62話 似た者同士
前回までのあらすじ
仲間に助けられ、支えられて少年タクトは立ち上がる。
女王ティルエルの理想とタクトの理想は似ているようで、少しだけ違っていた。
互いの理想のため、夢のためにかざした魔法がぶつかり合い、
女王ティルエルとの戦いは幕を下ろした。
目を覚ました時、見慣れない天井がそこにあった。
真っ白な天井。視界の端で揺れ動くのはカーテンだろうか。まだ、目がボヤけててよく見えない。
ぼんやりとした頭で、私は意識を失う前のことを思い出していた。
そうだ私は……あの男に――。
「なんだ、起きてたのか」
ふいに聞こえた声で、少しだけ意識がハッキリした。声のした方へ顔を動かそうとしたが、何かに固定されているのか動かせなかった。
仕方なく視線だけを向けると、隣にはあの男が立っていた。
赤髪のショートヘアー。そのくせに、後ろ髪を伸ばして一括りにした少年。
世界で唯一の“男の魔術師”と呼ばれる男だ。
私はあの日、この男の魔力を奪おうとして――負けたのだ。
「……どうして」
「ん?」
「どうして私は生きているの……私は貴方を、一度殺したのよ。逆に殺されてもおかしくない」
「うーん……どうして、か」
腕を組んで考える素振りをする姿は、どこにでもいそうな少年そのものだ。
こんな少年が魔法を使えるというのが、未だに信じられない。
考えが纏まったのか、少年が俯いていた顔を上げた。
「……俺も“魔法が使えないせいで”って何度も思ったし、魔法を憎むお前を見て、“俺だけじゃないんだ”って思えたんだ。それに――」
「……??」
「――お前も、誰かを救いたいと思ってるんだろ?」
「……」
少年は私から離れて窓際に立つと、どこか遠くを見ながら話す。
「“蔑まされる人がいなくなるように”、“不幸な人がいなくなるように”……そう言ったよな。それって俺の考えてる事と一緒だなって。そんな優しい人を殺せないよ」
「私は――」
――優しくなんてない。誰かれ構わず救いたいわけじゃない。
村のために利用され、私のせいで寝たきりとなった「母を幸せにしたい」たったそれだけの理由なのだ。
本当は、母以外がどうなろうと私にとってはどうでもいいことだ。
「母親……か」
「――ッ」
頭で考えていたはずのことが、つい口から出てしまっていた。
「俺も、親を助けたいんだ。俺のせいで変わっちまった二人が故郷にいて、きっと今も、苦しくて辛い思いをしてる……なんか俺たち、似た者同士だな」
そう言って少年は困ったように笑った。
悲しげな表情にも見えたが、悲観はしていないように見える。
……彼は、私とは違う。
幼かった私は、父を亡くし母を失くし、嘆いて絶望して、ただ泣くことしか出来なかったのに。
「……どうして、笑っていられるの」
口をついて出たのは純粋な疑問だった。私と彼が違う、その理由を知りたくなったのだ。
けれど、言ってから少しだけ後悔した。年の離れた少年に私はいったい何を期待しているんだろうと。
少年は体を向き直すと、真っ直ぐな瞳で私を見つめる。
「――仲間に教えて貰ったんだ。困った時、苦しい時は誰かに頼れって……本音で話さないと伝わらない事もあるんだって。それで実際に話してみたら、スッと気持ちが楽になった」
仲間……私には縁のない物だ。
「……それに、泣いてるよりも笑ってたほうが、なんかいい方向にいく気がするんだよな」
ニッと歯を見せて笑う姿は年相応の少年で、でもほんの少しだけ大人びて見えた。
私は『これは自分のせい、自分の問題だから』と誰にも言えずにいた……いや、言わなかったんだ。
伝えればその人に迷惑がかかるかもしれない、不幸にしてしまうかもしれないから。
これ以上誰にも傷ついて欲しくなかった。
でも彼を見ていると、そんなことを考えていた自分が、ひどく幼稚に思える。
話せば楽に……なれるのだろうか。
「……母を……お母さんを助けたい……」
呟いた声は掠れていて、そよ風にも掻き消されるほど小さい音だった。
誰に言うでもない……言葉にしてみたら、何かが変わるような気がしたのだ。
「助けよう」
「――え」
顔を上げた私の眼前に、彼の手があった。
「言ったろ? お前を救いたいって。お母さんが助かる方法を一緒に探そう」
「わた、しは……」
差し伸べられた手は陽の光に照らされて、どんな宝石よりも輝いて見えた。
光に誘われて彼の手に触れるとその手はとても暖かくて、私は息が詰まった。
「あ……」
ボヤけた視界で少年の輪郭が揺れている。
目を凝らそうと瞬きをすると目尻から熱いものが垂れて、そこでやっと自分が泣いているのだと分かった。
「あ、そうだ! お前の助けになりたいと思ってるのは、俺だけじゃないんだぞ」
彼の仲間たちだろうか。いや、そんなことはありえない。
だって私は彼を拐って殺そうとしたのだ。彼は許しても、その仲間たちは許すはずがない。
考えの及ばない人物を想像していた時、部屋の扉が開けられた。
「ティルエル……様」
か細く、消え入りそうな声だった。
小さな足音は私の隣で止まると、私の顔を覗き込んでくる。
金色の髪、赤い縁のメガネをかけたその人は、私に覆い被さるように抱きついて声を上げた。
「ティルエル様ッ……ティル、エルさまぁッ……」
「ソフィ……?」
少女のように泣きじゃくるソフランに、私は戸惑いを隠せなかった。
私は彼女から魔力を吸い、捨て駒同然の扱いをした。恨まれこそすれ、泣いて抱きつかれるなんてことはありえないはずなのに。
「“なんで”って顔してるな」
分かったような顔で私を見下ろす少年に少しムッとしたが、少年は私に構わず言葉を続ける。
「お前の助けになりたい、ソフランもそう思ってるんだよ」
「なんで……私にそこまで……」
「それは……いや、俺が言うことじゃないな」
それだけ言って少年は部屋を出て行こうとする。
「ま、待ちなさい! ちゃんと説明を――」
「元気になった頃にまた来るよ。じゃあな」
バタンと扉が閉められた。
すすり泣くソフランの声だけが響いて、私はなんとなく居心地の悪さを感じた。
「そ、ソフィ」
「はい……なんでしょう」
私の胸に顔を埋めたまま、彼女は返事をする。どうやら顔を上げてはくれないようだ。
「その、私……貴女に酷いことをした」
「……」
「だから、なんでこうなってるのか分からないの……」
「……私じゃ頼りになりませんか」
「それは……どういう――」
ガバッと顔を上げたソフランは、流れる涙を拭うこともせず、泣き腫らした目で私を睨みつけた。
「……ティルエル様は何も、話してはくれないのですね」
彼女はさっきの会話を聞いていたのかもしれない。
そう思うと、ことさらに居心地が悪くなって私は彼女から目を逸らした。
「私は貴女に救われたのです。だから少しでも貴女のお力になりたいのです……ッ」
私が、救った――?
