82話 ユルナの想い(2)
普段着ないような服を着て、そわそわと落ち着きのない様子のユルナから目が離せなかった。
「ユルナ……だよな? え? あれ?」
「……なんだよ」
ムッと口を尖らせて少しだけ不機嫌そうな顔をする。
彼女が髪をかき上げる仕草をすると、その動きに合わせて胸の大きな膨らみが揺れた。
部屋、間違えた——ッ?
「わ、悪い!! すぐ出て——」
「待て!!」
ドアノブに手を掛け途端、静止の声がかかった。
「部屋は間違えてない……今出ていかれると困るんだ」
そんなことを言われても、こっちだって目のやり場に困るんだが。
「そ、それはどういう意味で?」
「ママがな、『結婚を前提に付き合っているのだから同じ部屋で寝るのが普通だ』と言っててな……断りきれなかったんだ」
ユーリさんか……なんて余計な事を。
それにこんな状況をユリウスさんに見られでもしたら、次は本当に殺されかねない。
「ああ、あと『パパは私からよーく言っておくから、気にしないで』とも言っていた」
……これは罠だ。きっとまた俺は試されている。きっとあの服のチョイスもユーリさんが選んだのだろう。ユルナが自分から着るとは到底思えない。
ちらっと後ろを見ると、大きく肌を露出させた足が目に入った。すらっと伸びた両足は太ももまで曝け出し、ワンピースの裾が股の下ギリギリを隠している。透けて見える下着は白っぽくて……って。
だめだ、ついがっつり見てしまった。
ユルナは俺の視線を察してか、ワンピースの裾を下げるような仕草をする。
「……そ、そんなにおかしい、か?」
「——ッおかしくなんかない! その、綺麗だなって……ッ」
つい本音が出てしまった。
心臓がドクドクと鼓動を早めて、風呂上がりだというのにじんわりと汗が出てきた。
「と、とにかく出ていかれると困るんだ。もう少しだけ付き合っている体でいてくれ」
ユルナの言葉でハッとなった。
そうだ、ここまできて俺たちが付き合っていないのがバレたら意味がない。
ユルナの冒険者としての道を守るためだ、決してやましいことはない。何もしない。
俺は一度大きく息を吸い込んで、早くなった心臓を落ち着かせた。
「……分かったよ。だけど、とりあえず何か羽織ってくれないか?」
「ムラムラしちゃったか?」
「ちがッそんなんじゃ——」
「はっはっは冗談だよ」
人の気も知らないで……いや、ユルナの場合はわざとやっているまであるな。
普段と変わらない様子に戻って、俺は少しだけ安心した。
* * *
部屋に置かれたベッドは俺とユルナが寝転がってもまだまだ余裕があり、俺たちは互いに背を向けた状態で毛布に包まった。
リオンの時もそうだったが、すぐ後ろに人が……それも女の子がいるとなると変に緊張してしまう。
室内には月の明かりが優しく差し込まれていて、うっすらとした暗闇の中、ユルナの息遣いがわずかに聞こえる。
「ユルナ、もう寝たか?」
「……なんだ」
ユルナは平静を装ってはいるがわずかに声が震えていた。彼女も緊張しているのだろうか。
緊張しているのが俺だけじゃないと分かって、少しだけ気持ちが楽になった。
「ユルナはさ、どうして冒険者になりたかったんだ?」
些細な疑問だった。領主貴族の令嬢が、どうして危険な冒険者に憧れ、親の反対を振り切ってまで冒険者になったのか。
「……退屈だったんだ」
少しの間を置いて呟かれた言葉は、悲しげに聞こえた。
さらにユルナは淡々と言葉を続ける。
「……私が物心ついた頃には、貴族らしい言葉使いや立ち振る舞い、マナーなんてものを毎日教えられた。色んな人の顔色を窺って、上辺だけの笑顔と言葉を交わす……大人になったらどこかの貴族と縁を組み、村と町を発展させて守っていく。それが貴族に生まれた私の人生だった」
「……十五歳になった時、考えちまったんだ。私が生まれたのは両親の平和と地位、権力を守る為なんじゃないかって」
「そんなこと――ッ」
