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第7話 あなたにだったら

 まるで夜のように。

 足音もなく、彼はいつの間にかリュセルテアの隣に立っていた。


「セディオル殿下、こちらの令嬢に謝罪を」


 それは、叱るのではなく諭すような穏やかな声音。

 しかしその声の響きに宿るのは、第一王子の無礼を許容しない先達としての厳しさだ。


「な、何だよ……」


 思わぬところから諫言を受けて、セディオルも軽くたじろいでいる。

 しかし、呆気に取られていたその表情も、少しすると見る見るうちに怒りに歪んでいく。


「ぉ、おまえ、この俺に命令したのか!?」


 未来の王太子として、次期国王としてのプライドが、セディオルにそう叫ばせる。

 これまで、自分に逆らう者など皆無だったがゆえの傲慢が、そのまま憤怒に移り変わる。


「おまえ、俺を誰だと思ってるんだ? 俺は、この国の次の王だぞ!」


 傲慢から来る怒りだから、そんな言葉を堂々と怒鳴り散らせる。


「ヨルタイコウとか言ったな? おまえ、どこの田舎貴族かは知らないが、王族である俺に逆らうことがどういうことかわかってるのか? わかって言ってるんだよな!」

「そうよぉ~、おじ様、殿下に早く謝った方がいいと思うんだけどぉ~?」


 がなり続けて勢いづくセディオルに、イルセリアも便乗する。

 そして、ゼルロットもユーリシァもそんな娘をいさめようとはしなかった。


「なるほど――」


 リュセルテアの隣に立ったまま、『夜大公』レクリスは一度視線を巡らせる。

 そして、軽いため息ののちに、セディオルに向かって右手の指を四本立てて見せた。


「一応、お教えしておきましょう。殿下。――これまでに、四度です」

「は? 何がだよ。知るかよ。そんなことより早く謝れって言って……」


 セディオルの言葉の終わりを待たず、レクリスが冷たく告げる。


「これまで四度、私の忠告により、アルヴァラントの王太子は替わっています」

「……え?」


 セディオルの一声は、完全に虚を突かれたときのそれだった。

 彼の顔色から、怒りの赤が失せていく。代わりに浮かび上がるのはおののきの蒼白だ。


「ぉ、お、おまえ……」

「王権とは、貴族達の支えがあってのもの。それを忘れたかのような高慢な物言いをすることは、殿下の徳を自ら下げるに等しい行為でしょう。あまりよいことではありません」


 震える王子へ、レクリスは変わらず穏やかな声のままそうやって諭す。


「さぁ、リュセルテア嬢に謝罪を。これより先、この国を背負う者として、まずは周りに範をお示しください。何より、彼女はあなたの婚約者なのですから」

「お、れは……」


 セディオルはその顔を屈辱に歪ませ、リュセルテアを睨みつける。

 ずっと見下し続けてきた彼女に謝るという行為が、よほどプライドに障るのだろう。


「お待ちください、レクリス大公!」


 そこに、いきなりゼルロットが大声をあげて割って入った。

 彼はかなり慌てた様子で、レクリスに向かってペコペコと頭を下げ始める。


「で、殿下に非はございません。我が娘リュセルテアにこそ全ての原因があるのです!」

「彼女に、原因が……?」


 ゼルロットに勢いをくじかれたレクリスが、リュセルテアの方に目を向ける。

 綺麗な蒼い瞳、と、リュセルテアは場違いな感想を抱いた。


「見ての通りでございます」


 黒髪の少女を眺める夜大公へと、ゼルロットがため息とともに告げた。


「このリュセルテアは、悪魔に呪われた忌み子なのでございます」

「……呪い? 彼女が?」

「ご覧ください、このリュセルテアの長く伸びた黒髪を。黒は悪魔を象徴する呪われし色。それを持って生まれたこの娘は、生来、悪魔に憑かれ、呪われているのでございます!」


