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閑話 空色の髪の姫君

 少女には、全ての幸福を享受する権利があった。

 誰もが彼女の髪の色に美しさを見出し、その愛らしさに笑みを浮かべる。


 少女の名前はイルセリア。

 アルヴァラント侯爵家が誇る、空色の髪の姫君。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 リリン、リリンと天使が銀の鈴を鳴らす。

 それは朝の訪れを告げる音色。


「……ん、ぅ」


 天蓋付きの大きなベッドの中で、彼女は小さく声を漏らす。

 その間にも、窓際の卓の上に置かれた水晶製の天使の像が銀鈴を鳴らし続けている。


「お嬢様、失礼いたします」


 その音を合図にして、ドアが開けられて四人のメイドが入ってくる。

 一人はイルセリアのドレスを両手に持ち、一人はメイク用の道具を抱えている。


 そして三人目は手に何も持たないが、その傍らに水の塊がふわふわ浮かんでいる。

 残る四人目はイルセリアの侍女で、彼女は銀の鈴を鳴らす水晶の天使へと歩いていく。


 侍女は天使像に触れると、それだけで鈴の音はやんだ。

 それは、大手錬金工房より最近発売されたばかりの目覚まし用の魔道具だった。


 新しもの好きのイルセリアが、父にねだって買ってもらったものだ。

 気持ち良い目覚めを迎えた彼女は、四人のメイドに囲まれて朝の支度を開始する。


「ん~、冷たいわ」


 パシャ、パシャと音を立てながら、目覚めたばかりのイルセリアが顔を洗う。

 跳ねた水滴は床に落ちる前に巻き戻るようにして浮遊する水の塊に戻っていった。


 メイドの一人が使っている指輪型の魔道具によるものだった。

 洗顔用に使われるそれは、一定量の水を器なしに運ぶことができる効果を持っている。


 イルセリアが顔を洗っている間に、別のメイドが彼女の髪を整えている。

 少しだけついた髪のクセも、ブラシ型の魔道具で一度梳けばそれだけで直ってしまう。


 洗顔を終え、歯磨きを済ませて、髪も整えられた。

 そのあとはドレスに着替えるのだが、今日は王都近くの湖に観光に向かう予定だ。


 メイドが選んできたのは、お出かけ用のさわやかな色合いのドレスだった。

 それはイルセリアの要求を十分に満たすもので、彼女は「かわいい」と笑って見せる。


 着替えを終えたのち、最後にメイドが彼女の空色の髪を薄桃色のリボンで飾る。

 上品な金糸の刺繍が施された、女の子らしいリボンだ。

 これもまた魔道具で、周囲の人間の視線を引き寄せるという効果があった。


「ね、ね、私、可愛い?」


 大鏡の前で自分の姿を確かめながら、イルセリアが後ろに並ぶメイド達に尋ねる。


「はい、お嬢様。それはもう!」

「大変可愛らしゅうございます。ほれぼれしてしまいます!」

「ええ、そうですね。本当に。世界一ですわ!」


 鏡に笑いかけるイルセリアへ、メイドたちが口々に賞賛する。

 それに気をよくした少女は、その笑みをさらに満面のものに変えて、うなずいた。


「今日はセディオル殿下もいらっしゃるの。だから一番かわいい私を見せてあげたいわ。そうすれば、殿下もきっと喜んでくれると思うの。どうかしら?」

「さすがのお気遣いです、お嬢様」

「ええ、セディオル殿下もお喜びになりますわ!」


 メイド達は揃って笑顔を浮かべ、口々にイルセリアを褒めはやす。

 それに気をよくした彼女は、自慢の空色の髪を指先にくるくる巻いて振り返る。


「そろそろ朝食の時間よね。食堂へ向かうわ」

「はい、お嬢様!」

「お部屋は私達がお掃除しておきますね」


 侍女を含む二人がイルセリアに同行し、残る二人のメイドが部屋の清掃のため残る。

 こうして、今日もまた空色の髪の令嬢はさわやかな朝を迎えたのだった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 朝、食事はいつも通りに家族三人で。

