70話 魔法医学の町ミュレ
「もー疲れたぁー! 歩けないー!」
「もうちょっとだから、ね? 頑張ろう?」
山に入って二日が経った頃、ついにリーフィリアがぐずり始めた。
今のリーフィリアは、体は大人だけど心は小さな女の子だ。この長旅と山登りでよく持ったほうだと思う。
ついにしゃがみ込んでしまったリーフィリアをリオンが励まして、それでもなんとか歩かせようとしている。
「……それにしても、本当にこんな山奥に町があるのか?」
ユルナは眉をひそめ、汗で首に張り付いた髪を邪険そうに払った。
人の手が入った道は初日だけで、二日目の今日はずっと獣道が続いていた。おまけに湿気がすごくて、息をするだけでむせ返りそうな暑さだった。
ユルナの言ったとおり……こんなところに人が住んでるのか、とても疑問だ。
「たしかにこっちで合ってると思うんだけど……」
手元の地図とコンパスを見比べて確認すると、この辺りのはずだ。
治癒術師のお姉さんいわく、ミュレという町は山の中腹を切り拓いて作られた町らしい。
四方を山に囲まれ、馬車が通れるような道もない。まるで世界から隔離されたような場所で、ミュレに住む人たちはいったいどうやって暮らしているのだろうか。
カナタとリオンにも疲労の色が濃く出始めている。ひとまずこの急勾配を乗り越えたら休憩だな……。
俺は斜面に生えた木の枝を掴み、体を一気に持ち上げる。こうして何かに掴まっていないと、足を滑らせたらどこまでも滑っていきそうだった。
手に取る枝を慎重に選び、一歩一歩確実に登っていく。そうして勾配が緩くなった時だ。
「よ……っと、ん?」
木々で鬱蒼としていた視界が突然開けた。ざぁっと首元を風が吹き抜けて、ベタついた汗が乾いていく。
風には少しだけ匂いが混じっていた。甘かったりツンとしたり、何か焦げたような匂いもする。
視線を下げた時、眼下に広がる光景を見て俺は思わず息を飲んだ。
「どうしたのですかタク――これは、すごいですね……」
俺の隣まで登ってきたカナタもその光景を見て、感嘆の声を漏らした。
そこには、大小さまざまな煙突が空にむけて聳え立ち、煙突から湧き立つ煙は緑や赤、黄色などの彩りがあった。
町の中心には祭壇のような建造物があり、その上でとても大きな水晶玉が浮き回っている。
「これが、魔法医学の町……」
ここに、リーフィリアを元に戻す手立てがある。そう考えただけで胸が高鳴った。
* * *
山々に囲まれたミュレの町は、想像していたよりもずっと発展していた。全ての建物が煉瓦造りで出来ており、細長い煙突がどの家からも伸びている。
こういうのを“趣がある”っていうのかな。田舎っぽくもなくそれでいて都会って感じもしない。なんというか、落ち着く町並みだった。
「それにしてもほんと多いね、治癒術師」
「そりゃあそうですよ。ここミュレは“治癒術師の聖地”とも呼ばれる、治癒術師にとって憧れの場所ですから」
「へー。詳しいんだな」
カナタはなぜか誇らしげに胸を張る。もしかして昔は治癒術師になりたかった、とか?
そう考えていたらギロリと睨まれた。あ、図星なのね。これ以上余計な詮索はしないでおこう。
それよりも、やらなければいけないことがある。お姉さんから紹介された“メディ”という人を探さないと。
治癒術師のお姉さんは『誰に聞いても教えてくれる』と言っていたし、そのへんの人に聞いてみるか。
「あのーすみません」
「はい?」
「この町にメディという人が居ると聞いて来たのですが……」
「――ッ あ、ああ……メディさんね。たしかにこの町に居るわよ」
なんだか一瞬、顔が引き攣った気がする。
女性は丁寧にも手書きで地図を書いてくれて、メディさんが町の外れに住んでいると教えてくれた。
「ありがとうございます!」
「いえいえ。そ、それじゃあ気をつけてね」
気をつけて? 町の中で気をつけないといけない所があるのかな。それともただの社交辞令か、まあどっちにしてもこれで居場所は分かったし、気にすることないか。
「日が暮れる前に会っておきたいし、早速行ってみよう」
「そうだね。……ユルナも大変そうだし」
ユルナが? なんで? そう思ってリオンの後ろを見ると、そこにはリーフィリアを背負ったユルナが歩いていた。
「町に着いた途端、疲れ切って寝てしまったようです」
「変わってあげたいんだけど……リフィって背が高いから……同じくらいのユルナしか背負えなくて……」
「ぐぬぬぬぬ……ッ」
ユルナの苦労など知らず、リーフィリアは気持ちよさそうに寝息を立てていた。
* * *
目的地に着いた俺たちは、建物を見上げて立ち尽くしていた。
「豪邸だな」
「豪邸だね」
「豪邸ですね」
「そうか? 普通じゃないか?」
一人だけ価値観の違うお嬢様がいるけど、目の前のこれはどこからどう見ても豪邸だ。
さすが“魔法医学の立役者”だ。家からしてその人物の功績と権力が窺える。
さて、いつまでも呆けているわけにもいかない。俺が門に備え付けられたベルを揺らすと、しばらくして玄関から出てきたのは――一人の女の子だった。
てっきり本人が出てくると思って緊張していた俺は、拍子抜けする。
「あ、あの。こんにちは」
「……なによあなたたち」
不機嫌そうに言った女の子は俺たちを訝しげに睨みつける。赤みがかった茶髪。左右に分けられたツインテールは、年相応の可愛いらしいリボンで留められている。メディさんのお孫さんだろうか?
