<第4話> お嬢様、公爵令嬢になりました。
「…さま」
一体誰の声だろう…?
でも私、何故かとっても眠たくて…
「…お嬢様、起きて下さい」
そんなに揺すらないで、もう少し、だけだから…
「起きて下さい、ロベリアお嬢様!」
「…へ?」
おぼつかない意識の中で、聞き覚えのある名前を捉えた。
その瞬間、意識と共に身体が跳ね起きる。
「ロベリア!ロベリア様は!?」
声の方に目線を向けると、そこにはメイド服の女性の姿があった。
女性は驚いた素振りで、歪な笑顔を見せる。
「え、えぇ。どうかされましたか、ロベリアお嬢様…?」
彼女は私の顔を見て、そう言葉をかけてきた。
「あ…そっか。ごめんなさい、直ぐに起きますから」
「えっ!?そう…ですか、では朝食のご準備をして参りますので…」
メイドは何か言いたそうにしながらも、それを止め、足早に部屋を出て行った。
ーそうだった、思い出した。
私はロベリアを押し退けて、5歳の彼女に転生したんだ。
ロベリアは…一体どうなったんだろうか。
もし私が押し退けて転生した為に、彼女に何かがあったら…!!
(私はここよ、落ち着きなさいな)
頭の中に、ロベリアの声が響いてくる。
「ロベリア様!?」
(今のロベリアはあなたなのよ、自分の名前に様を付けて叫ぶものじゃないわ)
「そ、それは驚いてしまって…つい…」
(さっきだって、ジェシーが驚いてたじゃない)
「ジェシーさん?ですか?」
(さっきのメイドよ、私の世話を押し付けられてる可哀想な…)
「それはなんと、幸せなお仕事でしょうか…!」
(ちょっと!話を聞くんだか聞かないんだか、どっちかにしなさいよ)
「私がロベリア様…いえ、貴女のお話を聞かないなんてこと、有り得ません」
(はぁ…まぁいいわ、今度から気を付けてちょうだい。ところで現状は理解しているの?)
そう言われて辺りを見渡すが、ロベリアの姿はない。
声にしたって、何度聞いても、頭の中で直接響いているという感覚しか感じられない。
ただ、目を凝らしてみると…淡い紫の光が宙に浮いていることに気が付いた。
その光を掬うように、そっと手を添えてみる。
「もしかして、アナタがそう…ですか?」
紫の光は、応えるように宙を滑る。
(よく分かったわね。そう、今の私は精霊に近しい何か、かしら)
「精霊ですか?そういえば確かに、貴女は精霊を感じ取ることができたけれど、精霊に好かれてはいなかったはず…」
(本当になんで、そんなことまで知ってるのかしらね。私にはあなたの方が不思議で仕方ないわ)
確かにその疑問は最もだ。
それはそうとして、まさか貴女の人生を何度も何度も見てきました〜、なんてことは言えない…
「あはは、それは…えっと、このままで問題ないのでしょうか?」
(それは分からない)
「えっ」
(だってこんな状態になったことがないもの、それに精霊は力が弱まると潰えてしまうとも聞いたわ)
衝撃的な言葉の連続だった。
どうしよう、このままでは私のせいで?
「そそ、そんなっ!?ロベリア様が消えてしまうなんて、そんなこと…!」
(また様付けが出てるわよ、直しなさい。それにそんなに慌てることじゃないわ)
「ロベ、あっ、貴女はもっとご自分のことを大切に…!」
(そういう意味じゃないったら。私は今、精霊に近しいけど、それとは少し違う不安定な存在なの)
「不安定、ですか?」
(ええ、精霊と違って魔法を行使できない。意思だけの存在みたいね)
(だからもし意思が潰えた時、それは私が消える時だと思うわ)
「それは困ります!!」
横に大きく首を振る私の側に、紫の光が近付く。
(そう困ることはないわ、契約魔術を使えばいいじゃない)
そうだ、契約魔術。
この世界、まどプリには大きく分けて3種類の魔導分野が存在する。
一つ、魔法。
二つ、魔術。
三つ、契約魔術。
契約魔術は精霊と契約し、使役するものだ。
確かにこの契約を結べば、私の契約精霊として、存在を固定化できるかもしれない。
契約に必要なのは…
「〝精霊契約魔術〟ですね」
(ご名答ね、だからそれを誰かに教わって…)
「やってみます」
(…えっ?)
