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琥珀の道と白い鳩  作者: jorotama
『琥珀の道と白い鳩』
2/22

第一話 『手紙』

 グラントと言う人はアグナダ公国のバルドリー侯爵家当主と言う表の顔がありながら、商人として他国に潜入し、経済活動の状態などからその国の状況を読むという諜報活動を行っている。

 私が私の生まれ故郷、リアトーマ国エドーニア領で彼に初めて出会った時にも、彼は商人のグラント・バーリーを名乗っていたし、それ以前からもずっとその名を使い、実際に商人としての活動を行いながら周辺の各国に出入りしていたらしい。

 リアトーマ国とアグナダ公国とは彼のもたらした情報によって戦争を回避することが出来たし、それ以前にも諜報活動での功績を上げている彼は、最近では国家の依頼を受けて活動員の育成の指導や組織作りを手がけているようだ。


 詳しいことは私には良く分からない。

 彼と結婚してから一年以上経ってはいるけれど、そんな話を迂闊にペラペラとお喋りするようなグラントではないもの。

 それらは彼の母、サラ夫人から聞いた過去の話や、グラントの友人であり現在はリアトーマ国の王子の元へと嫁いだレレイスからの手紙、それにグラントの仕事を手伝っているジェイドやレシタルさんから耳にした事などをもとに推察したに過ぎない。


 ただ、私が時々そのことに関して投げかける疑問に対する答えや、答える彼の様子から察するに、恐らく私の考えはさほど現実と違わないのではないかと思う。


 周囲の話によると、以前は一年のうちの幾月かは他国を商人として渡り歩いていたのだと言うけれど、私がそばに来てからは一度もアグナダ公国を出ておらず、もっぱらセ・セペンテスの別邸から王城へと忙しく通っている。

 ジェイドやレシタルさんやダイタルさん、それにセ・セペンテス別邸に出入りするグラントの部下や協力者達は頻繁に国外へ出ているようなのに、彼が国内にいて大丈夫なのか…と、そのことが気になりだしたのは去年の夏も盛りを過ぎた頃の事だったろうか。


 エドーニアの母さまや兄様の元にいた私を妻として貰い受け、慌ただしくアグナダ公国に連れ帰ったのがこの年の春の事。

 なんとか貴族の娘としての最低限の輿入れ仕度は整えたものの、あまりにも急な話だったからエドーニアでは母様と兄様、そして私達二人だけの略式での婚儀となってしまった。


 けれど、夏の初めころ、ユーシズにあるバルドリー侯爵家本邸に母様や兄様を招待し、国内の主要な上位貴族や、公女であるレレイスの兄にしてアグナダ公国の時期大公位となるフェスタンディ公まで見えられての盛大なお披露目が執りおこなわれた。


 披露宴が盛大に行われたのには、ちゃんとした理由がある。

 アグナダ公国とリアトーマ国との関係が悪化してから10年近く。

 二国の関係悪化の原因が取り除かれ、さらにはレレイスとリアトーマ国王子との結婚を機に両国の関係は随分と修復されたのだけれど、実は、リアトーマ国の古い家系の貴族がアグナダ公国有数の上位貴族に嫁いできたのは初の事だったのだ。


 リアトーマ国ではレレイスが。

 アグナダ公国では私が。

 両国の関係改善を国内外にアピールする為の象徴として、政治的思惑を絡めて利用されたと言うことだ。


 グラントとの結婚が決まってからある程度予想していたこととは言え、思った以上の規模のお披露目になった事に驚きもしたし、あまりのあからさまさに内心可笑しくもあった。

 だけど時にプロパガンダと言うものも必要だとは思う。

 政治レベルの交流だけではなく、リアトーマとアグナダ間の交易量が目に見えて増え、大きな経済効果をもたらしているらしい。

 こうして交流が進めば、やがてかつての戦の遺恨も薄れてゆくことだろう。

 将来、フドルツ山金鉱脈が本当に資源を枯渇させた時にも、両国の王室の血が混ざりあっていれば、きっと不要な血を流す事なく済むだろうとレレイスは考え、政略結婚の駒となったのだそうだ。


