15話 “百竜対策会議” 三
◆
深夜に差し掛かろうという頃。
一向に好転しない戦況を飛映虫の映す画面越しに確認しながら、応援部隊の到着を待つ政務室の窓に、大きな影が差した。
「魔獣……!」
政務室内から混乱の声が上がりかけるが、すでに立ち上がっていた私は、その正体に心当たりがあった。
『……イヅキ?』
花の祝典の少し前に、冒盟の依頼で出会った薬鷹の名を口にすれば、桟に降り立った彼女は羽を畳んで頷いた。
害のない存在であると告げると、私の“魔獣語り”を信用してか、文官の一人がすぐに窓を開けてくれる。
『どうしたの?イヅキ。悪いんだけど、今日はちょっと大変で……』
『分かってるわよ。だから来たんじゃない』
『“分かってる”って──』
『何かよくないことが起きてるんでしょ。それも、とんでもないのが。人間ってモンスターのことを何も分からないと思って舐めすぎだと思うのよね』
器用に羽を組んで不機嫌をあらわにするイヅキに、であれば、と私は軽く百竜の行進の概況を伝える。
するとイヅキは意外そうでもなく、うんうんと首を振った。
『そんなことだろうと思ったわ。じゃ、私、そこまで飛ぶから』
『…………え?』
意外な言葉に私は一瞬固まる。
それから、思考の整理を兼ねてここまでのやり取りを室内の面々に通訳した。
「──ということで、この子はなぜか戦場に行くと言っているのですが……」
そう私が言うと、魔術協会の理事と冒盟本部長が顔をしかめた。
「ホークスは戦闘能力の低い魔物ではないが、竜を相手にどうこうできるというレベルではないかと」
「同感ですな」
だが、ナクトノート星爵ラステナは異なる反応を示す。
「でもねぇ、皆さん。その鷹はどうも賢そうだ。無意味な提案を持ってくる愚物には見えない。何かまともな策があるんじゃないかな?──たとえば、戦線に羽をばらまいてくるとか」
彼女は不敵に微笑み、私はイヅキにその内容を確認する。
イヅキは驚いたようにラステナを一瞥し、首肯した。
『合ってるわよ。私だけじゃなくて、仲間も何十匹か声を掛けてあるわ。さすがに相手が竜だとは思わなかったけど、大きな戦いが起きていることは朝から感じてたから。私たちは馬とかあんたたちの車なんかよりずっと速く飛べるし』
私は反射的に息を飲んだ。
薬鷹はその名の通り羽が薬効を持つ魔獣だ。飼いならすことが難しく、一枚の羽だけで相当な高値がつく。そのホークスが数十匹──。
幾人もの騎士を瀕死の状態から蘇らせ、夜明けに命をつなぐのに十分な希望である。
『……でも』
『何よ』
『すごく危険だよ。知ってるだろうけど竜は魔力を探知するから、飛ぶ高度を間違えたらすぐに殺されちゃうし』
『そうね』
淡々と答えるイヅキに、私は鋭い目を向けた。
『イヅキが来てくれたのは嬉しいよ。でも、人間のために……一回しか会ったことのない私のためにそんな危険を冒すのは──』
『勘違いしないでよね』
もう出立の準備をしながら、イヅキはこちらを見ずに言う。
『最近、山に食べ物が減って、私たちはわざわざこんな街中まで来なきゃいけなくなったの。商人に見つかったら売り物にされそうになるし、そのへんのニャコを食べたら貴族に追いかけまわされるし、毎日最悪』
『うん』
『全部、この異常な現象のせい。みんなムカついてるの。だから他の仲間も付いてきたってわけ。それだけ』
次の瞬間、窓の外で風が撓んだ。
イヅキを待っていた無数の羽音が、いつの間にか皇城の空を覆っている。
『別に、食べ物の恨みだし。あんたたちのためじゃないからね』
◆
予想外の希望が現れ、しかし彼女たちが飛び立つと、政務室には再び静寂が戻った。
ホークスであれば数時間のうちに現場に着くかもしれない。それは戦場の盤面を返す一手になりうる。
とはいえ現在ビュートルの映像に映るのは、いまだに絶望だけた。
「残存戦力、十二。夜間攻撃に切り替えてから脱落したのは二名のみです」
「竜は?ホークスの件で目を離してしまったが、足が止まりかけている個体がいたはずだ」
「二頭停止しています」
「……上々ですな。無論、騎士たちも目は効いていない。勘で動いているのでしょう。ここ一時間の犠牲の少なさは偶然と見たほうがいいでしょうが」