戸惑うように、光は宙を踊る。
私は目を閉じ、ゲームの知識を思い出すことに集中する。
契約魔術は、精霊契約魔術から始まる。
この魔術の詠唱によって、精霊と契約を果たさなければ、精霊の恩恵を得られないからだ。
魔法と違い、魔術には詠唱がある。
この魔術の場合は…
「汝、我が問いに応えよ。我は其方を求むる者なり。契約の誓いによって、我が同胞と為りぬ」
「再度問う、我に応えよ、汝の名を…〝瑠璃蝶々〟」
途端、紫の光は輝きを増した。
先程までは淡かった光が、その彩度を増していく。
(驚いたわ…まさか貴女、精霊契約魔術を扱えるなんて)
(それに加えて、術式も正常に作動してる。これで私は、あなたの契約精霊になったみたい)
「それは、良かったです…」
私は床に座り込む。
正直ぶっつけ本番だった、契約が成功するかは賭けだったのだ。
この魔術の成立には、精霊側からの了承も必要。
詠唱文こそ難解ではないが、成立させるには術者と精霊にいくつもの条件がある。
成功したのは彼女、ロベリアが信用してくれたからだろう。
不安定だと語った自身にも、リスクであろう提案。
にも関わらず、独断で実行したことに対して、褒めはしても責めはしないその精神性には、やはり憧れるものがある。
(でも、名前がロベリアのままじゃない。これでは外で私の名を呼べないわよ?)
そうだった。それは盲点だった…。
契約の際に、精霊に名を与えなければいけないのだが、私はそのままロベリアと…。
「で、では、今後はルリとお呼びしますね」
(ルリ?)
「私の世界には、貴女の名前のお花があったんですが…その別名をルリチョウチョウと呼ぶのです。ですから、それから取ってルリ、では如何かなと。」
(そうね、長い名前で呼ばれるよりはそっちの方が良さそうだわ。ところであなたの名前を聞いてなかったわね、なんというの?)
「…ミヤビです。私には似合わない、貴女みたいなお方にこそ似合うお名前です。」
ずっと名前がコンプレックスだった。
私のどこが、雅に見えるのかと。
この名前のせいで、何度笑われてきたことか。
私にこの名は要らな…
(ならミヤビ。誇りなさい)
先程までより、強く声が響く。
私はその言葉の意味が、よく分からなかった。
私が呆然とする中、ロベリアこと、ルリが言葉を続ける。
(今のあなたは、この世界のあなたは、私”ロベリア・レイラ・クロートー”なの。他の誰でもなく、あなたよ)
(ミヤビ、あなたが私に似合うと言ったのよ。今更似合わないだなんて言わせないんだから、観念なさい)
目の奥が、じんと熱くなる。
貴女のことを美しいと言ったのは、私が初めてだと仰いましたよね。
ですが私も、その様に名前を認めていただいたのは、貴女が初めてなのです。
「ありがとうございます、ルリ」
(また泣いてるじゃない、泣き虫なのね、ミヤビは。そんなことでは私の代わりに私の人生を歩もうなんて、難しいのではないかしら?)
あの時とは違います。
これは、この涙は。
「ルリ、貴女への感謝の涙ですから」
この頬に伝う涙は、この顔に溢れる笑顔は、貴女の優しさ。
「だから問題ありません。泣き虫なようでは、立派なご令嬢など務まりませんから」
(あら、そう?では立派なご令嬢は朝の支度もしないのかしら)
「あっ!すっかり忘れていて…今すぐに!!」
私はそう言って、鏡の方へ駆けていく。
こうして、私『企業令嬢の小鳥遊 雅』は『ロベリア・レイラ・クロートー公爵令嬢』としての人生を、確かめるようにしながら歩み始めたのだった。