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第1話 常闇領の夜大公

 大きな三日月が星々を伴ってささやかに光を投げかける夜。

 森の中にそびえる古城の中庭で、彼は愛する妻に一つの報告をよこしていた。


「今日、新しい花嫁が来るそうだよ」


 それを語るのは、黒い貴族服を纏う、長身の男性だった。

 鮮やかな銀髪を丁寧に撫でつけて後ろに流し、細い眉の下には知性を感じさせる蒼の瞳。


 スマートな顔つきで雄々しさには欠けるが、しかし男性的な凛々しさは十二分にある。

 だが、どういうわけか異様なまでに肌が白い。

 それこそ病的。いや、それすら通り越して空の三日月にも通じる蒼白さがある。


 何より、彼が纏う雰囲気はどこまでも落ち着いている。

 容貌だけなら年齢は三十代、いや、見ようによっては二十代半ばほど。


 だが、そこに若さは感じられない。

 達観しきった、あるいは、老成したと呼ぶべき空気を、彼はその身に纏っている。

 そんな彼が、中庭の真ん中に置かれた年季の入った木の椅子に座り、妻と語らっている。


「君の次の花嫁だ。――十三番目になるか」


 言葉を紡ぐその声は、どこか懐かしむような響きを含んでいる。

 しかし、言葉を切って待てども、妻からの返答はない。


「いつまで経っても王家の連中は変わらないね。それで僕の機嫌が取れると本気で思っているのだろうか。ねぇ、ナーシァ、君はどう思うかな?」


 続けての、妻への問いかけ。

 しかし、やはり答えはないままで、彼もそれはわかっている。


「……君の死から、今日でちょうど二年になるね」


 ゆるやかに風が吹き、彼が向かい合っている若木の葉を揺らす。

 その若木は墓標だ。

 木の下には、彼の十二人目の花嫁であるナーセリアが眠っている。


 また中庭に風が吹いて、今度は他の木々の葉が音を鳴らした。

 中央で椅子に座っている彼を囲むように、中庭には十二本の木が植えられている。


 全て、彼の妻だった女性の墓だ。

 一本一本が違う木で、毎月、どれかが鮮やかに花を咲かせる。


 それはまるで、独り残り続けなければならない彼を慰めるかのように。

 この古城で七百年以上も暮らし続けている彼にそっと寄り添い続けるように……。


「十三番目、か」


 そうつぶやく彼は、レクリス・ソーマ・アルヴァロット。

 アルヴァラント王国の大公にして、邪神によって永命の呪いを授けられた男。


 ――彼は『夜大公(よるたいこう)』と呼ばれている。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 レクリスが治めるアルヴァロット領に、朝は来ない。