「あー、えっとメディさんがここに居るって聞いて来たんだけど……」
「人の家を訪ねるのに名乗りもしないなんて、馬鹿なの? 大馬鹿なの?」
……耐えろ俺。相手は子供だ。口は悪いけど言ってることはもっともだ。
「……ごめんね。俺はタクト、こっちは仲間の――」
「口の聞き方がなってない。年上には敬語ぐらい使いなさいよ。まったくとんだ馬鹿ね」
ぶちっと俺の頭で何かが切れた。
「――さっきから人のこと“馬鹿”だの“大馬鹿”だの言いやがって!! それに俺の方がどうみても年上だろ!!」
「はんッ! これだからガキは……すーぐ頭に血が上るんだから。馬鹿に馬鹿って言って何が悪いのよさ!! この大馬鹿者!!」
「うるせぇ!! 馬鹿って言った方が馬鹿なんだよ!!」
「た、タクト……その辺にして、二人とも落ち着きなよ」
リオンの言葉で少しだけ冷静になれた。
そうだ、女の子と言い合いをしに来たわけじゃない。メディさんに会ってリーフィリアを治してもらいに来たんだ。
俺は鉄格子の門扉を開けて一歩踏み込んだ。その時だった。
「――勝手に」
その瞬間、玄関の前にいた女の子が忽然と消えた。
「え……」
「――人ん家に入ってんじゃないよッ!」
気付いた時には俺は仰向けになって地面に倒れていた。遅れて背中と後頭部に痛みが走り、体の上に重さを感じる。
な……いったい何が……。
考える間もなく、首に何かを押しつけられ息が苦しくなる。見ると女の子が馬乗りになって、首を押さえつけていたのは細い腕だった。
「タクトッ!?」
「ぐっ……」
早すぎる移動、女の子とは思えない力強さ……筋力増強魔法かッ
腕をどかそうとしても華奢な腕は鋼のように硬く、俺の力ではびくともしなかった。
「魔術師なんでしょ? どうして魔法を使わないのさ?」
俺が魔法を使えると知っている? 新聞に載っていたのを見たのか……こんな小さな子にまで知られているとは。
反抗魔法を使えば、女の子を引き剥がすぐらいわけはないだろうけど……。
「……人を、傷つけるための……魔法じゃない……ッ」
俺の眼前に顔を寄せて、大きな赤い瞳がじっと俺を見つめる。血のように赤く暗い、不思議な魅力のある目だった。
「……ちょっとはマシな馬鹿みたいね」
そう言って腕を突き離した女の子は、俺の上から降りた。
「ゲホッえほ……」
「大丈夫タクト?! ちょっと君! やりすぎだよ!!」
「ふん。別に怪我させるつもりはないよ。“男の魔術師”がどんな馬鹿かと思えば……なかなか面白いやつね」
女の子は腰に両手を当てて、小さな体を大きく見せようとする。
力強い眼差しが俺を見下ろしていた。
「あたしはメディ。あの子から話は聞いてるよ」
「……は? いまなんて……」
め、メディ? この女の子が? 魔法医学の立役者?
もっとヨボヨボのお婆さんだと思っていた。いや、そうでなくては計算が合わない。今の魔法医学は、俺が生まれた時にはもう形になっていたんだから。
スタスタと家に向かって歩き出した女の子は、一度振り返って呆れた顔を見せた。
「いつまで寝転んでんのさ。あなたたちもさっさと家に入りな」
「メディさんって……こ、子供だったのか」
「――ッ失礼ね!! あたしはこう見えてもう七十よさ!!」
「――えええええッ?!」
四人の驚愕の声が揃って響いた。
ふんす、という音が聞こえそうなほど鼻息を荒くする女の子。
どこからどう見ても子供です。本当にありがとうございました。