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第5話 心を持たないお人形

 二年が過ぎて、リュセルテアは十歳になった。

 だが相変わらず、少女はマグスルシアの大書庫で、読書にふけっている。


 王子セディオルの婚約者となったことで、状況は様変わりした。

 しかしそれは好転ではなく、悪化したという意味でだ。


 親や家の者に疎まれ、妹に嘲られ、そこに婚約者に嫌われるという項目が加わった。

 さらには、一年前に始まった王妃教育の場でも、彼女は嫌悪と侮蔑に晒された。


 相手は、教育係として選ばれた貴族達だ。

 何をしようと、どう言おうと、リュセルテアは一度も認められなかった。


 それどころかことあるごとに叱られ、罵られ、暴言を浴びせられた。

 おぞましい『呪われ髪』。悪魔に憑かれた邪神の落とし子。などとも噂された。


 貴族達が年端もゆかぬ少女をここまで憎む裏にあるのは、王子との婚約への反発だった。

 醜い『呪われ髪』の持ち主が未来の王妃となる。


 それを、貴族達は頑として受け入れようとしなかった。

 髪の色を重要視する文化が、それだけ彼らの間に浸透していたということだ。


 これには、国王と宰相も閉口せざるを得なかった。

 伝説に残る『虹陽の瞳』の持ち主を王室に迎えることは、非常に重大な意味を持つ。


 しかし、その一方で国王といえど貴族達の反発は無視しきれない。

 結果、婚約の撤回はしないがリュセルテアの後ろ盾になることもしない。


 そんな玉虫色の判断が、国王と宰相が出した結論だった。

 要するにこの二年、少女は一人の味方もないまま叩かれ続けてきたということだ。


 それで彼女は気づいた。

 もう、何も望まなければいい。そうすれば、何も感じずに済むから。と。


 こうして彼女は自らを現実から切り離すことにした。

 そして、リュセルテアはこの大書庫の中でますます物語に没入するようになっていった。


「……魔法って、どんなことができるんだろう」


 少女は小さくつぶやいた。

 今読んでいるのは、この国の建国伝説を記した分厚い歴史書だった。


 そこには、七百年前に実際にあった初代国王と邪神の軍勢の戦いについて記されている。

 中でも特にリュセルテアに興味を抱かせたのが、魔法についての記述だった。


 今はもうほとんど現存しないといわれる魔法の使い手、魔導士。

 彼らは世界を司る精霊と言葉を交わし、魔道具に頼ることなく超常の力を扱えたという。


 魔道具が普及した今の世の中、わざわざ魔法を覚える必要性はない。

 しかし、自分の意志で奇跡を起こせる魔法という技術に、リュセルテアは心惹かれた。


「建国王様、夜大公様……」


 読んでいる本に登場する主要人物を、リュセルテアは小声で呼んでみる。

 記されている内容は、まるで大作の戦記物のようでもある。


 しかし、それは過去に実際にあった出来事であり、そして実際に生き証人もいる。

 初代国王の弟で『夜大公』とも呼ばれるレクリス・ソーマ・アルヴァロットがそうだ。


 彼は邪神との戦いで兄を庇って呪いを受け、七百年を経た今も『常闇領』に住まう英雄。

 ずっと昔の歴史書に載っている人物が自分と同じ時代に今も生きている。


 その事実がリュセルテアにはとても不思議で、そして、だからこそ興味をそそられた。

 彼女にしてみれば、物語の主人公が現実に飛び出てきたように感じられた。


 いつか、彼に会うことができるだろうか。

 ふとそんなことを考えるリュセルテアだったが、直後にかぶりを振る。


 会ったって、何を言われるかわかったものではない。

 相手は大陸を救った大英雄で、自分は『呪われ髪』を持った悪魔憑きの子。


 まみえたところで、歯牙にもかけてもらえない。

 そうに決まっている。


 無駄な期待。無用な願望。

 抱いたところで、果てにあるのは傷と痛みと苦しみだけ。だったら、そんなもの……。


「リュシィ!」

「またここで本を読んでいるのか、リュシィ!」


 再びリュセルテアが物語という浅い夢に浸ろうとしたとき、突然の声がそれを破った。

 いきなり大書庫に入ってきたのは、父と母だった。

 二人は、二年前のあの日のように挨拶もなく大書庫に押し入ってきた。


