<第5話> お嬢様、推しと現実を見据えます。
ドレッサーの鏡面の前に立つと、ややキツめな印象ではあるが、あどけなさが残る顔立ちの、幼い少女がこちらを見ていた。
少しボサついた紫紺の髪の間から、陶器のような肌と漆黒に近い瞳が覗く。
耳は…長くはない、少し尖っているだけ。
しかしこれでいい、これが悪魔堕ちする前の彼女の姿だ。
まどプリの世界の人々は、皆共通した外見的特徴がある。
それは「耳が尖っている」ということ。
そして平均寿命が長く、若い容姿の人が多い傾向にあるのだ。
ゲームで見た国王様や王妃様、攻略対象の両親まで、それなりの高齢でも、揃って若めの容姿だった。
確か『成人の儀』も30歳で迎えるもので、よくある貴族ファンタジーではもっと早いのに、と感じたことも覚えている。
私の知識でいうところの、『エルフ』なのだろうか?
そう思いながら、まだ小さな耳をさする。
(何をしているの?早く準備しなさいよ)
そうルリに言われて、我に返る。
(言っておくけど私は、あなたが私の人生を変えるだなんて、そんな期待はしてないんだから。ちょっと興味があるだけよ。手助けもしないんだから)
本当に期待をしていないというなら、興味もないだろうに…
ルリはツンデレだなぁと、言葉を交わすようになった今でも感じる。
思わずクスッと笑いがこぼれる。
(…何よ?なにかご不満?)
「いいえ、私とお話ししてくださることが嬉しいだけですよ」
(そう。それなら残念だけど、今後はあまり話せないんだからね)
「えっ?どうしてですか!?」
まずい、つい語気を荒げてしまった。
でも一体どういう…
(私以外にも、精霊の声が聞こえる者がいるかもしれないからよ)
「あっ、なるほど…そういった意味でしたか」
そうだった、確かに他の登場人物にも、そんな描写があった気がする…。
あれは誰だっただろうか…?
(そういったって、あなたどんな意味だと思ったのよ)
「てっきりルリに嫌われてしまったのかと思いまして、そうではないと聞いて安心しました」
(そうは言ってないのだけれど…まぁ伝わったのならいいわ)
「はい!」
私は元気良く短い言葉を返し、ドレッサーに向かい直す。
まずは髪を整えなくては。
私は髪の毛を解かしながら…あれ?
何か、足りない気がする。
「ねえ、ルリ?」
(さっき話は控えると伝えたはずだけれど?何よ)
「ごめんなさい、でも使用人の方は来ないの?さっき朝食の支度をしてくると言ったきりで…」
「公爵令嬢のお召し変えでしょう?普通は担当の方がいるのではないかと思って」
(…あぁ、そうね。確かに普通はそうみたい。でも私に寄り付こうなんて人、いないから)
「そ、れは…ごめんなさい、嫌なことを聞いてしまったみたい」
(別に、事実を言っただけだわ)
私はその言葉に、口を噤む。
ロベリアは他者を避けて過ごしていた、それは屋敷内でも同じだったんだ。
だからこんなにも部屋が静かで、誰も必要以上に訪れない。
一度気付いてしまうと、この静寂が少しだけ耳に痛かった。
…これから先も、そうなのだろうか。
いや、それはない。
そうさせない為に、私は今ここに『ロベリア』としているんだから。
幼くとも長めで、ゆるいカールをした髪に、少々手間取りながら、髪を解きおえる。
前世の私は、クセのないストレートヘアだった。
髪質一つで解き方が変わる、別人の髪を整えることがこんなに大変だったなんて。
あとは、服を着替えなくては。
フリルが付いた可愛いデザインだとはいえ、薄手の下着に近い服装でいるわけにはいかない。
大きめのクローゼットらしい扉がある。
部屋の中は質素で、家具は机と椅子にベッド。
装飾品は枯れた花の刺さった花瓶くらいしかない。
服があるなら、あの扉の中しかないだろう。
そう思い、クローゼットらしい扉を開ける。
どうやらその予想は的中したらしい。
眼前に飛び込んできたのは、色鮮やかなドレスの数々だった。
しかしどれも、豪奢とは言えないデザインだ。
色を見たって、この髪や瞳に合うとは言えない色のものが多い。
彼女の両親が適当に選んだのか、はたまたこの色が似合う容姿であって欲しかったのか。
それは分からないが、どこか歪さを感じると言わざるを得ない。
コルセットもあるが、一人では着れるものではないし、子供の普段着なら不要だろう。
…あぁ、パニエがある。ドレスの中にこれを履けば十分か。
さて、肝心のドレスはどれを着ようか…?
