67話 ビーにご用心
「ねー? これなにしてるの?」
「すぐ終わるから。ジッとしてるんだぞリフィ」
リーフィリアの記憶喪失の原因を突き止める為、俺たちは病院を訪れていた。
椅子に座るリーフィリアに、治癒術師のお姉さんがなにやら魔法をかけている。リーフィリアの頭上には二つの詠唱紋が浮かんでいて、緑色の光が照らしていた。
「……なるほど」
お姉さんはふぅと息を吐いて、何かに納得したようにその手を止めた。
「何か分かりましたか?」
「おそらく、といったところだがな。彼女が記憶を失ったのは脳の萎縮によるものだろう」
「脳の、萎縮?」
「口で説明してもわからんだろうから……これを見ろ」
そう言ってお姉さんが取り出したのは、リンゴより少し大きいぐらいの水晶玉だった。
見ると水晶玉に何かが浮かび上がっている。
水晶玉を覗き込んだリオンが怪訝な顔をして一歩引いた。
「うぇ……ちょっとグロい……」
「これは脳の全体図だ。一見すると一つの塊にみえるだろうが、脳ってのはいろんな役目を持った複数の部位から成り立っている。代表的な右脳と左脳ぐらいは知ってるだろ?」
うーん? なんとなく、右脳が左半身で左脳が右半身を動かしてる、とかそんなぐらいの知識しかない。
お姉さんが水晶玉をポンと軽く叩くと、水晶に映し出された脳が拡大されていく。
「……さらに、数ある部位のうち“海馬”と呼ばれる部分がある。これは記憶を一時的に保管しておく役目を持っているんだが……リーフィリアの場合、ここが周囲の部位よりもさらに小さくなっていた」
映し出された脳は断面図のようになっていて、中心に近い部分が青く点滅している。ここが彼女が言う海馬という部分なのだろう。
ほんのわずかだが、その周囲に隙間があるようにも見える。
「理由はさまざまあるが、過度なストレスや脳神経にダメージを受けると、よく見られる症状だな。海馬に異常がでると無気力や物忘れが酷くなったり、短期的な記憶の欠如が起こる。脳全体の萎縮も相まって、彼女は“新しい事は覚えられない”し、“長期的な記憶”も思い出せなくなっている」
脳神経にダメージ……魔力枯渇によるものだろう。完全に魔力が無くなっていたら、それこそ目を覚ます事もなく眠り続けていたのかもしれない。
それに、過度なストレスも心当たりがあった。
――魔女レイラの記憶を、リーフィリアも見た可能性がある。
目の前で友人を亡くし、両親を焼かれて村を滅ぼしたレイラの記憶は、まるで実体験のように感じられた。
あれは……悪夢だ。思い出しただけでも気分が沈む。
「治す方法はあるんでしょうか?」
リオンが不安そうに尋ねた。今日、ここに来たのはそれを確かめる為でもある。
「……ないこともない」
「本当ですか!」
「ただ、私では無理だ。もっと魔法医学が発達した街で、それに精通する人に診てもらったほうがいい」
一瞬喜んだリオンだったが、すぐにその表情に陰りが出た。
俺が知る中では、お姉さんが一番腕が立つと思っていた。その人が無理ということは、あまり楽観もしていられないレベルの話なんだろう。
「そう気を落とすな。私よりもっと腕が良い治癒術師を紹介してやる」
「ほ、本当ですか!」
「ああ。この街から東に向かって山を越えると“ミュレ”という街がある。そこに“魔法医学の立役者”といってもいい人が住んでる」
……ってことは結構な年齢の人なのだろう。俺は白髪で貫禄のある老人を想像した。気難しくないタイプならいいんだけど。
「ちょっと気性が荒いというか、短気な人だけど……ま、なんとかなるだろ。紹介状を持たせるからそれを見せたらいい」
