汰であるのだが、あいにくとエリカは、そういう標準からは、大きく逸脱している。証明の中間手順を「わかるよね?」の一言で、常人には追いつけないレベルで省略する数学者のような、ロクデモナイ思考回路の人間だ。ね、簡単でしょ? んなわけあるか。
「皆が分からないわけが分からない」
「これだから天才は!」
「私の知能指数は、スコア200満点で、160しかないぞー」
「WAIS-4だろ、それ」
「いや、WAIS-3だけど」
アメリカで考案された、知能指数測定法である。ちなみに4は3の改良版だ。
平均的な人間の知能指数を100と設定し、最高値を200に制限して、その中での位置づけを算出する。この計算方法では、かのジョン・フォン・ノイマンも200で止まる。どう考えても200で収まる気がしない人物だが、計算上はそうなる。
「どっちにしたって、標準偏差型の測定法じゃないですか。アンタは魔法・魔術方面の、数値化の難しいところに偏ってんですから、そういう類のテストで計測した値なんて、あんまり関係ないでしょうが」
リョウが曹氏に、紅茶を差し出す。その横で、同時に別の茶を淹れていたことを、エリカの鋭敏な嗅覚はかぎ当てていた。
「ま、冷戦状態に入ったとはいえ、第一師匠ですからね」
そんな言い訳をしながら、リョウは劉老師に、台湾の蜜香紅茶を差し出した。
「これ、ひょっとして『あーん』を催促されているのかしら?」
「お好きなようにドウゾ。とりあえず、どちらも砂糖は禁止ですよ」
知ーらね、という顔で、リョウは視線を逸らした。
「いただくよ」
紅茶を一口、口に含んで、ゆっくりと口中で転がし、そして嚥下する。
「……ふむ。たしかに、これは砂糖を入れたら、大惨事になるな」
「前、アヤが入れましてね。腐った沼のようなおぞましいイメージが出ましたよ」
リョウの言葉に、ほほう、と劉老師が面白そうに笑った。
「紅茶連想法を、相変わらずやっているのね……想起術の媒体に紅茶を使うだなんて、イギリス人も思いつかないわよ」
「インドの術師に、スパイスで似たようなことをやるのがいますがね」
「そっちの方が広範囲で効きそうなのに、本当に変人ね」
リョウはその評価をさらりと聞き流して、茶器の片づけに入った。
「……さて、では、本題に入るか」
曹氏が改めて、鷹よりも鋭い目を、エリカに向けた。
「『姫巫女』の身柄引き渡し、お前さんは妨害に入るそうだな?」
「善良な女子高生を誘拐する気ですか。いくらあなたでも、手が後ろに回りますよ」
しれっと、エリカはその鋭い視線をかわして、太々しく言う。
「最悪、血液サンプルだけでも構わんのだがな」
何とも薄気味の悪いことを、平然とのたまう曹氏。
「何ccです?」
「最低400だな。できれば800欲しいが」
献血車みたいな単位である。
「一気に800も抜いたら、大の男でも死にかけるんですが」
「だから、最低400だと言っている」
「400cc渡したら、誘拐かそれに準ずる行為からは、手を引くと?」
曹氏は頷いたが、余計な注が加わった。
「下級構成員の動きまでは、責任を負えんが」
要するに、今日みたいな暴走事件が起きても知らん、ということだ。
「……組織の幹部なら、下っ端の動きにも気を配りましょうよ」
「何千万人監視させる気だ? 白澤でもあるまいに、そんなに多くの目はないぞ」
神獣の名前を引用して、無茶振りであることを強調された。
「さらりと千万人単位とか、いつの間にそんな拡大してるんですよ……本気で王朝交代する気ですか?」
さすがのエリカも、ぶるりと背筋を震わせる。
「本気で交代させる気でなければ、こんな骨肉相食む『計画』は立てんよ」
多少は、肉親の情があるようである。
その『計画』を実行させている時点で、情もへったくれもないが。
「……孫先生は英明であられた」
この暴走を読んで、止めるために命を繋いでいたのなら。
だが、曹氏には、単なる昔語りと思われたらしい。