それを考えるにも一苦労だ。
「この中だったら、こちらでしょうか」
そう呟いて、私が選んだのは『薄花色』のドレスだった。
花色を薄くしたような、明るく淡い青紫色。
落ち着いた色合いで、彼女によく似合うだろうと思ったのだ。
(あら、悪くないセンスね)
「ルリ?」
やっとの思いで着替えたところで、声を掛けられる。
(私もそのドレスがお気に入りだったわ、少し物足りないと思っていたけど)
「そうでしょうか?私はとてもお似合いだと思います」
そう言った私は、ドレッサーの前に戻り、身に纏ったドレスを確認して見てみる。
裾を持ち上げてみたりして、布を遊ばせる。
私の動きに合わせて、布と髪が宙で揺らめく。
ー思った通りだ、やはりこれが似合う。
(これを挿せば、完成じゃないかしら)
そう言ったルリの言葉に振り向くと、紫の光は、より眩く光を強めた。
その眩しさに、つい目を瞑る。
(ほら、早くなさい)
「…?」
ゆっくりと目を開けると、白銀の花を象ったバレッタが、宙に鎮座していた。
仄かに紫の光を反射するように纏うそれは、見たことがないものだ。
しかし反射している色からして、ルリ…だろうか?
「こちらを身に付けれていれば、よろしいのでしょうか」
(そうよ。姿を変えるくらいならできたわ、丁度髪飾りとかが足りてないと思ったのよ)
「確かに、こちらも似合いそうです」
そう言いながら、私はバレッタを大切に手に取った。
ドレッサーの中の幼女と睨み合いながら、慣れない手付きで横髪を留める。
(この姿なら、契約精霊とも思われないでしょ。私もあなたを見ていられるし)
「それは見事なお考えです!さすがですルリ、これでずっとご一緒できますね!」
(目的はそれじゃなくて…もういいわ。そろそろ時間だろうから、私は黙ることにするから)
「時間…?」
上機嫌な私に対して、ルリはそうではないみたいだ。
それにしても、時間とは何の時間のことだろう。
今は取り急ぎ、バレッタを身に付けておくことにしよう。
「これで…痛っ!」
バレッタを止めた時、おでこに鈍い痛みが走った。
さすってみれば、小さなたんこぶがある。
私ってば、髪を解かしている間にブラシをぶつけたりでもしたのかしら。
途端、コツコツとドアをノックする音が響く。
「お嬢様、朝食でございます」
小さくなったおでこを撫でていた私は、急に恥ずかしくなり、部屋の中にある椅子に急いで座る。
焦りがバレないように、極力落ち着いた声で返事をする。
「どうぞ、入って頂戴」
「…失礼致します」
その声と同時に、部屋の扉が開かれる。
起きた時と同じメイド…ジェシーだ。
彼女はギクシャクとした様子でお辞儀をすると、こちらへ背を向ける。
「…?」
彼女は、食事に誘いに来たのではないのだろうか?
