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琥珀の道と白い鳩  作者: jorotama
『琥珀の道と白い鳩』
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第三話 『女神サリフォーの翼』

リンク 窓に日覆いの降りた馬車の中は薄暗い。


「なんなの貴方達は!? 私をここからおろして頂戴……っ」


 顔を上げて見渡す車内には2人の人間が乗っていた。

 2人とも目深にかぶったフードのせいで口元くらいしか見えないが、一人は、速度を落としていたとは言え、動いている馬車から飛び降りて私を抱えるように車内へと運びこんだ事を考えても、屈強な男性だろう。

 背はグラントより低いけれど、肩幅はかなりありそうだ。


 もう一人は素早く扉の開閉を行った小柄な人間……。

 女性? ……いや、まだ年若い少年だろうか?

 なんとなくフードの下に見える口元の線に見覚えがある気がして、私はその人物の方を見つめた。

 石畳のわだちに車輪を取られてか、不意に馬車がガタリと大きく揺れる。


「きゃっ……」


 この馬車に連れ込まれる時、私は杖を落としてしまっていた。

 一度砕いてしまった私の左の脚では、急激な重心の変化に耐えることは出来ない。

 支えもなく倒れそうになる私を、小柄な人物と、背後から私の腕を掴んでいる男性がとっさに手を伸ばして支えてくれた。

 今の衝撃のせいか、それとも私がよろけた時にぶつかったせいかは分からないけれど、腕を掴む男性のフードから銀色に輝く何かが零れ落ちてその胸元にキラリと光った。


 銀色の細い鎖のペンダント……。

 見覚えのある翼のモチーフが薄暗い馬車の室内に白く微かな光を点した……。






 私とグラントとはブルジリア王国が建国する以前、古代に栄えた帝国が敷設したと言われる古い街道を北東に向かって移動していた。

 とりあえずの目的地はこの国最古にして最大の街、ルルディアス・レイ。

 街道と同じくルルディアス・レイの街は、この国が独立する以前の古い時代から存在する事を、グラントが私に教えてくれた。


 そもそも、このブルジリア王国の歴史はさほど古い物ではないのだ。

 ボルキナ国もそうだけれど、この近辺は古代において『フディバル帝国』と呼ばれる強大な帝国が支配していたと言われている。

 その後、帝国は力を失い、幾つかの大きな国に分かれた。

 100年と少し前、その国の一つ『エルテカ』が滅亡する際の混乱に乗じる形で独立したのが、このブルジリア王国なのだと何かの本で読んだ記憶がある。

 エルテカ国内に存在していた幾つかの部族を国と言う形にまとめ上げたのが、初代ブルジリア王国国王、シュスティーヴァ。


「尖塔と白い翼のレリーフのある建物を、ここで良く見るだろう?」


 街道をゆく馬車の上、グラントが私に言う。


「ええ、それほど古い建物はないようだけれど、あちこちに建っているわ。尖塔があるから教会よね? 翼の紋章は、創造神と一緒に地上に降り立った神の一人だったと思うんだけれど……」


 遠くに見える件の建築物を眺めて私は首を傾げた。

 創造神と4人の神々が天から地上へと降り立った神話はなんとなく覚えているのだど、個々、神の名前までは覚えていなかったからだ。

 私の生まれたリアトーマ国もグラントのアグナダ公国も、国民はそれほど厚い信仰心を持ち合わせない者が多く、こういう話題に疎い傾向があるかもしれない。


「白い翼を持つ女神、サリフォーだよ。10枚の翼を持ち、その翼の下に弱者を守ると言われている。融和協調を尊び、不和と不浄を嫌う女神だそうだ。……今向かっているルルディアス・レイの街には、ブルジリア王国が建国される以前からの古いサリフォー教会があって、一説によると教会の縁起は古代フディバル帝国の時代に遡れるらしい。ま……古代フディバル帝国時代と言うのは眉つばだけど、見た限り確かに相当古い時代だろうね。街の中央広場にあるサリフォー像は一見の価値があるよ」


 グラントの説明を聞きながら、私はサリフォーをまつる教会を改めて見直す。

 街道沿いの街は、だいたいどこも同じような灰白色の石組みの壁と、橙色の焼き瓦の屋根の建物だ。


 今私が眺めているサリフォーの教会も、やはり灰白色の石の壁と橙色の屋根に両翼に同じ石で造った装飾尖塔を備えていた。

 大きな入口扉は丈夫そうな木製で、扉の上の壁に白い翼をかたどったレリーフが飾られている。

 どうやらこの翼の紋章がサリフォー教会のシンボルであるらしいことが分かる。

 街並みと見比べると教会は若干新しい時代の建造なのだろうか?

