65話 旅立ち
「それじゃあ、また落ち着いたら帰ってくるから」
村をあげた歓迎会から一夜明けて、朝も早くから村の入り口には多くの人が集まっていた。
みんなが俺たちの出発を見送りにきていたのだ。
「今度は、他のお仲間さんも連れていらっしゃい。楽しみに待ってるから」
母さんはそう言って少しだけ寂しそうに笑うと、俺の頭を優しく撫でた。
村を追い出される前だったら、子供扱いされてるみたいで嫌だったけど、今はなんだか嬉しく思う。
「リオンさん、ユノウさん。タクトのことお願いします」
「はい! お任せください!」
「昨晩は大変楽しかったです。ありがとうございました」
挨拶も済んだことだし、そろそろ出発だ。
俺が馬車に乗り込もうと、荷台に手を掛けた時だった――。
「うぉおおおお!! タクトォォオオオ!」
朝の静かな村に似つかわしくない、獣のような雄叫びが響いた。周囲からざわつく声も聞こえる。
「……あの、タクトさん」
うん。ユノウは何か言いたいようだね。
でも構わない。俺は後ろを見ないよう、背を向けたまま言葉を返す。
「……二人も、早く乗りなよ」
「え……で、でも」
いいんだ、気にしたら負けだ。何も聞こえない、何も知らない。俺はこのまま村を出――。
「ゥオオオオン……タクトォォオ……!!」
「――っるさいなぁ! さっきからなんなんだよ、親父ッ!!」
我慢できず振り返ると、大の男が涙と鼻水で顔面をぐちゃぐちゃにして泣き叫んでいた。その絵面は……むさ苦しいことこの上ない。
構うと面倒くさいことになるのは分かりきっていた、だからあえて無視していたのだ。
「お父さんにも何か言ってあげたほうがいいんじゃ……」
「そうですよー。また、次はいつ会えるか分からないんでしょう?」
「うっ……うぅう……ウォオオン……」
リオンもユノウも……お人好しが過ぎるよ。
こんな獣みたいな声を上げる人に、いったい何を言ったらいいんだよ?
「はぁ……親父、とりあえず落ち着――」
「――アンタは、さっきからうるさいわねッ!!」
ゴンッ
鈍い音が短く響いた。
母さんの拳が、親父の頭に振り下ろされたのだ。
それもただの拳ではない。筋力増強魔法による重たい鉄拳だ。母さんの親父に対する容赦の無さに、思わず身震いする。
「……ったく、人が感動の別れをしようとしてんのに、後ろでピーピーギャーギャーと……男なら黙って見送るッ! 分かった?!」
その場にうずくまっていた親父は、頭を押さえて今度はうめき声を漏らした。
「うっ……ぐっ……」
「返事はッ!!」
「は、はい……ずびばぜん……」
母さんは深くため息をつくと俺たちに向き直す。
顔は笑っているが、目の端がピクピクと震えている。これは相当キレてるな。
「……ごめんなさいね。この人にはあとでよく言っておくから」
笑顔はキープしたまま、足は親父の後頭部を踏んでいる。さながら、倒したモンスターの屍を踏みにじるような立ち姿は……恐怖でしか無い。
母さんが冒険者仲間からなんと呼ばれていたか、その姿を見てふと思い出した。
“朱蘭”。『美しく気高いとされる蘭の花に、赤い髪を例えて付けられた』、と母さんは誇らしげに言っていたな。
『酒乱の間違いだろ』と笑った親父が母さんに殴られて、潰れたトマトのようになったのをよく覚えている。
「い、いえ……」
「タクトさんは……なかなか、激しい家庭で育ったのですね」
見ろ、リオンたちがどん引きしてるじゃないか。
親父と母さんのこれは、俺からしたらいつもどおりの光景だったが二人には少々刺激的だったらしい。
「――でもねタクト。この人もそれだけあなたの事を心配してるってことだから、その事だけは覚えててね」
「た、タク……ト。必ず、生きて帰れ……」
