ドラコと賢者とテーブルマナー
ドラコと賢者の日常の続編です。
「ふふぁぎ、ふまいふまい。フェフィふぁふぃがふぉ」
「おう。どういたしまして。けどよドラコ、喋るのは口に物が無くなってからにしなさい」
「ふぇーい」
セティの向かいに座るドラコは、テーブルにこれでもかと沢山並べられた砂ウサギの丸焼きを小さな両手で掴み、頂きますもソコソコに上機嫌でガブガブと貪った。
ウサギを狩ってきてくれたセティに礼を述べるのは良いことなのだが、ムシャムシャと食べながら言うものだから、ドラコの小さな口にパンパンに詰められた肉の欠片がポロポロとそこかしこに零れ落ちてしまっている。おまけに手と口の周りはウサギの油でべとべとになっているし、彼が着ているシャツとズボンも滴り落ちる肉汁でシミを作っていた。椅子とテーブル、床はもうセティが目を反らしたくなるほど汚れている。その様子にセティは些かうんざりしながら、材料採取にドラコを置いて行った代償は、意外にも高くついたのかもしれないと考え溜息を一つ吐いた。そうして彼は、今度こそドラコには最低限のテーブルマナーを教え込もうと、かれこれ幾度目かの決心をした。
セティの視線に気づいたドラコは口の中に入っていた肉を急いで咀嚼すると、ニコニコと微笑みながらセティに再度、美味しい美味しいと語りかけた。それに対してセティは良かったねーと返しながら、家の子はやはり可愛いなあとしみじみ感じていた。そうして彼はその様に子供を思うことが出来る自分に、人とはこうも変わるもんかと我事ながら感心していた。以前の自分であれば間違いなくその様に躾のなっていないガキは、家の外へ放り出していたことだろう。子供というだけでしかめっ面になるほど苦手だったのだから。いや、今でもドラコ以外の子供は苦手だ。けれどもセティがこのドラコにだけ甘いのには、出会った時のドラコの印象が未だに強く影響しているからだろう。
セティは捨てられていたドラコと亡者の道で出会った。当時のドラコはやせ細り、骨と皮だけで辛うじて息をしている状態だった。普段のセティならば、人外の子供が捨てられているとは珍しいこともあるものだと思いながら、その横を素通りしていたことだろう。ただふと目が合ったその子供はセティに助けを求めるでもなく、何の感情も映さないその全てに絶望した瞳を見過ごすことが出来ず、セティは強引に我が家へと連れ帰ってしまったのだった。
亡者の道に人間の子供が捨てられることはよくある。そこに子供を放り込めば、勝手に亡者がバリバリと食い荒らし跡形もなく消し去ってくれるのだから、捨てる方にとってはこれほどに都合の良い場所は無い。泣く泣く口減らしをされた者、邪魔だから捨てられた者、醜い利権争いに巻き込まれた者。捨てられた者の理由は様々だが、人外の子供が捨てられることは殆どない。人外の種族は絆が非常に硬く、特に竜は己の番と子は命を賭しても守ろうとする。それでもドラコは捨てられていた。その事実もまた、セティがドラコに甘く接する理由の一つでもあった。
「ドーラドラ、ドラコちゃんや。テーブルマナー覚える気ない?」
「や」
セティがドラコにそう提案すると、ドラコは速攻で否定した。彼曰く、本能のままに貪り食らうことが、一等美味しく食事が出来るのだそうだ。セティは常々それに賛同しかねるのだが、ドラコはそう主張して譲らないのである。堅苦しい食事は食事ではないと、つたない言葉で懸命に訴えてくるのだ。
堅苦しい食事というが、セティは決して優雅に食事を等とは求めていない。せめて周囲を汚さずに食べてくれればいい。もう手掴みで食べても構わない、それはとうに諦めた。ただ食後の仕事を増やさないで欲しい。毎食ごとに床とテーブル、椅子の掃除はしたくない。彼の願いはそれだけだ。
「そこなんとかなんない?お願いしますよドラコ先生」
「……やー」
困ったものだ。何なのだろうか、このドラコのポケッとした見た目に反する頑固さは。食べ方以外のことならば、大抵は素直に言うことをきくというのに。
竜の血が濃い竜人の寿命は長い。ドラコに至ってはほぼ竜といっても過言ではないほどに濃いのだから、その寿命は果てしなく長いはずだ。けれどドラコは一向に成長する気配のない、規格外の変な竜人であるから、いつまでもセティがこうして掃除をしてやらなければならないことを考えると、セティは思わずぞっとした。絶対嫌だ。そんなのやってらんねえ。それが彼の率直な気持ちである。
これは益々何とかしなければならない。セティは考えを巡らせた。どうにかして手で持てない貪り食えないものを、ドラコに与えることは出来ないだろうか。
竜の血があまりにも濃いせいなのかは分からないが、ドラコはあまり複雑な調理を施されたものは好まない。肉も魚も野菜も全て丸焼き、丸揚げ、ただ煮込んだだけが好き。細かく切られた材料は嫌いで、味はほんのり塩味があればいいが別になくても構わない。
セティは面倒くさがりなので、彼自身の食事もそんなに手の込んだものは作っていないが、その食事ですらドラコは嫌がるので、泣く泣くセティはそれとは別にドラコの食事を作ってやっている。今日のセティの食事だって、極々シンプルな砂ウサギと野菜のスープにパン、それに水牛のチーズと庭で採れた野菜のサラダだというのに本当に困ったものだ。
ん?待てよ。砂ウサギのスープいけるんじゃね?