 優しい母と立派な父に囲まれて、楽しく会話をしながら過ごしている。


「ねぇ、お母さま。今日は私、ボートに乗ってみたいの」

「そうなの? でも、ちょっと危ないんじゃないかしら……」

「大丈夫さ、ユーリシァ。きっと殿下がイルシィを守ってくださるよ」


 イルセリアを心配する母ユーリシァだが、父ゼルロットがそれを笑い飛ばす。

 第一王子セディオルの名前が出ると、ユーリシァも途端に機嫌をよくしてうなずいた。


「そうね。あの方ならイルシィを守ってくださるわ」

「ああ、その通りだとも。だからイルシィ、おまえは存分に楽しむといいぞ」

「そうするわ、お父様!」


 父にあたたかなまなざしを向けられ、イルセリアが元気よくそう応える。

 そこにあるのは、何一つとして憂いのない、理想的な家族の団欒。


 三人で完成し、三人で完結しているマグスルシア侯爵家のいつもの食事風景だ。

 本来この場にいるべきもう一人の姿は、ここにはない。


 彼女は、今頃は寝泊まりしている粗雑な小屋で起きているかもしれない。

 朝食については知ったことではない。

 厨房を使用は許しているから、腹が減れば食べ物を漁るだろう。浅ましいことに。


 先月、夜大公が訪れて以降、ここにいないもう一人の扱いは変わった。

 何せ伝説の英雄の前で泣き出すという醜態をさらしたのだ、侯爵家の面目は丸潰れだ。


 ただでさえ『呪われ髪』の持ち主ということで、後ろ指をさされる身なのに。

 これ以上の恥の上塗りは、侯爵家としても見過ごせるものではなかった。


 ゼルロットは彼女を屋敷から追い出した。

 そして、大書庫脇にある小屋で寝泊まりすることを命じた。


 食事時に厨房を使う自由まで奪わなかったのは、彼女を外に出さないためだ。

 あんな恥さらし、本来であれば修道院にでも追いやりたいところだ。


 しかし、今もって彼女は第一王子の婚約者であることに変わりはない。

 それだけは、ゼルロットにもどうにもできない現実だ。何とも忌まわしいことに。


 だから遠ざけた。

 そして、それによって侯爵家はやっと平和を手に入れられた。


 彼女のいない日常の、何と輝かしいことだろうか。

 父は快活に笑い、母は穏やかに微笑み、令嬢イルセリアは幸福を享受する。


 これこそ、本来あるべきマグスルシア侯爵家の風景なのだ。

 やがて、食事を終えてしばしして、屋敷前に馬車がやってくる。


「さぁ、それでは行こうか」

「はい、お父様」


 ゼルロットに手を取られて、イルセリアが馬車に乗り込む。

 用意されていた大きなソファに腰を下ろすと、ふわりとした座り心地が気持ちいい。


 続いてユーリシァとゼルロットが乗り込み、御者が馬車を発進させる。

 これが庶民用の馬車なら、ガラゴロと回る車輪の感触と車体の揺れが不快だったろう。


 しかし、一家三人が乗る馬車はそれ自体が大型の魔道具だ。

 人が乗ることで車体全体がわずかに浮き上がり、揺れることを防ぐことができる。


 これもまた、イルセリアがゼルロットにわがままを言って作らせたものだ。

 しかし、そうして作られた馬車は予想以上に快適で、ゼルロットはいたく気に入った。


 実は、イルセリアは魔道具について非常に優れたセンスを持っているのではないか。

 彼がそう思ってしまうのも、子煩悩による買い被りだけではないはずだ。


「あ、殿下~!」


 目的地の湖に到着し、すでにそこにいたセディオルを見つけてイルセリアが手を振る。

 セディオルは「ふん」と偉そうにふんぞり返って、


「やっと来たのか。俺を待たせるとはいい度胸だな、イルシィ」

「あら、殿方がレディを出迎えるのが作法だって、お父様から習ったわよ?」

「それは確かにその通りだが、まぁ、いい」


 第一王子を前に真っ向から言い返すイルセリアに、セディオルが笑う。

 そして彼は、そのまま手を伸ばして目の前の少女の空色の髪を優しく撫でてやった。


「なかなか趣味のいいリボンじゃないか。似合ってるぞ」

「フフ~ン♪ でしょ~。この前、お店で見つけて気に入っちゃったのよ~!」


 今日一番の自慢したい部分を最初に褒めてもらえて、イルセリアもご満悦だ。


「ねぇ、殿下。私、ボートに乗ってみたいの。エスコートしてくれないかしら?」

