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石と誰かの物語

揺れるグリーン

作者: 河 美子

石と誰かの物語です。

 『百日紅』

 どうしてこの線香のような漢字をサルスベリと呼ぶのか、さっぱりわからないけど。この花が好き。

 花瓶に入れるとテーブルの周りに小さな花弁が散らばって可愛らしい。親友の由美の部屋に飾ってあってすごく素敵だから貰ってきた。

「おばあちゃんが育ててるの。いっぱい咲いてるからどうぞ持って帰って」

「わあ、ありがとう」

 私の何もない部屋に花瓶はない。仕方なく、ウイスキーの空き瓶に飾る。これはこれで雰囲気あるわ。

 そう思っていたら、花を飾る習慣のない私の部屋は、日が経つにつれ、いつのまにか茶色の汚い点々が。水を換えたり、掃除したりする人でないと、やはり自然の生き物だから枯れていき部屋は汚くなっていくのね。

 由美の部屋では美しかった百日紅の魅力が数日で消えていく。

「ふう、暑いわ。元気?」

 ノックもせずに部屋に入ってくるのは母。

「ちょっと、人のうちに黙って入って来ないでよ」

「はいはい。だってどうせ鍵もしないんでしょ。物騒よ」

「いいの、誰も来ないから」

「そうみたいね。なんか臭いわ。この部屋」

「百日紅よ」

「見たらわかるわよ。でも、腐った花の水の匂いも気にならなくなるって、あんたって子は」

「何の用?」

「そうそう、この写真見て」

「え? お見合い写真なんて今時あるの?」

「あんたじゃないわよ、私」

 思わず飛び起きた。

 私でさえお見合いしたこともないのに、58歳の母親が見合い写真を撮るって。どんな写真かと思ったら、白髪の男が写ってる。

「えええええええ!? 誰なの、この男」

「十五年前に奥さんを亡くされて、今は一人。お子さんはみんな独立して県外で就職。公務員の長男さんと銀行に勤めているお嬢さんがいるの。仕事は定年退職されて今は悠々自適の68歳。優しそうでしょう」


 母は私ができて十年で離婚。父は単身赴任先で優しくしてくれた同僚に心惹かれ、さっぱりした母にすぐに別れを切り出した。その時に言われた言葉は君は一人で大丈夫だと。

 決して大丈夫ではなかった母が何とか私を育ててくれた。祖母の百二十パーセントの援助がなければ絶対無理だった。

「なんで一人では無理だと泣いて訴えなかったの」

 祖母は母の代わりに「言ってくる」と玄関先で母ともめていたことを、大人になって思い出す。

「強く見えるってのは、見飽きたってことよ」

 自虐的な母の言葉を祖母は悲しそうに聞いていた。

「バカな子だね。男に甘えることも覚えなさいって言ったでしょう」

「母さんの子だもの。死んでもそんな言葉は出ないわ」

 祖父も男の子ができた愛人のもとに去って行ったのだった。もう、親子してなんと男運のないことか。


 そんな母が見せた写真。

 改めてじっくり見る。

「ハンサムとは言えないわね。見合いなの? もう知ってるんじゃないの、この人のこと」

 母は小さくうなずいた。

「ええ、毎朝モーニングを食べる喫茶店の常連」

「やっぱりね。急に見合いなんてありえないもの。でも、なんで私に相談するの? もう決めてるんじゃないの?」

「おばあちゃんも死んで五年だし、話す人がいないのはさびしいのよ」

「ふうん、そりゃそうだわ。私もずっと一人だと寂しいもん」

「あなたは男と別れたばかりだから。私はずっと一人よ」

「ずけずけ言うなあ。結構傷ついているのに」

 そう、私はこの前同棲を解消したばかり。大学から一緒だから気楽だったのに、勤め始めて急に家事の分担も何もかも私に求めてきた。お互い勤めているからと理路整然とした会話は消え、君に何がわかるというような言い方しかしなくなった。疲れているときに甘えたいのはわかるが、私もまた同じように疲れていた。何しろ就活も一緒だったから。三年付き合って、同棲を始めたのは一年前。この時期に同棲を始めた私たちは大ばか者だった。


