72話 リフィという存在
「おーい!! リフィーー!!」
俺の呼びかけに道ゆく人たちが振り返るが、その中にリーフィリアの姿はない。
こうして町中を探し回っているが、俺は未だに彼女を見つけられずにいた。彼女の身長を考えればすぐに見つけられると思っていたが、甘い考えだったようだ。
「どこ行っちゃったんだよ、リフィ……」
いつの間にか辺りは暗くなり始めていた。このまま夜になれば、さらに見つけ出すのは難しくなるだろう。
「タクト!!」
呼ばれて振り返ると、リオンが駆け寄ってきていた。俺の側までやってくると膝に手をついて、苦しそうに肩で息をしている。俯いた彼女の鼻先を伝って汗が滴り落ちた。
リオンがそうなるのも無理はない。この町はやたらと坂が多いのだ。少し走るだけで息が上がってしまう。
「見つかったか?」
俺の問いかけにリオンは黙って首を横に振った。それは彼女もまだ見つけられていないという
意思表示だ。
「こっちもまだ……」
「私、もう一回メディさん家の周りを探してみる」
「ああ、頼む」
町の中はあらかた探し尽くしたし、あとは町の外か……。
もし町から出てしまっているのなら、夜になれば流石に帰ってくるか? とも考えたが、ここまで見つからないとなると、何か事故に遭ったのでは? とも思えてしまう。
傾斜に足を滑らせれば、ただの怪我ではすまないだろう。
「……行ってみるか」
不安に駆られていた時、俺の腕が何かに引っ張られるような感覚があった。見ると左の手首に巻かれた"糸"が何かに反応するように動いていた。
「これって……」
* * *
「――っくしゅん」
山を駆け降りる風が冷たさを含んでいた。きっと夜はさらに冷え込むだろう。
私は抱え込んでいた膝をぎゅっと抱きしめて、熱を逃さないようにした。
家を飛び出し町からも出た私は、木々が開けた崖上から森を見下ろしていた。
風に当てられた木々が、ザアザアとした音を鳴らす以外に音はしない。沈みゆく夕陽を眺めていると、さきほど言われた言葉が頭の中で響いた。
『……忘れてしまった記憶を取り戻すんだ。時間はかかるようだけど、いつか必ず思い出せるよ』
私は記憶を失っている、らしい。
『らしい』というのは、私に記憶を失ったという自覚がないからだ。いや、だから記憶喪失というのだろうか? 自分で自分が信じられない、不思議な感覚だ。
私を診てくれたお姉さんから『記憶喪失』と言われた時、私はとくに驚きも悲しいとも思わなかった。
私の仲間だと言う三人の女の子から色々言われても、その全ての出来事にどうにもピンとこなかった。まったく他人事のように聞こえたのだ。
私は私だ。記憶がないと言われてもそれが本当か嘘かもわからないのだ。
分からない……そう、私は何も分からなかった。
でも、一つだけ。何も分からない私がハッキリと覚えていることがある。
「……タクト」
彼は私の仲間だ。それと同時に私にとって、とても大切な人…… 私は彼のことが好きだった。
彼との思い出は断片的にしか覚えていなかったが、人の記憶なんてそんなものだろうと思っていた。
しかし、どうしてか自分の気持ちのはずなのに他人事のようにも感じる。この違和感は時間が経つにつれて強くなっていった。
そしてなぜ他人事なのか、それがついさっきやっと分かった。
“リーフィリア”が彼を好きなんだ。“リフィ”じゃない。
……でも私も彼が好きだ。
じゃあいったい私は誰なんだ?
