4話 アルクレスト星爵家
◆
「ただの契約者が星爵家から手紙を受け取るとは珍しいな?」
星爵家の紋章が描かれた封筒を私に渡した後も、レグナス王子は楽しげにこちらを見ていた。彼は事の真相に検討がついていて、わざと問いを投げかけているようだった。
──性格が悪い。
私は観念して、最低限の事実を口にする。
「……現アルクレスト星爵は、私の父です」
「ほう?」
得心したように彼は頷く。
「他に面白い話は?以前、随分と勇敢な名乗りを聞いた気がするのだが……」
その追及に短く息を吐いて、私は言葉を足した。
「私の本名はリシェルミアナ──リシェルミアナ=アルクレストです」
手紙を指で押しつぶすように挟む。
街道でグランべを退けた後、私は彼に“リシェル”と名乗った。王族相手に本名を名乗らないことは重罪に当たる。
「……罰しますか?王子殿下」
私が問うと、レグナス王子は一拍置いてから吹き出した。
「はは、リシェル嬢は本当に勇敢だな。自分から裁きを仰ぐとは」
「いや、私は真剣に……ああもう」
本当にこの人、性格が悪いな。でも悪い人間ではない、というのがまた面倒だ。
「リシェルミアナ・アルクレスト。少し長い」
「あなたもなかなかでしょう。レグナス=ヴァルトハラン殿下」
「ああ。──そうだな、俺は引き続きお前をリシェルと呼ぼう。お前も俺をレグナスと」
「呼びませんよ」
他国の王族を名前で呼ぶなど、できるはずがないだろう。まったく。
そうしてしばらく、私たちは互いに礼儀は保ちながらも、ぎりぎりの軽口を交わす。
意外だったのは、こちらだけでなく彼の方も、私が許す距離感を測るような素振りを見せたことだ。──そんな気遣いがあるなら、もう少し真面目にコミュニケーションをとって欲しいのだが。
「だがリシェル嬢。教国の第一王子とルミナリアの星爵令嬢というのは案外つり合いがよいかもしれんな」
「はい?」
「何。考えてみればお前は、我が国の次期王妃にもふさわしい家格だと思っただけだ。もう一度こちらへ来るか」
「……お戯れを」
問題は、こちらが許していると感じるとあまりに踏み込んだ冗談を言ってくるところだ。聞いている私がひやひやする。
と、いうか。
なぜ私が神獣調律官としてヴァルトハランにいたことを把握しているのか。
……ちょっと怖いので考えないことにするけれど。
「では」
「ん?」
「父に呼ばれておりますので」
会話が途切れたところで私はレグナス王子にそう断り、ルルを抱き直して踵を返した。すると、彼は相変わらず嫌味に口角を上げながらも、広場まで送ってくれた。
「また会おう、リシェル嬢。次は俺のことをレグナスと。……ああ、呼び捨てでも構わないぞ」
「ええ、また。“レグナス王子殿下”」
◆
ルミナリア皇都、第一区。
動き出したアレムの立つ中央広場の先、並木通りを進むにつれ、家格に応じて大きくなってゆく貴族の館。その最奥に、アルクレスト星爵家の皇都邸は鎮座する。
白い石造りのファサードに群青色と金色の柱。天井の高い玄関ホールには星を象ったモザイクタイルが敷かれ、二十数代に及ぶ歴代当主の肖像画が架けられている。
「おかえりなさいませ、リシェルミアナお嬢様」
使用人たちの礼が一斉に響く。中にはいくつか懐かしい声も混ざっていた。
私は、軽く会釈をして久々の実家の扉をくぐった。
「ただいま」
──ところでルルはというと、特に止められることもなく、当然のように私の後ろからついてきていた。
『ふかふかですね!』
廊下の絨毯に呑気に堪能している……。
◆
「リシェルミアナ」
「“六文字”で呼ばないでください。アルシェリオン=アルクレスト星爵令息閣下」
謁見の間に通され、私と同じ色の金髪のお兄様と向かい合う。私が爵位付きで呼ぶと、彼は顔をしかめた。
それを見て私は、お兄様ったらせっかく固い表情を作っていたのに、とつい笑ってしまう。
「ふふ。お兄様。次期星爵がそんな風に思ったことを顔に出したら駄目だよ」
