1話 魔獣語りのリシェル
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「ああ、大変だ!東の街道が塞がってるぞ!」
朝の平穏を乱す大声が冒盟の扉を揺らした瞬間、私は口に運びかけていたスプーンを止めた。ギルド内のざわめきが大きくなり、顔を上げれば受付の職員が慌てた様子で入り口に駆け寄っていた。
冒盟本部──このルミナリア皇国で最大の契約者ギルドは、石造りの壁を木の梁が支える、素朴ながらも重厚な造りをしている。天井が高く広々としたホールは、朝だというのに早くも契約者たちで賑わっていた。
「どうした、一体何の騒ぎだ?」
「大きな魔獣が街道を塞いでいるらしいぞ。隣国の王族が通る日だっていうのに、何だってこんな日に……」
「大丈夫なのか?」
周囲のざわめきを耳にしつつ、私はスープを飲むのを再開する。
「大変だなぁ」
ぼんやり呟くと、隣でパンを齧っていた契約者仲間のサラが困惑顔でこちらを見た。
「リシェル、あなた何のんびりしてるの。一級契約者でしょ?」
「だって、私、魔力少ないから戦闘に向いてないし」
わざとらしく肩を竦めて見せると、サラが呆れ顔になる。私は確かに一級契約者だけど、力押しは本当に苦手なのだ。それに──今回の騒ぎは面倒ごとの予感がする。
「新しい情報だ!街道を塞いでるのはグランベらしい!」
「グランべ?あの巨体じゃすぐにどかすのは無理だろ」
周囲のやりとりに耳を傾ければ、轟乱熊という魔獣の名前が聞こえた。グランべは巨大な熊型の魔獣で、大きい個体だと体長は馬車二台分にも及ぶ。
なるほど、それは確かに対処が難しそうだ。
サラが期待を込めた表情で私をつつく。
「つんつんしないで。くすぐったいから」
「ええ?行こうよ」
──まあ、仕方ない。私は残りのスープを一気に飲み干して立ち上がった。
「……手を貸そうか?」
軽い口調で声を掛けると、周囲の契約者たちが一斉にこちらを見た。
「リシェルたちが行ってくれるのか?」
困惑と期待が入り混じった声に、私は微妙に笑ってうなずく。
「まぁ、“話”くらいならね」
◆
皇都から東へ続く街道に出ると、道の中央でどっしりと座り込むグランベが見えた。漆黒のつややかな毛並みに覆われた巨大な身体から、たしかな威圧感を漂わせている。下手に刺激して暴れられれば皇都にまで被害が出かねない。
先に駆けつけていた巡回兵も契約者たちも、それをやや遠巻きして顔に緊張を浮かべていた。
「困った子だなぁ」
私は呟くと、サラに待機するように伝えて、グランベの前に進み出た。
「ねえリシェル、本当に一人で大丈夫なの?」
「まぁ、多分」
曖昧に返し、私はじっとグランベを見つめた。
『どうしたの』
ゆっくり声をかけると、グランベアは人間と言葉が通じることに一瞬驚いたようだったが、目を見つめ返してくれた。
『帰りたくない』
巨大な魔獣にしては随分と情けない声を響かせる。
『駄々をこねないの。道が塞がってみんな困るでしょ?元いたところに帰りなさい』
『いやだ!』
グランベは巨大な足で地面を叩き、子供のように拗ねて見せた。攻撃態勢と捉えた他の契約者たちが駆け寄ろうとするが、私はそれを制した。
『何がそんなに気に食わないの』
『ごはんが美味しくない』
『そんなことで?』
『でも!お肉ばっかりに飽きたんだ。もっと果物とか、野菜とか、いろいろ欲しいよ』
私は腰に手を当て、呆れて魔獣を見上げる。
『知らないよ。だったらそのへんの草でも食べたらいいでしょ?ほら、いい子だから山に帰りなさい』
少し強めに言うと、グランベは低い唸り声をあげてから、肩を落とした。
『……わかったよ』
観念したのか、のそのそと立ち上がって東の方へ歩き始める。
『ありがとうね』