そんな大層な事をした記憶は……ない。何かの間違いでは……。
「ティルエル様は覚えていないかも知れません……これは私の独りよがりで、勝手な事なのも分かっています。ですが――!!」
ソフランは私の顔を挟むように枕に両手をついた。彼女の目から溢れ落ちた涙が私の頬を何度も叩く。
感情をあまり出さないソフランがこの時初めて、私に怒った顔を見せていた。
「私に生きる価値をくれた貴女に、恩を返すぐらいはさせてください……もっと私を頼ってください……私を、貴女のお傍に居させてください……」
「ソフィ……」
思い返せば、彼女は私の言うことに反発をしたことはなかった。
どんな時も付き従ってくれて、戦いでボロボロになっていた私に真っ先に駆け寄ってきたのも彼女だった。
『本音で話さないと伝わらない事もあるんだって』
少年が言った台詞が思い浮かんだ。
きっと今のソフランは、本音で私にぶつかってきている。だったら私の言うべきことは――。
「ソフィ……ごめん、なさい」
彼女に酷いことをした。本音を隠して、強がって、誰にも相談しなかった。
こんなに私のことを考えてくれている人がいたのに、気づく事ができなかった。その全てに対して、私は謝るしかないと思った。
「初めて――謝ってくれましたね」
ソフランの表情から怒りは消えて、優しくとろけるような笑顔を見せる。
私に対して向けられた笑顔は、少年が差し伸ばした手と同じ暖かさがあった。
気づけば私の目からも涙が溢れていた。
縁が無いと思っていたものは、私が見ようとしなかっただけでこんなにも近くにあったんだ。
それを、少年は教えてくれたのだ。
* * *
アークフィランに戻ってきて一週間が経ち、定期診療で俺は病院を訪れていた。
「一度、全部の魔力を抜かれたから、また絶対安静かと思っていたんだけど……」
「アンタは右腕の骨が折れてるだけだよ」
折れてるだけって……わりと大怪我だと思うんだけど。
治癒術師のお姉さんは「つまらない」といった顔をしていた。
「アンタよりも、リーフィリアのほうだ」
「まだ、ですか……」
「ああ」
あれから、リーフィリアは目を覚ますことなく眠り続けている。
治癒術師のお姉さんいわく、ちゃんと体内で魔力は生成されているようで、外傷以外は問題なしと言われていた。
魔力枯渇による後遺症があるかもしれない、そう話すお姉さんはとても真剣な面持ちだった。
きっと起きてくれる。
そう信じて、彼女がいる病室へ足を運んだ。
「……入るぞ」
連日、こうして扉越しに声を掛けて返事があるのを期待するが、今日も返ってはこない。
落胆する気持ちをため息と一緒に吐き捨てて、俺は扉に手をかける。
扉を開けて一歩部屋に踏み入れた時、俺の心臓は一度高く跳ねた。
ベッドの上で体を起こした彼女は、窓から吹き込む風に深緑の髪をなびかせて、外を眺めていた。
「リー、フィリア?」
「……」
ゆっくりとこちらを向いた彼女はぼうっとした表情だったが、その目はしっかりと俺を見ていた。
「リーフィリア! 目が覚めたんだな?!」
思わず駆け寄ると、リーフィリアは不思議そうな顔をした。
まだ起きて間もないのか、寝起きのように反応が鈍かった。
「ずっと寝たきりで心配したんだぞ。どこか痛むか? あ! すぐにお姉さん呼んでくるから待ってろよ!」
なにはともあれまずは報告だ。あれこれ話すのはそれからでもいいだろう。
それからリオンたちにも教えてやらないと――。
「――あの」
病室を出ようとしたところで呼び止められた。
やっぱりどこか具合が悪いのだろうか?
そう思って振り返ると、首を傾げて俺を見つめる彼女と目が合った。
「ん? どうした?」
「あなたは――だれ、ですか?」
「………………え?」