 レクリスは怪訝そうに眉をしかめるがゼルロットはそこに大声で畳みかけた。

 そして、当然というべきか、ユーリシァがそこに乗ってきた。


「大公様。かつて邪神が率いる悪魔の軍勢と相対したといわれるあなた様であれば、悪魔の呪いがどれほど禍々しいものかはご存知でしょう? 我が家は、リュセルテアの存在によって不当な苦しみを与えられてまいりました。このアルヴァラントを支え続けてきたマグスルシア家が、何故このような目に遭わなければならないのか……!」


 ゼルロットとは違い、ユーリシァの物言いはいかにも芝居がかっていた。

 しかし、声を張り上げての訴えは半分以上本気で、だからこそ真に迫るものがある。


「陛下は『虹陽の瞳』などという古びた迷信を信じ込んで、リュセルテアをセディオル王子の婚約者にしてしまいました。しかし、呪われし黒髪をもったリュセルテアを王妃にすれば、この国に必ずや災厄が降りかかりましょう。なのに陛下は我が夫ゼルロットが何度それを奏上しても、全く聞き入れてくれないのでございます!」


 誰も反論しないのをいいことに、ユーリシァの口上はさらに熱を帯びていく。

 リュセルテアは、もう慣れていた。母が自分を何と罵ろうともそれに心は揺らがない。


 ただ――、レクリス。

 自分の隣に立つ、綺麗な蒼い瞳をした『夜大公』と呼ばれる御方。


 彼は『呪われ髪のリュセルテア』のことを知って、どう思うのだろうか。

 自分が生まれるよりすっとすっと昔から、この国を見守り続けてきた彼という英雄は。


「そうです!」


 と、ゼルロットがその顔に喜色を浮かべてポンと手を打った。


「レクリス大公、セディオル殿下とリュセルテアの婚約解消について、お口添えをいただけませんでしょうか。さすれば、国王陛下といえども無視はできますまい!」


 彼のこの提案に、ユーリシァやセディオルが、一気にその表情を明るくする。


「あなた、それは名案ですわ。ええ、ええ、それならば国王陛下も殿下の婚約についてご再考くださいますわ。そうに違いありません! 殿下、そうでございましょう?」

「ああ、それはいい考えかもしれないな。俺も早く婚約を解消したいんだ」


 腕を組んでうなずいたセディオルが、イルセリアを見てその顔を綻ばせた。


「やはり、俺の婚約者はリュセルテアなどではなく――」

「フフ、殿下ったら。私は別に~、お嫁さんになってあげてもいいけどぉ~♪」


 イルセリアの方も同じように微笑んでおり、次の婚約者が誰かはもはや明白だった。

 だからこそ、ゼルロット達はリュセルテアの婚約解消に躍起になっているのだ。


「……なるほど。婚約解消の口添えを、私が」


 一方的に盛り上がっているゼルロット達を前に、レクリスはあごに手を当て考え込む。

 その様子を、リュセルテアはジッと凝視し続けていた。


 何故かはわからないが、どうしても彼から目を離すことができない。

 そして、さっきから胸の動悸が止まらない。


 この御方がゼルロットの言葉を受け入れてしまったら。

 そう思うと体が芯から凍えるような心地を覚えた。ギュッとスカートを掴んでしまう。


 他の誰に何を言われても、自分は我慢することができるだろう。

 でも、でも、隣に立ってくれたこの人に『呪われ髪』何て言われたら、私は……。


「大丈夫よ」


 緊張に凍える彼女の耳に届いたのは、優しくてあたたかい誰かの声。

 スカートを掴む手にそっと手を添えてくれたのは、車いすに座る白髪の老婆だった。


「……ナーセリア、様?」

「ナーシァでいいわ、可愛らしいお嬢さん。ほら、見ていてごらんなさい」


 しわくちゃの顔を柔らかく笑ませ、ナーセリアがそう促す。

 彼女が示した先で、銀髪蒼眼の大英雄はゼルロットからの申し出に答えを返そうとする。


