<第8話> お嬢様、悪魔について思案致します。
『王国に伝わる伝承の悪魔』
それは、王国史に残る災厄をもたらしたとされる悪魔のことだ。
その歴史は800年は遡ると言われている。
平穏に国を築いていた頃のこと、強大な悪魔法を用いる悪魔が、この王国の首都に現れたのが始まりだったという。
悪魔はたちまち家々を破壊し、多くの人々をも殺した。
想像することすら恐ろしい悪虐の限りを尽くし、首都は真っ赤に染められた。
悪魔を打ち倒したのは、その時代に現れた聖女と、王侯貴族や神殿の神官たちの力あってのことだった。
その時に現れた悪魔は、以来『災厄の悪魔』とも呼ばれ、災厄の象徴として恐れられている。
その悪魔の情報は、伝承として残っているものが多くないものの、容姿については知れ渡っている。
それが『艶やかな紫紺の髪』に『漆黒の瞳』だったというもの。
そう、まどプリにおける悪役令嬢ロベリアの容姿に酷似している。
さらに彼女の得意魔法は『闇属性』魔法。
彼女は悪魔堕ちする運命にあるが、それ以前から、容姿や魔法適性から「悪魔だ」と忌み嫌われていたのだ。
彼女が悪役だとされたのは、性格面もあったが、その容姿が深く影響していた。
この姿で過ごし始めるまで、つまるところ前世の私にとっては、それはただの一個性だった。
キャラクターデザインの一つ。ただの設定。
ゲームを楽しむためのスパイス、そんな感覚だったのかもしれない。
しかし今なら分かる。さっき実感した。
私にとっては美しく映る容姿であっても、ロベリアやその他の王国民にとっては、大きな意味を持つものなのだと。
屋敷の玄関口を出た辺りで、私は足を止める。
手を引かれてきた弟、アベルについても気になることがある。
それは、彼の行きたい場所に向かいながら聞けばいいか。
「どうしましょう、お姉様はこの先の道が分からないわ。誰か案内してくれないかしら?」
そう言うと、アベルが嬉しそうな声を上げ、背後から私の前に飛び出してくる。
「任せておねーさま、こっちだよ!」
今目の前にいるのは、年相応の、天真爛漫な幼な子だ。
しかし、セバスの前にいた彼は。
「ねえアベル、着くまでお姉様とお話ししましょう?」
「いいよ!どんなお話し?」
トタトタと軽快に石畳を踏む彼に、言葉を返す。
「アベルはセバスが好きじゃないの?」
「うーん。きらいじゃ、ないよ」
そう言って、彼の声のトーンが少し平坦になる。
「好きでもないのね。他の使用人の皆んなは?」
「同じ。でも、セバスより好きじゃない人もいるよ」
私と出かけることが決まった時と同じ、明るい声色。
それでもまるで、感情を引き算したような声が続いていた。
きっと好きじゃないのではない、明確に嫌っているだろう。
「そう思うのは…どうして?」
「みんな、おねーさまを悪魔って言うだけだからだよ」
「それはお話の悪魔と似ているからよ、怖がるのも仕方ないの」
「そうじゃない」
一瞬だけ、声が低くなったような気がした。
「悪魔って言うだけ、言うんだ。そのあとは、おねーさまを見ないふりする。」
「おねーさまのお名前を言ってる人は見たことない」
「悪魔じゃないことなんて、ぼくでもわかるのに。わかるはずなのに、わかろうともしないんだ」
「それが、いや」
確かに、セバスのように長年公爵家を見てきた者、自分よりも長く姉を見てきた者なら、そうかもしれない。
しかしロベリアは、他者を遠ざけるために、脅すようなこともしてきた。
それは特別ディスクで、幼少期からそうだったと描写されていた。
「私は今まで、貴方を含めてひどいことをしてきたわ。悪魔のようだ、と言うのは仕方がないと思うの」
「そうじゃ、ない」
アベルの語気が強まる。
「悪魔のよう、じゃない。『悪魔だ』って言うんだ。違いないって言うんだ」
私はそれに少し気圧される。
「それは…でも貴方には優しいでしょう?」
「ぼくは、おねーさまと一緒がいいんだ」
そして小さく呟いた。
「おねーさまは、こんなにホワホワなのに」
「こんなに白いのに。どうして、わからないんだ」
一体、どういう意味だろう。
ホワホワ…?ロベリア様にそんな描写はなかったはず。
それでも彼の声は、何かを確信しているようだった。
これはちゃんと考えるべきことかもしれない。
しかし現状答えが出るものではなさそうだ。
であれば、今は今後のことをアドバイスして終えることにしよう。
「話してくれてありがとう、アベル。」
そう言うと、アベルはハッとした様子で、元の声色を取り戻す。
「ううん。でもおねーさまには、いやなお話だったかも…ごめんなさい」
「いいのよ、私が聞いたのだから」
少ししょげた様子の彼の手を握り返して、私は言葉を続ける。
「それよりもアベル、これからはセバスと仲良くしてあげてね」
