81話 ユルナの想い(1)
「あら? タクトさん。ウチのシェフが作る料理はお口に合わなかったですか?」
「い、いやそんなことないです。どれも美味しすぎるぐらいですッ」
「そう……あまり進んでいないように見えたので……」
ユルナの母ユーリさんは、頬に手を当て心配そうに俺を見つめる。
嘘でも謙遜でもない。料理はどれも絶品なのだ。ただ、俺の手が進まない理由は料理とは別にある。
テーブルを挟んだ斜め向かい側。ユルナの父ユリウスさんから、熱烈な視線を向けられているのだ。その目はまるで俺を食い殺すような目つきである。
歯を食いしばる『ギリリ』という音がこちらにまで聞こえてきて、ナイフを握る右手は血管が浮きあがるほど力が込められていた。
「私は……私は認めんぞ!! こんな若い男がユルナと……ぐうううッ!!」
いやぁ、そんなに睨まれましても……。そもそもユルナを政略結婚させようとしてたのに、ユルナが結婚することに怒るってどんな感情なんだよ……。
「パパ。そんなに睨んだら、タクトが食べにくいだろ」
「あなた。タクトさんが困っているじゃない」
その時、ユリウスさんがバンと机を叩き、勢いよく立ち上がった。
「——タクトくん!! 君は魔法を使えるそうじゃないか? 本当なら、是非拝見したいものだ!!」
結局そこに行き着くよなぁ……。俺が他の貴族を差し置いて結婚できる理由と言えば、“男で魔法が使える”という希少価値だけだ。
正直なところで言えば、魔法という価値だけを見られるのはあまり気分が良くない。きっと女王ティルエルもこんな気持ちだったのだろう。彼女の場合、もっと辛い事を経験していそうだけど。
「使えるには使えるんですが……その、今は使えないというか」
「なんだ? はっきり言いたまえ。使えるのか使えないのか?」
俺がどう言うべきか言葉に困っていると、ユルナが助け舟を出してくれた。
「タクトの魔法はちょっと特殊なんだよ」
「特殊? なにか条件でもあるのか?」
「んーそうだなぁ……あっ」
何か思いついたのか、二人には聞こえないようにユルナが耳打ちをしてくる。
「……きっと今のパパならタクトのこと恨んでるから、パパ相手になら反抗魔法打てると思うぞ」
いやいやいや、そうかもしれないけども。
人に向かって使いたくはないんだが。
「なんか適当に、水系魔法でもぶっ掛けとけば気が済むって。私がタクトへの敵視稼ぐからさ」
そう言ってユルナはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
もう既に嫌な予感しかしない。
「なんだ? 二人で内緒話とはあまり気分が良くないぞ」
ユリウスさんは眉間に皺を寄せ、不快感をあらわにする。と——。
「いやぁ、今日の夜が楽しみだなって話だよ」
「ちょ、ユルナ?!」
「——ッ!? タクト君、まさかとは思うがキミ、婚前交渉を……」
「パパには関係ないだろ? 愛し合う二人が愛を育んでんだ。邪魔しないでくれよ?」
その瞬間、バキンという音を立ててユリウスさんの握るナイフが折れた。
「……お、おお、おぉおおおおおォアアアアアアッ!!」
ユリウスさんは雄叫びを上げてテーブルの上に飛び乗ると、折れたナイフを握りしめ俺に向かって来た。
その表情は涙を流し、怒りに震える……さながらモンスターのようだった。思うことはただ一つ。
これ、本当に殺される——ッ!?
ユリウスさんのあまりの気迫に、俺は唱えざるを得なかった。
「れ、【反抗】ッ!!」
手のひらから溢れだした大量の水が、ユリウスさんの腹に直撃した。ドッという鈍い音と水飛沫を上げて、その体を後ろに押し飛ばしていく。
部屋の壁にぶつかりそうになったところで、ウォンさんが素早い動きでユリウスさんを受け止めた。
「あ……ご、ごめんなさいッ!!」
——やっちまった。不可抗力とはいえ、モンスターでもない普通の人に魔法を……。
俺はすぐさま謝ったが、この後の事を考えて青ざめた。
貴族への反逆行為として捕まるか……最悪死罪に問われるかもしれない。
すぐに兵士が駆けつけて……拘束、牢屋行きか?!
「……ふふ」
その時、小さな笑い声が聞こえた。
隣を見るとユルナが肩を震わせ笑いを堪え、やがて我慢出来なくなったのか大声で笑い叫ぶ。
「……ふふ、ふあっはっは!! いいぞタクト!」
「ユルナッ! お、俺……俺は魔法を……」
「本当に使えるなんて……タクトさん、あなたは素晴らしいわ」
「いやはや、お見事な水属性魔法でございます。タクト様」
え? ユーリさんにウォンさんまで……領主貴族のユリウスさんを吹っ飛ばしたのに、なんでみんな笑って——。
「ぐふ、ゴホッ……タクトくん」
ウォンさんの肩を借りて立ち上がったユリウスさんは、苦しそうに咳き込んでいた。
「ユリウスさん!! その、俺……ごめんなさいッ!!」
「……いやいいんだ。申し分ない魔法だ。君ならユルナを託せるよ」
「え?」
「貴族との政略結婚は“ユルナの身の安全”の為でもある。それが保証されないのならば、君とユルナの結婚を許すつもりはなかった。だが、それは私の杞憂だったようだ」
その言葉とみんなの様子から、やっと俺は理解した。
俺……試されてたのか?
「悪いなタクト。こうでもしないとパパもママも納得しないからさ」
「ユルナ!! お前もグルだったのかよ!!」
するとユルナがまた耳打ちをしてきた。
「でもこれで私との結婚は許された。あとは貴族との縁談を断って、後日別れてしまえばミッションコンプリートだ」
あの大雑把で計画性のないユルナが、まさかここまで頭を回していたとは予想外だった。
「そういうことなら教えといてくれよ……」
ニカッとイタズラに笑うユルナを見て、俺はほっと胸を撫で下ろした。
* * *
「えーと302号室、302号室……ここか」
夕食を終えて風呂から上がったあと、俺は自分のために用意された部屋を探していた。
外から建物を見た時も思ったが建物内部は想像よりもさらに広く、部屋が何個もありすぎてしばらく彷徨ってしまった。
三階部分だけで二十室はあったと思う。きっと使用人たちにも、一人一人部屋が与えられているのだろう。
さらにいえば、室内もさぞや豪華なんだろうな。かなりいい宿に泊まっている気分だ。
俺は少しだけワクワクしながら扉を開け放った。
「——あれ?」
「よう、遅かったじゃないか」
俺は目の前の光景を見て固まってしまった。
室内には大きな天蓋付きのベッドが自己主張激しく鎮座し、壁や天井に至るまで細かな装飾が施されている。
だがしかし、そんな芸術的な装飾よりも天蓋付きベッドよりも、俺の視線を釘付けにする人物が部屋にいた。
長い水色の髪を垂らし、透き通るような白い肌を惜しげもなく晒す女の子。
彼女が身につけている服はワンピースのような形をしていたが、生地がかなり薄くて、その下に隠れた下着と肌がぼんやりと見えるような物だ。もはや服と言っていいのかすら怪しい。
頬を僅かに赤らめ彼女は、普段見せることのない“恥ずかしい”といった表情を浮かべている。
「ユ、ルナ?」
「あ、あんまりジロジロみるなよ……」
半裸、といってもいい姿のユルナがそこにいた。
静まり返った室内に、扉の閉まる音がひっそりと響いた。