「死人のことを延々持ち出してくれるな。孫兄はたしかに傑物だったが、あれはやはり本省人だった。大陸に介入する気骨とは、縁がなかったのだ」
完全に、闇堕ちした人間の言だ。
「私の所属する『水晶の魔女』一門では、魔法も魔術も、俗世での力のために振るってはならない、というきまりがあるのですがね」
「術式は応用させてもらうけれども、入門をした覚えはないわね」
劉老師は、飄々とのたまった。
「ええ。『歴史の魔女』マヤがご存命だったら、劉老師、あなたの入門は、政治的な問題を抜きにしても、認めたりはしなかったでしょうよ。世俗の事柄に力を使う人間は、『水晶』の一門には入れない……リョウの仮入門だって、ギリギリだったんですからね」
基本的に「水晶の魔女」一門は、「歴史の魔女」マヤの師であり、「詩歌の魔女」マリの父親であった魔術師の事例から、政治的中立を原則としている。徹底的に「魔女」の道にこだわり、魔導連盟所属の組織と付き合いはあるものの、「魔術師」との交流には大きく制限がかかっている。
魔術師のリョウが、アヤとの結婚を認められたのは、実に例外だ。
「……やれやれ。お前さんたちの一門は、本当にお堅い」
曹氏は、口振りとは裏腹に、実に楽しそうに、首を左右に振った。
「そういう組織だからこそ、信用できる部分もあるのは確かだ」
曹氏は宙を、人さし指でなぞる。
「……と、いうことは、銅鏡で手を打っていただけると?」
「それだけで引っ込んだら、大陸の商人が聞いて呆れるよ……もう一声」
ピッ、と人差し指を立てて、交渉が始まった。
「あの饕餮文を見て、まだ寄越せと言いますか」
エリカは頭を抱え、恨めしげに中国商人をにらんだ。
「最初に良い札を切りすぎたな。もうちょっと悪い札から切り始めるべきだった……あの紋様が示す程度の呪術なら、いつでも行使可能だと、自分から暴露したのだから」
「私の血でも寄越せと?」
うんざりしながら言うと、曹氏は予想外に食いついた。
「それは実にいい案だ」
冗談半分ででも、言うんじゃなかった、という話である。
「……私の血、多分『計画』には使えませんが?」
「だが、研究対象としては、非常に興味深い……『十七国計画』主導者としてではなく、一研究者として見れば、お前さんの『血統呪術回路』の方が、よっぽど『姫巫女』より面白い」
ふふ、と、身長を抜きにすれば渋いロマンスグレーの顔に、良い表現をするならば、好奇心旺盛な少年のような笑みを浮かべて、曹氏はそうのたまう。
「何せ、わしの『鑑定』を、全力で発動させても、お前さんの能力は、底が見えん……美々の回路ですら、わしの能力でならば読み解けるのに、だ」
ちなみに美々とは、曹氏が劉老師につけた愛称である。
まぁなんとも、愛人を扱うような呼び方だ。
中国語で「愛人」というのは、日本語の「愛人」が示すような「おめかけさん」の意味はなく、一般的な「恋人」のことをさすが、どっちにしたって、ロマンスグレーなおっさん(※身長はスルー)と、二十歳そこそこの若い娘(※外見のみ)の組み合わせは、普通のカップルというより、パトロンと愛人の関係に見えることだろう。当の本人たちが、まったく、これっぽっちも気にしていないのだが。
というか、他人との話題にする時に、愛人用っぽい愛称はアリなのだろうか。曹氏の独自基準ではアリなのかもしれない。大陸全体でどうだかは知らないが。
「私には『鑑定』能力はないけど、あなたがそう言うなら、よほど深いのね?」
「ああ。まるで、世界中の呪術師の遺伝子を、故意に組み合わせたような複雑さだよ。クローンを作りたくなるぐらいだ」
また物騒なことを言い出す。
「見えている限りで、ヤマトの神道系呪術、アイヌの伝統呪術、我々漢族の道教系仙術、西欧の魔術、東欧の伝統呪術、オセアニア地域の土着呪術回路まで入っている……もっとも、根幹をなしているのは、中東地域を発祥の地とする、一連のセム系呪術だが」
びくっ、と、エリカは身を震わせた。
