名前の無いお姫様
かしゃん、かしゃん、と鎖が響く。手足、首に繋がれたもの。
そんな『歌』を奏でながら、あたしは階段を上る。
何も聞こえない。
ここには人がほとんどいない。
後回しにされたから、もう存在しないあたしだから。だから、誰に知られることもなく、闇から闇へゴミを捨てるように消してしまう。そうして何もなかったように、世界は動く。
あの人は、どこにいるんだろう。
どこかで見ているのだろうか、あたしを見ているのか。
あたしはあなたを、見ることはできるだろうか。
今の最期に――あなたを見ることは、許されるのだろうか。
あのさ。
今日、あたしは鳥になるんだ。名前の無い薄汚れた鳥でもいい、自由にどこにでも飛んでいける鳥になって、そしてあなたのところにもう一度帰るの。あなたの肩に止まるのよ。
だから、そんなあたしをどうか捕まえてほしいの。
今度はさ、ちゃんと歌うよ。
籠の中で綺麗に歌うよ。
だからさ、どうしても見たいんだ。資格が無いのはわかっているの。それでもこれがあたしの最後になっちゃうから、だから願ってもいいかな。
ちょっと怒られるようなこと、我侭なことを、あたしは願っていいかな。
あのね、あたし――。
■ □ ■
あたしは鳥だ。
綺麗なだけで歌いもしない鳥だ。綺麗かどうかもわからないけど、とりあえず綺麗ということになっている鳥だ。よくわからないんだけど、一応、毎日お風呂には入れているよ。
彼は飼い主だ。
綺麗なだけで何もしないあたしの。この国の悪い子なあたしを、なぜか守るようにしている怖い顔の優しい人。年齢はずっと大人だ。お父さん――ほどは、離れていないと思うけど。
あたしの国は滅んだ。
何も無い。
みんな、なくなった。
王様、王妃様――それからいろんな偉い人はみんなみーんな首をすぱーん。
こうしてダメダメな国の、ダメダメな連中は綺麗さっぱりいなくなった。
みんな喜んで泣いた。みんなみんな喜んだ。
だけど、まだ悪い子が残っていた。
この国をダメにした奴の、誰も知らない子供が一人生き残っていた。
隠し子だって、親がそうなら王族だ。くそったれ王の子供なら、本人がそこらへんのゴミ溜めで生きてきていたとしても、名前すらなかったとしても、それは王子だし王女なんだ。
あたしは隠し子だった。
父親は、少し前まで王と呼ばれ崇められていたクソヤロウだった。
実の娘を捨てさせて、女の愛を試したケダモノだ。
死んで当然だと思った。当然ながら女も死んだ。
だからあたしも死ぬべきだと思った。
真実を知った時、じゃあ死ななきゃいけないなって思った。あたしはあんなに苦労して、それでも必死に生きてきた。生き延びた。あたしより大変な思いをして、死んだ人もいる。
あたしはそんな世界を産んだ男の娘なのだ、生きている資格などないのだ。
だけど、あたしはなんでかこんなところにいる。
籠の鳥として。
彼の愛鳥として。
ここにきてから流れたあたしの日常は、これといって何も無い。
からっぽだ。
朝、ご飯改めエサを与えられる。それを食べる。早く死ななきゃいけないあたしに与えるにしては、ずいぶんといいものだと思う。味は……よくわからない。美味しいとは思うの。
だけどあたし、料理の味ってよくわからない。
食べられたらそれでよかった。
あたしは、ゴミのような捨て子だったから、いちいちご飯を選り好みなんてしない。腐ってなければそれでいい、食べられそうなら問題ない。美味しいとか、そんなの気にしなかった。
そうでなきゃ、生きていけなかった。
だってビンボーだ。
食べるためには、あたしだってなんだってやるさ。年齢的によしとけって言われて、でもいざとなったら自分を売ることだってしたよ。だっておなかがすいたは、悲しい。
お腹が満たされていれば、それだけで幸せだ。
それしか『幸せ』がなかっただけかも。
あたしがね、そんな生活をしていた間に、ガリガリだった間に。
だけどあたしの親は、ブタみたいにぶくぶくに太ってたなんて面白い話。
あたしの母は、ただの侍女だったらしい。
で、王に襲われて身篭ったらしい。……あれ、襲われたんだっけ、ハダカになってイロジカケして、自分から王に跨っていたんだっけ。忘れた。どっちでもいいや、同じことさ。
母は愛妾になりたがった。
当たり前だ、その方がずっと暮らしやすい。
王は一つだけ条件をつけた。大きなお腹を撫で擦る女に、言ったのさ。
それは、生まれたあたしを捨てること。
実はもう十人くらい、あたしには姉と兄がいた。全員が王妃の子供。常時十人近くいて、類型では五十人を超える愛妾に、子供は産ませないし産ませても捨てさせた。
嫌がったらどうなるかって?
