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W.C.コースター

作者: 鰯之つみれ

 斉藤は取引先との打ち合わせが無事終わり、そのちょっとした開放感が駅までゆっくり歩いていく考えを後押しした。

 取引先の担当とは年齢が近く、無茶な事も言わないので付き合いも長くなっている。

 今回は新製品の詳しい説明をして欲しいと連絡があり、時間調整をした結果、金曜日の朝一に打ち合わせを行うことになったのだ。

 新製品の説明から質疑応答、改善点や追加機能の要望を受け、後日回答することで打ち合わせが終わる。

 斉藤の会社からは少し離れているので、会社には直行、直帰の届けを出している。

 打ち合わせは思ったより早く終わったが、せっかく直帰の届けを出しているので会社に寄るつもりは無かった。

「斉藤さん、タクシー呼びましょうか? バスもありますが、遠回りなので少し時間が掛かりますよ」

 来る時は遅れる訳にいかないのでタクシーを使った。歩くと三十分くらいだろう。

「実は会社に直帰の届けを出してるんだよね。明日は休みだし、駅までゆっくり歩こうかと思ってるんだよ」

「結構、距離は有りますよ?」

「最近運動不足だし、丁度いいかな。上手くいけば、タクシー代を……ね?」

「はっはっはっ。悪ですね。じゃ、タクシー会社の電話番号だけ教えますね」

「上手いな。電話番号は教えたから、後は俺次第ってことか」

「深読みしすぎですよ。途中でタクシー呼びたくなるかも知れないという親切心ですよ」

「本当に? まあ、そういう事にしておこう。ありがとう」

 斉藤は取引先の会社が入っているビルから出て周りを確認する。

 確か左の方から来たなと、そちらを向いて歩き出した。


 迷うような道ではない。たまに車が通るような広い道に沿って進み、丁字路で左折して真っ直ぐ進めば駅に到着だ。

 歩き出して五分位経っただろうか、特に何も無い道をぶらぶらと歩いていると細い路地が目に入る。

 ここを通れば近道になるのでは……。

 ふと、そんな事が頭を過り、斜めに入る道へ吸い込まれるように入って行く。

 少し歩くと普通の広さの道に出る。

 店などは見当たらなく、古臭い雑居ビルが立ち並んでいる。

 そんな道を更に進んでいると「ぎゅるるるる」とお腹がなった。

「うっ。腹痛い……」

 朝から打ち合わせという事で、少し気合を入れて朝食をいつもより多めに食べた。

 余計な事をしたなと後悔する。

 まだ、駅の見える気配はない。コンビニなどの店も見当たらない。公園とかに小汚いトイレがあったりするが、その公園すら見当たらない。

「やべぇ。どうしよう」

 様々なトイレの記憶が走馬灯のように思い出される。

 学校で大きい方をしている時に友人達が扉を叩いて邪魔された事や、トイレ掃除でアイスホッケーのような事をして先生に怒られたりとか。

 今は何の役にも立たない懐かしい思い出だ。

 そんな記憶の中で、一つ引っかかった物がある。昔、取引をしていた会社が少し大きめの雑居ビルに入っていて、そのビルの中に共同のトイレがあったのを。

 周りには雑居ビルが多い。もしかしたら、共同のトイレくらいあるかもしれない。

 辺りを見渡し、少し大きめのビルを選んで入っていった。


 記憶の片隅にあるのは階段が折り返しになっている所に、小さなトイレがある風景。

 階段を見つけて昇ると二階と三階の間にトイレがるの発見した。

 思った通りだ。今日は運が良い。

 心の中でそう呟きながら、トイレへ駆け込む。

 非常に狭いトイレだ。左側の手前に一人用の手洗い場があり、鏡は無く跡だけ残っていた。その奥に小便器が二つ並び、小便器の向かいには個室と用具入れがあった。

 他には目もくれず個室に一直線する。だが、個室の扉には「使用禁止」と書かれた貼り紙があった。

 たった一つの個室が使用禁止。

 酷い。酷すぎる。

 学生の時のマラソン大会でゴールだと思ったら折り返し地点だと知り、心が折れた記憶が蘇る。

 あの時の絶望感再び。

 だが、トイレを見つけた時点で、お腹の子は外に出る気満々である。

 壊れていても止む無し。清掃員には悪いが使わせて……ん?

