<第48話> お嬢様、この世界の"完璧"とは。
当然と言えば、当然のこと。
的確な量の息を的確に吹き込み口に当ててやらなければ、フルートの音色は聞こえてこない。
「ノワゼットさま、へたっぴ。ぜんぜんできてないよ。これじゃウソつきだ」
アベルがカラカラと笑う。
しかしその言葉を受けたノワゼットは、あからさまな動揺を見せる。
「…あり得ない」
「…そうだよ、そんな。そんなわけがない!」
ノワゼットは俯き、腕をだらしなくぶら下げる。
そして、怒号にも近しい声を上げた。
「兄様に出来て、この僕に出来ない?そんなこと、あり得るはずがないんだ」
「だって僕は、魔法が出来て。大人と話せて。勉強も出来るし」
「それに、それに…」
彼は、膝から崩れ落ちる。
「次期王太子が、完璧じゃなくて、どうするんだ」
その声は消え入りそうで、切なく、悲鳴の様でもあった。
ノワゼットの側に座り、ローレンスは優しく語り掛ける。
「ノワゼット、楽器なんてって君が言ったんじゃないか。何の役にも立たないって。だから出来なくたって、そんな落ち込むことは…」
「…るさい」
「…ノワゼット?」
「うるさい!兄様は落ちこぼれで!何にも分かってないくせに!!」
そう声を上げ、ローレンスを見つめる彼の目からは、一筋の涙が溢れていた。
「僕は兄様と違うんだ!!王族で、第二王子で、次期王太子で。母様も『ノワゼットは何でも出来る』って。そうだよ、出来る。出来なきゃいけない」
怒りに満ちた様だった表情が、悲しみの色に染まる。
「…兄様に分かるっていうの?この気持ちがさ」
正直な所、この反応は私には予想外だった。
『自慢げなその鼻をへし折ってやろう』みたいな、そんな気持ちだったから。
私は彼を、正しく理解も評価も出来ていなかったんだ。
ノワゼットは、単純に兄を見下していたのではない。
先程の言葉を受ければ、印象はまるで変わる。
『次期王太子として完璧でいなくてはならない』
その重圧が、6歳にも満たない彼の重圧だったのだろう。
何でも出来る、出来なければいけない。
それが己の責務だと、考えているのだ。
だからと言って、他者を見下して良い理由にはならない。
…ならない、ならないのだが。
彼の言動からは、
『この重圧が無いなんて羨ましい』
なんて意図を、感じた。
ローレンスも、ロベリアの様に両親から差別されていたのなら。
きっと兄弟でコミュニケーションを取る機会は少ない。
そうじゃなくとも、ずっと兄と弟で比べられてきたのだ。
王宮という、周囲に多くの人々が居る状況で。
そのせいで、2人はすれ違ってきたのかもしれない。
見下した様な態度という、良好ではないコミュニケーション。
それしか、無かったのかもしれない。
それはきっと、悲しいことだ。
ローレンスはそのまま、ノワゼットの隣に座る。
「…楽器が出来る意味なんて、本当に無いんだよ」
「違う。楽器とか、そういう問題じゃない。僕は、全部出来なきゃ」
「ならノワゼットは、僕の気持ちが分かるかい?」
「兄様の、気持ち?そんなの、分かるわけが…」
「そうだよ。他人の気持ちなんて、分からないよね。何でも出来るなら、これも出来ていなきゃいけないけど」
「…ッ! 兄様は、それすら僕に出来ないって言いたいの?あれも出来ない、これも出来ない!って!!」
「違うよ、ノワゼット。出来ないことは、あるんだよ。お互いの気持ちが完全には理解出来ないのと同じで」
「…そんな、簡単に言わないで」
「だって僕は、魔法はてんでダメなんだからね」
「…は?」
ノワゼットは顔を上げる。
ローレンスはそんな彼に、微笑みかける。
「ロベリア嬢も言っていたじゃないか。『不得手なんですね』って。出来ないとか以前に、人には、得意不得意があるんだよ」
「それでは、諦めろと…?」
「うん。完璧は諦めよう」
「…やっぱり兄様は分かってない。次期王太子にそんなこと、許されるわけが」
ローレンスは遮るように、言葉を放る。
「その代わりにさ、頑張ろうよ」
「…頑張る?そんな何を当然のことを?」
「ノワゼットはどうして、そんなにたくさんのことが出来るんだい?」
「それは、頑張って勉強したからで…」
「そうだね。僕のフルートの演奏だって、そうなんだよ」
ローレンスは、ノワゼットの手からフルートを取り上げる。
そしてそれを、構えて見せる。
