<第2話> お嬢様、推しと御対面致します。
…長い。衝突の衝撃は、こない。
目を瞑って、どれだけ経つだろう。
数秒だと考えていた瞬間が、一向に訪れる様子は無い。
「…さい」
「…ねえ、起きなさいったら」
唐突に、声が響く。
誰? いいえ、嗚呼、この声は。
「起きなさいよ、誰だか知らないけど」
私はその声に、聞き覚えがあった。
目を開け、ゆっくりと身を起こすと、その声の主へと目を向ける。
そこは、暗闇に包まれたような空間だった。
その中に一人の女性が、蹲るようにして漂っている。
闇の中でも負けない色彩の、紫紺のウェーブがかった長髪。
闇より深い、吸い込まれるような、漆黒に近い瞳。
それに反するように、透き通った陶器のような白い肌に、長く尖った耳。
漆黒の翼を華奢な体に背負い、黒くたなびくドレスをその身に纏って、そこに居た。
「…ロベリア」
何を意識するでもなく、その言葉は私の口からこぼれ落ちていた。
目は釘付けになり、そらすことはできなかった。
走馬灯に見るには、あまりに美しくも哀しい光景が、眼前にはあった。
その声に、その容姿に、覚えがあったのだ。
強く憧れ、焦がれ、そうなりたいと思いさえした、ゲームのキャラクター。
まどプリにおける、悪役令嬢ロベリア。
第二王子の婚約者にして、クロートー公爵家の美しい令嬢。
自由奔放な性格な彼女は、その言動を傍若無人とまで言われる。
しかし他者の罵詈雑言を意に介すことのない、芯の強さを持っていた。
そう、なのだけれど…彼女は…
「あら、私のこと知ってるの?」
彼女は薄く、フッと笑う。
その瞳に感情はない。
「はい、貴女は…ロベリア公爵令嬢かと思いまして。ですがそのお姿、それは…」
私は彼女をゲームで知っている。
しかし、この姿は。
「悪魔と契約なされたのですか」
「よく知ってるのね。これで何回目かも分からないわ」
…案じた通りだった。
彼女はゲーム本編で、突きつけられた現実に絶望し『悪魔堕ち』してしまう運命にある。
悪魔堕ちした彼女は、ヒロインや攻略対象に悪魔として討伐される。
そして目の前にいる彼女の姿は、まさにその『悪魔堕ち』をした姿だったのだ。
私は幸せな彼女を見たかった。
だから何度でもゲームをプレイしたし、選択肢も、エンドも変えた。
それでも、彼女が悪魔として討たれる展開だけは、変わることがなかった。
ヒロインの喜劇を描いた作品のはず。
だけれど私には、ロベリアの悲劇のように映ったのだ。
彼女の想いは届かず。
彼女の恋は砕け散り。
彼女の家族は死にゆく。
これが悲劇でなくて、なんだというのか。
ヒロインに大団円があるのなら、ロベリアにだってその場にいてほしかった。
そんな想いがあるからこそ、私は今、この夢を見ているのだろうか。
死に際に見る未練が、彼女だったなんて。
それでも、彼女と話せるなんて、こんな幸福は他に無いかもしれない。
…待って。違う。
この彼女を、私は知らない。
「ロベリア様、今、何と仰いましたか…?」
彼女は私の言葉に、首を傾げる。
「今?えっと…私は悪魔と契約したのが、これで何回目か分からない、と言ったのよ。」
「何回目か分からない…?」
一体、どういう意味だろう。
私の知る彼女は、何度も悪魔と契約したりなんてしていない。
やはり私は、この彼女のことを知らない。
そんな私を置いていくように、彼女は言葉を続ける。
「ええ、そうよ。私は何千、何万を超える回数、悪魔と契約をしたわ」
「私は私の人生を繰り返し続けているの、5歳から殺されるまでを延々と」
…何千、何万回?
「そんな気が遠くなるほどの回数を、どうして」
「どうして?そんなの、私が知りたいわよ。でもね、何をしてもしなくても、どんなに行動を変えても、私は毎回悪魔になって殺されるのよ。」
彼女は視線を落とす。
「だからもう、数えるのはやめたの」
その声は、徐々に震えていく。
「どうして、ねえどうしてかしら。私、何か、そんなに悪いことをしたかしら」
その目から水滴が伝っていく。
「私だって、一度くらいは幸せになりたかっただけなのに」
そして虚ろな瞳で、私を見て、言った。
「やっぱり、悪魔と同じ髪と目で生まれた私が悪いのかしら」
「…っ!!」
私は咄嗟に、彼女を抱き締めていた。
言葉は、出なかった。
愚かな私は、余りにも多くを失念していたからだ。
確かに私は、彼女を美しいと思っている。
しかしその容貌は、かつて王国を襲ったとされる悪魔と一致するものがあるのだ。
それこそが、その悪魔の代名詞とも言える『紫紺の髪に漆黒の瞳』だ。
ゆえに彼女は、魔導学院では、その容姿を忌み嫌われていた。
それこそ悪魔になる前から、「お前は悪魔に違いない」などと言われて。
なんと心無い言葉だろうか。
彼女は強かな女性だ、それでも誰より人間らしかった。
そんな人が、悲しみを知らないわけがない。
数えるのもやめた不幸の中で、どれほどの悲しみを重ねた事だろう。
どれだけ苦しかったことだろう。
何故、その孤独にすぐに気が付かなかったのか。
自分の愚かさが憎い、歯噛みすることしかできない自分が不甲斐ない。
「…どうして?」
耳元から、驚いたような声が響く。
抱き締めた腕を緩め、顔を上げる。
するとロベリアは私の方を、驚いたような顔で見ていた。
「あなたは私が、この髪と目が、怖くないの?」
「美しいと思うことはあれど、怖いだなんて思ったことはありません。今後も変わりません」
「どうして、抱き締めてくれたの?」
「不甲斐ない私には、貴女にこれくらいしかできることがなかったのです」
「ならどうして、あなたが泣いているの?」
「へっ…?」
驚いて変な声が出てしまった。
慌てて頬を拭ってみると、袖には大きな染みができた。
「これは、その…ロベリア様のことを考えていて…勝手に…」
咄嗟に言い訳じみたことを口にする。
だってまさか、自分が泣いているなんて思わなかったから。
彼女の悲劇に涙することは多かった、けれどその本人の前で泣くだなんて。
その恥ずかしさから顔を背けると、クスッと笑い声が聞こえた。
笑い声は次第に大きくなっていく。
「あなたって、とっても変わった人だわ。私を想って泣くなんて冗談、今まで誰も言ったことがなかったもの。そうね、ほんっとうに面白い人だわ」
そう言って彼女は、真っ赤に泣き腫らした顔で、無邪気に笑っていた。
ーああ、そうだ。
私は彼女に、こうやって笑っていてほしかったんだ。
どうか、これからもずっと。