75話 ぬくもり
長い沈黙が続いた。
自分でもなぜそうしたのか分からない。ただ、彼の傍に居たかった。動機はそれだけだった。
『少しだけ一緒に寝ていい?』
思い出しただけで顔が熱くなってくる。
何言っちゃってんの?! 私っ!!
ちらと後ろを見ると、タクトも背を向けて横になっていた。
互いの距離は三十センチもない。同じベッドで、同じブランケットを被っている。
真っ暗な部屋の中。同じベッドで男女二人きり。
ドクンドクンと心臓が大きく脈打っている。タクトにも聞こえてしまうのではないかと思うほど、大きく高鳴っていた。
だめだだめだだめだ。こんな状況で眠れるわけがない。
「タクト……もう寝ちゃった?」
気を紛らわせる為に声をかけてみたが……返事がない。
本当に寝てしまったのか確認するため、彼のほうに向き直して肩に触れてみると、硬く角ばった体付きに男女の差を感じた。
決して大きくはない背中が、どうしてだろう。無性にくっつきたくなってしまう。
「ねぇ……寝てるの?」
やはり反応がない。それが私の思考を鈍らせた。
「……あったかい」
はっ! しまった。
気づいた時には、私は彼の背に身を寄せていた。
いい匂いがする。同じ石鹸の香りだ。
もっとこの温もりに触れていたくて、私は彼の体の前に腕を回した。
後ろから彼を抱きしめる形で、体全体で彼の温度を感じる。
どうしてだろう。すごく、安心する……。
* * *
……だめだ。緊張で全然眠れない。
リオンに言われるがまま、ベッドに入ってしまったことをすごく後悔している。
背後にはリオンがいる。その存在を感じ取るだけで、俺の心臓は早く大きく脈打った。
鎮まれ……ッ 頼む、静かになってくれ……ッ
俺は自分の心臓に命令するが、一向に静まる気配はない。その時だった。
「タクト……もう寝ちゃった?」
リオンが話しかけてきた。
返事をしようと思ったけど、喉がカラカラで声がでない。緊張で唾も飲み込みづらかった。
いや、まてよ……? むしろこのまま寝たふりをしていれば、何も問題はないのでは?
よし、そうしよう。俺は寝ている。寝てるぞー……お?
俺の肩に何かが触れた。それは撫でるように肩から首へ、そして背中へと移っていく。
なんだ? リオン、なにして——。
俺が疑問を抱いた次の瞬間、背中に柔らかな温もりを感じた。そして首裏には規則的な風が当たる。
これって……。
俺の背中にリオンがくっついている。それ以外考えられなかった。
体が硬直して指一本動かすことができない。そうこうしているうちにリオンの腕が体の前にきて、後ろから抱きしめられてしまった。
緊張はピークに達していた。心臓はさっきよりも強く、早く脈打って痛いぐらいだ。
どんどん頭が冴えてきて呼吸も早くなっていく。
これ以上は……もう、限界だッ
「……リ、リオン」
意を決して後ろを振り返ると目を閉じて気持ちよさそうに眠る、リオンの顔があった。
あ、あれ? 寝てる……。
「お、おーい。リオンさーん?」
小声で呼んでみたがスースーと小さな寝息をたてるだけで、起きる気配はない。
その時、俺はあるものに視線を奪われた。
それはわずかに赤みを帯びていて、ふっくらと柔らかそうだった。距離にしておよそ十センチもない。
俺はその誘惑に負け、吸い寄せられていった。
あと五センチ……三センチ……口と口が重なる——。
「……タクト」
「——ッ」
リオンの声で俺は慌てて身を引いた。
どうやら寝言だったようで、リオンは変わらず寝息を立てている。
あ、あぶねぇ……。思わずキスをするところだった……。
「なにしてんだ……俺」
自分の軽率すぎる行動に嫌気がさして、俺はリオンを起こさないようそっと部屋を出た。
閉じた扉にもたれかかると、故郷での親父の言葉が脳裏を過った。
『リオンちゃんをあんまり悲しませるなよ?』
……最低だな、俺。
仲間を悲しませるわけない、とかあの時は考えていた。
親父の言っていたことは、そういうことを言っていたんだと今更気づかされた。
その夜、俺はソファで一人、眠りについた。
* * *
「——へっくしゅん!!」
「この寒い中、掛け布団も無しにソファで寝る馬鹿がいるとはね」
鼻で笑うメディに俺は返す言葉がなかった。
でもいいんだ。俺は間違いを犯さなかった、それで十分だ。
「ごめんねタクト。私がベッドとっちゃったから……」
リオンは申し訳なさそうに謝ってきたが、むしろ謝らないといけないのは俺のほうだ。
でも『眠っているリオンにキスしようとしました』、なんて口が裂けてもいえない。俺は心の中で何度もリオンに謝った。
カナタにだけは、知られないようにしないとな……。
「『私にだけは』って、なんのことです?」
「のわっ!? お、おはようカナタ……」
いつの間にか俺のすぐ後ろに立っていた。なんて心臓に悪いやつだ。
「なんでしょう。私のこと邪険にしてますね」
「そ、そんなことないぞ」
「またお風呂でゴシゴシしてあげてもいいんですよ?」
「……それだけは勘弁してください」
昨日の今日で擦り傷が消えるわけもない。“ゴシゴシ”なんて可愛く言ってはいるがあれは、拷問に近いものだった。
「おーす! おはよう諸君!」
「おはようユルナ。昨日はごめんな」
昨日、俺が見つかったあとも連絡が行き届かなかったのか、ユルナは一人で探し回っていたらしい。
がっかりした様子で帰ってきたユルナは、家にいる俺とリフィを見て『いるじゃん!!』と、怒るどころか笑っていた。
「いいっていいって。年頃だもんな、色々溜まるもんもあるだろ」
「——っだから、あれはそういうんじゃなくて!」
「はっはっは!! 冗談だよ」
ユルナはわざとなのか、いつものおちゃらけた様子だ。
そうやってみんなの仲を取り持とうとするユルナに、俺は頭が上がらない。
「そういえば、リフィは——」
「……おはよう。タクト」
声に振り返ると、リビングの入り口にリフィが立っていた。
「リフィ!! もう体は大丈夫なのか?」
「う、うん。大丈夫」
リフィは何か思い詰めた様子で俺の隣に座る。
みんなの視線がリフィに集まる中、彼女は口を開いた。
「昨日は迷惑かけてごめんなさい」
深々と頭を下げるリフィに、みんなは笑って応えた。
「気にするな。無事でなによりだよ」
「私たちのほうこそ、リフィの気持ちを考えていませんでした」
「怖がらせちゃってごめんねリフィ」
「みんな……」
リオンたちには昨日の夜、リフィがなぜ逃げ出したのか、何を思っていたのかを伝えた。
そうして話し合った結果、記憶を取り戻すのはやめにしようと決まったのだ。
「過去のことを覚えていなくても、これから沢山思い出を作っていけばいい。これからもよろしくな、リフィ」
「そのことなんだけど——」
一瞬の間があいて、俯いていたリフィが顔を上げた。
その表情は何かを決意した気持ちが表れていた。
「——私、記憶を取り戻そうと思う」