 壁の色のすすけ具合が周囲よりも薄いようだ。


 ……そう言えば今までにも幾棟も同じ教会を目にしたけれど、どれもさほど古い年代の建築にではなかったかもしれない……。

 脳裏に残る教会建築の映像の記憶を辿り、私は俄かに違和感を覚える。


「……ねえ、ルルディアアス・レイの街の教会はとても古い時代のものなのでしょう? なのにシェトワの港を出てから見かけた教会……どれも同じように新しい時代の物だった気がするの。しかも、他の宗派の教会なんて殆ど見掛けなかったようだけれど、何故?」


 首を傾げる私にちょっとだけ感心したような表情を向け、再び前を向いたグラントが手綱を持ち直しながら言う。


「敏いね、フロー」

「……もしかして、馬鹿にしている?」


 元々リアトーマ国とこのブルジリア王国とは、それほど親密な関係は無いのだ。

 現大公の実姉が王族へ嫁いでいるアグナダ公国と比較すれば、入ってくる情報の量も少なかった。

 神話の世界への認識に疎く、しかも国内情勢など知るすべもないリアトーマ国に生まれ育った私が、この国の宗教事情に通じている筈はないではないか。


「いや……ほら、少ない材料からキミは気づいて欲しい部分に気が付いてくれるからね」

「だって……グラント、貴方がヒントを出して誘導したんでしょう……」


 唇を尖らせる私に、グラントが溜息混じりの笑みを浮かべた。


「俺の部下全員に聞かせてやりたいよ本当に。皆がキミのようなら楽なんだが……」


 本当か嘘か、そんな事をブツブツ口中に呟いていた。


「ねえこの国に貴方が来たのって、その事と関係があるのかしら……?」


 私の言葉を受けて、グラントの唇が片方だけ上がる。

 大きな手のひらで彼が私の頭をポンポンと叩くように撫でた。


 ……やっぱり、馬鹿にしているんじゃないのよ。


 ますます唇を尖らせる私に肩をすくめ、彼は話しを始めた……。


 かつてフディバル帝国が衰退した後に台頭した『エルテカ』が滅亡した時、その混乱の中にブルジリア王国は独立した。

 ブルジリア王国建国時、国土となった土地には5つの部族が存在していた。

 五部族はそれぞれに反目することは無かったけれど、当初、固い結束で結ばれているとは言い難い状態だったらしい。

 しかし5部族が足並みを乱せば、周囲の国家が国土を削り取ろうと狙っている。

 初代ブルジリア王シュスティーヴァは、国内の結束を固める為の方便として宗教を利用する事を考えた。


「巧い方法だと俺も思う」


 ……と、グラントは言う。


 ただ教会を建て、この神を信じろと言っても人の心がついてくることなど無いと、シュスティーヴァ王は知っていた。

 だから学校や、病院、薬局、養老院、救貧院などの機能を教会の中に持たせることによって、当時、法整備や治安が追い付かず、困窮していた人民に分かりやすい具体的な「救い」の手を差し伸べ、サリフォー信仰を布教していった。


「教会が主導しての自警団などの組織もあったようだ。当時は治安もそれは酷く乱れていただろうからね」


 具体的な、生活に根付いた『救済』を与えれば、人はそこへ信頼を寄せる。

 信頼は信仰に結びつき、生活に根付く。

 元々古い時代からルルディアアス・レイにはサリフォー信仰の土壌があり、信仰対象とはしていなかった地方の人間にも馴染みのある女神であった事も幸いしたようだ。

 神への信仰を接着剤としてバラバラだった国はまとまってゆく。

 更には信仰を通じて部族間の交流が活発になり、部族を超えた婚姻も増えた。

 建国王シュスティーヴァの思惑は、成功したのだ。


「彼の策は成功した。ただし……その時点では」


 と、御者台で馬に軽く鞭をあてながらグラントが言う。


「なぜ? サリフォー信仰が根付いて国内は安定したのでしょう? なんの問題があって?」


 不思議がる私に彼は言葉を続ける。


「問題はシュスティーヴァの次の代に起きるんだよ」


 ……と。


 シュスティーヴァの次の代の王が、国内を安定させたサリフォー信仰に王としては過分過ぎる思い入れを持ってしまったのが、歪みの始まりだったそうだ。

 二代目ブルジリア王エブシルは、サリフォー信仰に国教扱いの特権を与えてしまった。

 そこから徐々に教会組織が力を持ち始めてしまう……。


 今となっては窺い知る術はないけれど、恐らくシュスティーヴァ王としては、ある意味『教会』に代行させていた法の整備が完成をみた後は、サリフォー信仰は多宗教の流入や生活の変化に伴い衰退してゆくだろうと見ていたに違いない。