「あ~ん? 俺はおまえの小間使いではないんだが……。仕方ないな。ついてこい」

「はぁ~い!」


 溌溂とした笑みを浮かべてイルセリアがセディオルとボート乗り場へ向かう。

 二人は、当たり前のように手を繋いでいる。

 その様を、ゼルロットとユーリシァが共に笑顔で見守っていた。


「見てください、あなた。あの二人を」

「ああ、何とも絵になるじゃないか」


 晴れ渡る空の下、周りは白い山々と緑茂る木々に囲まれ、光を受けて揺れる湖面。

 それを背景に、一人の少年と一人の少女が、手を繋いで歩いていく。


 そよぐ風に揺れる少女の空色の髪が、日の光に薄く透ける様が美しい。

 まるで、世界の全てが少年と少女のために用意された舞台のようであった。


「やはり、セディオル殿下にならばイルシィをお預けすることができるな」


 腕を組み、ゼルロットが満足げに何度もうなずく。


「あの、侯爵閣下。そのようなことはあまり外では口にしない方が……」


 おずおずとそんなことを言ってきたのは、セディオルの護衛を務める騎士だった。


「殿下には国王陛下が定められた婚約者が――」

「それについては私は大変憂慮している。陛下も一人の人間であるということだ」


 ゼルロットは言外に『陛下は選択を誤っている』と言ってのける。

 彼の言葉を理解した騎士は顔色をサッと青ざめさせるが、そこにユーリシァが、


「あなたは『呪われ髪』にこの国の未来の王妃が務まるとお思いですの?」

「それは……」


 彼女の問いかけに、騎士は言い淀んでしまう。

 結局『呪われ髪』は悪しきもの、という印象は彼の中にも根付いているのだった。


「夜大公様は『呪われ髪』をただの迷信と言っていたが、『常闇領』などという最果ての辺境に隠棲しているだけの人間に、今の時代の何がわかるというのだ」


 一瞬だけその顔に憤りを浮かべて、ゼルロットがそう言い放つ。


「事実、あの娘のせいで我が侯爵家は呪われているなどと噂されることもあったのだぞ。全く、冗談ではない。陛下はこのアルヴァラントを悪魔に明け渡す気なのか……」

「あなた、言葉が過ぎますよ」

「む、おっと……」


 ユーリシァにたしなめられ、ゼルロットが騎士の方をチラリと見てため息をつく。


「君、今言ったことは忘れてくれたまえ。私は国王陛下に思うところはあれど、その忠義は揺るぎない。今の言葉も、国の未来を憂うがゆえと認識してくれ」

「それは、もちろん」


 騎士はゼルロットにそう返す。

 やはり、この騎士もゼルロットと考えていることは同じなのだった。


「きゃ~! 殿下、ボートが揺れてるわ~! ねぇ~!」

「わっ、バカ! おまえ、揺れてるんじゃなくて、おまえが揺らしてるんだろ!」


 少し離れた場所から、イルセリアとセディオルの騒ぐ声が聞こえてくる。

 それだけを切り取れば、何とも微笑ましい場面ではある。

 ゼルロットもそう思うからこそ、その顔に苦いものを浮かべて眉をしかめる。


「セディオル殿下の婚約者は、やはりイルシィであるべきだな」

「ええ、そうですわね」


 隣に立つユーリシァも彼に同調する。


「あの『呪われ髪』と大書庫を、何としても排除せねばならないな……」


 かつて、マグスルシア家は王家より大書庫の管理を任せられたとされる。

 しかし今やそこに寄り付く者はなく、大書庫は『呪われ髪』の娘の巣と化している。


 かの夜大公と建国王による邪神討伐より七百年余り。

 その間に時代は大きく変わった。


 古臭い魔導士は姿を消し、今や魔道具によって誰もが魔法を使えるようになった。

 ならば、過去の遺物を収めているだけの倉庫に、何の意味があるというのか。


 ゼルロットの中で、大書庫はもはや『呪われ髪』の娘と一緒くたになっていた。

 彼女を忌まわしく思うから、それに連なって大書庫が邪魔に感じられてならない。


「今度、国王陛下にまた婚約破棄について申し上げてみる」

「お願いしますわね、あなた」


 親の懸念など知る由もない空色の髪の令嬢が、ボートの上から手を振っていた。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 その日の夕方ごろのこと。