「リュセルテア嬢は悪魔に呪われている。だから、私に彼女とセディオル殿下の婚約解消について、国王陛下に具申してほしい。そういうお話、なのですね」

「然様でございます。この婚約はアルヴァラントにとって害となります。何卒――」

「なるほど」


 と、レクリスがうなずく。

 そしてその蒼い瞳が、リュセルテアをちらりと流し見る。


「確かに、リュセルテア嬢は呪われているようだ」


 ……そんな。


 彼の口から出た言葉に、リュセルテアの心が凍てつきそうになる。

 ゼルロットやユーリシァは『夜大公』の支持を得られたと思い、揃って笑みを深める。

 だが、レクリスは一切笑っていなかった。


「彼女を呪っているのは悪魔ではない。あなた方のようだ」

「は?」

「な、何を……?」


 その顔に下卑た笑いを浮かべたまま、ゼルロット達が間抜けに問い返す。

 しかしレクリスは、答えるのではなくいきなり話題を変えた。


「ところで、我が妻ナーセリアもかつて黒髪であったことはご存知ですか?」

「な……ッ」


 何気ない彼のその一言に、ゼルロットの顔から笑みが失せる。

 そして父は、大きく見開いたその目でユーリシァへ「どういうことか」と問いかける。


 ゼルロットは婿養子だ。

 過去のマグスルシア家について知っているのは、ユーリシァの方だった。


「し、知りません……ッ。私、そんなこと……!?」

「そうでしょうねぇ。私がユーリシァさんと会うのは、今日が初めてだものねぇ」


 狼狽して叫ぶユーリシァのことを、ナーセリアがニコニコ笑って眺めている。

 そんな彼女のことを、リュセルテアは信じられないといった顔つきで見るしかなかった。


「なるほど確かに『虹陽の瞳』自体は迷信かもしれません。しかし――」


 レクリスはその顔に冷たい怒りを浮かべ、リュセルテアを庇うように一歩前に出る。


「少なくとも黒髪だから呪われている、などという根も葉もないくだらない風聞に比べれば、よぽどマシな迷信ですよ。全く、何と愚かしい話なのか」

「し、しかし黒は悪魔の象徴で……」

「そんなものを真に受けて、あなたはご自分の娘を苦しめてきたのですか、侯爵!」


 初めて、レクリスがその声を荒くする。

 それは雷鳴の如き轟きをもって迎賓の間を走り抜け、皆がおののきに肩を震わせた。


「ぅ、あ……」

「ひぃ、ひぃ~……」


 もはや、誰も、何も言えなくなっていた。

 ゼルロットは腰を抜かしてその場にへたり込み、ユーリシァも恐怖に硬直している。

 セディオルもイルセリアも、目に涙を浮かべてガタガタ震えている。


「リュセルテア嬢」


 レクリスは彼らに頓着することなく振り返り、その場に膝をついた。

 そして目線の高さをリュセルテアと同じにして、ナーセリアのように優しく微笑む。


「今日まで、よく我慢したね。君はとても強い子だ」

「よ、夜大公様……」


 リュセルテアも震えていた。

 だが、その理由はゼルロット達とは根本からして異なっている。正反対の感情だ。

 レクリスは笑みを深めて、


「髪を飾るリボンが、すごくよく似合っているね」


 そうやって、リュセルテアを褒めてくれた。

 彼女にとってそれがトドメとなった。


「ぅ……」


 リュセルテアが、体の震えを大きくする。そしてその金色の瞳に涙が溜まっていく。

 レクリスが驚くよりも先に、迎賓の間に少女の泣き声が響き渡った。


「あ、え……!?」


 仰天するレクリスの眼前で、リュセルテアは大声をあげて泣いた。

 いや、それは泣いた、どころの話ではない。まさに号泣。そして慟哭であった。


 十歳の女の子が見せる、恥も何もあったものではない、あられもない泣き姿。

 のどの奥から振り絞られるその泣き声は、彼女がずっと溜め込んできたものの奔流だ。


 一人の人間として。

 一人の女の子として。