 確かに、サリフォー信仰はブルジリア王国の安定に大きく貢献した宗教ではある。

 だがそれはあくまでも「国をまとめる」便宜上のものであり、国を支配する勢力たるものではなかったのだ。


 エブシル王の庇護下でサリフォー信仰の勢力は肥大した。

 もともとはシンプルな構造だった教団内部の権力構造は厚みを増し、複雑化して役職を増やす。

 いつの間にか王政の中心である城の官吏や、国政の中枢の輪の中には入れなかった有力貴族の子弟や庶子らが、教会内の権力層を占めるに至り、徐々に政治への意見介入までするようになってゆく……。


「三代目の王の時代、もっとも教会権力が肥大していた中に、宗教意識の低い国から嫁いだ王妃が当時の教会権力を刺激して、一時内乱が起きそうになった事がある」

「……もしかして、それが先代の王にアグナダ公国から嫁いだ公女アスマリナ様なのね。女神サリフォーへの信仰心なんて無くて当然じゃないの。そんなこと、最初から分かっていた事なのでしょう? どうしてそこで内乱なんて、きな臭い話しになるのかが分からないわ」

「三代目王も元々、さほど信仰心など持ち合わせてはいなかったようだ。そこに無信心な王妃だろ。彼女に影響されて、国政に口出しする煙たい存在になっていたサリフォー教会への態度が冷たくなったとしても、無理は無い話しだと思わないか? 更に、彼女の産んだ2人の王子は母の意志を継いで行くだろうことは目に見えている」

「……ああ……そういう事なのね……」


 私は納得する。

 教会はこの国では国政に参加するだけの能力や、血筋の正統性の無い人間の得られるもう一つの『出世』の道だったのか。

 大貴族の庶子などが上層に流入していたのなら、国政から完全に切り離される事に抵抗するのも当然だろう。


「今から十何年か前だな。俺がこの国に初めて足を踏み入れた時、サリフォー教会を支持する派閥と、教会権力切り離しを支持する革新派の闘争は、国内情勢にも相当な影響を及ぼしていたよ。今はかなりこの街道の治安も良くなっているだろ? でも、当時は治安も乱れて追剥強盗、山賊が跋扈して旅行者や隊商が襲われる事も多かった。

だからこそ、俺のような青二才の小僧が隊商の護衛にもぐりこむ事も出来たんだが……」

「……ねえ……グラント? アグナダ公国からこの国へ渡るのに特等船室を使って来ておきながら、どうして隊商の護衛なんて仕事をしようと思ったの?」


 ふと感じた疑問をそのまま口にする私を、グラントが困ったような…なんとも言い難い情けなさそうな表情で見た気がした。


「……どうかして?」

「いや、まあ、その話はまた追々(おいおい)するよ。とにかくそういう事があったと覚えておいてもらいたいんだ」


 分かったわと頷きつつ、私は頭に浮かんだ幾つかの疑問をグラントへの質問にする為に整理した。

 彼も私が何か言いだすのを待っているようだ。


 ……どうもグラントは私の事を『試している』ような気がするんだけれど、気のせいかしら?


「そもそも何故、この小国にアグナダ大公の姉君である皇女アスマリナが嫁いできたのかを教えていただける?」


 古今東西、王族が王族に嫁ぐ際も、有力貴族の娘が別の貴族の家系へと嫁ぐ際にも、大なり小なりの『事情』があって当然だった。

 私とグラントとは後から『事情』が追い付いてくれたけれど、普通はこんな当人同士の意志だけが先行する結婚はあり得ない。


「この国は豊富な鉄資源に恵まれているんだよ。リアトーマには鉄鉱山があるだろう? でもアグナダ公国には無い。これから先、リアトーマ国とアグナダ公国の関係が改善されればリアトーマから陸路フドルツ経由で鉄の輸入が出来るようになるかもしれないけれど、今まで鉄に関する最大の貿易相手はブルジリア王国だったんだ。海を渡らねばならないのが難だけど、一番近い鉄の輸出国だからね」