 貼り紙をよく見ると、でかでかと「使用禁止」と書いてある横に小さく「関係者以外は」と書かれていた。

 なんじゃそりゃ。関係者以外は使用禁止なら、関係者は使っていいんだよな。

 まあ、何の関係者は分からないし、俺が該当する事は無いと思うが。

 恐る恐る扉を開けると、中は無茶苦茶綺麗に掃除されていた。

「何の問題も無さそうだ」

 あまりに綺麗だったので、思わず口から言葉が漏れていた。

 心配しないでください。下は漏れていません。

 トイレットペーパーも下ろし立てのようだ。

 ただ、便器が和式である。最近はあまり見なくなった。聞いた話では最近の若者はうんこ座りができないとか。

 昔はヤンキーがコンビニの前でうんこ座りしてたんだよな。

 おっと、いかん。それどころではない。

 とりあえず、洗浄レバーを押して水が流れるか確認する。

 ジャーっと勢いよく流れ、詰まっていることも無さそうだ。

 そうと分かれば選択の余地は無い。

 俺は個室に入り、そっと扉を閉めた。


 扉の反対側にフックがあったので、荷物と上着を掛けた。

 和式便器にまたがり、ズボンとパンツを足首まで一気に下げる。そして、ゆっくりと腰を下ろす。

 もう安心だと下っ腹に力を込める。

 ばふっ。

 得てして、一発目は空砲の事が多い。だが、それを過信すると実が出たりするので慎重になるのは大切である。

 ふーっと、ひと息つく。安心感から視野が少し広くなった気がする。

 今まで気にもしていなかった物が目の前にある。

 七インチくらいの液晶パネルだ。

 一番上にメニューらしき項目があり、その下五行くらいに何か書いてある。

 真ん中の行に書いてあるのはここの住所のようだ。その行の頭には数字の8と書かれている。それ以外は行は文字化けしていて読めない。

 試しにスワイプしてみる。どうも、読めた行は上から八番目だったので、数字の意味は上から八番目というシリアル番号なのかもしれない。

 日本語以外の行を真ん中に来るようにすると、メニューの項目が文字化けする。

 なるほど。これが何かは分からないが、これの故障が使用禁止の貼り紙に繋がったのかも知れない。

 興味本位でスワイプしまくっていると、画面が切り替わった。

 選択してしまったらしい。

「これだからタッチパネルは嫌いなんだよな」

 文字化けして分からないが中央にボタンが二つ表示されている。

 こういうのは基本、「はい」と「いいえ」だろう。

 迷わず右のボタンをタッチ。

「おりょ」

 画面が戻らず、切り替わって文字化けの文章が表示される。逆だったか。

 何かの資料なのか? でも便所にまで仕事を持ち込むのは余程のブラック企業だな。

 と思ったその瞬間、ガタンと揺れる。

 地震だろうか? 横に揺れるというよりは、何かに乗り上げたような感じだった。

 その衝撃でブツが少し顔を出す。

 今いるビルはかなり古びていたと思う。耐震性は大丈夫なのだろうか?