 それは七百年前に起きた邪神との戦いの爪痕だとされている。


 当時、アルヴァロット領には異界に通じる大穴があった。

 邪神は、配下である悪魔の軍勢を引き連れて、その大穴より現れたと伝えられる。


 大陸を荒らし回る邪神の軍勢に対し、その時代の人々は一致団結した。

 そして激しい戦いの末に、邪神は二人の兄弟に討ち果たされた。


 それが、アルヴァラント王国の建国王と、その弟である大公レクリスだった。

 当時、小国の地方領主でしかなかった健国王とは、戦いの中で頭角を現していった。


 レクリスも魔法の腕では他に並ぶ者はなく、二人は英雄兄弟と人々に賞賛された。

 そしてアルヴァロット領を舞台とした最後の戦いで、健国王はついに邪神を討伐した。


 だが、死の間際、邪神は健国王に呪いをかけようとした。

 そのとき、レクリスは兄を庇い、代わりに不老不死の呪いを授けられた。


 このときの戦いでアルヴァロット領の大地も穢されてしまい、朝が訪れなくなった。

 以来、この地は『常闇領(とこやみりょう)』と呼ばれるようになった。


 それから七百年、レクリスは長い夜が続く『常闇領』を治め続けている。

 ゆえに彼は『夜大公』と呼ばれ、今もってアルヴァラントに強い影響力を持ち続ける。


 本人の望む望まないに関わらず。

 そして今宵、彼のもとに十三人目の花嫁がやってくる。


「哀れなものだ」


 妻達の墓標に囲まれた中庭の真ん中で、椅子に座るレクリスが小さく漏らす。

 その鼻孔をくすぐるのは、かすかな甘さを感じさせる香り。


「……ああ、そうだったね。ナーシァ。十三番目の花嫁は、君の家族だったね」


 香りは、ナーシァの墓である若木の花から漂ってくるものだった。

 新たな花嫁の出自については、王家からすでに連絡を受けて知っている。


 少し前に十七になったばかりの、うら若き乙女であるという。

 王都では有力な侯爵家の令嬢であるらしく、勤勉で、知性に溢れる女性なのだとか。


 十二番目の妻ナーセリアも同じ家――、マグスルシア侯爵家の出だ。

 侯爵家については、レクリスもよく覚えている。


 健国王であった兄に仕えた魔法学者を祖とする家柄で、武門でこそないが優秀だった。

 確か、邪神討伐後に兄より何か重要な役割を与えられたのではなかったか。


 しかし、それももう昔の話だ。

 以前、ナーセリアから聞いた話では、今は典型的な強欲貴族になり果てたらしい。


 この七百年、アルヴァラントはおおむね平和だった。

 それもあって貴族は当然のように腐敗し、本来の役割はとうに忘れ去られている。


 だが、王家も貴族もレクリスへのご機嫌取りは忘れていない。

 だからこそ今日、十三番目の花嫁がこの夜に沈む地にやってくるのだ。


「僕はそんなことを望んだ覚えはないのだけどね……」


 ため息交じりに零して、彼は空を仰ぐ。

 呪いによって死ぬことができないレクリスは、大陸に現存する生ける伝説だ。


 その名は近隣諸国はおろか、大陸の反対にまで轟いている。

 アルヴァラントを訪れる異国の要人達は、必ずと言っていいほど『常闇領』を訪れる。


 皆、『夜大公』レクリスとの面会を望んでのことだ。

 生ける伝説である『夜大公』の名は、大陸に確固たる影響力を誇り続けている。


 自然、アルヴァラント王家は彼の存在を常に意識せざるを得なくなる。

 もしも万が一レクリスを敵に回せば、アルヴァラントは亡国の危機をも迎えかねない。


 だから王家はずっとレクリスに気を配り続けてきた。

 レクリス自身に、叛逆の意思など微塵もないとしても、そんなことは関係なく。


 大陸の諸国においては英雄でも、アルヴァラント王家にとっては目の上の瘤。

 それが自分という人間だと、レクリスも自覚している。


 だから、別にいい。

 王家が自分をどう扱おうとも、彼はそれを拒む気はない。

 『常闇領』の『夜大公』であることを王家が望むなら、自分はそうあり続けるだけだ。


 ただ、彼はどうしても思ってしまう。

 自分のもとに送られてくる花嫁のことが、とかく哀れでならない。


 彼女達は、言ってしまえば自分とアルヴァラントの繋がりを示すための生贄だ。

 アルヴァラントが今も『夜大公』と共にあることを外に見せるために捧げられた供物だ。


 ナーセリアもこの地にやってきたときにはまだ十六になったばかりだった。

 それから七十年以上を共に歩み続けて、彼女は幸福でしたと自分に言い遺して逝った。


 レクリスにとっても、彼女との日々は幸福な時間だった。

 そこに嘘はない。

 けれども、果たしてナーセリアの幸せはここにしかなかったのだろうか。


 彼女自身が望む、ナーセリアの本当の幸せがどこかにあったのではないのだろうか。

 ずっとずっと、そう思い続けてきた。いや、今も思っている。


 ナーセリアだけでなく、その前の妻達もそうだ。

 自分という人間は、まだ若かった彼女達の未来を奪ってしまったのではないか。


 その疑念を、レクリスはずっと抱え続けてきた。

 当然、答えてくれる者はいない。いるはずがない。これは答えの出ない悩みなのだから。


 二匹の蛍が音もなくレクリスの周りを舞い飛んでいく。

 そこに瞬く光を見て、彼は「ああ」と短く声を出す。そろそろ花嫁が到着するようだ。


「わかった。出迎えに行こうか」


 レクリスは椅子から立って、踵を返す。


「また来るよ、みんな」


 十二本の木の下に眠る十二人の妻達にそう告げて、レクリスは中庭をあとにした。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 『常闇領』の古城には、レクリスしか暮らしていない。