「どうして…?おねーさまにあんな、ひどいこと言ったのに」
「セバスは誰よりも、この家を、この家の人間を大切に考えてくれているわ。きっとこれからもそう、貴方の力になってくれるとも思うの」
「でもさっき邪魔を…」
遮るようにして、私は言う。
「あれは貴方を思ってのことよ」
「おねーさまを、あんなふうに言うことが!?」
彼は咄嗟に叫び、自分の言葉に驚いたのか、ハッとする。
「そこに落ち度はあったかもしれない、それでも他でもない私がセバスを許したの。それにきっと彼は、今後さらに良い使用人となるわ」
「それは…そうだけど…」
「それに貴方は未熟ながらも、使用人の前で、上に立つ者として行うべきことをしました。姉として、私はそれがとても誇らしいのよ?」
「おとうさまのマネで、ぼくはなにも…おねーさまを守れなかった」
この子は私を守ろうとしてくれていたのか、尚のこと愛おしい。
ならばやはり、今後この子に彼の力は必要だろう。
「きっとセバスは、今後貴方の味方になってくれるわ。だから最初は嫌いでもいい、少しでも仲良くしておきなさいな」
「それは…」
「お姉様から愛しい弟への助言よ。そして使用人を抱える貴族の義務でもあるわ」
「おねーさまがそう言うなら…」
アベルは渋々といった声だが、了承してくれたようだ。
他の使用人たちは、異端とも言える容姿の私に良くするアベルへの意見は、風当たりが強いこともあるかもしれない。
だがセバスであれば、少なくともアベルに対しては、正しい対応をしてくれることだろう。
高いプライドを持った使用人だ、そこは信用できる。
「さてお話はこの辺にして、アベルご自慢のお庭はそろそろかしら?」
その言葉を聞いたアベルは、笑顔を咲かせ、こちらを振り向く。
「そうそう、おにわ!」
「というか、もうついてるけどね。おねーさま気づくのおそーい!!」
そう言ってアベルは、悪戯っぽい笑顔でコロコロと笑う。
その言葉を受け、私はこれまで考えを巡らせるばかりで、周囲を気にしていなかったと思い返した。
辺りを見渡すと、そこには緑が生い茂っていた。
いや、生い茂っていたという表現は、適切ではないかもしれない。
そう思うほどに多くの緑が、手入れされた状態で広がっていたのだ。
振り向いてみれば、玄関口を出てすぐから庭が広がっていた。
実に広大な敷地、これだけの庭の管理はさぞ大変なことだろう。
「あんれ、そこに在わすのは…坊ちゃんかい?」
背後から、少し訛った口調の声が聞こえてきた。
どうやら向かっていく先から聞こえたようだ、私はそちらを振り向く。
「そうだよ。今日もおにわはゼッコーチョーだね、ガードナー!」
アベルは繋いでいない方の手で、大きく手を振る。
その先には、軽装で脚立の上に立った男性の姿があった。
きっと彼が『ガードナー』前世では庭師を由来とした名前だっただろうか。
「ああ、絶好調ですぜ。なんせオイラが愛情を込めてんですがら」
男性はそう言いながら、脚立を下りる。
そしてこちらに向き直ると、いかにも驚いた顔で一歩退いた。
「まっさか、おン嬢様がご一緒とはな…変わったこともあるもんだべ」
「そんなに変わったことかな?」
アベルは不思議そうに言う。
しかしガードナーの意見はもっともだ。
これまで弟を邪険にしていた姉が、弟と自分とで手を繋いで現れたのだ。
驚くなという方が難しいだろう。
そう思っていた時だった。
ガードナーと呼ばれた彼は大きな声で豪快に笑う。
「ガハハ!確かに、それもそうだンなぁ!!なんにも変わったことはありゃーせんで」
「変わったことではない…?」
今度は私が驚いて、つい言葉が口から溢れてしまった。
「ああ、ああ。おン嬢様が弟君さ大事にしとるんは、このガードナーにゃお見通しですぜ」
彼は会話の中で表情をくるくると、踊るように変える。
今は訳知り顔、所謂ドヤ顔に手を当て、私の方を見ている。
お見通しという言葉にも、何か根拠がありそうだが一体…
「あの、ガードナー?」
「おん?ン嬢様、なんでしょうかぃ?」
「その、お見通しとは…?」
「おいおい、そいつぁ知ったかってもんですぜ!アレをこの目で見て何も思わねえほど、オイラは頑固じゃあねえですぜ」
彼はやれやれといった様子で、両手を広げた大袈裟な身振りをする。
いやしかし、アレというものに心当たりがない。
「そうなんだよ、ガードナー!おねーさまったら、おぼえてないって言うの!」
「いやぁ忘れるわきゃぁないでしょうや。なあ、ン嬢様ぁ?」
「えっと…その…」
身に覚えのない私は、目線を宙に泳がせる。
それをアベルとガードナーの二人に、ジィっと見つめられている。
もしや、何か重大なことが…?
…二人してそんなに見つめているのなら!一体何が起こったのか教えてよ!!