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したたかな金庫

作者: さけみりん

「大ちゃん。本、貸ーしてっ」

 図書室の受付に突っ立っていると、突然、金庫が本を借りに来た。

 より正確に言うなら、金庫と呼ばれる幼馴染の女子が本を借りに来た、だが。

「米澤か。この前話した本なら、まだ貸出し中だよ」

「えぇーっ。せっかくタダで新しい本が読めると思ったのに……」

 肩を竦め、タダという言葉を強調しながら、彼女は言った。まるでタダでなければ価値はない、とでも言いたげに。

 そう。この米澤という少女は、とにかくケチで有名なのだ。

 気になる本があれば、友人知人果てはご町内の皆様からも本を借りまくり、返せと言われるまで絶対に返さない。遊びに出かければ、なんだかんだと周囲に払わせ「今日もごめーんね。今度は私が払うよっ」と茶目っ気たっぷりに言って煙にまく。かく言う俺も、彼女に貸した本の数や奢った回数は、既に指の数では賄いきれない。

 それでも自分を含めた彼女の友人達に「米澤ならしょうがないか」と、辟易しながらも許させてしまう、不思議な魅力を持った人物でもあった。

 そんな彼女の守銭奴ぶりに、付いたアダ名が『金庫』だった。勿論、本人には内緒だけれども。

「ま、残念だったね。でもせっかく来たんだから、ちょっとくらい手伝って行ってよ。そうだな、ここにある本を本棚に戻してきてくれる?」

「はーい!」

 お願いすると、金庫は気持ちのいい返事をして、持てるだけの本を抱えて本棚へと消えていった。こういう嫌な顔一つせず仕事を手伝ってくれるところや、犬のように懐っこいところが彼女の魅力なのかもしれない。

 とはいえ。

 金のない学生にとって、そう何度も奢らされてはたまったものじゃない、というのも本音なわけで。

 今後の為にも、ここはひとつ、幼馴染として彼女にお灸を据えてやる必要があるだろう。それに金銭面の一点だけとはいえ、忠犬気質な彼女にイニシアチブを取られているのは、何となく気に入らない。灸を据えるがてら、その辺のことを分からせてやろうか。

 そう考えていると、丁度、金庫が戻ってきた。俺は心の中で黒い笑いを浮かべながら、一冊の本を取り出した。

「それじゃ最後に、この本をお願い」

「はーい……うゎっ!」

 手渡した瞬間、金庫のうめき声が響いた。本の表紙には『世界昆虫図鑑』と大きな文字で描かれている。無論、様々な昆虫の写真とともに。

 子供の頃から、彼女は虫が大の苦手だった。虫を見たくないという理由であまり外に出なかったし、読書が好きなのも屋内で済むからだと以前本人が語っていた。

 俺はわざとらしく金庫に話しかける。

「あっれぇ? 米澤、どうしたの?」

「う、ううん……なんでもない」

 顔色は青く、表情は硬いが、金庫は思ったよりもしっかりと受け答えが出来ていた。ふむ、あと一歩、といったところか。

 ダメ押しとばかりに、俺は床を指差し、大声を上げた。

「――あっ、そこ! 足元に、虫が! 虫が!」

「ひぃっ!?」

 彼女はとうとう悲鳴を上げ、恐れをあらわにして尻餅をついてしまった。それを見て、俺はとうとう堪えきれなくなり吹き出してしまう。当然、足元には虫なんていやしない。

 彼女の痴態に嗜虐心が満たされていくのと同時に、二人の主従を決定付けられたという思いから、俺は例えようのない満足感を感じていた。

 ひとしきり笑ったあと、俺は金庫を起こしてやろうと手を差し伸べた。

「あっはは、なーんて、冗談だよ、じょうだ……」

「……。うっ、うううぅ」

 彼女の表情はみるみる歪み、目尻一杯に涙を溜め、今にも溢れそうだった。

 しまった、からかい過ぎた。

「よ、米澤?」

「うわあああぁぁぁあああん!」

 後悔したときには、時すでに遅し。彼女は場所も弁えず、火が着いたように泣き出してしまった。

「ちょ、ちょっと、金庫!?」

 思わず『金庫』と呼んでしまったが、それどころではない。俺の慌てた声は、彼女の叫喚にかき消されてしまった。

 その場にいた他の生徒が、一斉にこちらへ目を向けてきた。周囲の好奇と嫌悪が入り混じった視線を受け、途端に体中から嫌な汗が吹き出してくる。先程まで感じていた満足感は、一転して罪悪感へと姿を変えていた。

 それから二十分かけて、俺は金庫に謝り倒した。

「ごめん、本当にごめん。やりすぎた」

「…………」

 なんとか泣き止んだものの、彼女は先程から座り込んだまま、一言も喋らない。じっとりと睨みつけるように俺を見てくるだけだった。思いつく限りの謝罪の言葉を言い尽くしたところで、彼女はかすれた声で、小さく呟いた。