「……ヤマトの回路が、見えている限りで3回路。他も、見えている限りで、アイヌが1回路。漢族の回路は5回路以上ある。一番強力なのは、お前も知っているとおり、殷……大邑商の、王族の血統呪術回路だな。占いへの適性が抜群に高いが、凶報の受信にやや特化している。西欧の魔術はさらに複雑で……」
カチン、と、あえて大きな音を立てて、エリカはカップを置いた。
「人を解剖するのは、その程度にしていただけます?」
「この程度、解剖したウチに入らんだろう? 君の素質は、実に深遠だ」
曹氏は、何を言われているのかさっぱり、という顔である。
術師同士の駆け引きでは、先に頭に血が上った方が敗北する。これは鉄則だ。
しかし、今怒らずに、いつ怒ればいいのだ。
「……お察しの通り、魔術キメラ体ですよ、私は」
トンッ、とエリカはカウンターテーブルに、銀の杖を突き立てた。
「可能性継承者にして『万象を保管する器』……それが私です」
おおー、と、珍しく劉老師が驚嘆の声を上げた。
店内の術師連中の視線も、エリカに集中する。中には嫌な感じもある。
まぁ襲われたところで、ここにいる連中のほとんどは、瞬殺してお釣りが来るぐらいに、エリカは強力である。苦戦するのは、曹・劉のコンビぐらいだろう。ホームフィールドの先導権がある限り、少なくとも敗北はないだろうが。
「珍しい! 可能性継承者なんて、閉鎖伝統共同体から、基本的に出ることなんてないのに……」
「老師、20世紀は、人口移動の世紀です……そして戦争の世紀でもある」
じろり、とエリカさんの目が暗さを増した。ははぁ、と老師は納得する。
「で、『共同体』の外に出たが最後、あなたは『孤独の魔女』ってわけね」
そして、半分ほど飲み干した蜜香紅茶を、はいどうぞ、と曹氏のカップと交換する。ナチュラルにいちゃいちゃしているようにしか見えない。
「……さすがにセントジェームズは重厚ね」
「すまんな、美々」
と言いながら、ありがたく、交換されたカップに口を付ける曹氏。
爆発してろリア充、と思いながら、エリカはハーブティーの残りを含む。
「で、結局、お前さんは血をくれるのかな?」
「鑑定されたら、日本の防衛が危ない気がしてきましたので、やめます」
エリカは自称「日本呪術界の最終防衛兵器」である。実際それに近いが。
「なんだ、ケチくさい」
「そっちが吹っかけすぎなんですよ……じゃ、これでどうです?」
ごとん、と、エリカはポケットから小さな金属玉を取り出し、テーブルに置く。実は、治癒のついでにマイから失敬した血液が、付着している。
曹氏が「鑑定」を発動した。
「……微量だが、『姫巫女』の血だな」
「これをまず培養して下さいよ。もうこれ以上は妥協しませんからね」
ふむ、と少し考え、曹氏はニヤリと笑った。
「悪くない。交渉成立としよう」
ああ、『十七国計画』本格始動だな、と、エリカもリョウも内心で感じた。
今日は開戦の夜だ。
華僑系術師のラスボス、曹文宣も登場して、終幕。なんとも「俺たちの冒険はこれからだ!」的な終わり方ですね。
これ連作だから、いいんだよ……といいつつ、この二人の御大については、ガッチリ出てくる作品はもうない気がしますが(過去編以外)
マイちゃんのレア適性の謎や、エリカ様の桁外れの強さとかを書けたので、今後の進行に必要な描写は揃ったかなと思います。
あと、出てこなかったけど、アキ先輩にも血統系の呪術回路はあります。平安中期の発現なので、実はギリギリ1000年あるのですが、後輩のがえげつなすぎて、いまいち有り難みが薄い。不憫。
アヤ先生にも血統呪術の回路は備わってますが、先天の回路を使うより、自分で新しい術式を開発するのが好きなので、かなり埋もれている。「魔道士」と言いながら、実は「魔法」に対しては最も「魔女」らしいスタンス。
曹大人と劉老師は、別にリア充な関係ではありません。そう見られても「別に?」と気にしない程度に肝の据わった、ただの共犯関係。
……あ、闇堕ちきっかけ話ってのがあったんだわ……まぁそれはまたいつか。