今にも死にそうになってる人に言われてもな……でも、まぁ……その気持ちだけはありがたく受け取っておくか。
「……ありがとうな親父。ちゃんと、また帰ってくるよ」
「う……ウォォオオオ! タクトォォオオオッ」
今度こそ俺は馬車に乗り込む。
振り返ると、村中の人たちと目が合った。
「達者でな!!」
「いつでも、帰っておいで」
「応援してるよ! がんばれ魔術師!!」
ここに俺を憎む人は誰一人いない。
期待と羨望の眼差しに押されて、馬車はゆっくりと進み出す。仲間が待つアークフィランに向けて。
「――タクト」
俺を呼ぶ声に振り返ると、小さく手を振る母さんが優しく微笑んでいた。
「いってらっしゃい」
母さんは今にも泣きそうな表情で、でも泣かないように必死に笑顔を作っていた。
それは、俺が夢見ていた光景だった。
村のみんなから旅立ちを祝福され、『がんばれ』と声が背中を押してくれる。
みんなの期待に応えるため、俺は大きく手を振り返した。
「……行ってきます!!」
* * *
アークフィランに戻った俺とリオンは、我が家であるレンタルハウス、そのリビングに入るところで立ち止まっていた。
もっといえば、リビングに入るのを躊躇していたのだ。
「……えっと、なにがあったの?」
リオンが疑問の声をあげるのも無理はない。
テーブルはひっくりかえり、書棚は横倒しになっている。床や壁には鋭利な刃物で切りつけたような傷が無数に有り、まるで室内に台風でも来たのかと思うほど荒れていたからだ。そして――。
ソファにぐったりと横たわるユルナ。
地べたにうつ伏せになって倒れているカナタ。
二人の様子から、ただ事じゃないのが分かる。
「た、タクト……やっと帰って……ガクッ」
「ちょ?! ユルナ!」
「り、リーフィリアが……ガクッ」
「おいカナタ?! 何があったんだよ?!」
二人とも疲労困憊の様子で、まったく動こうとしない。わけのわからない状況に、俺とリオンはただただ呆然とするしかなかった。
『リーフィリアが……』って、そのリーフィリアはいったいどこに――。
「たッ」
突然、二階から声がした。
ドタドタという足音も聞こえてくる。
「くッ」
「……ん?」
二階に誰かいるのか? そう思って階段に顔を出した時だった。
「とぉーーッ!!」
「んなッ?!?!」
目の前が突然真っ白な布に覆われて、さらに重たい何かが俺の体にしがみついた。
なんッだこれ――あ、やばッ
ソレを支えきれず、俺はそのまま後ろ倒しになった。大きな音とほぼ同時に、背中と後頭部に鈍い痛みが走る。
「いったた……」
「え? え? 大丈夫タクト?!」
「なんなんだよ……って――」
目を開けると、俺の頬にハラリと何かが触れた。
それは深緑色の髪の毛で、目の前には真っ直ぐに俺を見つめる赤い瞳。
俺に覆い被さってきたのは、真っ白なワンピースに身を包んだリーフィリアだった。
「リーフィリアッ!?」
「おかえりタクトーっ!! 会いたかったよー!!」
「「えっ」」
驚いた俺の声はリオンと重なった。
はい? 今なんと? 『会いたかった』?
いやいやいや……きっと聞き間違いだろう。彼女がそんなことを言うわけがない。
だってそうだろう? 俺たちの知るリーフィリアは、もっとこうツンツンしてて、言っちゃあなんだが言葉が荒くて……。
記憶を失って目覚めた時も、ここまで明るい性格ではなかったはずだ。
それが今は満面の笑みを浮かべ、あろうことか俺に頬擦りまでし始めている。
「リーフィリア……だよな?」
「何言ってるの? リフィはリフィだよ?」
「り、リフィ?」
お、おかしい。絶対に何かがおかしい。
ちょっと見ない間にリーフィリア……もといリフィは、愛嬌たっぷり系女の子に変貌していた。