一応、優しく声を掛けておくと、グランベは不満そうな声を漏らしながらも大人しく去っていった。
それを見送って振り返れば、唖然とした様子の契約者たちの視線が私に集まっていた。
「さ、さすがだな」
「これが“魔獣語りのリシェル”……」
「魔獣と話せるって本当だったのか」
今更なことを口にする新顔たちに、私は苦笑する。
「まぁ、こういうのは得意かもね。逆にアレムの樹液詰まりのあれなんかはお手上げだけど」
肩をすくめると、ずっと張り詰めていた彼らの表情も少し柔らかくなった。
これで一件落着かな──と踵を返そうとした、その時。
背後からやけに堂々とした足音が響いた。
「なるほど、見事なものだ」
◆
威厳も威圧感もある、それでいて低すぎず聴き心地の良い声だ。
驚いて振り向くと、先ほどのグランべよりもさらに深い黒の布に金糸の刺繍が張り巡らされた上着を纏う若い男が、護衛を連れて立っていた。
男性にしては重い睫毛に覆われた赤い鋭い目。やや癖のある黒髪。端正な鼻と少し薄い唇。完璧と表現する他ない、この世の者とは思えない美しさの男。
その類まれな容姿と堂々とした立ち姿から、私は、彼こそが今日皇都に来るという隣国の王族だと直感的に理解した。
反射的に“地上の礼”を執る。すると彼は鷹揚に笑った。
「礼などよい。あれは俺の護送兵団の魔獣だ。我が国のグランベが迷惑をかけたな、契約者よ……お前の名は何だ?」
「……リシェルと申します」
この返答で大丈夫だろうか、と内心焦れながら、端的に答える。
──グランべを帰らせたら街道を東に歩いて行ったから、ちょっと嫌な予感はしていたのだ。そっちは隣国の王族が来るはずの方向だけどなぁ、と。でもまぁ気のせいってことにしておこうかなぁ、と。
現実逃避していると、彼は護衛から離れて私の前までやって来てしまった。
「そうか。……俺はレグナス。レグナス=ヴァルトハラン。ヴァルトハラン教国の第一王子だ」
レグナスと名乗った彼は私をまっすぐに見て、やがて整った口元に小さな笑みを浮かべる。厄介なことに、その瞳には確かな興味の色が宿っていた。
「お前は、魔獣と話せるのだな。……実に面白い」
徐々に口角を上げていく彼に、私は内心ため息をついた。
「どこにでもいる一介のつまらない契約者です」
「つまらないかどうかは俺が決めるさ」
レグナスは楽しげに私をもう一瞥し、護送兵団の方へ振り返る。
私は、よせばいいのに咄嗟に、立ち去ろうとするその背中に声をかけてしまった。
「あの!……できれば、グランべに肉はかりでなく野菜等をあげてみてください」
口を突いてそう発言した瞬間にはもう、しまったと思ったけれど、当然手遅れだ。レグナスは先ほど以上に嬉しそうに、顔だけこちらに向けた。
「それは、なぜ?」
「……グランべが、そう言っておりましたので。……肉だけでなく、果物や野菜も食べたいと」
「ほう。驚いた。大まかな意思疎通ができる程度かと思っていたが、そのように詳細な会話ができるのか」
魔獣の食事は改善しておこう、と言い残して今度こそ立ち去ってゆく彼をぼんやりと眺めながら私は、表情には出さず、心の中で最大限顔をしかめる。
あれはどう見ても、玩具を見つけた子供の顔だった。そして、それが様になってしまうのだから度を越した美形というのはずるい。
──いずれにせよ、最悪だ。どこぞの王族に目をつけられるなんて。
後ろで見ていたサラは少し前からずっと表情が抜け落ちているし、きっと冒盟に戻ったらいろんな人たちから質問攻めにされるに違いない。
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全く、いつも当たらなくていい直感ばかり当たるのだ。朝感じた面倒ごとの予感は正しかった。
16歳の春。三の月。
私、リシェルの平穏な生活は、急速にどこかへ遠のき始めた気がした。