当家とアレは一切関係ございません
その夜。
ラモーレ男爵家には、重苦しい空気が充満していた。
全寮制の学園に通わせていた娘、アンヌが、よりにもよって王太子を筆頭とする複数の男性を侍らせてご満悦だったことで起きた問題がやっと露見したからである。
当主である父親は完全なる無表情、母親は涙で目を赤く腫らし、跡継ぎである兄は既に切れる血管は切れたという顔をし。
アンヌは被害者であるかのように泣き濡れている。
「お前は今夜を以てラモーレ家とは無関係とし、国外へと追放することとする」
「どうしてっお父様っ!わたし間違ったことなんて」
「したからに決まってるだろ。
とんだアバズレに育ったものだな」
すぱっと言い切った兄に、アンヌはぐっと黙る。
「婚約者のいない男性に話しかけて縁を繋ぐだけならまだしも。
婚約者が既にいる高位貴族、どころか王族にまで手を出して?
彼らにないことないこと吹き込んで?
婚約者の淑女たちに大迷惑をかけて?
それでどうして僕たちがお前なんかの尻拭いをするのかな。
言っておくけど、ただ追放するんじゃないよ。
お前は娼館に売られる。
賠償金として僅かでもお渡しするためにも、ハードな行為を求められるマニアックな店にね」
「え」
「十年と生きられない店だが、売却した金子は一番高かったからね。
見せしめでもあるからご令嬢がたの家も納得してくださった。
だから逃げられないと思え。
お前はそこで一生を終える。これは決定事項だ」
救いを求めて母親を見るアンヌだが、母はハンカチで目を抑えながら、
「どうしてこんな娘になってしまったの……。
きちんとした教師をつけたし、乳母だって兄と同じまともな人をつけたのに。
流行りの恋愛本なんて読ませなければよかった……」
後悔の涙に濡れるばかりで、話を聞いてくれるとは思えなかった。
というか、この場にいる誰もがアンヌの味方ではないと今更になってやっと分かった。
そして、今逃げなければ、もう未来はすぐにでも確定してしまうということも。
しかし窓と入口には屈強な男性使用人がいて逃げられそうもない。
たかが一令嬢でしかないアンヌが腕力で彼らに敵うはずもなければ、泣いてみせたところで彼らはなんとも思わないとさすがに分かる。
あ、終わった。と思ったところで時すでに遅し。
「婚約者のいない令息に粉をかけて嫁入り先を見繕ってきていたなら何も言うつもりはなかったのだがな。
教養はちと足りていないと思っていたが、大いに足りていないとは。
神はお前に倫理観というものを与えそこなったのだろう」
父はそう言ってパンパンと手を鳴らし、その数瞬後に男性使用人が持っていた縄でアンヌの動きを拘束する。
「あと半刻もすれば迎えの馬車が来る。
今身に着けているドレスは餞別の品だ、着ていきなさい。
家名は名乗っても構わんが、隣国の娼館で役に立つとは思わないように。
ではな」
口に布を押し当てられ、声さえ封じられてアンヌはその後客室に放置されることとなった。
予告通り、幾らかしてからやってきた黒尽くめの男たちにひょいと担ぎ上げられ、約束通りにと金貨百枚を渡すところまでは記憶にあるが、それ以降はショックのあまり覚えておらず。
気が付けば見知らぬ街の見知らぬうらぶれた室内で、煽情的な薄いドレスを着せられていた。
そうしてめくるめく凌辱の日々を送ることとなったが、それはまた別の話である。
アンヌを売り飛ばした対価である金貨百枚は、均等に五人の被害者へと速やかに渡されていった。
すなわち、誑かした令息の婚約者たちにである。
それ以外でも、領地内のルビー鉱山から掘り出されるルビーの良品は、出次第連絡を入れて優先的に売り渡すことが決まってしまった。
幸いにして売値はきちんとしてくれるらしいが、付き合いや何やかやで売り渡し先を決めていたので、幾らかは痛手である。
ただし、十年という期限を区切られているので、それはまた救いである。
それに、王家の関係する縁談に茶々を入れたにしては軽い処罰で済んでほっとしている。
理由として。
諸悪の根源であるアンヌを切り捨て、令嬢として有り得ない境遇に落とすことを躊躇わなかったことにある。
