<第9話> お嬢様、庭師と談笑致します。
弟アベルと、庭師のガードナーに見つめられる、私こと姉ロベリア。
公爵家の令嬢が、弟と庭師にまじまじと見つめられ、困った笑顔で相手の様子を伺っている。
…なんと珍妙な光景だろう。
どうしてこうなったのか、私にはさっぱり心当たりがない。
そもそも何故ガードナーは、他の使用人と同じように、私を避けようとしないのだろう。
疑問が募るばかりで、まさにこう着状態といった様子だった。
…どうしたものか。
私は笑顔を浮かべ、その場をやり過ごそうとしていた。
その様子を見た二人は、顔を見合わせ、やがて深い溜息を吐く。
それから数拍置き、ガードナーが口を開く。
「オイラぁ、あン時に感動しただがなァ…」
「まったくその通りだよね〜」
釣られてアベルまで、思い思いの様子で言葉を口にした。
これは心当たりがない以上、思い切って聞いてみた方が良さそうだ。
「あの…ガードナー?質問よろしいかしら」
「へぃ、どうしたんです?ン嬢様」
「貴方はどうして、他の使用人みたいに…私を避けたりしないの?」
「そんなことっすかぁ?」
彼は私の言葉に、呆けたように言葉を返す。
「そりゃあ、熱い姉弟愛に痺れたからですだ」
「きょ、姉弟愛…?」
さらに困惑する私をよそに、二人はウンウンと大きく縦に首を振る。
アベルに至っては、まるで赤べこのよう。
首が取れてしまわないかと、そんな事を考えさせられる勢いだ。
「えっと、私には身に覚えがないのだけれど…」
そう素直に言うと、ガードナーはこれでもかというほどに、大きく口と目を見開き、驚きを全身で露わにする。
「そっ、そりゃああのぐれぇ、当然ってことですたい!?」
そんなに驚くほどのことを…?
いや彼が大袈裟なだけ…いや、アベルもなんとも言えない表情をしている。
『なにか』はあったのだろう…それだけは察せる。
「あの、できればその出来事を説明してもらっても?」
私はしおらしくそう言うと、ガードナーは腕を組み直し、口を開く。
「ンまぁオイラ視点で構わねえって仰ンなら…」
ガードナーが語ってくれた話によると、彼はとある事故を目撃したのだという。
話が進むにつれて、話に熱が入り、訛りがキツくなっていったので、私なりに彼の言葉を解釈していこうと思う。
まずこれは数週間前の出来事だったそうだ。
その日のガードナーは、いつも通り庭仕事をしていた。
そこにアベルがやって来て、彼はアベルと多少の会話をした。
アベルはよく庭に訪れていたそうだが、その日は部屋に飾る花を探しに来たのだとか。
彼は一際美しい薔薇の花を、ガードナーに選んでもらった。
そしてその一輪を大切そうに抱え、元気にお礼を言って走っていったのだとか。
その少し後、ロベリア…私が庭に来たのだという。
私もしばしば庭を訪れていたらしいが、アベルとは違い、屋敷の裏口から静かに訪れては、気が付けばいなくなっていたそうだ。
その日の私も、誰と話すこともなく、静かに庭を歩いていた。
庭師たちも私のことを好いておらず、ガードナーも同様に気にかけることはなかった。
しかししばらくしてからだった。
屋敷の2階の方から、女性の大きな声が聞こえて来たのだ。
その声は悲鳴にも近い声で、叫んでいた。
「アベルお坊ちゃま!!」
そう、弟の名前を。
驚いたガードナーは、その声の方へと目を向けた。
するとそこには、ベランダの柵を乗り越え、今にも落ちそうなアベルの姿があった。
先程の声の主だろうか、メイドがその後方から駆け寄っていた。
が、それも時既に遅し。
アベルの身体は、宙を舞っていた。
あまりの事態に、ガードナーも咄嗟に道具をそこらに放り、ベランダの下へと体を動かした。
そこは植木のない、レンガに囲まれた花壇。
たとえ2階からであっても、そこに落ちればひとたまりもないだろう。
しかしその時、一陣の風が吹いたという。
ガードナーの横を通り過ぎたそれを、なんだったのかを彼は見た。
それは、紫のオーラに覆われた『私』だったという。
離れた場所にいたはずの私が、風とオーラを纏い、目にも止まらぬ速さでベランダの下へと向かっていた。
ガードナーは慌てた。
「危ない」と叫ぼうにも、その声すら出ないほどに。
そして次の瞬間、ドンと鈍い音がした。
花壇には砂埃が立ち込め、そこに何があるのか目視することは出来なかった。
呆気に取られ、背中を冷や汗が伝う。
そこに駆け寄ろうとする間には、砂埃が晴れていた。
そこには、アベルを抱きかかえ、額から血を流す私の姿があった。
その私たちの背後には、靴跡が付き、少しひしゃげた壁が残っていたとか。
話をそこまで聞き、私は屋敷側を見やる。
目を凝らしてみれば、その壁の一部が若干歪んでいた。
それは彼の話が、真実であることを裏付けていた。
「いンやぁ、あん時は驚いただよ!正直ダメじゃあないかとすら思ったものな。それをまっさかン嬢様が、身を挺してお守りに来るとは、オイラも予想しなかっただ」
語り終えた彼は、またウンウンと大きくうなづく。
「いやいや、感動してる場合じゃないでしょう!危ない話じゃないの…」
つい言葉に出てしまった。
しかし、危険だったことには違いない。
その辺はどうなのだろうか…そう考えていると、アベルが微妙な表情で口を開いた。
「そうだね…あのとき、おねーさまにとっても怒られたもん」