……すごい不安なことを言うじゃないか。なんていうんだっけこういうの。えーと……そうだ『フラグ』とかいうやつだ。昔なにかの漫画で読んだぞ。
お姉さんはサラサラと何かを紙に書くと、封筒に入れて差し出してきた。
表には相手の宛名が書かれている。
「メディ……」
「ミュレに着いたらその人の家を訪ねていけ。街の誰に聞いても答えてくれるだろ。有名人だからな」
「ありがとうございます!……というか、そんな凄い人と知り合いなんですね」
やはり、お姉さんも十分凄い人なんだろう。この病院でもかなり上の立場みたいだし。
「知り合いっていうか、私に魔法医学を教えてくれた……いわば師匠だな」
……あー、また『フラグ』だ。これが『フラグが立つ』ってやつなのか。
* * *
「フンフフフーン」
「リフィ、楽しいのは分かるけどあんまり腕を振らないでくれ……」
「え? なに?」
俺たちは東の街に向けて歩いていた。
俺の隣には上機嫌なリーフィリアとユルナが。後ろにはカナタとリオンがついて来ている。
リーフィリアに手を繋がれた俺は、彼女が腕を振るたびに、肩の可動域ぎりぎりを行ったり来たりしていた。
「あんまり振られると、肩が……」
外れそうだ。と言おうとして手の振りが止まった。
「……あ、そっかそっか、タクトちっちゃいもんねー。ごめんね! 気をつけるー」
……たしかに俺は背が低い。だが、相手が普通の背丈ならここまではならないんだ。つまりそう、これは身長差ッ! リーフィリアが大きいせいで身長差的にキツいだけだ。決して俺が小さいだけではないッ!!
「――ぷっ」
後ろから吹き出す声が聞こえた。
振り返るとカナタが口元に手を当てて顔を背けていた。
「おい、今笑ったろ」
「いえ、なんでもないです」
カナタも人のことをいえないだろうに。なんなら俺より背が低いんだから、笑うなら俺より大きくなってからにしろ。
「私はこれでいいのです。女の子は小さいほうがモテるのですよ」
そう言ってカナタは胸を張る。でも、悲しいかな。そうされると俺の視線は、隣にいるリオンと比べてしまうのだ。特にどこがとは言えないけど。
「あっ……た、タクト!! 今、何を考えましたか!!」
「いえ、なんでも」
カナタは頬を赤らめて、俺に指摘された部分を両腕で隠した。そうするとすっぽりと隠れてしまうのもまた……リオンならはみ出すんだけどな。
「〜〜〜〜っ!!」
「二人ともなんの話してるの?」
「――タクトはケダモノです!! リオンも気をつけてください!」
「そ、そんなんじゃねーよ!!」
「……二人とも言い合いはその辺にして、前をみな」
ユルナに言われて前を見ると、道の先に何かがふわふわと浮いていた。
風船のように見えるそれは、黄色と黒の縞模様になっている。それが五つほど俺たちの行手を阻んでいた。
「なんだあれ?」
「あれは……“バルーンビー”だ」
バルーン? やっぱり風船なのか。でもビーって?
そう考えていた時、五つあるうちの一つが突然弾けた。
「――え?」
パァンと小気味いい音を発したかと思えば、すぐに背後で何かが砕ける音が聞こえた。
振り返ると地面が抉れたようにへこんで、その中心で何かが蠢いている。
小石ほどの大きさのそれは、小さな羽を生やし体が黄色と黒の“虫”だ。
ビーって、ハチのことかよ!
頬をつぅっと伝う感触に手で触れて確認すると、汗かと思っていたものは――血だ。俺はそこでやっと理解した。
こいつらがモンスターで、俺たちを襲ってきたのだと。
こんなのモロに食らったら……体に穴があくどころか、吹き飛ぶんじゃないか?
「次が来るぞッ!! 構えろッ!!」
ユルナの声で全員が戦闘態勢を取った。




