黄金の薔薇⑥
カーカー、とのんびりした鴉の鳴き声が聞こえる。
夜だというのに、誰かを探しているのか。
シトリーは暗くなった窓の外を見つめ、暫くしてカーテンを閉める。
傍では既にベッドで寝息を立てているシャロンの姿があった。
その姿を見守りながら、今日の出来事を思い返す。
(シャロン様自ら、この私にお声掛け頂けるとは)
(いえ、この位は普通に……)
(あぁ。今の貴方の心は、あの青空のように澄み渡っているのでしょうか)
あれから色々と模索してみたが、ウィルミアの本心は分からなかった。
常にシャロンに敬意を表し、愛情のある言葉を紡ぐ。
そんな彼の表現は独特だった。
単純に仮面を被ったシトリーに対して、美しいだの素晴らしいだのと言うのは他の人々も同じだ。
左から右へ通り過ぎるような、聞き飽きたもの。
だが彼は口にするのは色だった。
シャロンの心情を、何かと色に変えて表そうとする。
きっと何かしらの意図があるのだろうが、結局はぐらかされてしまった。
そして今日、不意に現れたヴェクトの存在。
あの男が、シャロンだけに警告したとは思えない。
人目の触れない所で、同じようにウィルミアと接触したはずだ。
しかし彼はそんな素振りすら見せず、笑顔を絶やすことはなかった。
ポーカーフェイスなのか、それとも何も感じていないのか。
「ウィルミア様の言動は、確かに不可解な点が多い。けれど、姫様に対する思いは本物のように思えるわ」
彼の過去は、ヴェクトが指摘した通りだ。
初等部では素行不良と判断され、一時期は退学という話すら持ち上がっていた。
しかしその後は一気に鳴りを潜め、平々凡々な毎日。
他の生徒たちに笑顔を向けることはあっても、深い交流を持つこともない。
そんな彼が、一転してシャロンに好意のような感情を寄せている。
王族にすり寄っている、そういう声がない訳ではない。
だが何かが違う。
ウィルミアの考えは、そんな打算的なものではない。
主であるシャロンもそれに気付いているのだろう、とシトリーは考える。
そしてこんな考えを持ち始めたのは、何も今回が初めてではない。
シトリーは以前の出来事をもう一度思い返す。
「あの時のパーティーでもそうだった。きっと、あの方は姫様に特別な思いを……あれ?」
そこまで呟いて、シトリーは異変を感じる。
飾られていた造花の隣。
ヴェクトから差し出された黄色い薔薇が震え出したのだ。
地震ではない。
小刻みに揺れていた薔薇は、次第にグニャリと変貌し、光と丸みを帯びる。
そしてそのまま重力に従って落下。
キンッと甲高い音を立てる。
そこにあるのは、紛れもない金貨だった。
「薔薇が金貨に!? 姫様!」
反射的に金貨を拾い上げたシトリーはその現象をすぐさま理解した。
視線は即座に主であるシャロンへ向けられる。
だが事は終わった後だったのか。
ベッドで眠っていたシャロンが、呼吸を乱して目を覚ました。
「はぁっ……はぁっ……!」
「姫様!」
「し、シトリー? あぁ……今のは、夢だったのね……?」
「はい、私は此処に……!」
上体を起こしたシャロンに彼女は駆け寄る。
悪夢に魘されていたようだ。
気付かなかったシトリーは己を恥じ、主を気遣う。
既に主人は息を整えつつあった。
今のところ体調が悪化する様子もない。
代わりに彼女が手にしていた金貨を目にし、悔しそうな表情を見せた。
「その金貨……もしかして、私の国宝が?」
「……はい。21回目になります」
「油断したわ……。まさか無意識に力を使うなんて……」
しくじった、とでも言いたげだった。
同じようにシトリーも沈痛な面持ちをする。
彼女達にとって金貨とは欲するものではなく、目の上の瘤。
そしてこの瘤こそが、シャロン・ヴァルメールの価値であり存在そのものだった。
花を金貨に変える能力。
たとえそれが美しく咲く花でも、痩せ衰えた花であっても、例外なく硬貨に変えてしまう。
シャロン固有の力であり、黄金の薔薇と呼ばれる所以でもあった。
王家の人間は、その殆どが国宝という力を持つ。
魔法とは異なる、万物の法則を無視した崇高なもの。
これを以て初代ヴァルメール国王は建国を果たし、その血を脈々と受け継がせてきた。
彼女はその末端。
一面の花畑を、一瞬の内に黄金の山に変えてしまうのだ。
それがどれだけの影響力を持つのかは、わざわざ言う必要すらない。
だからこそ、国宝の使用は基本的に禁じられている。
シャロンは新品のように輝く金貨を目に、先程見た光景を思い返す。
「最近は落ち着いてきたと思っていたけれど、またあの夢を見たわ。黄金に囲まれながら、最期には自分の身体までも黄金に変わってしまう夢を」
「姫様……」
「私は……ヴェクトお兄様の言葉に、不安を抱いたのかもしれないわね」
自嘲気味な笑みを浮かべる主人に、シトリーは沈黙する。
夢の正体は今までにも聞かされていた。
幼い頃より時折見るという、破滅という名の末路。
シトリーは影武者ではあるが、その夢までは共有できない。
どれほど孤独で、恐ろしいものなのか。
だからこそ彼女に出来るのは、シャロンを気遣うことだけだった。
「お水を頂戴。それとこの件は、陛下に報告を。そういう規則なのだから」
「かしこまりました。こちらの金貨も、併せて提出させて頂きます」
どの道、採番されていないこの金貨は正当には使えない。
シトリーは21回目の提出のために、その金貨を保管する。
続いて用意していたコップに水を注ぐと、シャロンは視線を自分の手元に下ろしていた。
その視線はどこか寂しそうに見えた。
「この感情は、間違っているのかしら」
ポツリとそんなことを呟く。
黄金の夢を見たせいか、彼女が弱っているのが分かった。
だからこそシトリーは否定する。
「そのようなことは、決してありません」
「!」
「誰しも始めの一歩を怖がるのは普通のこと。間違っているかどうかは、踏み出した後に分かるものです。そして間違っていたとしても、差し伸べる手は此処にあります。私は姫様の影であり、姫様の従者なのですから」
以前のシャロンは何も感じていなかった。
全てを空虚なものと捉え、意味もなく不遜に振舞う。
そんな彼女が初めて抱いた感情なのだ。
戸惑わない訳がない。
そしてシトリーは影武者である。
心情を理解し、模倣し、そして守り抜く。
本心を伝えると、思わずシャロンは笑った。
「ふふ。どちらが主人か分からないわね」
「影として、それ以上の誉れはありません」
少しだけ主人は元気を取り戻したようだった。
コップに注がれた水を飲み、小さな息を吐く。
「そうだったわ。私自身の思いで一歩踏み出すなんて、今まで考えたこともなかった。だから、きっと……これは間違いじゃない……」
シャロンは胸元で手を握り締めた。
明日には一日限りの商店街が開かれる。
今度こそ、ウィルミアの本心が聞き出せればいいのだが。
そう思いつつ、シトリーは頷くのだった。