鈍く陽光を曲げる重厚な椅子に腰掛けたお兄様は、その言葉にお母様譲りのやわからな輪郭の顔を、安堵したように表情を緩めた。
次代の星爵としてはやや軟弱な印象ではあるものの、私と違ってまごうことなき美形だ。
「ああ。久しぶりだな……リシェル」
「うん。お兄様も元気そうで何より」
「ありがとう。……お前は、楽しくやっているか?」
「うん」
「契約者としての生活に不自由は?そうだ、三区のタウンハウスが狭いようなら」
「待って、待って。大丈夫。私、そこそこ元気に暮らしてるよ」
そう言うと、お兄様は少しだけ笑った。
「……そうか。なら、よい」
「お父様は?私、お父様に呼び出されたんだけど」
「まだ皇城だ。昼食はともにとりたいと言っていた。しばらくは僕で我慢してくれ」
「はーい」
神獣調律官を終えて帰国して以来あまり実家に寄りついていない私は、お兄様に会うのも数か月ぶりだった。
私の兄、アルシェリオン=アルクレストは、ルミナリア皇国に三家しかない星爵家の一つ、アルクレスト星爵家の長男だ。
皇家と星公を除けば、三大星爵家こそが国家の中枢であり、三家の立ち振る舞いは皇国全体に影響を与える。
北方守護を担う武門のタタルガルド。
社交界の中心に座り貴族たちをまとめあげるナクトノート。
そして、代々皇城の文官を多く輩出し地味ながら重要な役割を担ってきた、お父様やお兄様たちアルクレスト。
「何か私が知っておいた方がいい話はある?お兄様」
「いや。相変わらず国内は安定している。近年の寡頭主義の流行もあって皇家はタタルガルドの軍拡をやや懸念しているようだが、皇后煌下のご実家でもあるし、僕としては気にしすぎに思える」
「まあ、どちらにせよあそこが反旗を翻したら近衛騎士団でもどうしようもないし、考えても仕方ないでしょ。それは」
ルミナリアの国皇、皇后は四十代半ばで今まさに全盛期といった年齢。皇子二人と皇女一人にも恵まれており、いずれも優秀だという。皇后の父である星公を除き目立った外戚もおらず、ある程度は安定した体制だ。
「”国内は”、っていうことは、国外は違う?」
訊ねると、お兄様はやや返答に窮したようだった。
「……そうでもないんだがな。北のゾバリが拡大主義なのは今に始まったことではないし、それこそタタルガルド家が絶対的な武力で抑えている。ただヴァルトハラン教国の動きが読めないんだ」
「そうなの?」
「病弱だったレグナス第一王子が回復して正式に後継指名されたということで、ちょうどいま皇都に来ているのは知っているだろう。だが文字通りの意味でルミナリア国皇煌下にご挨拶だけして、どこかへ行った」
「……どこかへ」
「ああ。理解できない挙動だ。まだルミナリアには滞在中のはずだが足取りも途絶えているし……意図が丸きりわけがわからないんだ」
──あー。
……その人。今朝うちにいたなぁ。
いや、面倒なことになるから絶対に言わないけど。
私は内心で呟きながら、知らないふりを貫いた。
代わりに、話の流れで「教国と言えば」と口にする。
しかし私が何を言おうとしたか分かったのだろう。お兄様は先回りして言葉をかぶせてきた。
「“特級契約者になれば特権で教国にも入れる”、だろう?お前は神獣と仲が良かったようだから、いつか言い出すとは思っていた。でもそれは、僕には認められないよ」
「どうして?」
「権利があるのは契約者本人だけ。当然、護衛もつけられない。ヴァルトハランに続く東の荒野には魔獣が多いからとても危険だ」
「でも、それくらいなら頑張ればどうにかなると思うし……」
「駄目だ。リシェルは戦闘が得意ではないと自分で言っていただろう」
「それは……」
「もう一度神獣に会いたい気持ちは分かる。方法を考えよう」
私はあまり家に戻らないようにしているけれど、家族は皆、善い人たちだ。お兄様もその例に漏れない。頭ごなしに何かを否定されたことはないし、いつも私のことを考えてくれている。
仕方なく頷くと、彼は「いい子だ」とでも言うように微笑んだ。
とはいえ、実際、どうすればレギアにもう一度会えるか、他に方法は浮かばなかった。