 これまでずっとずっと堪え続けてきたものが、今、ついに決壊したのだ。

 そして溢れ出たものが、声となり、涙となって、ほとばしった。


「う、うるさい! 泣くな! 泣くんじゃない!」


 レクリスへの恐怖から我に返ったセディオルがその顔を苦しげに歪めてそう叫ぶ。

 だがリュセルテアの泣き声の前には消え入るほどでしかなく、彼は激しく舌を打った。


「こんなところ、いられるか! 俺は帰るぞ、侯爵!」

「は、で、殿下!? お待ちください、セディオル殿下! 殿下~!」


 ゼルロットが、迎賓の間を足早に出ていったセディオルの後を追っていった。


「あなた、お待ちください! どこに行くのですか!」

「待ってよ、殿下! 私も一緒に行く~!」


 ユーリシァもイルセリアも、とても似通った様子でバタバタ部屋を出ていった。

 そうして迎賓の間には、泣き止まないリュセルテアと『夜大公』夫妻だけが残された。


「あらあら、旦那様ったら、いけませんねぇ」


 ナーセリアが笑いながらそう言って、泣いているリュセルテアを抱き寄せる。


「わ、私のせいなのか……!?」

「旦那様のせいですねぇ」

「そんな……!」


 七百年以上も生きているとは思えない、レクリスの狼狽っぷりであった。


「リュセルテアさんは私がなだめておきますから、旦那様は別の部屋でお休みください」

「し、しかし……」


「あらあらまぁまぁ、これ以上、私の家族をいじめる気なのですか?」

「ぐ……ッ、わかった……」


 これ以上は言っても勝てないことを悟り、レクリスは観念した。

 そして、妻に抱かれるリュセルテアの方を何度も見返しつつ、迎賓の間の扉へ向かう。


「その子のことを頼むよ、ナーシァ」

「はい、承りました」


 快く引き受ける妻に安堵の笑みを見せ、彼も部屋をあとにする。

 その間も、リュセルテアはずっと泣き続けていた。


 一度溢れ出たものは、もう自分でもどうしようもなかった。

 けれど、そんな彼女をナーセリアはずっと抱きしめ続けてくれていた。ずっとずっと。


 たっぷり五分以上も泣いて、やっとリュセルテアの気持ちも落ち着き始めた。

 ポン、と、ナーセリアが軽く彼女の背中を叩いてくれる。


「もう、大丈夫かしら?」

「はい……」


 リュセルテアは答えたが、その声はしっかりとしわがれていた。

 本当に声が枯れ果てるほどに泣いたのだと悟り、彼女は恥ずかしさに呻きたくなった。


「大丈夫よ、リュセルテアさん。この部屋には今は、私とあなただけだから」

「……うぅぅ、はい」


 ナーセリアの胸の中で、リュセルテアはコクリとうなずく。

 恥ずかしくはあるものの、彼女はホッとしてもいた。そこは安心できる場所だった。


「私もね」


 と、リュセルテアを抱きしめたまま、ナーセリアが何かを語り出す。


「この家にいたときは、髪が黒いからってそれはもう、ひどい扱いを受けていたのよ」

「ナーセリア様……?」

「ナーシァでいいって言ったでしょう?」


 クスクスと笑うナーセリアはどこか楽しげで、リュセルテアは軽く戸惑う。


「レクリス様は、お優しい方でしょ?」


 そこに、思わぬ不意打ちを受けた。

 彼の名を耳元に聞かされて、リュセルテアの混乱はさらに増す。何故か、頬が熱い。


「リュセルテアさん」


 ゆっくりとリュセルテアから離れて、ナーセリアが、まっすぐに相対する。


「あなたにだったら、預けてもよいかもしれないわね」

「預ける……?」


 問い返すリュセルテアへ、ナーセリアはまた柔和な笑みをその顔に浮かべる。

 そして、彼女が取り出したのは錠前による封がなされた、黒革の表紙の本だった。


「あなたは、魔法に興味がおありかしら?」

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