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琥珀の道と白い鳩  作者: jorotama
『琥珀の道と白い鳩』
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第五話(幕間) 『お髭の韜晦』

「ねぇ? 私、思うんだけれど、普通の殿方は朝起きた時に髭を剃るものじゃなくて? そうじゃなきゃ朝にはまた伸びているわけでしょう。でも、朝に貴方は髭を剃らない。一般的常識と照らし合わせて、もしかしてそれはおかしい事じゃないのかしら?」


 ルルディアス・レイにほど近いある宿場町でのこと。


 おいしい料理を食べ、まあまあのワインを飲み、ほろ酔い気分で部屋に戻った私は、部屋の壁掛け鏡の前で髭をあたるグラントを眺めながら、最近ずっと疑問に思っていたことを口に出して聞いてみた。

 だって外はとうの昔に陽も落ちて、夜闇に支配される時刻。

 部屋の中はランプが照らしているといえ薄暗く、しかも、宿備え付けの鏡のおもては暗く歪んでいる。

 普通はこの状況下で髭剃りをしようなんて、考えないと思う。


「今日は道が悪くて馬車が揺れただろ?」


 剃り残しの確認の為、顎の下や鼻の下を撫でさすりながら口を開くグラント。

 私は馬車の揺れと髭がどう関係するのか、内心首を傾げつつその先の言葉を待つ。


「ここに着くのに予想以上に時間がかかったせいで、キミの脚や腰の筋は強張っている事と思う」

「……ええ……まあ……そうね。確かに少し痛むわ」


 大人しく首肯する私の横の手荷物から、グラントは香油入りの小瓶をゴソゴソと取り出してそれを示して見せた。

 それはアグナダ公国から持ち込んだ物で、強張った筋を揉みほぐす際塗布すると、血行が良くなる上に良い香りがするので気に入っている。

 ヒマワリ油やアーモンド油をベースに血行を促進するジンジャーオイルが配合され、気持ちを和らげるラベンダーやセージ、ローズマリーローズヒップで香り付けがされている。


「あら、いいわよ。私、自分でやれるわ」


 香油を手のひらに出し、ベッドの上に腰を下ろした私の前に膝をつくグラント。


「貴方だって疲れている筈なのに、そんないつも……申し訳ないもの……」

「キミより俺の方が力も強いし、体力もある」


 きっぱりと言い切られ否定できずに口ごもりつつ、私は口中に礼の言葉を呟いた。


「……ありがとうグラント。……でも、あの……いま確か私、お髭の話しをしていたと思うんだけど」


 どうにも話しが迂回して結論につながらない……。


「キミから甘い香りがするんだ」

 足首を回し、張りつめた筋を伸ばしながら真面目な表情でグラントが言う。


 甘い香り?