そう疑問に思いながら、その背を見ていると、廊下から食事を載せたワゴンを部屋に引き入れた。
そして私の座る椅子の前の机に、ワゴンを横付けした。
サラダ、スープに、ベーコンエッグとロールパン。
カチャカチャと音を立てながら、それらを並べていく。
「…あの」
私が声を発すると、ジェシーは肩をビクつかせる。
「ふぁっ、はい!?な、何かご不満がありましたか…?」
その声は裏返っており、また歪んだ顔で私のことを見ている。
不満ではないのだが…。
「私は家族の食卓に呼ばれないの?」
「へ?そのようなこと今まで…い、いえ!!あの、公爵閣下がこうするようにと…お嬢様もそのようにと仰っておりましたので…」
「そう…ありがとう」
「いっ、いえ!とんでもありません!!私はこれにて下がらせていただきますので…」
そう言って、彼女は慌ただしくワゴンを押し、帰っていった。
ジェシーの言葉で分かった。
ロベリアは家族の食卓から、遠ざけられていた。
それだけじゃない。
たった一人で、この部屋で食事をしていたのだ。
自らも人を遠ざけるために、それを良しとして。
私はスプーンを取り、スープを口に運ぶ。
味は、美味しい。
しかし…だ。
…なんと、もの寂しい食事だろうか。
スプーンを食器に、少しだけ高い位置から置く。
カチャン、という無機質な音だけが、部屋に響く。
部屋の外からすら、話し声も物音もしない。
この部屋自体、皆に避けられているのだろうか。
妙に息が詰まり、まるで、鳥籠のようだとすら感じる。
ロベリアは、自分の中の闇魔法を恐れ、他者を傷付けることがないようにと、自分から遠ざけていた。
家族だけでなく、使用人にもあそこまで怯えられるほどに。
そこまで徹底して、遠ざけたのだ。
どれほどの気持ちがあれば、できることなのだろう。
どれほどの気持ちがあれば、ここまでの孤独に耐えきれたのだろうか。
私だって家族と食事くらいはしていた。
もっとも、マナーの確認という意味合いがあったが。
それでもここまで、食事に孤独感を感じたことはなかった。
サラダの野菜を刺す音。
スープを掬う音。
ベーコンエッグが切り分けられ、皿を滑る音。
ロールパンをちぎる音。
こんなに『食事から音』を感じたこともない。
部屋に広がる静寂が、その音らを際立てているのだ。
きっと、ロベリアにとっては『当たり前の日常の一部』なのだろう。
ルリが何も声をかけてこないことが、それを肯定しているように感じた。
疑問に思うことなど何一つない、告げるべきこともないのだ。
思うものは数あれど、食事を静かに平らげる。
いくら楽しみを感じないとはいえ、残すというわけにもいかない。
食事を終え、零す溜め息の音ですら、ここではよく聞こえる。
さて、これからどうするべきか。
部屋の外に出るか?
いや、それで誰かを困らせてはしまわないだろうか。
今の状況では、あまりにも情報が足りない。
それを集めるために、外に出るべきかの情報すら足りていないのだ。
いくら考えても、結論らしいものが出そうにない。
一体どうしたものか、考えあぐねていた時だった。
トントントンと、部屋の扉を優しくノックする音が耳に入る。
ジェシーか誰かが、食器の後片付けにでも来たのだろうか?
「どうぞ」
…おかしいな、返事をしたはずなのに。
返答が返ってくるでも、扉が開くでもない。
一体なんだというのだ。
椅子から下り、扉の方へと向かう。
そっと扉を開けてみると、そこにはウサギのぬいぐるみを抱いた、幼い少年の姿があった。
3、4歳くらいの背格好。ちょこんと尖った耳。
淡い黄色でカールさせた髪に、緑と青を煌めかせたオッドアイ。
そんな少年が、キョトンとした表情を浮かべ、こちらを上目遣いで見上げている。
「…アベル」
その外見的特徴には、覚えがあった。
この少年は、ロベリアの弟『アベル・エリオ・クロートー』に違いない。