73話 消えた二人
リフィさーん! タクトさーん!
いたら返事をしてくださーい!
あちらこちらから二人の名を呼ぶ声がする。
山の中は背の高い木々に遮られ、月明りも届かない完全な闇だった。その中で小さな光がいくつも揺れ動いている。
光の正体は、ランプや光魔法を使う治癒術師たちだ。ミュレに住んでいる多くの人が駆り出され、大規模な捜索が行われている。
事が大きくなったのは、メディに事情を知らせてからだ。
散々町を探し回ったが結局リフィは見つからず、それどころかタクトも姿を消してしまった。
そのことをメディに伝えると、呆れたように深くため息をついてから、どこかへ電話をしたのだ。
……流石は偉大な治癒術師、といったところか。
メディの一言で、二人を探すため町に住む半数以上の人が集まってくれた。
「そこ、傾斜がきついから気を付けろよ」
「う、うん」
ユルナに言われて足下に目を凝らす。
ランプのぼんやりとした光だけでは、かなり頼りなく、私は細心の注意を払って斜面を下っていく。
もうじき冬を迎えようとする山は、夜になってさらに気温が下がっていた。滑り落ちないように枝を掴んでいる手が、かじかんで思うように力が入らなかった。
考えたくはなかったが、もし二人が怪我でもして身動きが取れないとなれば、それこそ命に関わるだろう。
私は二人の無事を願って捜索を続けた。
急な斜面が終わり、木々が開けたところへ出ると、そこから先は断崖絶壁の崖になっていた。眼下には、月明かりに照らされた森林が広がっており、下へ行くには大きく迂回しなければ行けなさそうだ。
「リオン、ここは危険です。引き返しましょう」
私の後から追ってきたカナタが、崖を見てそう言った。地面には所々に亀裂が入っていて、崖下を覗き込むにはかなりリスキーだ。
カナタの言葉に相槌を打ち、踵を返した時だった。視界の端で何かが動いたように見えた。
その正体を確かめようと地面に目を凝らすと、そこには見覚えのある“糸”が風に靡いていた。
「なんで、こんなところに……」
深緑の色をした髪を、赤や黒の糸で編み込んである物。これはリーフィリアがタクトのために編んで、身に付けさせていた物だ。
それがここに落ちているということは……タクトがここに居たことを示している。
「まさか……」
嫌な予感がした。まさかここから――落ちたのではないか、と。
「カナタ、お願い。私を崖下まで杖で運んでほしい」
* * *
「……クト」
なんだ……あれからどうなったんだ。
崖が崩れて、リフィの手を取って、それから……。
そうだ、崖から落ちたんだ……リフィは――。
リーフィリアのことを考えた時、ぼんやりとしていた頭がはっきりとした。
「――リフィ!!」
体を起こそうとすると右半身に激痛が走った。痛む腕を見ると、右腕は力なくだらりと垂れて、少しの振動でもズキズキと痛んだ。
「よかった……タクト」
声のした左側を見ると、擦り傷だらけになったリフィが目に涙を浮かべていた。
服もところどころ破けたり血が滲んでいたりもするが、大きな怪我はなさそうだ。
「はぁ……リフィも、無事でよか――ッ」
「タクト腕が……ど、どうしよう……誰か人を……」
狼狽えるリフィを見て、俺は逆に冷静になっていった。
リーフィリアなら、こんな時でも毅然としているんだろうが……彼女は今リフィだ。
俺がしっかりして、ミュレまで連れて行かないと。
空を見上げると木の枝がいくつも折れて、その隙間からわずかに空が見えた。木の枝がクッション替わりになっていなければ最悪、本当に死んでいたかもしれないな。
崖は……登るのは無理だな。右腕がこんな状態だし、迂回していくしかないか。
足はまだ動く。ゆっくりでも一時間もあれば町には辿り着けるだろう。
「リフィ。魔法で火は出せるか?」
「や、やってみるっ」
