<第10話> お嬢様、"お茶会のおにーさん"に遭遇致します。
アベルと手を繋ぎ、静かに庭園の中を歩いていく。
玄関口から敷地の外に繋がる門、その辺りは庭木が多かった。
一方でそこから離れた、庭園の中心地に私たちはいた。
庭園の奥は、全く違った景色が広がっていた。
『フランス式庭園=平面幾何学式庭園』といった様子が、顕著になっているのだ。
自然的な姿のイングリッシュガーデンとは違った、自然らしさを殺した庭。
一言で言うなら『完璧に造られた庭』という印象が強い。
芸術的な形に整えられたトピアリーが並ぶが、よくよく見ればどれも左右対称。
花壇は整然とした様子で、幾何学的に並んでいる。
色とりどりの花々が咲き誇っているが、どれも規律を守るように配置されている。
それに加えて、噴水や運河があるなど、豪奢さには事を欠かない。
道についても大きく平坦に整備されている。
この形もベランダから見たならば、左右対称なのがより分かりやすいだろう。
そういった形式の庭園を見たことはあるが、この規模は初めてだ。
思わずこの荘厳な風景に、圧倒されそうになる。
「ねえ、おねーさま」
アベルから掛けられた声に、ハッとする。
つい一瞬反応が遅れてしまったが、しっかり返事をしなくては。
「…どうかしたの?アベル」
「もうすぐつくんだけど…たぶん、おにーさんが来てるかも」
…お兄さん?
えっと、ロベリア様のご兄弟は弟のアベルだけのはず。
『おねーさま』呼びと違って、『さん付け』でもある。
だとしたら、考えられる可能性は第三者といったところだろうか。
しかし何故、我が家の庭園に…?
門からの道に近ければまだ分かるのだが、ここまでは門から離れた方角に、それなりに歩いてきた。
一体誰が何のために?
…分からない、情報がなさすぎる。
「えっと、おにーさん?」
私はアベルに尋ね返した。
できる限り自然に効いたつもりだ、アベルが何かヒントになりそうなことを教えてくれるといいが…。
私の言葉を聞いたアベルは、私の方へくるりと向きを変えて、嬉しそうに言う。
「うん。お茶会のおにーさんだよ、きっと!」
そう返したアベルは、とても上機嫌だった。
さらに私と繋いでいた手を離し、先にパタパタと走っていってしまう。
「ぼくたちを待ってるのかも、おねーさまも早く!!」
そういった彼は、もはやこちらを振り返る素振りもない。
まったく、思い立ったら直ぐに行動に移してしまう子のようだ。
しかし…お茶会のおにーさん、か。
それであれば、少しばかり心当たりがある。
ロベリア様の母君は元々大公家のご息女だった。
そして姉は今、ニマ=ティオシス王国現王妃となったヴァイオラ殿下。
お互いが嫁いだ後も交流があり、その二人の茶会に、二人の子供たちも同伴していたのだ。
子供と言っても、そのメンツはかなり豪華。
まず私クロートー公爵家ロベリア嬢に、同子息アベル。
加えて、ローレンス・リュウール・ニマ=ティオシス 第一王子。
そして後にロベリア様の婚約者となる、ノワゼット・エクラ・ニマ=ティオシス 第二王子。
この四人は、物心つく頃から茶会に参加している、幼馴染みと言える存在だ。
確かロベリア様がノワゼット王子と婚約されたのは、8歳前後だったはず。
彼との交流はそれ以前からあったはずだから、彼が会いにきたのだろうか。
彼は煌めくような金髪に、鮮烈な赤い瞳を持った、明朗快活なイケメンだ。
次期王太子との声も大きく、第二王子でありながら、王位継承権は一位となっている。
そしてゲーム本編、『魔導学院と王子様』の”王子様”とは彼のことで、ゲーム本編でのメイン攻略ルートにも当たる。
ゲームにおいても、今の世界においても、共通して言えるのは、彼は『超重要人物』であるということ。
この先婚約するであろう相手だから、次期王太子だから、ではない。
ロベリアが悪魔堕ちするきっかけは、彼だからだ。
ロベリア様は、ノワゼット王子を心から愛しておられた。
しかしその想いが伝わることは、どんなルートにも存在しない。
何故なら、ノワゼット王子はロベリア様のことを、誰よりも強く『悪魔め』と心底毛嫌っていたからだ。
この国には、時折天啓が降るという。
そしてロベリア様とノワゼット王子が婚約するキッカケに、とある天啓が降った。
それは『聖女の再来』だった。
その天啓が意味することは、大きく分けて二つ。
一つ。言葉通り、聖女が現れるということ。
二つ。聖女の力が必要な国難が訪れるということ。
加えてこの国には、『聖女と王族が婚姻を結ぶ』という慣わしがある。
その天啓を真っ先に受け取ったのは、契約魔術の家門であるアトロポス公爵家の長男だった。
その次に、原初の人の血統が色濃い王族、そして神殿の現教皇猊下もそれをほとんど同時に確認している。
つまるところ、それは『間違いのない天啓』だということを意味していた。
王国史上、天啓が外れたことはなく、災厄の悪魔が現れた際も同様だったという。
しかし、聖女が現れる時期の明言は無かった。