淡々となされる戦況確認は、温度がないながらも的確に騎士たちの損耗を伝える。
皆ホークスがもたらした吉報などすぐに頭の隅に追いやり、重々しく画面を見つめていた。
そこに、控えめな伝令の声が割って入る。
「このような時に申し訳ございません。研究室より今回の竜の呼称を正式に砂漠竜にするとの決定が出されました」
国皇オーンドットが頷く。
もともと、モンスターの名称は、冒盟の契約者が見つけたものを皇国の研修室が命名することで決められる。そして竜だけは、冒盟で討伐対象になりえない埒外の存在として、単独で発見された場合には特に名付けられることなく単に“竜”と呼ばれる。
しかし行進が目撃された際のみ、その土地に因んで固有名が与えられるのである。
先例は海竜と山脈竜のみ。
「以降、こたびの百竜は砂漠竜と総称するものとする」
オーンドットが宣言し、伝令は速やかに下がっていった。
直後、映像を見ていた文官が声をあげる。
「残騎、十一」
また一人若い騎士が倒れた。
しかし、行進は渓谷を抜け、次第に小洞窟の多い地帯に差し掛かりつつあった。
動ける騎士たちは命からがらに洞内に退避してゆく。
かろうじて天運が味方している、と誰もが感じただろう。
騎士たちは時折打って出て竜の歩みを遅らせることはやめないが、それでも竜の巨体が侵入できない拠点を得たことは彼らが生き残る確率を幾分上げるはずだった。
◇
同刻。
ヴァルトハラン教国、王都。
王城離搭で、転送されてきた手紙を開き、教国の第一王子レグナスは口元を歪めた。
「百竜の行進、か」
同席を許された腹心のテルマーは苦々しげな表情をする。
「確かなんですかね、それ」
「ルミナリア皇家からの正式な通達はまだだが、ナクトノートがわざわざ送り付けて来たんだ。虚報の線はないだろう」
「だとすれば逆に問題では?百竜の行進なんて大災害を隣国に伏せるってのは──」
「オーンドットは暗愚だが保身はできる男だ。こちらの対策が間に合わないほどの期間握れば火種になるが、あと数日なら“国内の対応に追われており”で説明可能な範囲。どこかで伝えて来るつもりはあったはずだ。国が滅びかねない大惨事が急に起きて、他国に弱みを見せたくないというのは理解できる」
理解はできるが──。
皇都にいるであろうリシェルミアナのことを思うと、情報の入手が遅れたことに苛立ちが募った。
レグナスは深くため息をついてから、テルマーに向き直らずに訊ねる。
「仮に俺がここを不在にするとして。お前はどれくらいなら誤魔化せる?」
「殿下」
「なんだ。仮の話じゃないか。付き合え」
「教王彗下は非介入の方針ですよ。ヴァルトハランの軍は現時点では絶対に動きません」
「だろうな」
「それがお分かりなら──」
聡明なテルマーは自らの言葉を区切り、信じられないものを見てしまったかのように呟いた。
「まさか」
レグナスは腹心の問いには応じず、再び質問を重ねる。
「それで、どの程度なら不在を誤魔化せるんだ」
「いくらなんでも今回は承服いたしかねます、殿下。リシェルミアナ嬢が心配なのは分かりますが」
「知らないのか?テルマー。勉強不足だな。法典を読み返してみたんだが、神獣は教王でさえも縛れないらしい。つまり俺が勝手に単独行動したとして、父上でもそれを止められないんだ」
とんとん、と卓上の本を叩き、レグナスは漸く視線をテルマーに戻した。
彼自身、行き過ぎた詭弁であることは理解している。
神獣を教国の階層構造の外に置く建て付けにしてあるのは、単にその聖性を担保するため。実質的には王族が神侵病を患って獣となっただけなのだから、法を越えた存在足りうるわけはない。
今まで神獣を神と扱っても問題なかったのは、神侵病が二度と人に戻れぬ不治の病だったからだ。
人と獣を自由に行き来できるようになったレグナスという例外が法文の文言を逆手にとって他国の危機に出向くなど、あってはならない事態である。
だが、全て分かった上でなお、レグナスの思いは変わらなかった。
──神侵病により魔獣と化した自分に寄り添い、テルマーの他は誰もに見捨てられた中で最愛の友となってくれたリシェルミアナ。
彼女のためであれば、外交問題も、皇位継承権の剝奪も、少しも恐ろしくはない。
