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第3話 少女は王子様に憧れて

 アルヴァラントといえば、かつては大陸でも随一の魔法大国として知られていた。

 そして現在は、大陸有数の魔法大国として名を馳せている。


 かつて悪魔の軍勢を率いて大陸を席巻した邪神が討たれてより、七百年。

 幾度か大きな戦いはあったものの、大陸はおおむね平和な時代が続いていた。


 それもあってか、歴史の中で徐々に数を減らしていった者達がいる。

 魔法を修め扱う者。すなわち魔導士と呼ばれる人々だ。


 元々、魔法は人が悪魔に対抗するために編み出された技術だ。

 七百年前の時代では、大陸に住まう全ての人間が魔法を使えたとさえいわれている。


 だが、アルヴァラント初代国王によって邪神は討たれ、脅威は取り除かれた。

 これによって、人々が魔法を覚える必要性は大きく下がった。


 そこに、新たな魔法として台頭したのが錬金術だった。

 従来の魔法は、魔力の集中や詠唱など一定のプロセスを経なければ効果を発揮しない。


 しかし一方で、錬金術によって造られる魔道具はそれらを省略することができる。

 この利便性が人々の心を掴み、魔道具は急速に普及していった。


 こうして、魔導士は数を減らしていくこととなったのだ。

 そして、人々の生活水準は向上し、同時に魔法に関する様々な知識は失われていった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ――リュセルテア、八歳。