故に婚約破棄を前提として、王家と公爵家の威厳を守るため、ロベリア様とノワゼット王子の政略的な婚約が結ばれた。
ロベリア様にとっては、好いた相手との心躍る婚約だっただろう。
通常であれば、血統を守るために政略結婚をするのがこの世界のベターだからこそ、ことさらに。
しかしノワゼット王子からすれば、不本意でしかない関係だっただろう。
ロベリア様は人を遠ざける術しか知らず、不器用なお人だった。
そこがさらに、彼の気に入らない箇所となってしまっていたのだ。
仮に、本当にお茶会のおにーさんが来ているのだとしたら…
正直悩ましいこと、この上ない。
だがアベルを先に行かせてしまった以上、自分だけ行かないというわけにも行かない。
幼馴染とはいえ、相手は王族なのだ。
不敬を働くわけにはいかない、非常に難しい相手だと言えるだろう。
…いくら考えても埒が明かない。
私は意を決して、アベルが走っていった方向へと歩みを進めることにした。
庭園の中、木々や噴水から鳥の囀る声、水の流れる音が聞こえる。
私が地面をサクサクと踏む音とそれらが、緩やかで優しく重なる。
こんな時でなければ、口笛でも吹きながら歩きたい…いや、公爵家の令嬢としては控えるべきだろうか。
つい先程までは、思考の整理で頭がいっぱいだった。
しかし一度、どうするのかを決めてしまえば、案外心は穏やかになった。
緊張していないといえば嘘にはなるが、自然のハーモニーがそれを少しだけ癒してくれるのだ。
リラックスするために、森林浴などが勧められるのが少し分かった気がする。
そうして、緩やかに思考を回しながら歩いていた、
そういえば、誰にもロベリア様が庭園に足を運ばれていた理由を聞いていない。
一体何の用事だったのだろう。
ロベリア様も、今の私のように自然を浴びるためだったりしたのだろうか。
けれどその割には、今の感覚が新鮮に感じる。
体に自然の音が、風が、匂いが溶け込むような感覚。
普段から同じことをしていれば、ここまで新鮮に感じるものだろうか?
やはり少し違うのだろうか…では一体なんだろう。
アベルの話では…ロベリア様は薔薇がお好きだったようだ。
脳内に突如として入り込んできた、映像とも記憶ともいえないアレもそう。
薔薇とロベリア様の姿だけが、鮮明に映っていた。
ー薔薇?
薔薇といえば…。
脳裏に一瞬、ノワゼット王子のことが頭に過ぎる。
ノワゼット、その名前の由来はオールドローズ。
つまり薔薇の品種から取られたものだ。
もしかするとロベリア様は、お茶会のおにーさんこと、ノワゼット王子と密会していたのではないだろうか。
…この先で?
確かに屋敷の敷地内にある建物から、門がある外壁の方へとかなり歩いてきたはずだ。
門が近い場所であれば、密会の場所に選ばれる可能性は上がる。
だとすれば、本当に…。
ああ、考えていても仕方がない。
私はアベルと誰かが待つ場所に行くと決めたのだ。
もう深く考えるのはよそう、そう思った。
そう思った時だった。
自然音ではない、何かの音が聞こえる。
誰かの声ではない。
しかし確かにこの空間に、透き通るような音が響き渡り始めた。
聞いたことが、ある音だ。
この感覚に間違いなければ、これは楽器の音。
であれば、もうすぐ近くに、その演奏者がいるはず。
いくら自然の中といえど、そう離れた場所からは聞こえないはずの音だ。
自然の中でも透き通ったこの音色は、私の前世に馴染みがあったもの。
木管楽器の調べだ。
教養の一部として、それを習っていた。
そう思うと、どこか恋しくも切なく感じる音色だ。
音の主へと向かう私の歩みは早まっていく。
それと反対に、心は不思議と落ち着いていった。
そして遂に、辿り着いた。
そこには控えめなティーハウスの傍に、小さく可愛らしい木製のブランコがあった。
ブランコの近くには、大きく立派に育った木が立っていた。
その木の少し手前に、ちょこんと座ったアベルの姿がある。
アベルの姿を見て、私は少し胸を撫で下ろす。
そのまま声を…
そう思っていた時、優しいフルートの音色が、私の鼓膜を震わせた。
心地良い、心に快く沁みる音だった。
私は目を閉じ、しばしの間、その音に耳を傾ける。
嗚呼、なんて美しい音色なのだろう。
ゲームではこんな演出はなかった。
しかし今ここに、確かに存在する音だ。
心が清々しくも、暖かくなっていく。
透き通っていくのを感じる。
しかし、その音色は、突然止まった。
その調べからして、まだ続きがありそうだったのに…。
そう名残惜しく感じていると、新しく耳に入る音があった。
「ろっ、ロベリア嬢…っ!!」
まだ幼さの残る男性の声、それが裏返って聞こえてきたのだ。
名前を呼ばれた私は、閉じていた目を開く。
目を開け、アベルから目線を上げた先。
そこにはフルートを片手に、硬直する少年の姿があった。
淡く輝く銀髪から覗いた柔く尖った耳に、ベビーブルーの瞳の少年。
ー彼は、ノワゼット第二王子では、ない。