「俺とて竜を止められるなどと自惚れてはいない。ルミナリア内でもタタルガルド軍が北から戻るのは間に合わない、分の悪すぎる状況。初めからリシェル以外には干渉しないつもりだ」
テルマーは諦めまじりに天を仰ぐ。
「万が一ルミナリアが防衛に成功するなら俺は何もせず帰って来る。だがもし皇都が落ちれば、リシェルだけを確保して最短で戻る。そうなればどうせルミナリアの国土はゾバリとの奪い合いになるし、詳細はうやむやにして亡国の令嬢をこちらで次期王妃にしてしまえばよい」
「随分な皮算用で」
「とはいえ俺が失敗したことはないだろう?」
「……ええ。性質の悪いことにね」
二人は短く視線をかわし、レグナスはその場で漆黒の神獣へと姿を変えた。
テルマーはやれやれ、とかぶりを振る。
「午前まではどうにかします。明日の正午を過ぎれば誤魔化しきれないでしょう。僕は打ち首、殿下も投獄です」
『助かる。十分だ』
美しい獣は、音もなく宵闇に駆け出した。
◇
同刻。
ルミナリア皇国皇都西。
街道沿いの草原では、急遽集められた騎士団の主力、そして有力貴族の私兵たちが俄かに隊列を整えていた。
統一感のない装備と雑多に武器が積まれた馬車。
しかし各家の紋章の縫われた旗が無数にひらめく光景は、見る者に畏怖と安心を覚えさせる。
「これはこれは、アマナ耀爵もいらしたとは」
「三女が花の祝典に参加しましてな。皇都で用を済ませるために残っていたのですよ」
「なるほど。しかしアマナ領は代々平和で騎士など囲っていないと伺っておりましたが、さすがは耀爵家だ。武門でないというのにこれほどの人数を揃えておられる」
「シドエド護境爵にそのように褒められると何ともむず痒い。あちらには今代最強の一角とも言われるキオス騎爵もいらっしゃる。うちはご存じの通り正規の騎士団はなく、娘の趣味にあわせてある程度の傭兵を集めていただけですから」
集まった貴族たちの中には滅多に顔を合わせることのない学園時代の同窓生同士などもおり、久々の再開に、時々わずかに空気が弛緩する。
だが、非常事態勅令が出て静まり返った皇都を背に、彼らには常に重々しい緊張感が纏わりついていた。
視線の先には戦場の遠い空。
不意に、アマナ耀爵の近くにいた壮年の晶爵が口を開いた。
「大丈夫ですよ。私は騎士団長のバダクと幼い頃からの友人なのですが……奴は私の知る限り誰よりも強い男です。今回もきっと、虫一匹この皇都まで来させないでしょう」
◇
ルミナリアの西の上空。
隊列を組み、風を強く受ける先頭を交代しながら、ホークスの大群が砂漠へと飛んでいた。
すでにいくつかの街を越え、眼下にはもはや人の住む気配はない。
飛びながら、イヅキは仲間に声を掛けたときのことを思い出していた。
百竜の行進とは知らずとも、皆なにか危険な場に赴くのは分かっていたのに、断る者、渋る者は一匹もいなかった。
きっと心根の優しさというより、ホークスという種の性質によるものなのだろう。
ホークスは決して弱くもないがクカトリスのような爆発的な膂力はなく、羽に強力な薬滋成分を含み、他の生物を癒すことによって過酷な大自然の中で居場所を見つけてきた。
ゆえに本能的に、他者の役に立てる瞬間を望んでいるような気がする。
それが生態系を揺るがし自分たちの暮らしまで脅かした一国の危機となれば、心も沸き立つというものだ。
戦地へ飛び、その羽で死地を救う。
漫然と森で弱いモンスターを狩り、強いモンスターには治療と引き換えに見逃してもらう生活をしていたイヅキたちにとって初めての、種としての喜びを感じる飛行。
その鋭い夜目にもまだ姿は映らないが、彼女たちの身体は竜の強烈な魔力をもう感じ始めていた。
イヅキが前に出て、馬の数倍に達している速度をさらに上げる。
「今行くわ──」
と言っていますが、イヅキは無意識にですが(なので地の文にも現れませんが)、自分を薬の材料としてしか扱わない人間たちの中でリシェルだけが”単なる大きな鳥”として扱ってくれたことが嬉しくてだいぶ恩義を感じています。
他のホークスたちの動機はたぶんイヅキの分析で合っています。
レグナス王子は戦場にガチ走り中。
速度は、神獣オルガリウス>>ホークス>>>>魔導車>馬>>>>騎士>>馬車>一般人です。