ヴァルトハランはヴァルト教の中心だけあってルミナリア皇国をも凌駕するほどの大国だが、古く遡っても宗教面以外では歴史の表舞台にほとんど出てこない。決して軍事的にも弱いわけではなく、北のゾバリに対しても一度も国境線を譲っていないとのことだが、三年間滞在していた私からしても実態の分からない不思議な国だ。
それにしても、一体どうしてそんな国の王族に目をつけられてしまったのか……。
レグナス王子のことを思い出して私が遠い目をしていると、お兄様は意識的に声を引き締めた。
「さて。それでは本題だ」
「うん」
一通り皇国と周辺国の現状確認を終えて姿勢を正すお兄様。
たしかにここまでの内容なら秘密にするものでもない雑談だし手紙に書けば済む。もう少し何か話があるのだろうとは予測していた。
だが、続くお兄様の言葉は大いに私を憂鬱にさせるものだった。
「お父様から追って正式に命じられるだろうが、今年は、花の祝典に出てもらう」
「えー……」
”花の祝典”とは、皇家に女の子が生まれた場合にその誕生日を祝う祭事だ。皇女が国皇位を継ぐか他国に出て行くかしない限り、生涯続けられる。
当代は今年十三歳になるアリシア皇女の生まれた四の月の十五日に毎年祝典が執り行われている。
「去年までは神獣調律官であることを理由に欠席を認めていたが、今年はそれは通用しない。分かるね?」
「でも、今の私はただの冒盟の一級契約者だよ?」
「それでも、星爵令嬢であることに変わりはない」
お兄様の声にわずかに厳しさが混じる。それが責務を放棄して家を出ている私への怒りなのか、早く家に戻れという苛立ちなのか、私には汲みきれなかった。
中途半端な“家出”を許され、平民の契約者として街で自由に暮らすことを認められている現状が、甘やかされたものであることは理解している。
「これは当主としてのお父様の決定だ。星爵家で費用は持つ。そろそろドレスを用意しておけ。仮縫いは今週中に終わらせるように」
「分かった。……ありがとう」
私は立ち上がり、少し崩した“星上の礼”を執った。
「単に参加するだけでいいんだ。うちはどこかの機嫌を取らねばならぬほど脆弱な家ではない」
「うん」
「それに祝典の後はまた今まで通りで構わない。ただし、危ないことはするなよ。お前が楽しくやっているなら、もう少し“平民ごっこ”を続けても咎めないから」
「うん。気をつけるよ」
言葉選びはきついが、彼の眼には私への心配の色がはっきりと浮かんでいた。
そしてお兄様は私に近づき、髪にトリマリア玉石の簪を挿し込む。
トリマリア玉石はアルクレスト星爵家の紋章石だ。
彼が身勝手な私をいつまでも妹として扱っていることは内心嬉しかったが、こんな国宝みたいな代物を素直には受け取りづらい。
微妙な距離感を保つ兄妹の間で、ルルが小さく首を傾げて私たちを見上げていた。
「ところで、そうだ。……それは?」
昼食まで休むために私を控室に案内するよう侍女に命じながら、お兄様は訊ねた。
「それ、じゃなくてルルです」
『ルルです!』
私が答えると、人の言葉は分からないはずのルルも元気に名乗った。
「そうか──」
そうして私とルルは用意された部屋へと通される。
後ろでお兄様が何かつぶやいたようだけれど、ちょうど扉が閉まって聞こえなかった。
◇
久しぶりに会った妹を別室に行かせつつ、二十一歳の若き星爵後継アルシェリオン=アルクレストは小さくつぶやいた。
「そうか──リシェル。お前にまた友ができたのならば、本当によかった」
彼は目を伏せる。
「お前は自分がわがままを言っていると思っているかもしれないけれど、こうなってしまったのは私のせいなのだから……」
しばらく呆けていると、皇城から両親が戻って来た。
そのまますぐに、リシェルが神獣調律官を終えてルミナリアに戻って来た日以来のアルクレスト家の一家団欒が持たれた──。
◇
同刻、ルミナリア皇都第四区。
密かにヴァルトハラン教国の所有するタウンハウスの主室。
