あなたに恋をしたのよ
朝になって、何人かの知らない人に身支度をさせられた。
きれいなドレスを着せられた。王女様らしい、ご立派な装いってやつだ。伸ばしっぱなしの髪の毛も整えて、結われて、あぁ、鏡の中あたしってなんて王女様って感じになった。
そうしてきれいな馬車に乗る。
知らない場所に、このまま連れて行かれるんだ。
そこで首をはねるんだろうね。だからドレスに似合わない、あたしでも似合わないなって思うような手枷、足枷、ついでに首輪もあるんだよ。鎖がついて、自由もないんだ。
祭壇みたいな処刑場。赤いものは血なのかな。
あたしは促されるままに階段を、ゆっくりゆっくり登っていく。
もうすぐ終わる。
全部。
最後の最後にあたしが思いついてしまった願いごとは、きっと叶わないだろう。
こんなの迷惑になってしまうもの。怒らせてしまうだけだもの。
だから、全部持っていくことにした。言えないこと、言いたかったこと、全部全部綺麗さっぱり飲み込んでおくよ。それくらいできるよ、あたしだってそこまでバカじゃないんだよ。
言っていいことと悪いこと。
言うべきことと言わないほうがいいこと。
その区別は、できるんだよ。
だから褒めてよ、あたしを褒めて。
全部終わったらね、いい子って、してくれる――そんな夢を見たいんだよ。
ゆっくり進んだ階段の先にある、あたしの最後を招く場所。
そこをはっきりと視界に捕らえて、あたしは笑った。
狂ってるとか言われても、別にどうでもいいの。壊れていても構わないの。
目の前に、彼がいる。
だから笑うの。
「しょーぐんさん、こんにちは」
足を止める。
彼は、剣を抜く。きれいな剣、あたしをこれから殺す剣。
周りはとっても静かだ。
二人っきりみたい。あたしとあなたと、二人しかいないみたい。そんなこと無いのはわかっているんだよ。もしあたしがここで逃げ出したら、違う誰かがあたしを切り捨てるんだよ。
だからあたしは逃げない。逃げるなんて最初からしない。
ただ、笑うだけ。
視界がちょっとだけかすんだけど、あたしはちゃんと笑えたと思う。
笑えた、はずなの。
だけどあなたは、やっぱり笑ってくれないんだね。
――あのね、あたしは見たかったの。
微笑むあなたを、あなたの笑顔を見たかったの。
悲しそうな顔なんて、見たくなかったの。優しい人だから、慈悲深い人だから、きっと優しい顔をするのだろうなって思っていた。だから笑ってほしかったんだよ、あたしはずっと。
それからね。
言ってもムダだろうし、迷惑だろうし。だからこのまま黙っておくんだけど。そう決めて今も必死に、口をつぐもうとしているんだけど。最後にいいたいなって思う心を殺すけど。
だけどね、あなたの笑顔を見たいと思うくらいに、あたしは。
きっと、あなたに恋をしたんだと思うの。
恋を、できたと思うの。
もういいよ。
それだけでいいよ。
あたし、生まれてきた意味なんて無いと思ってた。一人で生きて惨めに死んで、そして終わると思っていた。ゴミみたいに捨てるなら、いっそ生まれる前に殺してくれればって思った。
だけど……こんな終わりがあるなら、生きてて良かった。
そう、思える程度に、満足なの。だからもう、いいよ。
さよなら。
ばいばい。
だいすき。
■ □ ■
振りおろした剣の重さを、覚えている。
何人も殺した。抵抗する騎士、兵士、片っ端から切り捨てた。彼らの中には何も知らないものがいたかもしれない、だがそんなことはお構いなしに、歯向かうすべてを殺した。
王を殺した。亡き王妃の亡骸にすがっていた王を名乗る男を殺した。
それを見て逃げ出そうとした側近を殺した。狂気に染まる王を放置して、私利私欲を貪って肥えた彼らに慈悲などいらない。生き残った者も、後ですべて首を切り飛ばした。
愛妾を殺した、何人もいた。彼女らは純粋な王族とは言いがたい、だが生かしておくこともできない。彼女らの存在もまた王を狂気に走らせた、すべて潰さねばいけなかった。
すべて殺した、何もかも殺して回った。
それが王命だったからだ。
あの国に巣食った病魔を、排除してくれと国王は彼に命じた。
だから王子も王女も殺した。
国王にとっては血の繋がった身内だが、それでも殺せと言われたから。
身代わりを立てて逃げ出した王女も、捕まえてその場で処刑したと聞いている。
こうしてあの国は、やっと一人の男の狂気から救われたのだ。
だがそれにより多くの人が、心に傷を残したが。
