71話 メディ
メディから家に入るよう促されて、俺は恐る恐る室内へ足を踏み入れた。
建物の外観からある程度は想像していた。だが、家の中はそれを遥かに上回るほど、豪華で煌びやかな内装だった。
室内に置かれた家具は、機能性よりも飾り立てを重視しているようで、一言でいえば『高そうだ』という感想が浮かぶ。
壁には抽象的な絵画やシックなランプ、綺麗に整えられた花が飾られ、さらに天井からは宝石とガラス細工をふんだんに使ったシャンデリアが、温かな光を拡散させていた。
統一された調度品に飾られた部屋は、部屋そのものが芸術と思えるほどだった。
「どうしたのよさそんなに縮こまって。もっと楽にしなさいよ」
片田舎で育った俺はもちろん、リオンとカナタもどこか落ち着かない様子だった。
腰掛けたソファは俺の体を深く包み込み、余計に気持ちがふわふわする。
「ほう……なかなかいい趣味だ」
「このティーカップすっごく綺麗! ほら、みてみてタクト!」
この中でユルナとリーフィリアだけが物怖じせず、普段と変わらない様子だった。
これだからお嬢様は……こっちは“場違い感”満載で、逆に居心地が悪いっていうのに。
「どれもあたしの趣味じゃないよ。あたしに取り入ろうとする貴族がせっせと用意したんだ。この家も広すぎて不便極まりないったら」
まさかこれ全部贈り物? というか家も? 貴族から贈り物されるなんて、どれだけすごい人なんだ……。
「あの……本当にメディさん、でいいんですよね?」
おずおずといった様子でリオンが尋ねた。それもそうだろう、自分のことをメディといった女の子を、俺もいまだに信じられずにいる。
「そうだけど?」
「その、失礼かもしれませんがとても七十歳には見えなくて……本当に本人なのかなーって」
「そりゃそうよさ。"美容魔法"で若返っているんだもの」
「び、美容魔法?」
聞いたことのない魔法だったが、俺以外の女性陣はメディの言葉に食いついた。
「治癒魔法を応用してあたしが編み出した魔法よさ。肌の若返りから皺やシミの除去、ぜい肉を無くしてボディラインをすっきりさせることもできる。この姿は、それら全部を使って手に入れたものよさ」
「おおー……!!」という歓声が上がった。
俺にはそれがどれだけ良いものか分からないけど、女性にとっては重要なんだろう。……母さんも鏡を見るたびにため息をついては、鏡を憎らしげに睨んでいたっけな。
「そ、その魔法を是非教えてくださいっ!!」
テーブルに両手をついて身を乗り出したのはリオンだ。その目は宝石でもいるかのごとく、キラキラと輝いている。
「……まてまてまて、そんなことをお願いしにきたんじゃないだろ?」
「“そんなこと”じゃないよ、これは!!」
「リオンの言う通りです! これは世の女性にとって、“希望”ともいえる大事なことです!!」
「タクトは自分の二の腕を憎んだことがあるか? ないだろう? これはそういう話なんだ」
おおう、三人から一斉に怒られてしまった。
そんな興奮気味の三人を見て、メディさんの高笑いがその場を鎮めた。
「残念だけど教えることはできないよ。あなたたちは資格を持っていないからね」
「資格?」
これだ、と言ってメディさんがテーブルに何かを置いた。
それは銀色で十字の形をした、手のひらに収まるぐらいの小さなエンブレムだった。
「これは『人の命に責任を持つ』と誓った証。いわば、『治癒術師の証』なのよさ」
そういえば、町ですれ違う人たちはみんな、帽子や腕、ローブの留め具などに十字のエンブレムを着けていた気がする。
治癒術師のお姉さんも、こんな形をしたイヤリングを着けてたっけな。
「治癒術師はね、この証を持った人に弟子入りし、その師匠から認められなければ治癒術師になれない。そうして認められた者じゃなければ、おいそれと人に治癒魔法を使うことは許されないのよさ」
俺は一度納得しかけたが、一つだけ疑問が浮かんだ。
その資格を持っていなくても、みんな当たり前のように治癒魔法を使っている。それって実は違法なことだったのか?
メディはまるで心を見透かしたかのように、俺を見て小さく笑った。
「腑に落ちないって顔ね」
「うーん……だって治癒魔法はみんな使ってるし、そんなに難しいことなのか?」
「ちょっとした怪我ぐらいなら誰でも治せる、けどそうじゃない怪我や病気は、知識を持たない人では治せないのよさ。――だからあたしの元へ来たんだろう?」
その言葉で今度こそ俺は納得した。
リーフィリアの記憶喪失。これは俺たちでは治しようもないし、治癒術師のお姉さんでも無理だと言った。
メディに諭されるまで気づけなかった自分が、とても恥ずかしくなった。
「あ、そうだ! これを預かってきたんだ」
俺は治癒術師のお姉さんから渡されたのを思い出し、懐から一枚の封筒を差し出した。
「ああ、あの子からの紹介状ね。さて……どんな泣き言が書いてあるか、楽しみにしてたのよさ」
そう言って封筒の中身を読んでいたメディの顔つきが、次第に暗く険しいものへと変わっていった。
「……記憶か。だいぶ厄介なもん押し付けてくれたね」
「ど、どうなんだ? リーフィリアは治るよな?」
メディはジッとリーフィリアを見つめると、幼い顔には似つかわしくない、真面目な顔をする。
「人の記憶は不安定で儚く、おぼろげなものよさ。一度忘れてしまった記憶を取り戻すには、時間と根気がいる。そして――苦痛も伴う」
簡単に“治る”とは言ってくれなかった。だけど俺は、“治らない”と否定されなかったことに安堵していた。
「な、なに? 何かするの?」
当の本人、見つめられていたリーフィリアは怯えた様子だった。この場の空気を感じ取ったのだろう。
「リフィ。ここで治療を受けて、忘れてしまった記憶を取り戻すんだ。時間はかかるようだけど、いつか必ず思い出せるよ」
「……や」
俯いたリフィが小さく呟いた。その肩は僅かに震えているようにも見える。
「リフィ?」
「いやッ!! このままでいい!!」
「――え、おい! リフィ!?」
リーフィリアは突然叫び、俺たちが止める間も無く部屋を飛び出した。玄関の方から外へ出た音が聞こえる。
てっきり喜ぶと思っていた。いったい、何をそんなに怯えているのだろう。せっかく思い出せるチャンスなのに……。
「リフィを追いかけましょう」
「あ、ああ……」
「メディさんありがとうございました。また来ます」
カナタとリオンが頭を下げるのにつられて、俺も遅れて頭を下げた。
「あなたたち泊まるアテはあるの?」
「宿屋に泊まるつもりです」
「生憎だけどこの町に宿屋はないよ。観光地ってわけじゃないからね。……しょうがない、ウチに泊まるといい」
それは願ってもないことだった。それなら治療中もリフィのそばにいられる。
「ありがとうメディ!!」
「メディ“さん”だ馬鹿者!! あと“ございます”も付けなさいよさ!!」
「うっ……ありがとう、ございます。メディ、さん」
どうにも見た目が年下に見えるメディに、敬語を使うのに慣れない。いや……俺ももう一端の冒険者だ。相手が年下であっても、敬意を払わないといけないな。メディ……さんで練習しておこう。
「とりあえず、リフィを連れ戻そう。話はそれからだ」
家を出た俺たちは、リフィを探して町の方方に散った。