いつになくにこやかに足を組んで椅子に腰かける十七歳の教国正統後継、レグナス王子に対し、二つ年上の側近であるテルマーが棘のある言葉を投げた。
「で。いつまであの白々しい演技を続けるんですか?」
腹心の指摘にレグナスは笑顔を崩してため息をつく。
「いいだろう、別に。こちらばかりリシェルのことを知っている素振りを見せたら、不気味がられる」
「そうかもしれませんけどね。それにしても、“お前の名は何だ”とか、“驚いた。大まかな意思疎通ができる程度かと思っていたが”とかは、やりすぎだと思いますよ。わざとらしすぎて吹き出さないように堪えるのが大変でした」
「ならば」
レグナスは誇張した自分の物まねを披露するテルマ―の方を向かずに拗ねたように言う。
「ならば、どうすればいい?」
今度はテルマ―がため息をついた。
「知りませんよ。いっそ正直に“実は俺こそが神獣のレギアです。リシェル嬢のことが大好きです”とでも言えばいいんじゃないです?」
「斬ってやろうか、たわけが」
言えるわけがないだろうに、とレグナスはうなだれる。
しかしテルマーは「神侵病になっても見捨てなかった唯一の部下になんてひどいことを!」などとお茶らけるばかりだ。
──側近の選定を間違えただろうか、と、レグナスの首の角度はさらに深くなった。
ヴァルトハラン教国の王族には、数代から十数代に一人、“神侵病”を患う者が生まれる。先天性で、ある時を境に物言わぬ獣に変貌してしまう不治の病である。
そうなった王族の取り扱いとして、苦肉の策で“神獣オルガリウス”という概念が生み出された。
オルガリウスが生まれるということは、必然的に人としてのその王族が消えるということ。ゆえに神獣は王族の死と紐付けられ凶兆と捉えられる場合もある。
それでも教国としては元は高貴な立場だった獣をぞんざいには扱えず、狼と管楽器が混ざり合ったような外見の美しさを少しでも有効活用するため、周辺国に威光を示すための道具としてきたのだ。
──だが神侵病を治す少女が現れた。
リシェルミアナ=アルクレスト。
神獣となったレグナスと言葉を交わし、心を通わせ、ついに彼を“調律”しきってしまった異才。
ある朝目覚めるとレグナスは人間に戻っており、教国の秘密を教えるわけにはいかないが血筋からして軽々に処分もできないリシェルは、事情も知らされぬままルミナリア皇国へと返されたのだった。
「明かす気がないなら、そもそも初めから“レギナ”などという半端な名を告げなければよかったのでは?いつか正体に気づいてほしいと言っているようで、はっきりいて女々しいですよ」
「だがな……」
「まあ、リシェル嬢は極めて聡明ですが、そういうところは疎いので気づいていないようですが」
ヴァルトハランの下級貴族の三男として生まれ、幼少期からレグナスの腹心となるべく近くで育てられたテルマーは、教国内で非常に恐れられている主に対しても全く遠慮がない。
彼はやれやれ、と首を振った。
「殿下は、“外見は天界から来たかのようでありながら、政治の手腕も軍事の手腕も教国開闢以来の最高傑作だ”とまで持ち上げられているのに、娘一人のせいでこうも腑抜けてしまわれるとは」
「うるさい。ともかく当面は正体は明かさず単にヴァルトハランの王族として接するから、お前も余計なことを言うなよ」
「はいはい。……でも彼女の才ならいずれ生家に戻されると思いますけどね。攫うなら平民の契約者をやってる今のうちにさっさとした方がいいですよ」
彼女のことを思い出すだけで慈愛に目を細めるレグナスに、テルマーは無駄と分かりつつも忠告する。
「ならん。リシェルの意思に反することは俺は一つもしない」
「はぁ」
「リシェルは王家にも見放されて獣となった俺に、全てを与えてくれたひとだからな──」
レグナスは噛み締めるようにそうつぶやく。
その様子にテルマーは淡いけれども確かな予感を覚えた。
ヴァルトハラン史上随一の賢君になるであろうレグナスと、“魔獣語り”の令嬢リシェルミアナ。
二人の交錯はなにか大きな歴史の潮目になるのではないか──と。