「ねえ、どう思う?」

「そうね、お母さんがよければいいんじゃない?」

「他人事だと思って簡単に」

「なんて言ってほしいの? 反対って言う?」

「それは困る」

「何よ、それ。いい歳して好きみたいね」

「うん、嫌いじゃない」

「素直じゃないわね」

「今更二人暮らしできるかしら」

「お母さん、もうちょっと付き合ってから考えたら? 同棲でもしたら?」

「そんな、同棲だなんて。人聞き悪いわ」

「は? 何それ。いきなり結婚よりはるかにいいわよ。彼のお子さんたちだって望んでるかもよ」

「そうかしら」

「そうよ、この年齢になって父親が結婚なんて言ったら財産目当てとか考えるんじゃない?」

「それもそうね。そう思われてるかもね」

「彼の方も話してるの? お子さんたちに」

「ええ、お互いに言おうって」

 そんな女の悩みを母親から聞くなんて想像もしたことなかった。母の麻のセーターにグリーンの石が揺れている。黒のシンプルなセーターにいい感じ。

「お母さん、素敵ね。そのペンダント」

「うん。ツァボライトガーネットっていうの」

「ふーん、もらったの?」

「うん、この前誕生日に」

「そうなんだ」

 意外と趣味がいい男ね。

「ガーネットって赤と思ってたわ」

「結構高いの、グリーンは」

「ふーん。一緒に選んだの?」

 それって、普通に恋人同士よね。なんで決めているのに娘に相談するのよ。

 母は指で石を触りながら幸せそうな雰囲気を醸し出す。これは恋する乙女よね、58歳でも。

「それで、今度会ってもらいたいと思って」

「いいわよ。見てあげる」

「そう。じゃ明日の夜」

「え、私だって予定だってあるかもしれないでしょ」

「ないでしょ、いいわね」

 図星だわ。まあ、こういう機会は滅多にないから楽しみ。68歳か。ちょっと歳がねえ、だって、女性の方が長生きするだろうし、すぐに介護の生活になったらどうするのよ。今は恋してるから忘れてるんでしょうね、そういう年齢だってこと。彼の足腰も鋭く見てあげるわ。

 

 朝から何を着ようか迷ってる。

 おとなしいワンピース、これでは私の見合いだわ。

 ポロシャツだとカジュアルすぎるし、おしゃれなフリルのブラウスに紺のパンツ。なんだか伴奏しそうだけどまあいいか。耳にはチェーンのピアス。小さなダイヤのネックレス。ボーナスが出て初めて買った。買っといてよかったわ。化粧も張り切った。靴をあわてて磨く。

 ちょっと高そうな和食処。

 通された部屋に二人が緊張しながら座っている。

「こちらは鈴木さん。娘の真衣です」

 母が私を紹介する。

 彼は意外とすっきりとしていて、写真よりかなりいい。ベージュのカジュアルなジャケットにグレンチェックのズボン。母は黒のニットのワンピース。また、あのネックレス。ふーん。

「僕は鈴木泰平といいます。息子と娘がいます。市役所を退職してから近所の塾で非常勤講師をしています。中学生を教えてます」

「そうですか、私はまだ勤めて半年です。今日はよろしくお願いします」

「あ、こちらこそ。どうぞよろしくお願いします」

 母は借りてきた猫のように静かだ。

「母の話ではご結婚を考えているとか」

「こら、真衣、そんなこと」

 驚いたように真っ赤になった母。

「あ、はい。この年齢でとお思いかもしれませんが、一緒に生きていきたいと思ってます」

 そのことばに母はさらに赤くなる。

 これでは私の出る幕はない。

 彼はいい人だ。

 でも、一応お目付として一言。

「あの、母のどこが気に入られたんですか」

「話し方も笑い方も、そして優しいところも、怒るところも」

「まあ、私、怒ったりしました?」

「ええ、映画を観るときそんな映画は嫌だと」

「あ、あれね。私はアクションものよりミュージカルが観たかっただけよ」

 何よ、この二人、娘の前で。なんだかばからしい。

 

 しっかり食べて飲んで、二人の毒気の当てられての帰り道。

「お母さん、幸せでしょう」

「ええ、こういう思いは初めてかもしれないわ」

「よかったね。私は賛成よ。ただ、これは向こうのご家庭もあるしね」

「うん、わかってる。今度は向こうのお子さんたちにも会ってからゆっくり考えるわ」

「そうだね、今日はお母さんと家に帰ろうかな」

「布団も干してるわ。私もそうしてほしかったの」


 朝、窓を開けたら庭に百日紅があった。

「お母さん百日紅ってうちにもあったのね」

「ええ、おばあちゃんがもらってきていつの間にかこんなに増えたのよ」

「知らなかったな」

 相変わらず胸にはあのネックレス。

「よほど好きなのね、その石」

「ええ、なんだか落ち着いていられるのよ」

「ふーん、愛されてる感が満載ね」

「ばかね、何言ってるの。さあ、ご飯よ」

 

 お母さん、幸せになってね。


 ついでに、私も幸せになりたい。





 

 

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