 国の規模はアグナダ公国の方が遥かに大きい。

 でも、鉄資源の事があったから、小国であるブルジリア王国へ公女アスマリナは海を渡って嫁いだと言う事か……。


「得心いったわ。で、内乱と言うのはどうなったの?」

「この国の幾つかの地方有力貴族が戦の仕度を始めて、なかなか危ない状態だったけれど……沈静化したよ」


 簡単にグラントはそう言った。


 この時の私は知る由もなかったけれど、この『内乱の沈静化』の影にはアグナダ公国の圧力と、内乱の情報をアグナダ公国へともたらしたグラントの暗躍もあった事を、私は後に知ることになる……。


 ……それにしても『内乱』……と言うのも微妙な気がする。

 既存の王室を排して自分達、この場合教会権力がブルジリア王国の主権を奪おうとしたわけではなさそうだし、クーデター的な意味が無いのなら、それにどんな意味があったと言うんだろう?

 私の口にした疑問に、グラントが答える。


「……示威行為だな。ブルジリア国内に対して王室の無能を示す為の。その上でサリフォー教会の力も示す事が出来る」


 アグナダ公国と言う大きな背景を持つアスマリナ王妃の存在は、内乱の抑止力にならなかったのかとの疑問もあるけれど、考えてみればサリフォー教会勢力は別段、クーデターを起こして国権を奪い取ろうとしたわけではなく、また、アグナダ公国側としても他国の国内の一部勢力の反乱を表だって鎮圧するわけには行かないと言う事情もあるようだ。

 殊に繊細な宗教的事情でのこと……。


「……なんだか色々と本末転倒だこと……。国を安定させるために広めた宗教によって国の安定を欠いたと言うわけなのね。……それにしても教会側についた貴族達……相当無理をしたんじゃなくて? 幾ら規模が小さくても戦争を起こそうとしたんでしょう? 同じ宗教を持つ人間相手に戦わせる事自体、無理があるじゃない。だったら当然兵力は傭兵に頼らざるを得ないわ。その場合、資金的負担は相当のものだったでしょう」


 そう言う私をグラントが面白そうに見る。


「なぜ資金的負担をキミは気にするんだい? 他にも気にするべき事はたくさんあるだろう」

「まぁ……グラントったらやっぱり私の事を馬鹿だと思っているのね。だって傭兵を雇って戦っても、この戦いの場合『戦果』として領土を得る事は出来ないじゃない。それに同宗派の国内の戦いで『略奪行為』が不味い事くらいわかってよ。それじゃあ教会側の正義を主張できなくなってしまうもの。だとすると、傭兵へは前もって略奪行為をしないようにたっぷりと報酬を支払っておく必要があるわ」


 そうまでして教会の権力を守りたいと言う事は、支払った報酬に見合うだけそこに『旨味』があると言う事だんだろう。


「……全くその通りだよ、フロー」


 表情から笑いの気配を消したグラントが、私の事を暗色の瞳でマジマジと見つめた。


「一体そんな事をキミはいつ勉強したんだ? ……驚いたな」


妙に感心している彼の様子に私は内心、少しばかり焦ってしまう。


「ご……ごめんなさい、グラント。本当は私、ちょっとだけインチキをしているわ。だって、この話はグラント……『貴方』がしている話しなんですもの。絶対に商業とか経済とかが絡んでいると分かっていたのよ」

「そうだとしても普通の貴族のお嬢さんはそんな事、知らないだろう」

「貴方がそういう事を言うわけ?」


 私は思わず笑い出してしまった。

 グラントもつられるように笑みを浮かべる。


 どうやらこのブルジリア王国という国は、色々な事情を抱えているらしい事が分かった。

 わざわざ彼がこの話題に出すと言う事は、今回ここに来たのもサリフォー教会絡みでの情報収集を目的としているんだろう…。


 ……それにしても……


「ねぇ……10年前の内乱……未遂よね? どうしてそれは未遂に終わったの??」


 一体、どうやってその危険な事態をこの国は乗りきったんだのか、私はとても気になっていた。


 一瞬の沈黙。

 ほんの微かにグラントは口元を歪め、苦い表情をその顔に浮かべ、嘆息する。


「ブルジリア王室の第二王子…。当時まだ十代後半だったグラヴィヴィス王子が、自ら名乗り出て人身御供になる道を選んだんだ……」



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