『政略結婚の駒』


 そんな言い方をすると、レレイスは悲劇のヒロインのように思われるかもしれない。

 私も最初は彼女の事をそういう風に見ていた。

 だけど私の何が気に入ったのか、彼女から頻繁に手紙が届くようになって以来、もう、そんな風に彼女を見ることは出来なくなってしまった。

 サザリドラム王子とレレイスは非常に仲良くやっているらしい。

 毎回、手紙にはのろけの言葉が溢れている。


 最初はもしかするとそんな手紙もレレイスなりの強がりなのかと疑いもしたが、どんどんエスカレートする内容を読むにつれ、同情的な気持ちは消えて行った。

 だいたい……彼女が書くように、具体的にどのように『仲良く』しているのかを微に入り細に入り描写するのは常識的に考えてどうかと思う。

 ……いいえ、詳しい内容を誰かに言う事なんて、絶対に出来ないわ。

 仮にも未来のリアトーマ王妃となる人が、あんな下品な隠語満載の手紙を書くなんて……口外出来るわけがない。


 文中の言葉の意味がわからず、どういう状況を指す言葉なのかを以前グラントに聞いた事があるけれど、あの時私がどれほど恥ずかしい思いをしたことか。

 思い出す度に身悶えしそうになる。


 とにかく、私達は奇禍に遭う事もなく平和に暮らしていた。

 アグナダ公国での生活にも徐々になじみ、少しずつだけれど知り合いも増えた。

 もしかしたらグラントは、まだ知り合いが少ない私への配慮から以前のように何カ月も屋敷を留守にすることが出来ずにいるのではないかと、心配になる。

 しかし私がその事を口にすると、サラ夫人は暗青色の瞳を面白そうに瞬かせ、否定した。


「……それは無いでしょう。ええ、絶対無いわ」


絶対無い、とまで言い切るには何か理由があるんだろうか?


「あの……何かご存じなのですか?」


 おずおずと問う私に堪えきれない様子で笑みをこぼし、口元に手を当てながら彼女が言う。


「ご存じ…と言うより『察し』がついているだけ。いやあね……やっぱり性格が似ているのかしら?グラントは自分がどこにも行きたくないからここにいるんでしょうよ。…今はきっと梃子でも動かないわ。きっと何処かへ行かねばならないなら、貴女の事もつれて行きますよ。一時だって貴女の傍を離れたくないんですから」


 まさか冗談だろうと思いつつも、私は己の顔が赤らむのを感じずにはいられない。

 何か言おうとしても言葉を発することが出来きず、黙りこむ。


「ほほほ、可愛いわねぇフローは。気になるんでしたら本人に聞いてご覧なさいな」


 たぶんサラ夫人は私をからかってその反応を楽しんだだけなんだろうと思うのだけど、結局、グラントに直接そのことを聞いてみることは出来ずにいた。

 そうこうするうちに秋が去り、冬が来て、年が明けた頃にレレイスから私へと一通の手紙が届いた。


 それまでにも私の元へレレイスからの手紙は何通も届いている。

 本人の美しさをそのまま文字へと体現したかのような、華やかで流麗な筆致で、何故この下品な内容を……と首を傾げたくなるような文面は相変わらずだったけれど、決して悪い手紙なわけではない。

 むしろ『良い』お手紙だったのだ。


 まだ公式な発表はなされていないけれど、レレイスはサザリドラム王子との間に子供を懐妊したらしい。

 考えられる幾つかの具体例を挙げて、どの瞬間に出来た子供と思うか……との質問には答えようが無いけれど、その素晴らしい知らせに対し、私は心からお祝いの気持ちを込めて彼女への返信を綴った。


 本当に、何に誓ってもいい。

 私はレレイスの幸せを心からお祝いしているし、彼女と彼女のお腹の赤ちゃんの健康や無事を二心なく祈ってもいる。

 アグナダ公国とリアトーマ国王室の血の融和が実現するとか、両国の永の共存繁栄の象徴的存在となる子供が誕生しようとしているとか、そういう政治的なものを一切抜きにして、私は一人の女性としてのレレイスの幸せを喜びたいし、喜んでもいるのだ。

 絶対にその気持ちに嘘なんてない。


 ただ少し……ほんの少しだけ、切ない気持になっただけだ……。



 冬の寒さが緩み、徐々に日差しに春の和らぎが増していったある日のこと。

 グラントが私にブルジリア王国へ自分と一緒に行く気があるかと聞いて来た。


「私が? 貴方と?」


 なにしろそれは唐突なお話で、私はそれがどういう意図を持ってのものなのかを測りかね、答える代りに反問をした。

 グラントの表情に緊迫した様子は見られず、以前、私をボルキナ国のフィフリシスへと半ば強引に連れて行った時のように、大変な事態に絡んでの事ではないと思うのだが。


「そう、キミが俺と」


 不思議そうに彼を見つめる私に、グラントは上着の隠しをごそごそと探りつつ頷いた。


「今の季節は北のホルツホルテ海は荒れているから、出発は海が穏やかな春になってからになる。キミにはまず、行くか行かないかから決めてもらいたい。 ただし、物見遊山の旅行とは言いきれないよ。まぁ……あくまでも『俺は』だけど」


それは、若干仕事が絡むけれど私を同伴しても危険の無い場所へ行く……と言うことか。


「……私がついて行ってもいいものなら、行ってみたいわ。勿論」

「そうか」


 私の答えを聞いたグラントが、見覚えのある書類を二通ほど取り出して私の前へと並べた。


「じゃあ次は、このどちらを選ぶか決めてくれ」


 それは、アグナダ公国が正式に発行している身分証だ。

 どちらかを選べと言うのはどういう意味だろうかと不思議に思い、双方を取り上げて中を見ると、両方ともに私の名前が書かれている。

 ただし、一方はアグナダ公国侯爵『バルドリー卿の妻』の名義で、片方は商人である『グラント・バーリーの妻』名義……。


 グラント・バーリーの名を目にした途端、なんだか急に胸がドキドキとしてきた。

 『懐かしい』と言う感情に近いような気もするけれど、それよりも……何か冒険的な気持ち……。


 エドーニアのラウラの結婚式があったあの夜。

 グラントに殺されるかも知れないと思った悲しさや悔しさ、恐ろしさは当時の私にとっては冗談じゃ済まされない出来事だったけれど、今こうして幸せの中にある私にとっては、ある意味良い思い出と言えなくもない。