リフィは近くに落ちていた枝を何本か束ねて持ち、先端に向けて詠唱を唱えた。
「【火!】……あ、あれ?」
しかし、得意としていたはずの火属性魔法は発動しなかった。
そのあとも何度か詠唱を唱えるが、やはり火が点くことはない。
動揺しているせいか、それとも記憶喪失の影響か……そう考えていた時だった。
「グルルルル……」
「――ッ」
低く、地鳴りのような鳴き声。
一頭の獣が、目を光らせ俺たちに近づいてきていた。犬歯を剥き出し、明らかに俺たちを狙っている。
でも一頭だけなら反抗魔法で――。
「た、たくと……私たち、囲まれてるッ」
暗闇に目を凝らすと、獣型モンスターが同じように目を光らせていた。
それも二頭、三頭ではない。数十頭の群れだ。
「ガァウゥッ」
「くっ……【反抗】!!」
なんとか動かせる左手で構え詠唱を唱えると、手のひらから火の球が飛び出した。
飛び掛かってきた獣の腹に当たると、体毛に沿って燃え広がり、地面をのたうち回っている。
モンスター共は火を見て怯えるどころか、さらに怒ったように見えた。
崖を背にして180度、すべての方向から威嚇の声が上がる。
「こんのッ、【反抗】!!」
そこからは、どれだけ唱えたか分からない。
次々と襲い掛かるモンスターに対して、俺は反抗魔法を撃ち続けた。
繰り出される火の球は、その数を重ねる毎に火力が落ちていった。圧倒的な数を前にして、俺の魔力は足りていなかったのだ。
「【反……ッ」
言葉にしようとしたとき、心臓が一度大きく跳ね、視界が揺れた。左腕は小刻みに震えている。
もう魔力の限界が近いのか、でもここで俺が倒れたら、リフィが……。
俺が唱え損ねたタイミングで、モンスター共は一斉に襲い掛かってきた。
「リフィ、逃げ――」
せめて彼女だけでも生きてほしい。そう願った時だった。
「少しだけ、体を借りるよ嬢ちゃん」
俺を庇うように前に出たリフィが呟くと、深緑の髪が瞬く間に真っ赤に染まっていった。
大きく宙に広がった髪は炎を纏うと、襲い来るモンスター共の体をその髪で串刺しにしていく。刺されたモンスターは体の内側から炎に飲まれて、断末魔を叫ぶ。
髪を自由自在に操る姿は、かつてのリーフィリアを想起させる。しかし――その火炎のような赤髪に、俺はある人物を思い出していた。
モンスターの亡骸が煌々と燃える光景に目を奪われていると、気づいた時にはあれだけいたモンスターが全て倒れていた。
「リ、フィ……?」
俺に背を向けて立つ彼女に、恐る恐る声をかけた。
振り向いた彼女は真っ赤な瞳で俺を見つめると、柔らかく微笑んで見せた。
「久しぶりだね小童」
「その呼び方、レイラ……なのか?」
どうしてレイラが? なんでリーフィリアに? 分からないことだらけで頭がこんがらがる。
混乱する俺の元へ寄って来ると、俺と頭の高さを合わせるように前かがみになった。
「ど、どういうことだよ? なんでレイラがリーフィリアに……」
「悪いが話をしている時間はない」
「時間はない……って説明ぐら――」
彼女の両手が、俺の頬に添えられた次の瞬間――口を塞がれた。
唇に当たる柔らかな感触。ほのかに甘いような女性特有の香りがした。
眼前には目を閉じたリーフィリアがいて、鼻先が当たって……彼女の唇が俺の口を塞いでいた。
あっけにとられて動けずにいると、ゆっくりと唇が離れた。
「――な、なにを?!」
「この娘の魔力を少し分けた。これでいくらか動けるだろう」
言われて気づくと、たしかに左腕の震えが止まっている。
でも今は魔力のことはいい。それよりもいま、俺の口に――。
「――タクト」
どこかから俺を呼ぶ声がした。
辺りを見回しても人影はない。もしやと思い空へ目を向けると、杖に跨って宙に浮く二人の姿があった。
「なに、してるの」
「リ、リオン……カナタ……」




