4) そして思い出の庭で
一応一区切りです。
次回は次の週明けに予定しております。
もうその場を訪れるものは数少なくなっていた。
10年前のあの悲劇の日から、そこは誰にとっても忌むべき場所であり、けして一人では足を向けたくない場所となっていた。
しかし彼女は、彼女だけは―――
他の誰もが目を背けるその場所を、慈しみ、大切に思っていた。
時間ができれば花を携え、訪れる。
そしてあの悲劇で行方知れずとなってしまった愛おしい少女のことを憶い……
少女の姿を、探し求めるのであった。
「見て、ルチル……綺麗に咲いたわね」
その日も彼女は、いつもの場所へと向かうために、少女に捧げる花束を用意していた。
「母上、またあそこへ赴かれるおつもりですか?皆が今日は特に危険だと噂しております、おやめください!!」
末子のモリオンが、嬉しそうに花束を眺める彼女を諌めるが、彼女は構うことなく立ち上がる。
「モリオン、危険なことなんて、何もないわ。あの日以来、私は10年も……一人であの場所を訪れているけれど、悲しいことに猫の子と出くわしたことすらないほどですもの」
本当ならば、出くわしたい。
出会いたいとすら、願っている。
眉をしかめる息子に笑顔を見せて、彼女は青白く痩せこけた、大切な従妹のことを思い出す。
愛娘の悲劇以来、笑うことが少なくなってしまった従妹は、2年前に、唯一残った息子が不慮の事故で命を落としてしまってから、とうとう病の床に臥せってしまった。
どうすれば彼女を元気づけられるのか―――子供を二人とも失ってしまった母の気持ち――自分には、4人の息子がいる。どれも殺しても死にそうにないくらい頑丈で、ふてぶてしく育ってくれているおかげで、杞憂など微塵もなかった。
周囲からは問題児、と見なされている三男ですら――彼の動向に、一抹の不安も抱いていない。
確かに無茶をする性格ではあるが、自分が正しいと思ったことを貫き通し、弱者をいたわる優しい心をしっかりと持った人間に育った。
母としては失格かもしれないが、不幸と不運に押しつぶされそうな従妹の姿を見ていると、自分の息子たちのことなど、心配するに値しない、と思えてくる。
確かに、大切で愛おしい息子たちではあるが……
『かあねえさま、ワタクシ、このお花、大好きなの。だって黄金色に輝いていて、とても眩しくて……まるでかあねえさまの御髪の色みたい』
まだ舌っ足らずの口調で、それでいてハキハキとした心地よい声で、自分の髪の色に目を輝かせていた可愛い少女……大切な従妹の愛娘、ルチル……
自分に娘がいない分、従妹と二人でルチルをとても可愛がっていた。
そしてルチルも自分を「かあねえさま」と呼び、慕ってくれていた。
なのに―――――
あの10年前の悲劇が起こったその場所へ、ルチルが好きだと言ってくれた、自分の髪の色と同じ黄金色の花を携えて訪れる。
王宮の中でも一番静かで、神秘的で、この国の象徴とも言える竜鱗樹のそびえ立つ庭……少女が消えたその樹の根元に、花を供えるために………
「母上!今日は日が良くない、と皆が申しております!!竜たちが騒がしい、と……」
モリオンは仕方なく母親の後を追ってきたが、空を見上げてはそわそわとしていた。
しかし彼女は息子の言葉に惑わされることもなく、ニコニコと花束を見つめ、歩を進めていた。
「大丈夫よ、モリオン。爺やたちは心配性なだけだから……今まで10年間、何度もそんなことを言われたけれど、ちっともおかしなことなど起きなかったのよ?」
反対に、なにか起こってくれた方が、手がかりがあるかもしれないのに。
心の奥でそう思いながら、彼女は回廊から庭へと足を踏み出した。
あの悲劇の日――モリオンはまだ4歳で物心もついていなかったが、それでも王宮をひっくり返すようなその事件や、その後の騒動は記憶に残っていることだろう。
王女ルチルの失踪と、その原因となった竜の暴走―――
今日はあの日からちょうど10年になる。
兵たちが警戒しているのは、王宮の北面を取り囲む竜の峯に棲む竜たちが、今朝方から空を飛び回り、声をを上げていること――
王宮中の……いや、民衆でさえ知っている、10年前の悲劇。
ちょうど10年目のその日に竜たちが騒いでいることに、皆が動揺を隠しきれないらしい。
(それなのに、母上ときたら――)
今日に限っては、あの場所へ行かぬように、と厳命を下した父の話にも聞く耳を持たない。
仕方なく、父に母の監視を委ねられたモリオンは、自分がどうやって母を止められるものか、と父に不満を持っていた。
母上を守りたいことは、確かだ。
しかし、母上が自分の言葉を聞いてくれるようなお人だったら、とうの昔に父の言葉に従っていたことだろう。
まだ、長兄のレイアタートに頼んだほうが確実だろうに――
「あの人も薄情ねえ。自分の愛娘の消えた日に、花を備えにすら来ないなんて……」
自分の夫であり、このバアル王国の国王であるものの言葉すら、一蹴してしまう王妃……
王妃ライアは、息子モリオンを従えて、庭の奥へと突き進む。
そして、見つける―――――
「まさか―――――――――」
黄金の髪を揺らして、走り出したライア。
竜鱗樹の根元に横たわる人影に、大事に抱えた花束すら放り出して、駆け出した。
「―――――――――ルチル―――――――――!!」
10年前に竜にさらわれて以来、行方知れずとなっていた王女ルチルが、もしそのまま成長していれば、今は17歳になっている。そうあの横たわる少女と同じくらいの年齢で―――――
「キュイーーーーーン!!!」
少女は、胸に竜の子を抱いて、眠っていた。