 湖でのセディオルとのひとときを楽しんだイルセリアが、屋敷に戻ってきた。


 湖で第一王子が釣った魚が今晩の夕飯だ。

 侯爵家のシェフはとても腕がよく、釣られた魚は最高の料理となって出てくるだろう。

 それが楽しみで、イルセリアは鼻歌交じりに廊下を歩いていた。


 イルセリアは、全てにおいて満ち足りていた。

 あたたかな家族に、自分に優しくしてくれる使用人達。そしてセディオル王子。


 自らを取り巻くあらゆる環境が、彼女に幸福を与え続けてくれている。

 たまに外に出れば他の家の令嬢達からは髪の色を褒められ、羨ましがられる。


 いつもそうだから、イルセリアは自分の髪の色に絶対の自信を持つようになっていた。

 自分の髪の色より美しいものなんて、この世界には一つしか存在しないのだ。


 大層な傲岸不遜だが、今のところ、周囲は彼女にそう思わせることを許していた。

 何者も、イルセリアの幸福を脅かすことはない。これまでも、これからも。


 イルセリア自身、それが当たり前だと考えていた。

 そこへ――、


「ぁ……」

「あら」


 バッタリと、鉢合わせた。

 メイド達を従えて部屋へ向かおうとしていたイルセリアと、姉のリュセルテアが。


「あら、お姉様。どうしたの? ご飯を漁りに行くのかしら?」


 黒い髪をした姉見るなり、イルセリアは口角を吊り上げてそんなことを言い出す。


「…………」


 だがリュセルテアは黒い表紙の本を両手に抱えたまま、無言を返してくる。

 ただ、その金色の瞳が、まっすぐにイルセリアを射貫いている。


 それが、イルセリアには気に食わなかった。

 彼女は浮かべた笑みをますます深めて、リュセルテアへと一歩近づく。


「聞いて、お姉様。今日ね、お父様とお母様と湖に行ったのよ。それでね、セディオル殿下と一緒にボートに乗ってきたの! 一緒に釣りっていうのもしたわ!」


 朗々と、彼女は姉に向かって今日一日の自慢をする。


「ボートって、すごい揺れるの。でもね、私が危なくなったら殿下がすぐに私を支えてくれて、俺から離れるなって言ってくれたのよ。殿下、とってもかっこよかったわ!」

「…………」

「お姉様は、今日はどうしてたの? ……あ、ごめんなさい!」


 自ら問いかけた直後、イルセリアは口に手を当ててわざとらしく謝った。


「そうよね、お姉様は屋敷の外に出ちゃいけないんだものね。どうせ今日も大書庫でずっと本を読んでいらしたのよね。ごめんなさい、忘れていたわ。そんなこと」


 彼女が言うと、後ろのメイド達がクスクス笑い出す。

 だが、そうやって嘲笑われても、リュセルテアは無言を貫いてイルセリアを見つめた。


 金色に虹の輝きが入り混じる『虹陽の瞳』が、イルセリアを鮮やかに映し返す。

 それに気づいて、彼女は一転してその表情を不機嫌なものに変えた。


「いつまでも殿下の婚約者のままでいられると思わないことね。『呪われ髪』」


 その言葉を最後に、イルセリアはリュセルテアの横を通り過ぎる。

 すれ違う瞬間、彼女は姉に対して心の底から憎々しげな視線を叩きつけていった。


 全てにおいて恵まれた幸福なる空色の髪の姫君、イルセリア。

 しかし、彼女が心から美しいと思いながら手に入らなかったものが一つだけある。


「何が『虹陽の瞳』よ……!」


 近くにいるメイドにも聞こえない程度の小さな声で、彼女はそう毒づいた。

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