「何かご用ですか?」


 二人の声が聞こえた瞬間、リュセルテアの顔から表情が失せる。

 そして返したその声も、一切の抑揚をなくした、実に平たい声音をしていた。


 ズカズカ歩いてくる両親は、その彼女を見るなり揃って顔をしかめる。

 先に口を開いたのは、ゼルロットの方だった。


「またおまえは、こんな薄汚いところで……」

「そうですわ。侯爵家の令嬢ともあろうものが、カビの匂いがしそうですこと!」


 二人とも心底イヤそうに言うが、だったら来なければいいのに、としか思わない。

 婚約以前のリュセルテアなら、きっと二人の様子が怖くて震えあがっていただろうけど。


「大書庫の中にカビが生えたことはありません」

「まぁ、この子ったら、口答え? リュシィの分際で、何てことかしら!」


 ただの事実を返したら、ユーリシァは余計にヒステリックに叫んだ。

 しかし、それでリュセルテアの心が震えることはない。


 今の彼女は、自らを人形のようなものとして振る舞っている。

 何も感じない人形なら、どう言われても、何と罵られようとも、傷つかずに済む。


 だから自分は人の前では人形として振る舞う。

 それは、まだまだ大人とは呼べない少女の、何とも稚拙な自衛の手段だった。


「それで、どういったご用でしょうか」


 いきり立つ母を受け流して、リュセルテアはゼルロットに問い返した。

 父は苦い顔をしたまま、黒い髪をした娘をジロジロと見ている。そして、嘆息する。


「着替えなさい。リュシィ。今すぐにだ」


 リュセルテアが纏っている色褪せた平民用の服を見て、彼はそんなことを言う。

 随分といやそうな顔をしているが、服については用意したのは目の前の二人だった。


「着替える? 何故です? 王妃教育は来週のはずですよね?」


 父親の言葉の意図を掴めず、少女は人形の真似をしたまま問い返す。

 するとそれが癇に障ったのか、ユーリシァが声を荒げた。


「また口答えするのですか。全く、何て態度が悪いのかしら!」


 疑問に思ったことを尋ねただけでこの反応だ。

 セディオルとの婚約以来、母のリュセルテアへの当たり方は一層厳しさを増した。


 そうなった理由が妹イルセリアであることは明白だった。

 母は、自分が可愛がるイルセリアを差し置いて婚約した自分が気に入らないのだろう。


「とにかく、すぐに着替えなさい。もうすぐお客様がおまえに会いに来るのだから」


 父の言葉を聞いて、リュセルテアは『そういうことか』と納得する。

 またどこかのひまな貴族が、くだらない好奇心から彼女を見世物として見に来るらしい。


 時々いるのだ。

 自分という『呪われ髪の婚約者』を見物しに来る貴族が。


 この前来た伯爵様なんかはありがたいことに『忠告』までしてくれたか。

 曰く『呪われ髪』が権威あるアルヴァラントの王室を穢すことは許されない云々、とか。


 そんなことを言われても、セディオルとの婚約は国王の意向だ。

 たかが十歳の小娘でしかないリュセルテアに、それを覆せるはずがないだろうに。


 自分でもわかることを、大人は何で理解できないのか。

 そう思いかけたリュセルテアだったが、すぐに彼女は心の中でかぶりを振る。


 今の考えは、いけない。他者を嘲るような真似はダメだ。

 それでは、妹や目の前の両親と何も変わらなくなる。それだけはイヤだった。


 自分は人形。

 無感の人形。

 努めて己に言い聞かせて、少女は心の平静を取り戻そうとする。


「ねぇ、あなた。この書庫は壊してはいけないの? こんないらない紙の束ばかり……」

「私も取り壊したくはあるが、それは陛下に禁じられているんだ。我慢してくれ」


 伝えるだけ伝えて、ゼルロットとユーリシァはさっさと大書庫を出ていこうとする。

 その背中へ、リュセルテアは最後に一つだけ質問を投げかける。


「ところで、これからどなたがいらっしゃるんですか?」


 すると、父からの答えはめんどくさげな声で一言。


「夜大公様だ」

「ぇ……」


 取り戻しかけた平常心に、一瞬だけ、また波が立ちそうになった。

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