 二年前まではナーセリアも一緒だったが、それでも広い城に二人だけだ。


 騎士や文官どころか、使用人とて一人もいない。

 領主が住まう場所としては異様としかいえないが、レクリスにはそれでことたりた。


 そもそも『常闇領』自体、アルヴァラントでも端の方にあり、領地は非常に狭い。

 それは朝が来ない範囲だけを『常闇領』にした結果で、レクリスが望んだことでもある。


 城一つ。

 村一つ。

 あとは湖と森と山だけで『常闇領』は成り立っている。


 非常にささやかで面白みのない場所だが、それでもレクリスには愛すべき領地だ。

 ただ、人がいないということは花嫁の出迎えも自分でしなければならない。


 それが、彼にとってはちょっとした苦痛でもあった。

 花嫁を出迎えること自体は別にどうということはないのだが――、


「……この感覚も、七十余年ぶり、かな」


 城門前で花嫁が乗った馬車を待ちながら、レクリスはひとりごちた。

 思い返すのは、ナーセリアが初めてこの地に来たときのこと。


 そのときもこうして、レクリス自らが城門の前で王都から来たナーセリアを出迎えた。

 初めて出会ったときのナーセリアの表情を、彼は今でも忘れていない。


 その顔は、色濃い不安と恐怖にまみれていた。

 自分が生贄であることを自覚していなければできない表情だった。


 ナーセリア含め、これまでの妻達は皆、決まって最初はその表情でこの地に来る。

 それがどうしようもなく申し訳なく感じられて、レクリスは心が重たくなる。


 だが、彼女達は寄る辺もないままこんな辺境に送られてくるのだ。

 せめて自分だけは、花嫁の隣に立ち、寄り添ってやらなければならないだろう。


 そう考えているうち、ガラガラと回る車輪の音がレクリスの耳に届く。

 十三番目の花嫁を乗せた馬車が夜の闇の向こうに見えてくる。


 馬車は城門近くまで来ると速度を徐々に落としていき、やがてレクリスの前で停まった。

 手綱を握っていた全身甲冑の騎士が御者台を降りて馬車に回り込もうとする。


 カシャンカシャン、と、やけに軽い足音。

 その騎士に中身はなかった。甲冑だけが動いている、いわゆる動く鎧(リビングアーマー)だ。

 今となっては使い手がほとんど失われた、いにしえの魔法技術の一端だった。


 中身のない鎧が、それでもうやうやしく頭を下げて、馬車のドアを開けようとする。

 その中にいる花嫁は、底知れない不安に潰されそうになっているはずだ。


 レクリスは努めて笑顔を作り、花嫁を出迎えようとする。

 新しい生活は彼女の不安を和らげるところから始まるのだと、レクリスは考えていた。

 ところが――、


「レクリス様!」


 彼の視界いっぱいに、大きな白い花が咲いた。

 そう錯覚したのは、純白のウェディングドレスを纏った彼女が飛びついてきたからだ。


 波打つ黒髪を長く伸ばした、黒い瞳の少女だった。

 唖然となって何も言えずにいる彼を、その少女はひしと抱きしめる。


 少女の細い両腕が彼の体に回され、一方的に熱い抱擁が二十秒以上も続けられた。

 それは、レクリスが全く予想していなかった展開だった。

 全身から歓喜の感情を発散させながら、十三番目の花嫁がレクリスに告げる。


「あなたをお助けに参りました、レクリス様!」

「……え?」


 理解が追いつかないレクリスが、間の抜けた返事をする。

 どうやら、十三番目の花嫁はこれまでとは少し毛色が違っているようだった。

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