「…持ち方だってね、勉強からだったよ。最初はノワゼットみたいに、持ち方も分からなかった。でも勉強したから分かる。知ろうとしたから、分かるようになったんだ」
「音も、ですか。魔法じゃ、なくて?」
「アハハ、僕が魔法が苦手なのはノワゼットがよく知ってるだろう?」
ノワゼットの頭を、くしゃりと撫でる。
そしてフルートに息を吹き込み、ゆっくりと指を運び、音階を奏でる。
「風魔法で音色を出すこと自体は可能だけどね。僕にはそれが出来ない。だから自分の出来る方法を探して、知って、努力したんだよ」
「……」
「ノワゼットも、風魔法は得意ではないだろう?それも出来なきゃダメ?」
「それは…でき、ません……」
「そうだよね。王国全土を探したって、全属性の適正持ちなんて、教皇聖下以外には居ないだろうね。もし他に見つかったら、それは聖女様か女神様かもしれない」
ローレンスの話を聞き、ノワゼットは少し落ち着いたようだ。
しかし、その表情は暗く沈んでいる。
ローレンスはニパッと弾けるように笑う。
そして言葉の続きを紡ぐ。
「でもね、ノワゼット。僕らには、"魔法"だけじゃなくて、"魔術"もあるよね」
「魔法適性が低い属性でも、正しい知識を持って、努力すれば、魔術としてなら扱えるじゃないか。」
「…完璧じゃないけど、こういうのじゃダメなのかな?」
「僕はね、苦手なものを苦手だと諦めろって言ってるんじゃないんだよ。出来ないこと、苦手なことを、まず受け入れるんだ。そうしたらその先に、それを乗り越える方法があるかもしれない。"それが苦手でも出来る方法"を探すんだ。そうしたら出来るようになるかもしれない」
「ノワゼットは賢いから。さっきの魔法の話でさ、完璧は無理だって分かったでしょ?ならそれを受け入れること、出来るように頑張ろうとすることが、大切なんじゃないかな。僕はそう思うよ」
ノワゼットはしばらく押し黙りながらも、兄の言葉の意味を考えているようだった。
ローレンスは聡明で、弟に分かりやすいように、この世界の常識で例えてみせた。
完璧主義をどう説得したものか考えようとも思ったが、ローレンスの言葉を聞いた今なら分かる。
私の言葉は不要だと。
暫しの後、ノワゼットが口を開く。
「…では兄様は、魔術なら扱えるのですか?」
ローレンスは優しく微笑み、頷く。
「とは言っても、何の役にも立たないようなものだけど」
「見たいです、兄様の魔術」
「そうかい、それなら…」
ローレンスは、スッと指を立てる。
そして庭の芝生の方へ向け、印を切るように動かす。
「大地よ、草木よ、花よ、母なる自然よ」
そして水をカップに入れて片手に持ち、その水へともう片手の指を入れる。
「我は汝らに求る者也」
指から水を滴らせ、その水で小さな円を描いていく。
「母なる自然よ、どうか応えたまえ」
水で描かれた円は、より複雑になり、魔法陣のように描かれる。
そして次の一息と共に、円を描く動作は終わる。
「小さき命に祝福を。 花を。」
すると、水で濡れた草木の中心。
たった一輪の、どこにでもあるような花が咲く。
ローレンスは、恥ずかしそうに笑う。
「以前、育てたい花があったんだ。僕には難しかったんだけどね。でも花を咲かせられたら素敵だなって、少しだけ魔術をね。これだけ、だけど。」
そう言って、その一輪の花に優しく触れる。
「…すごい」
「すごいです、兄様!!」
それまで沈んでいた様子はどこへやら。
ノワゼットは嬉々とした様子で声を上げる。
「えっと、どれくらい、お勉強を?」
「これだけでも、1ヶ月は掛かってしまったよ。こんな役に立たない、花も特別なんかじゃないけど」
「それでもすごい!」
キラキラとした目線を送る弟の様子に、ローレンスはどうやら驚いている。
しかし、次の瞬間には嬉しそうに笑う。
「そっか、ありがとう」
ノワゼットは立ち上がり、意気揚々といった様子で言葉を放つ。
「兄様、僕は完璧を諦めないです!」
「の、ノワゼット…」
「だけど、全部完璧になるという意味ではなくって。そうなれるように、目指します!頑張ります!苦手は練習するって意味です!!」
「魔法だって、魔術で全属性扱えるようになってみせるので!!」
「…そうだね。ノワゼットなら、きっと出来るよ」
言葉を交わす二人は、以前見たロベリア様の記憶に私が出会ってからも合わせて、
今までで最高の笑顔のように見えた。