 もちろん、もう一度同じ目に遭えといわれたら、絶対に遠慮するけど……。


 以前、私がフィフリシスに連れて行かれた時ジェイドが持ってきた身分証は、恐らく偽造した身分証だったと思う。

 でも……たぶん、目の前に並べられたこの二通の身分証は両方とも『本物』だ。

 だってグラントの立場ならば、そんな物はどうとでも用意できるもの。


「こんなものを作るなんて、酷い職権乱用ね……」

「職権の範囲内だろう。人聞きの悪い事を言うお嬢さんだな」


 冗談めかして口を曲げる彼に、私は一瞬だけの思案の後に選び取った身分証を手渡す。

 中身を確認したグラントがこちらを見ながら、嘘っぽく芝居がかった大げささで溜め息を吐いた。

「……フロー一応断っておくけど、グラント・バーリーの妻は豪華で優雅な旅行なんて出来ないからな」

「あら? だって優雅で豪華で高級なお宿に投宿して、貴方にどんな有益な情報が入ると言うの? どうせなら意味のある旅に行きましょうよ。そうじゃないなら私なんて連れて行かない方がいいわ。やり方さえ教えていただけるなら私、きっと商人の妻らしく振舞って見せてよ? 愛想笑いの仕方はこの一年、社交界でずいぶんと鍛えてもらったから……そうね、半日くらいなら笑顔でい続けることも可能だわ。水と硬いパンの粗食にも文句を言わないし、毛布を一枚下されば丸天井の下に休むことにも耐えるわよ。…時々エールやワインをちょっとだけいただければだけど……」


 話しの前半は割と真面目な表情を取り繕ってきいてくれていたグラントだったが、最後のつけ足しに堪え切れないと言った様子で笑い始めた。


「笑うなんて、失礼な人ねグラント!」

「いや……悪かったフロー。しかし半日も笑顔を張り付けていられるようになったとは、素晴らしい。けど夜空の丸天井に毛布での就寝はさすがにキミに強いる気は無いから、安心してくれ」


 むくれる私を抱き寄せながらも、グラントの肩は小刻みに震え続けている。

 人が半分以上本気で言ったのに、知るすべの無い世界に対する無知を笑うなんて、酷いじゃない。


「街道を行けば頃合いよく到着出来る場所に宿場があるし、何軒かの美味い料理屋も知ってる。だから……ワインやエールの心配はいらないよ」


自分の口から出た時には何とも思わなかった言葉も、グラントの口を介して耳にすると、とんでもないのん兵衛のような台詞だったと気づき、私も思わず笑ってしまった。


 アグナダ公国での暮らしはエドーニアとは大きく違うけれど、私はなんの不満もなく日々を過ごしていた。

 この一年、セ・セペンテスを拠点にユーシズやバルドリー家の元々の領地があった港町、サイノンテスの屋敷などを行き来して、季節ごとの美しさや行事を楽しんだ。

 以前私のお世話をしてくれたテティやフェイスが、私付きの女中として細やかに気を使ってくれているこの生活はとても快適だ。


 でもどうしてだろう……?

 屋敷にいる時のようになんでも使用人まかせの楽は出来ないと知りつつも、グラントとの旅を思うとなんだか気持ちが自由になる気がする。

 とても、わくわくする。


「何を持って行けばいいのか、教えてね。あまり大荷物には出来ないでしょう? 私、何を着ていいのかもさっぱり分からないのよ」


 出発までの準備にあれこれ頭を巡らせる私の肩を抱いてこちらを見つめていたグラントが、ふと、とても優しく瞳を和ませた事に気がついた。


「なぁに?」

「いや……楽しみにしてくれているようで、良かったよ」


 その声色を聞き、私は、このところあまり元気とは言い難かった自分が如何に彼に心配をかけていたかを思い知る。


 レレイスの幸せを喜ぶ気持ちは本当なのに、どうしても……考えずにはいられなかったのだ。

 私にはグラントの子供を産んであげることは出来ないだろうという、現実を。

 彼はそのことを承知の上で私を妻に迎えてくれているんだからと、背筋を伸ばしてなんとか気持ちをしゃんとさせようとしていた。


 ……でも……。


 彼もレレイスのお目出度の事は知っている。

 あの手紙を受け取った後で私が物思いに沈んでいては、察しない訳がない。


「……ありがとう」


 と、私は彼の肩に頭を凭せ掛けて小さくつぶやいた。

 グラントは何も言わず、ただそっと私を抱きしめる腕に力を入れる。


 外には音もなく、この年最後の雪がちらつき始めていたけれど、ゆらゆら揺れながら爆ぜる暖炉の炎に照らし出された部屋の中は暖かく、グラントの腕の中は更に温かで……とても心地が良かった。


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