「ああ、ン嬢様の剣幕と言ったらすんごい勢いだったべ」
「えぇ…?そんなに?」
「そんりゃ、側から聞いてただけのオイラでもビックリしただよ!いんや、オイラが一番驚いでだべか?」
そう言うガードナーは、再び話し始める。
「ン嬢様ったらよぉ、ご自分もお怪我なすってるのに、そんまま大変お怒りだったじゃねえべか。そらもう、迫力さあっただね」
「ベランダでは気ぃ付けろだどか、心配かけちゃいげねえだどか…んでも、坊ちゃまったら、ニコニコなすって話聞いとらんかっただもんな、そりゃあまあお怒りにもなるかンもしれねえけんど」
急に話題に出されたアベルは、焦って訂正しようとする。
「だ、だってベランダからおねーさまを、ず〜っとよんでたんだもん!気づいてくれたんだって、思って…それに…」
「ああ、坊ちゃまが貰いにさ来たお花は、ン嬢様に渡すためだったンものなぁ」
あれ…?そういえば、部屋に花瓶が…
「ン嬢様ったらお怒りでだ…坊ちゃまのお花さ奪うように持っで、二度とするなさ言って帰ってったべな」
「でもねガードナー、今日おねーさまのおへやに行ったら、まだかびんとお花あったんだ!おねーさまとっても大切にしてくれてるんだよ!!」
「んだ、そいつぁ良かっだなあ」
二人して嬉しそうに話す。
そっか…私の部屋にあった、唯一の装飾品は、この子がくれたものだったのか。
興味がなければ受け取らなければいい、花瓶を使う必要もない。
だがロベリアはその花を受け取り、枯れても尚、大切にしていたのか。
彼女にとって、この子は希望だったのか。救いだったのか。
なんにせよ、明るい感情があったに違いない。
「何があったのかよく分かったわ、話してくれてありがとう。ガードナー」
そう言うと、ガードナーはこれまた大袈裟に腕を振る。
「そんなンな、お礼言われることじゃねえだ!むっしろオイラは、それまでン嬢様のことさよぐ知りもしねえのに、怖いお人ば思っで…今日までお話もしてこんかったですだ」
「使用人の間での私の評価は知っているわ、それに貴方はただ自分の仕事をしていただけじゃない。何を責めることがあるのかしら」
「んだ…ン嬢様さ寛大なお人だなぁ…」
そう言うと、ガードナーはメソメソと泣き始めてしまった。
鼻をズズッと啜っては、庭仕事で鍛えられた腕でガシガシと顔を拭う。
そして鼻水をたらした、情くも笑みを浮かべた顔を上げる。
「このガードナー、できっごとは庭仕事ぐれぇだけンど、オイラはン嬢様の味方ですだ」
「身を挺しで誰か守るなんてごど、そうそうできるごどじゃあないべ。オイラはそれさ迷いなく行っだン嬢様のごど、尊敬してるだよ…」
啜り泣きで、尚更何を言っているのか分かりにくい。
だけれど、彼が私を信頼してくれていることは、その言葉からしっかり伝わってくる。
なんと温かい感情だろうか。
「嬉しいわ、ガードナー。なら今度から庭園に来た時は、私も貴方とお話しさせてもらおうかしら。貴方のお邪魔にならない程度にだけれどね」
「ン邪魔なんで滅相もねえ!この庭園のことなら、なんでもオイラに聞くといいですだ」
彼はそう言うと、胸を張り、トンと叩いて見せる。
思わぬところに味方がいたものだ。
きっと私から申し出なければ、今日ここに来ていなければ、彼という味方がいることを知らなかっただろう。
ーロベリア様。この方は、貴方のお力で味方になられたのですよ。
嬉しさでいっぱいになった私は、クスリと笑みを溢す。
それを隣で見ていたアベルは、突然焦った様子で声を上げる。
「きょ、今日はおねーさまをえすこーとするの、ぼくだもん!ガードナーに聞くのはこんどから!!」
「あら、アベルったらヤキモチかしら?」
「やき…もち…?…じゃない!!今日はぼくの日なの!!」
そうプンスコと駄々をこねるアベルを見て、私とガードナーはつい笑ってしまう。
アベルはそれが気に食わないようで、そっぽを向いてしまった。
ひとしきり笑ったところで、私にガードナーが声を掛ける。
「んだんだ、ン嬢様。オイラさ渡したいものがあっただな」
「渡したいもの…?」
すると彼はポケットに手を突っ込み、大きな手の上に乗った、彼に似合わないウサギ柄の絆創膏を見せてくる。
「オイラはン嬢様にも、お怪我ないようにしてほしいだ。もしお怪我したら使うどいいべ思っでな。貰っだはいいけんど、こりゃあオイラには似合わねえですがら」
そう笑いながら、その手を私の方へと差し出す。
確かに大柄な彼には、少しばかり可愛すぎるデザインかもしれない。
今回は素直に、彼の好意に甘えるとしよう。
「ありがとう、気を付けるわ」
そう言って受け取ると、アベルに手を引かれる。
もうそろそろ我慢ならなくなったのか、足をバタバタとさせている。
大人びたところはあれど、彼はまだ子供なのだ。
「おねーさま!もー行くよ!!」
「はいはい、分かったわ。またお話ししましょうね、ガードナー」
そう声を掛けると、ガードナーは深く頭を下げる。
「いつでもお待ちしてますだ。今日は坊ちゃまさ案内で、オイラたち自慢の庭園さ楽しんでって下せえ」
「ええ、もちろんそのつもりよ」
私は彼に手を振って、その場を後にする。
アベルは調子を取り戻したようで、元気いっぱいにこっちだと言ってくる。
ロベリア様が何度も訪れていた庭園。
そのお勧めスポットは、一体どんな場所だろう。
高鳴る胸を抑え、私は緑の中、歩を進めていく。