“リーフィリア”という体に芽生えた“リフィ”という存在はなんなのだ。
“リーフィリア”を取り戻したら、リフィはどうなってしまうんだろうか。
……怖い。
ただただ――怖かった。
それは夜寝る前に“自分がもし死んだら”を想像するのと同じだけ、怖いことだった。
膝を抱え込んだ腕に自然と力が入った、その時だった。
「……やっと見つけた」
「――ッ!!」
突然聞こえた声に体が強張った。
振り返らなくてもわかる、きっと彼だ。
「こんなところにいたのか。もう夜だよ。帰ろうリフィ」
「い……やだ」
私の声は震えていた。
本当は彼の傍にいたいのに、今は拒否することしか出来なくて、苦しかった。
「私……思い出したくない。いやだ」
「リフィ……」
一度口に出してしまった気持ちは、溢れ出した水と同じで止めどなく出てきた。
「思い出したら、私が私でなくなる気がして……怖いの。みんなは元の“リーフィリア”に戻って欲しいっていうけど、私はどうなるの? “リフィ”の私はどうなっちゃうの?」
彼に当たりたくない。でも、頭の片隅にある言葉が勝手に口を動かしてしまう。
『本音をちゃんと伝えた相手にぐらい、甘えてもいいんじゃねーの?』
これは、リーフィリアの言った言葉だ。
私はリフィだ。リーフィリアじゃない。
私は、私の知らない自分を認めたくなくて、その存在を否定するように叫んだ。
「私……消えたくない。ずっとタクトの傍に居たい……ッ!! “リーフィリア”なんかどうだっていいの……ッ!! 私は私のままで居れればそれでいい……ッ」
「……」
思っていたことを全て叫んだら、急に冷静になった。
こんなことを言われて、彼はどう思っただろうか。困惑しているか、悲しんでいるか……彼の反応が怖くて私は振り返ることができなかった。
その時、背中に何かが触れた。
「……え?」
そっと顔の前に回された両腕が、私の肩と頭を優しく包み込み、背中からはじんわりと温もりを感じる。
耳元で息遣いが聞こえて、そこでようやく自分が抱きしめられているのだと気づいた。
「タク、ト……?」
「ごめん。気づいてあげれなくて」
彼の腕に力が入ったのが分かった。僅かだが、彼もまた震えていた。
「……リーフィリアが元に戻ってくれればって、それだけしか考えてなかった。リフィがどう思ってるのか、考えもしなかった」
ああ、やっぱり。
彼は私を見ていたんじゃない。その視線の先にいるのはリーフィリアだったんだ。
そう思った時、胸の奥が鼓動に合わせてズキンと傷んだ。
「私……タクトが好き。リフィとして、好きなの」
何度も伝えた気持ちだったが、今度は心の底から出た言葉だった。
すると、私を包んでいた彼の腕が離れた。
それがリフィとの決別のような気がしてしまった。
「……あ」
私は本音を伝えた。それでも彼はやっぱりリーフィリアが――。
「リフィ」
呼ばれた声に肩が自然と萎んだ。何を言われるのかは大体想像出来ている。
『ごめん』かそれに近い言葉。彼はそうして謝るだろう、と。
聞きたくない言葉から自分の心を守る為に、私はさらに身を縮こませた。
「……ありがとう。俺を好きだと言ってくれて」
「え……?」
予想外の言葉に思わず振り返ると、彼は立ち上がって私を見つめていた。
「そんなに怖いのなら、無理に思い出さなくていい。みんなには俺から言うよ。それなら、リフィは消えない」
「で、でもそれは……」
ここまでみんなが私に対して優しいのは、“仲間のリーフィリアに戻って欲しいから”だと、私は考えていた。
『思い出さなくてもいい』。それは私とみんなを繋ぐものが無くなることを意味していた。
言われてから気づいてしまった。
私は何者でもない、ただリーフィリアという皮だけを持った、彼らにとって“なんでもない存在”なんだ、と。
「う……うっうぅ……ッ」
涙が溢れ、嗚咽が喉を鳴らした。
私は私という存在と引き換えに、大切な人を失ったと思ったから。
「……でも、これだけは知っていて欲しい」
「……?」
「リフィには俺の事だけじゃない、これまでの事……仲間のみんなの事も思い出して欲しかったんだ。リーフィリアがどうやって生きてきて、どう考えていたのか……それをリフィにも知ってほしかった。でも、それは俺たちの我儘だよな。ごめん」
そう言って彼は私の前に手を差し出してきた。
「君は君だ……だって、リフィはリーフィリアなんだから。何も変わらないよ」
微笑んだタクトを月明かりが照らした。
暗い闇の中でその笑顔は、一際輝いて見えた。
「リフィのままで、いいの……?」
「ああ。ほら帰るぞ。みんなが待ってる」
無意識のうちに私は手を伸ばしていた。
互いの手が触れようとした、その時だった――。
ガゴンッ
「――え?」
私のいた地面が突然大きな音を立てて傾いた。
地面にはいくつもの亀裂が走り、ゆっくりと背後の崖に傾いていく。
「リフィッ!!」
伸ばしていた私の手を彼が掴んだ時、地面は壮絶な音を立てて崖から崩れ落ちた。




