こんな夢を観た「大理石の壁」
いつも人通りの激しい駅ビルは、よく見れば色々と発見がある。
たとえば、インフォメーションのある1階のフロアは、周囲の壁が磨き上げられた大理石でできていて、四方どこを眺めても、この世に2つとない模様が見られる。
実はこれらの模様、遙か大昔の生物たちの化石なのだ。
「見てください、むぅにぃ君。ここに練り込まれているのは、アンモナイトですよ。アンモナイトは今から4億年ほど前、デボン紀に繁栄していた軟体動物でしてね、この美しい螺旋状の殻が特徴なのですよ」志茂田ともるが熱弁を振るう。その彼がいとおしそうになでさすっているのは、大勢の人が行き交う通路に面した壁だった。
すれ違う者は皆、薄気味悪そうに志茂田を見る。
「ちょっと、志茂田。ほら、変な人だと思われてるよ。そんなに興奮しないでったら」わたしは小声で注意をした。
「あ、いやあ、これはわたしとしたことが」志茂田は頭を掻く。「なんせ、ここの大理石があまりにもすばらしいもので。ここまではっきりと残っている化石など、本当に珍しい。この壁それ自体が、本来なら博物館に収められるべきものなのですよ」
「ふうん、そういうものなんだ」わたしは半ば上の空で答える。鉱石だのなんだのに、あまり関心がないのだ。
「石が化ける、と書いて『化石』と呼ぶのですよ、むぅにぃ君。実に神秘的じゃありませんか」そんなわたしに、どうにか興味を持たせようと、志茂田は畳みかける。
「でも、それって生きてないじゃない。死骸みたいなものなんでしょ?」
「化石が生きていないって、あなたはおっしゃるのですね、むぅにぃ君」鼻を鳴らしながら志茂田が言う。
「だって、化石だし……」
「生きていますとも。化石が死骸だなんて、誰がそんなばかなことをあなたに教えたんでしょうね、まったく。さあ、こちらへ。そうそう、反対側の壁です。もっと凄いものがあるんですよ。それをお見せしましょう」
そう言うと、わたしの手を引っ張って、人混みをかき分けていく。
その壁も、一面に複雑な紋様が絡み合うようにして刻まれていた。さっき、志茂田にレクチャーされたおかげで、それらが化石であることが、一目でわかる。
「こっちも、たくさん化石が混ざっているね」わたしは言った。
「見るべきところはこの部分です」志茂田はしゃがみ込んで、壁の下の方を指差した。
手のひら大の三葉虫が2匹、くっきりと浮き彫りになっている。1匹はやや青みを帯び、もう1匹は薄いピンク色をしていた。
「特大のワラジムシみたい」とわたし。
「いいですか、むぅにぃ君。こちらの青い方が雄、ピンクは雌です」
「そうなんだ」
「2匹の後の辺りをよく見てください。何か気づきませんか?」
志茂田に言われ、じっくりと観察をしてみる。うっすらと、引きずったような線がついていた。
「カタツムリが這った跡みたいだけど」
「その通り!」志茂田が嬉しそうに叫ぶ。「彼らは今も、この大理石の中で生きているのですよ」
「えっ、そんなまさかっ」わたしはまじまじと三葉虫を見つめた。息を潜めて凝視しても、動いている様子はない。
「わかりませんよ、そんなことをしたって」志茂田が笑う。
「どういうこと?」わたしは聞いた。
「この三葉虫のつがいは、わたし達とは異なる時間を生きているのです。壁の中を、数十万年かけて、ようやく1センチ進むのです」
「数十万年もっ?!」わたしは気が遠くなりかけた。
「今、この2匹は互いに恋に落ちていましてね、プロポーズの最中なのですよ。這い跡が、相手に寄りそうように続いているでしょう?」
どこからともなく始まっている跡を辿ると、迷ったり引き返したりしながらも、だんだんと近づいていき、こうして並んでいた。1センチで数十万年というなら、ここに至るまで、いったいどれくらいの歳月を必要としたのだろう。
「壮大なロマンスだなぁ」わたしは思わず溜め息が漏れた。
「ね、そうでしょう。2匹はやがて結ばれるでしょう。そして、愛の結晶が生まれるのです」
「それはいつ頃になると思う?」
「そうですね、1億年後か、それとも10億年かかるかもしれませんねえ」そう答える志茂田には、遠い遠い先の映像が見えているかのようだった。
「壁、残っていて欲しいなあ」わたしは祈るような気持ちで言う。
「ええ、そうですね。わたしも、心からそう願いますよ」
どこにでもある大理石の壁。その片隅でひっそりと語られる愛の物語。
忙しそうに行き交う駅で、今日も静かに佇む。