「ん……」


 思わず、小さく声が漏れてしまった。

 やっぱりまだ、三冊は難しいかな。と、思いながら彼女はゆっくり歩みを進める。


 頭に乗せた本を常に意識しながらも、だが目線はまっすぐ先を見据えて。

 体の軸がブレないよう、あごを引かず、目線も一か所から動かさないように意識をする。


 たったそれだけのことなのに、かなりの緊張感に体がこわばる。

 それでも、リュセルテアは呼吸を細くしつつ、前へ前へと歩いていく。


 自然、その歩みはキチンと背筋を伸ばした、体の揺れが少ない綺麗なものとなる。

 それは、社交界で求められる淑女としての歩き方だ。


 本来であれば、もっと彼女が成長して礼儀作法を学ぶ際にやるべき訓練のはず。

 しかし、リュセルテアはそれをだれに学ぶことなく、一人で行なっていた。


「……あっ」


 事前に決めていたゴールまでもう少しというところで、バランスが崩れてしまう。

 頭に乗せた本がバサッと彼女の前に落ちた。


「ぁ~……」


 半ば開いた口から、無念の声が漏れた。

 ここはマグスルシア家の敷地内にある大書庫。


 建国当時から存在する建物で、中は巨大な図書館のようである。

 だが、そこにいるのはリュセルテアだけで、他の人間は大書庫には近づこうともしない。


 家中に居場所のない彼女にとって、心が安らぐのはここにいるときだけだ。

 数多くの物語と慣れ親しんだ紙の匂いが、リュセルテアの深い孤独を和らげてくれる。


「……もう一回」


 つぶやいて、リュセルテアは本を拾い上げようとする。

 すると、落ちて開かれた本のページが目に入った。


 挿絵だった。

 見事な白馬にまたがった白銀の鎧を着た煌びやかな青年が、そこに描かれている。


「王子様――」


 リュセルテアは、その挿絵をしばし眺めた。

 それは、魔物にさらわれたお姫様を助けに向かう王子様のお話。


 教師もいないのに独学で作法の勉強を始めたのは、まさしくその本がきっかけだった。

 まだ情緒が幼い彼女は、物語の中に描かれる王子様に憧れを抱いたのだ。


 もしも自分の前に王子様が現れたら、そのときは恥ずかしくない自分でいたかった。

 だから独学で作法の勉強を始めた。

 ただ、こんなことをして意味はあるのかという思いもある。


 それでもリュセルテアは、自分に強く言い聞かせた。

 家の中で疎まれていようとも、自分も侯爵家の娘なのだから、お姫様のはずだ。


 一回も外出が許されていない身の上で、それはあまりにむなしい考えだ。

 けれど、物語を愛する少女が抱いたひそやかな憧憬は、とても甘く心地よいものだった。


 王子様が目の前に現れたとき、それを迎える自分は淑女でありたい。

 その願いを原動力にして、リュセルテアは再び歩き方の練習を始めようとする。


「リュシィ、ここにいるの!」


 突然のことだった。

 大書庫の扉が勢いよく開け放たれて、その向こうからリュセルテアを呼ぶ声がした。


「ぇ……」


 王子様の本を抱えたリュセルテアが驚きに固まる。

 大書庫に入ってきたのは、厳しい顔つきをした母ユーリシァだった。


「相変わらずほこり臭い。その上、薄暗くて陰気な場所ね、ここは」


 入ってくるなりそんな失礼なことを言う母に、リュセルテアは委縮して無言になる。

 ユーリシァは硬直する娘にツカツカと歩み寄り、見下ろしてくる。


「支度をなさい、リュシィ」

「し、支度……?」


 いきなり言われてわけもわからず問い返すと、ユーリシァはますます顔を険しくする。


「外出の支度に決まっているでしょう。そんなこともわからないのですか?」


 大声で叱責されて、リュセルテアはビクリとその身を震わせる。

 その拍子に、抱えていた王子様の本がまた床に落ちた。


「本当ににぶい子。どうして陛下はこんな子を……」

「ぁ、あの……」

「何をしているのです、そんな本はどこかに置いていきなさい! さぁ、行きますよ!」


 いきり立つユーリシァを前に、リュセルテアは質問一つも許されなかった。

 怯える彼女の手を強引に掴んだ母が、大書庫を出て屋敷へ向かう。


 連れていかれた部屋には、何人もの使用人が待ち構えていた。

 そこはいつも妹が着替えに使っている部屋で、リュセルテアが来るのは初めてだ。


「わぁ……」


 そこにある景色に、少女は思わず見とれた。

 クローゼットが幾つも連なるその部屋には色とりどりのドレスが吊るされている。


 近くのテーブルの上に並べられた箱には、指輪やブローチなどのアクセサリ。

 隣のテーブルに置かれているのは可愛らしいリボンに、花のコサージュに。


 シャンデリアの光を受けて、部屋全体がキラキラと輝いている。

 今から外に出るために、自分はこれからここでドレスやアクセサリで着飾るのだろうか。


 そんなの、まるでお姫様のようじゃないか。

 高圧的な母の態度に委縮しきっていたリュセルテアの心が、にわかに浮き立った。

 しかし――、


「……来たわよ。『呪われ髪』が」


 どこかから聞こえた声が、喜びに綻びかけた彼女の気持ちに冷や水をかけた。

 気がつくと、そこに並んでいた使用人達は一様に自分に白いまなざしを向けている。


「見て、またあんなみすぼらしい服を着て――」

「あんな子がこの部屋を使うなんて、奥様は何を考えてらっしゃるのかしら――」


 使用人達の囁きを耳にして、リュセルテアの心はまたしても深く沈む。

 リュセルテアが着ているのは、いつもと同じ平民用の服だ。


 これだって着たくて着てるわけじゃない。他の服を着させてもらえないだけだ。

 だが、言ったところでどうせ無視されるに決まっている。


 八歳にしてそれを悟っているリュセルテアは、拳をギュッと握って黙り込む。

 それを見ていたユーリシァが、イラ立ちを隠そうともせず、ピシャリと言い放った。


「早くなさい、リュシィ! お父様がお城でお待ちなのですからね!」


 お父様が、お城で?

 一体、何が起きているというのだろう……。


 膨らむばかりの疑問に、だが、答えてくれる人は誰もいなくて。

 使用人達は無表情のまま、リュセルテアの服装を整え始めたのだった。

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