「その香油の香りでしょう? ローズヒップが入っているわ」


 ……でもメインノートのラベンダーやセージの香りは『甘い』とは表現しないかもしれない。


「いや、香油じゃなく」

「ええ? ……私、何もつけていないわよ??」


 腕や肩、手首に鼻を近づけてみたけれど、別段かわった香りなどしない…。

どう言う事なのか分からず悪戯に周囲の香りを気にする私に、ベッドの上にうつぶせに寝るよう指示したグラントが、膝の裏や膝の上の筋肉を揉みほぐしてくれた。


「酔いが鼻に回っていないグラント? やっぱり何も香らないと思うんだけど……」

「じゃあ、俺しか分からない香りかもしれないな」


 一番突っ張っている太腿の辺りをグイグイとほぐしつつ一人ごちる声に、なんとなく笑っているような気配を感じた私は首をひねって彼の顔を見上げた。


「……もしかして、私の事をからかってるの?」


「いや、からかってなどいないよ。 ただ、髭の事を訊かれたから答えただけさ」

「……グラント……ごめんなさい。……嫌だわ……私の方が酔っぱらっているのかしら? ……貴方の言いたい事がサッパリわからないのよ……」


 さほど飲みすぎた覚えはないのだけど、なんだか……私は頭の中がくらくらするような気持ちになっていた。

 だって……ここまで会話がかみ合わないなんて、どちらかが酔っぱらってでもいない限りあり得ないではないか。

 向こうに酔った様子が見受けられないのだから、きっと私の方が酔っぱらっているに違いない。

 腰周りの筋肉を解きほぐす作業を終えたグラントが、茫然と目を見開いて今のやりとりを反芻する私を見て、微かに笑みを浮かべていた。


「フロー、キミはなんでも頑張りすぎるんだよ。それはキミのいいトコロでもあるけど、同時に心配な部分でもあるんだ」

「なぁに突然? 私、頑張り過ぎてなんていなくてよ?」


 ……と言うか、だいたいその事とグラントのお髭が一体どう関係するというのか。

 考え込む私の傍からグラントは立ち上がり、小さな炉だなに置かれたランプを手に取って帰ってくると、やにわにその灯火を消してしまった。

 暖炉にまだ小さな熾火が残っているとは言え、ランプが消えると部屋の中は殆ど何も見えないくらい真っ暗だ。


「いやだわ、どうして急に灯りを消してしまうのよ。 服だって着たままなのに酷いじゃないの」


 ギッと寝台が軋む。

 グラントがすぐ横に倒れこむように横たわり、夕方洗ったばかりの私の髪に顔を埋めた。


「今脱がしてあげよう」


 言葉と同時に抱きすくめられ、私は身動きが取れなくなる。

 暗闇の中、ごそごそと服を脱がす不器用な手のくすぐったさにたまらず身悶えるが、いかんせんこの体格差ではどうやっても逃げられない。


「グラント! くすぐったいわ。ねえ……本当に私、貴方の言っている事が全く理解出来ないのよ」

「キミは前に俺の髭がチクチク刺すからなんとかしてくれと言っただろう?」


 パサパサと衣服を寝台の上から蹴落としながらの言葉に、私は一年近く前、フドルツ山を越えた馬車の中での一幕を不意に思い出した。


 ……そう。

 グラントと初めて褥を共にした翌日、無精髭があまりにもチクチクと肌を刺すから、確かにその髭を何とかしてくれと言った覚えがある。


 ……でも。

 馬車の揺れと私の脚の強張り。なにか甘い匂い?が、どうつながっているのかやっぱり分からない……。


 降る様に浴びせられる口づけの合間になんとかその事を尋ねると、グラントは少し笑い含みの声でそれに答えてくれた。


「だってね、キミに触れていると……なんだか甘い香りがするような気がするんだ、フロー。そうすると、どうにもよからぬ気持ちになるから、結果として髭を剃らなければならない事態に陥る。だから俺は先に髭を剃っておく事にしてるんだ」


 ……と。


 一見理路整然として聞こえるけれど……。


 そんな馬鹿な話があるかしら!?

 なんだか理屈と順序が変じゃない??

 私の脚の事を心配してくれている気持ちはありがたいし、強張った筋は揉みほぐしてもらえると本当に気持ち良くて楽になる。

 でも、でも……。

 やっぱり何かおかしくはない?


 しかも……。


「グラント、貴方が髭を剃る頻度は、少し高すぎると思うのよ……!」


 衣服の最後の一枚をはぎ取られながら苦情を言う私に、グラントは綺麗に髭をあたった頬を寄せて耳元に


「……嫌か?」


 と囁いた。


 吐息交じりの声の、その、官能をくすぐる様な熱い響きに私は耳朶を熱くする。

 こういう時にどう言う表情をしたらよいのか、私は未だに良くわからない。

 グラントがさっさとランプを消してくれた事が、急にありがたく思えた。


「い……嫌なわけじゃない…けど。ねぇ、グラント、体力的になかなか厳しいかな~と思うの。ね? ……あの、世間の男女と言うのはこう頻繁に……その……こ、こういうことをするものなのかしら?」


 肌の上を這う手指の感覚に身をくねらせながら尋ねる私に、喉の奥でクツクツとグラントが笑う。


「明日にでも誰かその辺の人に手当たりしだい聞いてみるといい」


 ……あり得ない、なんてこと言うのよこの人は。


 更に続けて


「それに明日は移動は無しだ。この先、街道の補修工事をやっていると酒場にいた人間が教えてくれたんだ。補修工事自体は明日一杯で終わるし、う回路の方は道が悪いようだから、一日ここで休んで街道を進む事にしたよ」


 だから明日はゆっくり休めると言う理屈らしいけど、やっぱりなんだか何処かがおかしい。

 色々と本末転倒しているような気がしてならないのは、私の気のせいなんだろうか?

 変な理屈と変な話の運び方で、いつもグラントは私を丸めこむ。

 もしかして今回も私は彼に最初から騙されていないかしら???


 ……もう、こののっぴきならない状況では、どうにも逃げようがないのだけれど……。



 誰かその辺の人に『このような行為の一般的頻度』については尋ねる事など出来ないけれど、今度屋敷に帰ったら、レレイスに手紙で聞いてみようと、私は心に決める。

 ……『まともな返事』が返ってくるかどうかは非常に心許ない。

 レレイスの下品なお手紙の内容が、更に悪化する危険もある。

 でも……他にそんな事を尋ねられる相手に心当たりはないんだから、仕方がないというものだ。




 ルルディアス・レイに到着するほんの手前の町で、一日だけ私達の旅程は遅延した。

 だけどこれがあと二日遅れていたなら、先の事は少しずつ変わっていたのかしらと思う。

 良い方に変わったか、それとも悪い方に変わったかは『もしも』だから誰にも分からないのだけれど……。



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