ただ除籍しただけなら家を潰すほどの賠償を求められたろうが、彼らは速やかに処刑に近い境遇を与えることを決めた。
生きながらにして限りなく苦痛を受けると分かっている境遇に落とし、その上で救わないし救わせない。
アンヌの原価は金貨百枚だが、売値は倍以上にもなるのだ。
そんな大金を自由に使えるほど、令息たちは小遣いを与えられていないし、隣国にいく時間的余裕もない。
しかもそうまで苦労したところで手に入るのはズタボロになったアンヌ一人だけで、迎え入れたところで帰る家はないのだ。
親の決めた道から逸れる時点で、未来は閉ざされるのだから。
まあ、そもそもアンヌに陥落させられた令息たちの将来は否定されてしまっている。
分家に婿入りしたり、飼い殺しにされたりで、跡継ぎから外されてしまっているのだ。
当然のことである。
親の決めた婚約者との関係をご破算にし、家同士の結びつきを強固にするという役目を果たせなかったのだから。
学園に通っていた三年間のうち、どの程度を婚約者を蔑ろにして遊び惚けていたかなど些末な問題だ。
問題は、婚約者を蔑ろにしていたという部分にある。
婚約者とは良好な関係を築きつつ、アンヌとは遊びであると体現していればまだ問題は少なかった。
いわば学園にいる間だけの愛人扱いであれば、婚約者も口うるさくは言わなかっただろうし、自分が優先されているとなれば尚更である。
しかし現実には、婚約者たちに関する悪口を鵜呑みにし、邪険に扱い、アンヌに耽溺した。
挙句の果てには卒業のパーティーの場で彼女たちを扱き下ろし、アンヌを持ち上げてみせたのだ。
婚約破棄を口にしなかった以上結婚は渋々ながらするものと思われたが、そんなことは最早問題の外である。
妻となるはずだった女性の尊厳を踏みにじった。
それも、大勢の人の前で。
無論同級生たちはアンヌという一種の悪女に耽溺していた令息たちが悪く、婚約者たちは呆れて距離を置いていたという現実を知っている。
しかし、そこまで頭がお花畑の夫を持つことになるという不名誉は、どうしようもなかった。
故に、婚約は破棄され、跡継ぎは挿げ替えられた。
幸いにしてアンヌの兄は既に既婚者で、今から離縁だなんだという話になりようがない。
「あの」アンヌの兄ということで向けられる視線が冷たくなるのは致し方ないが、そこは自分たちの社交で信頼を取り戻す他ない。
父と相談して進めていた、ルビー鉱山以外の産業の振興も急ピッチで進めて、王家のご機嫌取りをする必要もある。
でなくば、王太子を失った王家の苛立ちをぶつけられかねない。
少しでも利用価値を高め、家を潰されぬようにしなければこの家の未来は暗いのだ。
「父上。茶葉畑はやはり広げましょう。
加工場の建設も同時に進める手立ても必要ですが、植樹から収穫までを考えると今が最善です」
「そうだな。ちょうどカリアン公爵家にルビーが売れたところで資金はある。
西の山脈裾野であれば茶葉のための村を拓くのにも問題がない」
執務室で親子で今後の話し合いをしながら、書類をお互いに手に取る。
問題は山積しているが、片付けられないものはない。
一番厄介な問題となり果てたアンヌも既にこの家には「いない」。
彼女の資質が問題だったにせよ、兄はいずれ生まれる己の子に関してはよくよく目を配っていくつもりである。
妻もそこについては協力の構えであるので心強い。
「これを機会に子爵家に上れるほど認められるよう努力しましょう。
幸い、領地にはまだまだ余裕がありますから」
「うむ。ひ孫の代にはそうなっているとよいな」
「ええ。我らの代はとりあえず冷や飯を食う覚悟を決めておりますよ」
兄はなんてことないという調子で言う。
父も頷く。
貴族というものは切り替えも大事であるし、先を見据えた行動も大事である。
家を優先することも重要だが、受けた教育に従う限り、家族を見捨てることにはならないのでそこは庶民と大差ない。
教育された範囲から飛び出してしまったアンヌは言うまでもなくダメであったが、残された家族は範囲内で生きていくことを疑ってはいないので。
周囲の温情を無駄にせぬよう。
与えられた猶予のうちに、利用価値を高めて、あわよくばより高みに上れるよう。
励むことにしよう、と、改めて胸の内で思ったのだった。