元々、両国には友好的な関係があった。かの国を滅ぼすように命じた王、その妹の娘を王妃として嫁がせるほど、長く親しく交流を重ねてきた国だった。
王は妻を愛していた。心から愛していた。だから愛妾を何人抱えても彼女にだけ子を産むことを許し、それ以外はすべて殺すか捨てさせていた。歯向かえば躊躇いなく殺したという。
それはいつからだったのか。最愛の王妃が死んでからだったか。
あの国は、ゆっくりと狂い始めた。
狂って、歪んで、国として壊れてしまったのだ。
他国に滅ぼされて、消えてしまった。
その立役者となった男は、王女の一人が身代わりにしたという娘に会いに行った。身代わりとは言うが、どうやら愛妾の一人が産んで捨てた娘らしい。似ているというのだ、王の母に。
王の母もまた暴君だった。だがそれでも国は守った、その程度にはまだまともな女王だったと聞いている。そんな女王に娘は似ているそうだ。祖母なのだから、似るのは当然だろう。
男は件の女王を知らない、だからその娘が似ているのか判断できない。
だが疑わしいならば、処刑するべきだろう。
向かった牢屋。彼女はそこで鼻歌を奏でていた。
どこかの民謡なのか、男は聞いたことが無い旋律だった。それがふと止まり、ずるずると這うような音がする。格子のあいだから、ひょっこりと顔をのぞかせたのは、一人の少女。
『おにーさん、だれ? えらいひと?』
かっこいいね、と笑みを浮かべるその屈託のなさに。
自分が殺してきた連中とは、比べるのも失礼なほどの清らかさに。
男は、息が止まった。止まりそうな衝撃を受けた。
気づけば彼女の助命を求め、どうにか数年ほどの延命を掴みとって。それからずっと、何とかならないかと周囲に働きかけるほどに、男はその少女を救いたいと願うようになっていた。
焦がれた。
強引に手に入れて、自分だけのものにしたくなった。
狂気に染まった王と、それ以外によって腐り落ちて滅んだ国の、ずっと一人ぼっちで生きてきたに違いない、名前すらない小さな姫君。誰かに愛されることを知らない少女。
己の運命を知りながら、彼女はそれさえも笑っていた。
そんな彼女を愛していた。
その温もりを、彼は愛してしまった。
だがそう気づく頃には掴んだ時間も残り僅かで、代わりにその手には剣を与えられ。亡国の名残とも言える最後の王女を殺せと、命じられた彼はやはり小さく頷いた。
それしかなかったのだ。
そうするしか、もう道はなかったのだ。
拒絶しようと拒否しようと、あるいは手をとって逃げ出そうとも。彼女の死は絶対で、避けられないもの。だったらせめて、憎悪以外で振るわれる剣で立たれる程度の温情を。
……いや、そんなことは結局建前なのかもしれない。
奪われたくないだけなのだ。
彼女を生かすことも、殺すこともすべて、自分だけのものにしたいだけ。
目の間に立った少女の笑顔をみて、彼はそれをしっかりと自覚し。
だから彼は、かつて王に賜った剣を握りしめたけれど――。
■ □ ■
その日、国一番の実力を持った一人の将軍が、国王に申し出た。
賜った剣を差し出し、職を持する――いや、国を出ることすら覚悟の上で。その腕の中にはきょとんとした様子の少女が一人。それが『あの』王女だと、すぐに気づく人は少なかった。
彼女を伴ない、彼女を横抱きにした彼は言う。
「王女として何の利益も得られなかった、利用されるばかりだった彼女の助命を。この上、あの国の愚策に乗って彼女を王女として処刑すれば、この国は同じ程度まで落ちてしまいます」
だから、彼女の助命を。
それでいて、自分に嫁がせろと、言い出したのだ。
王女となった彼女から、不必要なその位を外すために。
浮いた話の一つもないまま、それなりの年齢になった将軍の申し出に、国王以外は驚いて慌てふためいた。確かに件の『王女』は哀れに思う。だからこそ一思いにと思ったのに、だ。
助命したところで行く先もないのだ。
だったら、と、そんなことを思っていた。
そんな将軍を周囲は困惑しきった目で見て、国王の判断を待つ。国を一つ、大義があったとはいえ滅ぼすことを命じた国王は、だが意外にも彼はにやりと意味深な笑みを浮かべた。
「惚れたか、お前」
笑みを含んだその言葉を受け、将軍は黙する。
数年後、将軍は一人の少女を妻にした。
少し抜けたところのある、だがとても明るく笑う天真爛漫な少女を。
そして王の愛を求めた生母に捨てられその日その日を必死に生き延びてきた、名前すら与えられなかった王女は、生死はおろか存在すらも歴史の闇に消えたという。