超短編集〜雫のかたち2〜
音の物語
旋律とは程遠い不協和音が、さざ波をつくり、世界の調和を保っている。
海の向こうにおいてきた恋人を想いながら、男はオルガンを弾き続ける。
彼女のためならば、忌み嫌われるこの孤独も男にとっては悦びだった。
今、この瞬間も、孤島の教会に響いている。
誰かを守るためだけの狂った奏が。
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紅の物語
深紅が、じわりと唇に滲んだ。
「何か意味深」
女がキャンバスを覗き込む。
試しに、和紙を張ったせいで、口紅がより強調されてしまった。
「別に、深い意味はないさ」
視線を筆先に向けたまま、淡々と答える。
「ふーん、勘違いしちゃうところだった」
彼女は悪戯に、艶やかな唇を尖らせた。
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雫の物語
ぽとりと、細い枝から落ちる。
黄や緑、青に輝く美しい雫が、風の調べや樹々のざわめきを聞きながら。
すべての音を取り込んで、ただまっすぐに、ぽとりと落ちる。
雫は草をつたって、大河のせせらぎの一つとなった。
流れに身を委ねるうちに、すっかり溶け込んでしまい、やがて跡形もなくなった。
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星の物語
今日が人生最後の日。
この部屋で過ごす最後、すなわち「私」が終わる日だ。
田舎から届いたミカンを片手に、ベランダから夜空を見上げる。
明日の今頃は、手錠をかけられ、取り調べなんかうけているのだろうか。
こんなはずじゃなかった。
自分で自分が情けなくなる。
いけない。
星の瞬きが目に沁みる。
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毒の物語
だらりと力なく下がった指先から、ぽたぽたと血が滴る。
狂っているのは、世間か、それとも己か。
もう考えるのも煩わしい。
ゆっくりと瞼を閉じる。
しばらく経つと、男は椅子から崩れ落ち、やがて屋敷から一切の音が消えた。
傍らには調合した毒薬の瓶が、光を反射して、ただただ美しく転がっている。