「……。ほんとに、反省してる?」

「本当に反省してる」

「ほんとにほんと?」

「本当に本当」

 彼女の言葉を、オウムのように繰り返す。それからしばらく金庫は、俺をじっと見つめていた。視線が痛い。早く時が過ぎて欲しい。彼女が判決を下すその瞬間を、俺は祈るような気持ちで待ち続けた。

「……しょうがない。許してあげますか」

 やがて裁きが下り、俺はホッと胸を撫で下ろす。彼女の方も緊張を解き、泣きはらした目のまま、ぎこちなく笑った。

「そのかわり!」

 唐突に、金庫はまるでスイッチが切り替わったみたいに勢いよく喋り始めた。

「そのかわり、お詫びの印として、この後ハンバーガーでも奢ってよ。泣いたらなんかお腹空いちゃった」

 彼女はそう言って、さっきまで腰を抜かしていたのが嘘だったようにスッと立ち上がり、素早く自分の荷物をまとめた。

「大ちゃん、行こうよ。もう閉館時間だよ」

「え? あ、ああ……」

 気がつけば、自分たち以外の生徒は誰ひとりいなくなっていた。

「ほらほら、はーやーくー!」

 呆然としていた俺の背中を無理やり押して、彼女は瞬く間に俺を図書室から連れ出した。一方俺は、一瞬で元気いっぱいになった彼女に戸惑いを隠せず、まるで狐につままれた様にぼんやりと彼女の後を追った。

「それじゃ、レッツゴー! あ、食べに行く前に、本屋に寄っていい? この前話した本、今日借りられなかったし。もちろん大ちゃん、お詫びの印に買ってくれるでしょ?」

「お、おいおいおい!」

 さも当然という風に話す金庫に、俺は思わず異議を唱えた。さすがにそれは買わせ過ぎじゃないのか。しかし懸命の抗議も虚しく、彼女は冷めたトーンで言葉を続けた。

「大ちゃん、ほんとに反省してるんじゃなかったの?」

「し、してるけど、でも……」

「じゃあ決まりね。さ、行こっ」

 結論は全て出たと言わんばかりに、彼女は廊下を足早に駆け抜けていった。走る彼女とは対照的に、俺は遅々と歩き出し、大きく溜息をついた。

 ちょっとした悪戯心だった。いつも金を払わされている事に対しての、ささやかな仕返しのつもりだった。彼女との立場に優位性を感じたいと、ほんの僅かに思っただけだった。

 それが、どうしてこうなった。

「大ちゃんってさ」

 気がつくと遥か先を歩いている金庫が、俺の方を向き直し、話しかけてきた。

「大ちゃんってさ、昔からそうだよね。自分からちょっかいかけてくるのに、私が泣きそうになると、慌ててお小遣いからお菓子やジュースを買ってきて、私のご機嫌を取ろうとするの。おかげで私、子供の頃から殆ど自分でおやつを買ったことないもの」

「……。え?」

 聞き逃せない話だと、本能で悟った。俺はのろのろとした歩みをピタリと止めて、金庫の話に耳を傾ける。

「さっきのだって、心の中じゃ、実はちょっとだけ、期待してたの。『あ、ここで泣けば、大ちゃんまた何か買ってくれるのかなー』って」

「そ、そんな……」

 彼女の言葉に、まるでハンマーで打たれたような衝撃を覚えた。何かを言おうと口を開くが、言葉は最後まで形にならず、声になる寸前に、もどかしく消えていった。

 じゃあ、なにか。彼女は、先ほどの一件を、こうなると計算してやったっていうのか? もしかして、俺が彼女に貸したり奢ったりするのが多い理由って、彼女がそう仕向けていたから? つまり、貢がされていた?

 まさか。いや、でも。

 自分の中で、何かが音を立てて崩れていく。そんなはずは、と必死に否定しようとするが、材料が全く思いつかない。主従関係の主は俺、従は金庫。そうだったはずだ。だって、彼女は犬みたいに素直で、従順で――

 すがるように金庫を見る。彼女はただ意地の悪そうな笑みを浮かべて、俺が付いて来るのを待っていた。

 ああ、そうか。その笑顔が、答えか。

 俺達二人の、どちらが主でどちらが従かなんて、とっくに決まっていたのだ。だって、俺は彼女の手のひらの上で、無様に踊っていただけなのだから。

 俺は下を向きながらトボトボと歩き、やがて彼女に追いつく。金庫は俺の肩に軽く手を置き、悪びれもせず、茶目っ気たっぷりに、こう言った。

「今日もごめーんね。今度は私が払うよっ」

 嘘つけ。俺は心の中で、そっと言い放った。


     【了】


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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