セティは己の目の前にある、スープの器を両手でガシッと掴んだ。今日のスープは味付けが塩のみ、しかも薄味だ。塩が壷の中に殆どなかったのだが、ああ、もういいやと面倒くさくなったのでそのままあるだけで済ませたのが幸いだった。薄味で塩のみ、そして煮ただけの調理法。さらには熱くて手掴み出来ず、猫舌のドラコには直に飲み干すことも難しい。どのくらい猫舌かというと今ドラコが食べている丸焼きは、セティが焼いてやってからよくよく冷ましてぬるくしてやっているくらいだ。
セティは早速台所に行くと食器棚から木製のスープ皿を取り出し、そこに鍋から熱々のスープを具もたっぷりと入れて注いだ。再び食器棚の引き出しから木製スプーンを一本取ると、彼は食卓のある部屋へと戻った。
「ドラコ丸焼きばっかで飽きねえの?スープいらね?」
「いい。ドラコまるやき、たべるのいそがしい」
「え、ほんとにいらねえの?今日のスープすっげえ美味いのに?ほんとに?」
わざとらしくセティが何度も確認すると、ドラコはチラッと視線を彼に向けてうーうーと唸った。どうやらドラコは迷っているらしい。掛かったとセティは確信し、思わず口の端が上がってしまった。
「……うまい?」
「めっちゃくちゃ」
「ほんとに?」
「ほんとに。超美味いし」
「……じゃあ、いる」
完全勝利。その言葉がセティの頭の中で踊った。セティは砂ウサギの丸焼きを少し横に退け、ドラコの前に持って来たスープ皿とスプーンを置いた。
「いいかドラコ。そのスープすげえ熱いからさ、そのスプーンを手で持ってスープをすくってからふうってして食べろよ」
いまいちセティの言葉を理解できなかったのか、ドラコはスプーンを右手で握ったまま首を傾げた。このまま放っておくと確実に口の中を火傷するだろうと思ったセティは、ドラコの横に行くと彼の右手に握られているスプーンを正しい持ち方に直してやった。正しいとは言ってもスプーンの向きをスープがすくえるよう直してやっただけなのだが。
それからドラコの右手を持ってやってスープをスプーンですくい、セティはそれに息を数回吹きかけて冷ましてやった。ほれ、あーんと彼が言い、スプーンをドラコの口元まで持っていくとドラコはパクッと食らいついた。
ドラコはスプーンを口に入れたまま、モゴモゴと咀嚼していたが。次第に彼の羽がピコピコと動き出した。どうやらお気に召したらしい。
「セティ、うまい!」
「おう、良かったな。材料細かく切ってても美味いだろ?大きめにするから、今度は丸焼きも切っていい?」
「いいよー。うまうまー」
原始的な食事をしていたドラコがスプーンを持って食事をするだなんて、今日は何という喜ばしい日だろうかとセティは感慨にふけっていたが、彼はまだ気付いていない。ドラコの歯があまりにも強すぎてすぐに毎食ごとに食器が駄目になるということに。近々彼はミスリルかオリハルコンでスプーンとフォークを作ろうと試行錯誤することだろう。常人からすれば、その事のほうがはるかに大変だと感じるのだろうがこの賢者のことだ。面倒くさい手間が省けるのならばと嬉々として作るに違いない。
「セティ、スープおかわり」
はい、はいと返事をするとセティは、ドラコのスープ皿を持って嬉しそうに台所へと向かって行った。