1) そして見知らぬ場所で
よろしくお願いします。
『おい!! 目を覚ませ!! みちる!!』
ううーーーー
誰かが私の名を読んでいる。
『やっぱり聞こえないか!! 気をしっかり持て、起きろ!!』
誰だよ、うるさいなぁ………まだ、眠り足りない……の、に……
昏睡状態の私には、その声はかなり遠い。
『早く目を覚まさないと、大変なことになるぞ、みちる、みちる!!』
聞き覚えのある男の声――心当たりは一人しかいない。
「も…うう………まだ、眠い……あらた……」
昔から、朝に弱い私を起に来る隣家の幼馴染に、いつものように起床の拒否の旨を伝えると、布団をかぶり、再び惰眠を貪る。
『な……!!おまえ、よりにもよって、俺とあんな奴を間違えるな!!何を考えてるんだ、というか、なんで普段、あいつに起こされてるんだ、みちる!!』
なんだか私を起こすための声が、目的の逸れた怒りの声に変わっている気がする。
夢現にそんなことを感じながら、私は更に深い睡眠の底へと舞い戻っていく。
『こら!!みちる!!寝るなって!!やつら、お前に………』
だめだ、どうしても眠い。
ごめん、新汰。もうほんの少しだけ、眠らせてもらいます。
そしてその深い眠りから目が覚めた時、私は今までのどんな寝坊よりも、その二度寝を後悔することになる。
「やっと、目が覚めたのね。良かったわ」
いつもと感触の全く違う、ふわふわの絶妙なスプリングに包まれて、私は目を覚ました。
いつもと違う。
そう、ここは、イツモノバショデハナイ―――
なぜそう感じたのか……それは、ベッドのスプリングだけではない、目を開けた時に最初に視界に飛び込んできた、眩しい存在のせいだった。
「え………?」
見知らぬ外国人さんが、私の部屋に入り込んでる?
凹凸のない地味フェイスをもったザ日本人な我が母上様が、金髪のアンジェリーナ・ジョリーに見えてしまってる??
それとも、間違ってどこかのテーマパークで眠りこけてしまっていた???
どれも、現実味がない。
しかし、そのどれかに当てはまらなければ、今の私の予測を超える事態が起こっている、という答えしか導き出せない。
……そして無情にも、現実はその四番手の選択肢だった。
「あ、急に動かないで、まだどこを悪くしているのか、わかってないんだから。……頭も、あげないで安静にして……すぐに医者を呼びますからね」
金髪のマレフィセントは、私にも問題なく聞き取れる流暢な日本語を話していた。
どうやら私は、頭かどこかを打ったらしい。
それは単なる希望的推測ではない、かのマレフィセント夫人が、「頭を動かさずに安定に」と言っていたのだ。どこかにこぶでもあるのかもしれない。だから幻覚が見えちゃってるのかな?
「あ、……あなた、は……?」
起き抜けだからか、声が出にくい。
かすれた声で、自分の声をなんとか搾り出すと、マレフィセントが私の唇に、軽く人差し指をあてた、
「大丈夫よ、まず、体調を戻すことを最優先に考えて」
体調? 私、風邪でもひいてましたっけ?
マレフィセント夫人のそばには、一人の少年がいた。
少し太い眉にほんの少しだけ垂れた目が母性本能をくすぐる美少年だった。
そういえば、夢現に誰かに揺り起こされていた記憶がある。
咄嗟に幼馴染の新汰の仕業か、と思っていたが、どうやら違うようだ。
マレフィセント夫人の声を聞き間違うとも思えないが、あれは確かに男の子の声だった。
「……ずっと声をかけ続けてくれていたのは……君?」
少年に向かってそう問いかけると、まさか自分が話しかけられると思っていなかったのか、彼は驚いて目を見開き、真っ赤な顔で首を横に振った。
どうやら違うようである。
「まあ、モリオンったら……感心ね。私が席を外しているあいだも、熱心に看病していてくれたのね」
マレフィセント夫人は、否定する少年……どうやら、モリオンというのが、彼の名前のようだ……ににっこりと微笑み、頭を撫でる。
どうやらこの関係を見る限り、モリオンと呼ばれた少年は、マレフィセント夫人の息子のようである。
「おやめください、母上。私は異変がないよう、注視していただけで、彼女に話しかけたりはしておりません」
案の定、マレフィセント夫人に向かって「母上」と呼びかけたモリオンは、しかしして私の予測を裏切るキーの高い声を響かせた。
もしかしたらまだ声変わりを迎えていないのかもしれない。
西洋人は老けている、とよく言うが、もしかしたらまだ小学生くらいの年齢かもしれない。
どちらにせよ、その声が夢の中で私に呼びかけていた声とは似ても似つかぬことであることは確かだった。
もともと「どこかで聞いたことがある」と私の記憶に訴え掛ける声だった。
こんなシンデレラ城のような非日常の光景の中に、私の懐かしい記憶があるわけもない。
「じゃあ……」
キュイーン。
言葉を発しようとしたちょうどその時、お腹のあたりから不思議な音が響いた。
「え?」
私は途端、顔を真っ赤にする。
お腹が鳴った?それも、こんなに大きな音で?