 大きな地震がきて、尻を出したまま埋もれてしまうのは恥ずかしすぎる。

 とっとと終わらして帰ろうと、少し前のめりになって息む。

 ガタンッ。ガラガラガラガラガラ……。

 小刻みに揺れる便所。

 しかも、気のせいが斜め上に昇っている感覚がする。後ろに倒れそうになるのを必死で堪える。

 ガラ、ガラ、ガラと、その揺れも収まっていき、昇る感覚が無くなった。

「なんなんだ。ビルが傾いていたりしないよな」

 嫌な予感が頭を過る。

 と、次の瞬間。今度は凄い勢いでゴーーーーーっと前へ滑り落ちる感覚が襲ってくる。

 不意打ちでブツがにゅっると更に顔を出す。だが、硬くて切れない。人生で一、二を争う長さだ。

 今度は降下する感覚から右へ左へと旋回する感覚が襲ってくる。

 この感覚は覚えがある。ジェットコースターだ。

 もの凄い遠心力が体を襲い、左へ右へと振られる。

 それに合わせてブツも揺れるしムスコも揺れる。

「うおおおぉぉぉぉぉ」

 不意に前へ落ちる感覚が襲ってきて、洗浄レバーに手をかけてしまう。

 ジャーーーっと勢いよく水が流れ出した。

「おおおふぅ」

 ブツの先に水が当たり、その勢いと共にブツがにゅるんと飲み込まれていく。

 前に体重が掛かっているので洗浄レバーから手が離せない。

 更に右へ左へと振られ、流れ出る水が飛び出してくる。

 今度は昇りだ。後ろへ倒れそうになる。

 洗浄レバーから手が離れてしまい、何かを掴もうと手が宙を舞う。そして掴んだものがトイレットペーパー。

 倒れまいと引っ張りまくるが、ガラガラと音を立てて回る。トイレットペーパーでは体を支えられるはずもなく後ろの壁に勢いよく当たる。

 その後も前後左右に振られまくった。


 ガラ、ガラ、ガラ、ガコン。

 五分くらい経っただろうか、ようやく揺れが収まった。

 びしょびしょの下半身を見て溜息が出る。

 半泣き状態で尻を拭く。

 だが、ゆっくりしいている場合ではない。

 地震の揺れとは少し違う感覚だったが、これだけ揺れたのは確かだ。老朽化しているビルが崩れないとは限らない。

 早くビルから出なくてはと思い、ズボンを穿き、上着を羽織る。荷物を手に取り忘れ物が無いか確認。

 一応、使用禁止のトイレだったので、人と顔を合わせないようにこっそり出て行きたい。

 そっとドアを開ける。

 個室の向かいに並ぶ七つの小便器は誰も使っていない。

 そっと顔を出し、聞き耳を立てる。

 他の個室にも人が入っている気配はない。

「よし、大丈夫だ」

 そう言って、一歩足を踏み出して固まる。

 あれ? 小便器は二つだったよな。それに個室も一つだったはず。

 明らかに全然違うトイレだ。

 もう一度、入っていた個室を覗く。

 水浸しでトイレットペーパーが散乱している酷い状態だ。

 他の個室を覗いてみる。

 一見普通に見えるのだが、何か違和感がある。何だろう。綺麗に掃除されていて、変な所はないのに……。

 あっ。便器が洋式だ。

 そう言えば、あの文字化けだらけの液晶モニターも無い。

 今まで入っていた個室が、此処のトイレに合っていない気がする。

「全然別の場所じゃないか」

 どう考えても、あの液晶パネルを触った所為だろう。

 映画とかなら、この建物から出て色々と冒険をするんだろう。だが、俺は現実的なサラリーマンのおっさんである。

 一番悲惨な場合を想定すると、ここが見たことも無いような不思議な世界で、元の世界に戻れ無い場合だと思う。

 多分、今なら、あの液晶パネルを操作すれば戻れるはずだ。

 ……。

 ちょっとだけ、トイレの外を覗いて見るか。

 俺はトイレの入り口まで行く。扉は無く、目の前には左右に続く廊下がある。

 そうっと顔を出し左右を振り向く。

 廊下の先は薄暗く、先はよく見えない。

 トイレは電気が点いていたから周りがよく見えていたのだと気付く。

 右側の方から変な音が聞こえる。

「ググゥグガゥァゲゲググァ」

「ぎゃぎゅぐぐ、ぎゅぐるぅぅ」

「グガゥァグゥグゲググァゲァ」

「ぎゃぐぎゅぐぎぎるぅぐぅ」

 動物の鳴き声か? 二匹いるようで、まるで会話しているように聞こえる。

「グギャ?」

「ぎゃぎるる」

「ギャギググァ。ギギグゥ」

 やっぱり会話っぽ……。ん?