「ああ、分かってるよ。ちょっとは私を思う気持ちもあるだろうってな。誕生日は毎回祝ってくれたし、欲しいと言った物はなんでも買い与えてくれた……でも、それも私のご機嫌取りなんじゃないかって、頭の片隅に浮かんじまうんだ」
気を紛らわせる為に聞いた事が、ユルナの辛い過去を思い出させているようで、俺は申し訳なくなった。
「それまで教わってきた事が“私の為じゃない”と思えた途端、毎日がつまらなくて退屈になった。……そんな時に、たまたま町で見かけたんだ。冒険者を」
そこからは、まるで子供がおもちゃを自慢するように、ユルナは声を弾ませて語った。
「ぼろぼろで泥だらけ。怪我もしてたそいつらは、仲間同士で肩を貸して歩いてた。気になってしばらく見てたら、一人の女の子がそいつらの元に駆け寄ってったんだ」
「そしたらさ、冒険者の一人がぬいぐるみを手渡したんだ。どこにでも売ってるようなクマのぬいぐるみだ。泥で汚れたそれを、女の子はめちゃくちゃ喜んで受け取ってた」
「どうしても気になってさ、その冒険者に聞いたんだよ」
町の外で猿型モンスターに襲われた女の子は、逃げる時にぬいぐるみを奪われたらしい。町で泣き喚く女の子を見かねて、冒険者たちが取り返しに行ったのだという。
「新しいのを買って渡せばいいのに、わざわざ危険を冒してそいつらはモンスターの巣に飛び込んだんだ。『同じ物はあってもあのぬいぐるみは、女の子にとって世界で一つしかないものだから』って」
困って、悲しくて、辛くて涙を流す人に救いの手を差し伸べる——。
それは、俺の目指す冒険者像そのもののように思えた。
「誰かに言われてやるんじゃない……自分で考えて、決めて、生きるそいつらが……羨ましかった。自由だと思ったんだ。その時から、私は冒険者になることを決めた」
背後でユルナが寝返りをうつ音が聞こえた。
振り向くと、青く澄んだ綺麗な両目と目が合った。
「リオンやカナタ……それにタクトと出会えて私は今、最高に幸せだ」
優しく微笑んだユルナは、本当に幸せそうに見えた。
貴族という決められた人生から逃げたかったユルナ。
一生、畑仕事という決められた人生から逃げたかった俺。
形は違っても同じことを思って冒険者になったんだと知って、なんだか嬉しくなった。
「ユルナは間違ってない。誰だって自分の人生は自分で決めていいはずだ」
「ふふっ……ありがとうな」
下がった目尻をさらに下げて笑うユルナが、冗談や謙遜じゃなく『綺麗だ』と思った。
そう思った途端、心臓が一際大きく跳ねた。
同じベッドに入り、互いの顔が近いこの状況……そしてユルナは半裸に近い。
一度意識してしまったら、もう考えないということは出来なかった。顔が熱くなるのが自分でも分かる。
「——ッ、じゃ、じゃあ俺はもう寝るよ」
「ああ、おやすみ」
「おやすみッ」
きっと俺の顔はいま、真っ赤になっているだろう。
ユルナに悟られないようまた背を向けて黙ると、心臓の音が余計にうるさく聞こえた。
「……私は一度寝たら、何をしても起きないからな」
「――ッ?!」
ユルナは間違いなく、俺をからかっている。これが年上の余裕というやつか……。
意地でも“何もしない”と心に決めて、俺は無理やり眠りについた。
* * *
「――けろ! おい、誰かいないのか?」
なんだ?
ユルナが騒いでいる声が聞こえた。
うっすらと目を開けると部屋は明るくなっていて、いつの間にか朝になっていたようだ。
緊張で全然寝れなかった……。
重たい瞼を擦り体を起こすと、部屋の扉を必死に叩くユルナの姿があった。
「おはようユルナ……どうしたんだよ?」
「――ッ呑気な事言ってる場合じゃないぞ!」
ひどく慌てた様子のユルナに俺は首を傾げる。
ユルナは息を荒げながら何度もドアを叩いたり蹴ったりしている。ドアを蹴るたびにワンピースの裾が捲れ上がり、白い布がチラチラと顔を覗かせる。
「お、落ち着けよ……何があった?」
「扉が開かない……閉じ込められてるんだよ!!」
「……は?」