ベッドのそばにいるマレフィセント夫人たちに今の音が聞こえていないわけがない。
どう言い訳しようか、と冷や汗をかいていると、マレフィセント夫人がそれまで見せていた優しい笑顔をすっと引っ込めて、少し冷酷ともいえる視線で、私のお腹のあたりを睨みつけた。
「まったく……どうやっても貴方から離れないつもりみたいね……執念深い竜らしいわね」
離れない?竜?
どうやら私のお腹を、というよりも、そのあたりにいる何かを睨みつけているらしい。
私は起き上がれない頭を少しだけ持ち上げて、軽く羽織られた薄布団のお腹のあたりを見る。
「……!!リュウノスケ!!」
そうだ、思い出した
私はこの子を探して竜鱗樹に吸い込まれたんだ。
私のお腹の上には、マレフィセント夫人の髪の色に似たリュウノスケが鎮座しており、私と目が合うと、その瞳は少し嬉しげに震えた気がした。
「どうやって追い払っても、あなたのそばを離れないのよ……縁起が悪いわ。ねえ、その竜の子、山にでも帰せない?」
夫人に言われて、私はすぐに首をぶるぶると横に振った
「すいません。助けてもらったのに、申し訳ないんですが、この子は私のペットなんです。家に帰してもらえたら、きちんとゲージに入れられるんですが……」
今までも、爬虫類嫌いの人からの反感は、山ほど買ってきた。
もちろん私としても、人を不愉快にさせることを喜ばしくは思っていないから、苦手な人の気持ちは最大限に考慮しようといつも努めている。
それこそ幼馴染の新汰が爬虫類が嫌いで、リュウノスケが半径1m以内にいると鳥肌が止まらない、ということを知ってからは、彼が来るときにはリュウノスケをゲージに入れていたし、反対に彼と会いたくない時にはリュウノスケを放し飼いにしていた。
そのせいか、新汰はリュウノスケに対して「苦手」から「嫌い」へと意識を変えていってしまったらしく、私がリュウノスケの話をするだけで、顔をしかめるようになってしまった。
まあ昔から勝手に人の部屋に入り込んで好き勝手する新汰を牽制するのには、ちょうど良かったのだが。
「仕方がないわね。あなたがそういうのなら、無理に追い出したりはしないけど……でもね、ルチル、いくらこの王宮内が障壁に守られていて、それがまだ赤ん坊とはいえ、その竜の子がいつ、仲間を呼び寄せるかわからないのよ?」
マレフィセント夫人は私がリュウノスケを庇ったことに「案の定」とでも言うような視線をリュウノスケに向けた。
どうやら彼女は、爬虫類嫌い、というわけではないらしい。
しかし、今告げられた言葉には、いくつも不審な言葉が混ざっていた気がする。
――王宮?
――障壁?
――竜の子?
――――――――ルチル?
「安心して、この陽妃宮は、王宮内でも最も安全な宮と言われているわ。――王の棲む、聖王宮よりも、もしかしたら、ね」
――王宮……
つまり私は、どこかわからないが、王様がいる国にいるらしい。
テーマパークの中のアトラクションでない限り、私はその王様の住まうどこか一角の部屋で、目を覚ましたと言える。
言える、が………
どういうこと?
「モリオン、すぐにライリーをここへ」
「はっ!」
少年モリオンは、マレフィセント夫人の指示に素早い反応で頭を垂れ、足早に部屋を出て行った。
う〜〜ん。
どうやら誰かを呼びに行ったらしいが、願わくばその人物が、この状況の説明役でありますように……