 カツーン、カツーン、と遠くから何かがこちらに歩いて来る。

 まだ遠くだが、その姿形が何となく分かった。

 体は人だが、頭は牛で角が生えている。

 ミノタウロスと言うヤツか。両手に何か持っているようだ。

 仮装してると思いたい。だが、違った場合に色々な物を失う気がする。

 やばい。確実にこっちへ近づいて来る。

 俺は恐怖に背中を押され、ここに来た個室へ急いで戻る。

「ギャギャ! グルギュルルギャ!」

 何を言っているのか分からないが、怒ったような口調に聞こえる。

 俺は焦って鍵を掛ける。

 ガチャン

 その音を聞きつけたのか、カツカツカツという足音が扉の前まで来た。

 ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン。

 むっちゃドアを叩いてくる。

 おれは恐怖に震えながら、液晶パネルを操作する。

「グギャギギゲアギュル」

 ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン。

 確か上から八番目。

 心の中で「こえぇぇぇぇ」と叫びながら、今までに無い速さでスワイプする。

 ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン。

 目の中に飛び込んでくる日本語の項目。

 そこを選ぶと確認の画面に切り替わった。

 来た時に右を選択していた感覚が残っていたのか、右の「いいえ」を選んでしまう。

「あっ」

 少し声が漏れてしまい、同時に恐怖で下も少し漏れる。

「グギャギギゲアギュル」

 ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン。

 やばい、声を聞かれたか?

 もう一度、液晶パネルを操作し、今度は「はい」を選択。

 画面が切り替わり、注意事項の画面が表示される。

 簡単に言うと、揺れるので気をつけてくださいと書いてあった。

 ガタンと何かに乗り上げるような振動。

 そこから再び始まる、あのジェットコースターのような揺れ。

 何回か洗浄レバーを押してしまい、更に下半身がびしょびしょになる。

 揺れが収まり個室から出ると元の小汚いトイレだった。

 戻れたことに安堵し、とっととビルから出る。

 ビルの中に居た時間は三十分も無かったはずだ。だが、既に日が傾き始めてる。

 斉藤は濡れたズボンから水を滴らせながら、駅を目指して歩き始めた。


 一方、何処かのトイレに佇むミノタウロス。

「どうしたの? ミノさん。うわっ。何これ?」

 ミノタウロスの後を追ってきたケンタウロスがトイレの中を見て驚いている。

「聞いてよケンさん。子供が悪戯したみたいなんだけど、いなくなったんだよ」

「何それ?」

 水浸しのトイレにケンタウロスのケンさんが入って、詳しい話を聞かせろと言う。

 ミノさんが奥の個室を指す。

「あの個室に人が入ってみたいなんだけど、いないんだ」

 ケンさんが奥の個室を覗く。

「綺麗になっているね。水はここから出てたみたいだけど……」

「でしょ? さっきまでは鍵が掛かってたんだよ。ドアを叩いて『誰かいるのか』って言ったら、『ぴゃ』って声が聞こえたんだよ」

「鍵はどうやって開けたの?」

「勝手に開いた」

「こっわ。オレ、お化けとかダメなんだけど」

「俺もダメだ。とっとと掃除して帰ろう」

「そうだね。しっかし、わざわざ汚すなんて清掃員泣かせのお化けだなぁ」

 二人は文句を言いながら水浸しのトイレを掃除した。



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