お腹に剣が突き刺されて、普通に処分されちゃうんだって。
諦めるか、殺されるか、生んで捨てるか。
そしてあたしは捨てられたというわけ。あぁ、そういえば……母も父も、名前も顔も知らないんだった。肖像画も捨てられたし、でも別に見たくはない。どうでもいい人達だ。
それに二人とも、もうこの世にはいない。
母だった女も、父だった王も、処刑場に消えてった。
王妃も、愛妾も、王女も、王子も、みぃんな。
あたしだけが助かった。
捨てられて、ちゃっかり生き延びたあたしだけが生き残っていた。
なんで、捨てられたあたしが王女になったか。
簡単な話だ。
――本物の王女を、逃がすため。
王の首を跳ね飛ばした国とは、違う国に嫁ぐはずだった王女。
彼女を逃がす間の、おとりとして祭り上げられた。事情を知らない若い兵士が、騎士の装束を着てあたしを反対側へと逃すの。当然目立つ、そして捕まる。兵士改め即席騎士は、あたしが王族だという。だから触れるな近寄るな頭が高い、と相手に口走ってざっくりと斬られる。
そんなこんなで、あたしは王女として、牢獄に押し込められてしまった。
でもまぁ、これはこれでいいかなって思ったりもした。
どうせ、明日死んでいるかもしれない。そんな生活をずっと続けてきていた。
だったらまぁ、いいかなって。
なのにさ。
彼が、あたしを救った。
その人は、あたしの身なりが明らかに王女じゃないといった。他の王族と比べ物にならないほどに貧相な身体で、なおかつ名前も記録も残っていない。これはおかしい、という具合。
『紛い物の王女を殺す趣味は無い』
そんなことを言って、周囲の反対を押し切って。あたしは処刑されずに終わった。
無罪放免じゃなく、執行猶予みたいになったけど。
あぁ、それが今から……何年前だっけ。あの頃は枯れ枝のような腕とか足で、今はそれなりにお肉もついて美味しそうだ。あの頃に比べたら良い物食べてるし、当然かなって思う。
でね、処刑に猶予ってことは、いずれは結局執行されるってことさ。
あたしはきっとさ、もうすぐ死ぬんだろうよ。
だってあたしは王女様さ。
もう存在しない国に君臨していた、悪い王の娘。
たとえ、一度たりとも王宮で暮らしたことがなくたって。
そもそも王女として生きた時間なんてほんの数時間しかなくなって。
あたしがあのクソヤロウの娘であることは、明らかなわけなのさ。
なぜか。
それはあたしの見た目。あたしはよく知らないけど、みんながそっくりと言う。成長するほどにさ、あたしはそっくりになった。あのクソヤロウじゃーない。そのクソヤロウを産んで育ててかわいがって愛玩して、どうしようもない王を作った、もっと悪い女王の若い頃にさ。
隔世遺伝っていうんだっけ?
まぁいいや。
こうしてあたしは、名実外見共に、王女になった。あの人は、それでもあたしは国のことには関係ないと言ってくれたようだけれどね、それでもあたしは『王女』だから。
だからあたしは、やっぱ死ぬしか無いんだね。