60話 本当の価値
突然のことに一瞬、何が起きたのか分からなかった。
それは、レイラから魔力譲渡を受けたリーフィリアが、今度は眠るタクトに魔力を注いでいた時だった。
リーフィリアはまるで操り人形の糸が切れたように、その場に崩れ落ちたのだ。
「リーフィリア……?」
私の呼びかけに返事はない。
横たわる彼女を見て、私はレイラの言っていた事を思い返していた。
『制御しきれない魔力は彼の体を蝕み、内側から破壊していくだろう』
『私の魔力に耐えられなければ、リーフィリアにも同じことが起こる』
「そんな……うそ、でしょ……?」
倒れてから微動だにしない彼女に、私は無意識に手を伸ばしていた。
そうして伸ばした自分の手が、小刻みに震えていることに気がつく。
「――おいッリーフィリア! しっかりしろ!」
私がそれ以上手を伸ばすのを躊躇していると、ユルナが抱え起こしていた。
リーフィリアはただ眠っているみたいに目を閉じている。その顔から苦悶の表情は消えて、とても安らかな顔をしていた。
けれどそれはまるで、もう目を覚ますことがないような――考えたくもないことが頭をよぎる。
リーフィリアは耐えられなかった……? まさか本当に彼女は……死――。
「……ぅ」
その時、微かなうめき声が聞こえた。しかしリーフィリアからではない。
ハッとなり視線を傍に落とすと、そこには眠っていたタクトが目を開けていた。
彼は虚ろな目で周囲を確認すると私と目が合う。
「……リオ、ン……」
「タクト……タクトッ!!」
「く、苦しいよリオン……」
私は思わず彼を抱きしめていた。
強く抱きしめた彼から息づかいと胸の鼓動、そしてかすかな魔力を感じる。
彼はちゃんと生きている、助かったんだ。そう思っただけで私の頬を熱いものが伝った。
リーフィリアの魔力譲渡は成功していたのだ。だったら彼女は――。
「ユルナ……ッ!」
ユルナは私の呼びかけに、親指を立てて笑顔で応える。
「……かなり弱っちゃいるが、リーフィリアも生きてる。ほぼ全ての魔力を使い切って気絶してるだけみたいだ」
「ふぅ……どうなることかと思いましたよ」
その場にいた全員が安堵していた。
「うぅ……よかった……本当によかったよ……」
タクトはゆっくりと体を起こすと、キョロキョロと自分に起きたこと確認しているようだった。
「あ、れ?……いったい何が……」
「もう大丈夫だよ、タクト……」
私もホッと息をついた時だった。
「――ぐッ……!!」
うめき声にハッとして顔を上げると、ふらふらになりながらも立ち上がるティルエルの姿があった。
「ティルエル……!!」
「ふざけ、ないで……こんな……恐ろしい魔力、やっぱり生かしておけな、いッ!!」
その姿は一ヶ月前のタクトと似ている。全身の肌が焼けただれ、指先はあらぬ方向を向いてしまっていた。
今の彼女に美しかった面影はない。それはもうアンデッドモンスターとも呼べるような外見をしていた。
それほどの重症を負ってもなおタクトに固執するティルエルに、私は息を飲んだ。
「……もう諦めてください。その体でこれ以上動けば死に――」
「黙りなさ、いッ! 私は……私の価値のために……ッ!! ごふッげほえほッ」
咳き込んだティルエルの口から血が零れた。
しかし、どれだけ苦痛に顔を歪めても私たちを睨むその瞳には、まだ戦う意思があった。
「なんで……そうまでして……」
「――ティルエル様ッ」
背後から聞こえた声に、この場にいた全員が振り返る。
部屋の入り口、私たちが振り返ったそこにソフランが立っていた。
壁に手をつき肩で息をするソフランは、かなり焦った様子だった。
「くそ!! こんな時に……!」
ユルナが槍に手を伸ばした時だった。
「ティルエル様ぁ!!」
ソフランは私たちには目もくれず、ティルエルの元へと駆け寄っていった。
今にも倒れそうなティルエルを支えると怪我の具合を見て察したのか、ソフランは顔を引きつらせた。
「ソ、フィ……あなた」
「――ッ!! ティルエル様……そのお体ではもう……す、すぐに治療を――」
一瞬、治癒魔法の緑色の光が発せられたがすぐに消えた。
なんだ? ソフランが……震えてる?
ソフランは全身を小刻みに震わせ、血色の良かった顔色がみるみるうちに青ざめていった。
「ティルエル……様?」
「……助かったわソフィ。治療は自分でするわ」
「あっ……あぁ……ぁ」
突然ソフランが膝から崩れ落ちた。
ティルエルはソフランを一瞥すると、詠唱を唱え始める。その声に先ほどまでの弱った様子はなかった。
「【我に癒しを。痛みを振り払え】」
「【治療】」
ティルエルが呟くと彼女の体を緑色の光が覆った。焼けただれた肌は再生し、折れた指は本来の形へと戻っていく。
一瞬にして元の美しさを取り戻したティルエルが、私たちを見て微笑んだ。
「そんな、まさか……」
「ふふ……魔法って便利よね。さっきまで本当に死にそうなほど痛くて苦しかったのに、もう何も感じないんだもの」
ティルエルは首を鳴らして体の感覚を確かめる素振りをする。
彼女の足元で横たわるソフラン、その姿は魔力を奪われたタクトと重なって見えた。
「仲間の魔力を……」
「ええそうよ? 今更驚くようなことでもないでしょ」
あっけらかんと言うティルエルに寒気を覚えた。
仲間であるはずのソフランですら、一切の躊躇いもなく手にかける……こんな人が、この国の女王だなんて……。
「――ッこんなやり方で……世界が平等になるわけがないッ!! 女王にまでなって、なんでそれが分からないのッ!?」
「……さっきも言ったはずよ。価値に恵まれた貴女たちには到底分かるわけない、と……なんなら、そっちの男のほうが分かってるんじゃない? ねぇ、タクトくん?」
「……」
隣を見るとタクトがティルエルの言葉に耳を傾けていた。
「……魔法なんてものがあるから、人々の間には優劣が生まれる。優劣はその人の一生を決定付け、“価値ある者”は幸福を死ぬまで享受し続けるの。……その裏で“価値のない者”と言われた人が、いったいどれだけ苦渋を舐めることになるか、どれだけ辛く苦しい思いを抱えて生きているか、“価値のある者”はみようとも考えようともしない」
そう語るティルエルの表情は徐々に曇っていく。
「……昔、産まれながらにして将来を約束されたような人がいた。町の長を継ぎ、守っていくはずだったその人は、“魔法が使えない”というだけでその使命を果たせない。“価値がない”と判断された」
「それは……」
「……『そんな判断をする人が悪い』そういくら思っても、認められないことは変わらない。それが価値があるか無いかの違いなのよ。……この事実は自分はおろか家族をも不幸にしてしまう。その人の父は、これから一生続く不幸な将来を嘆き、元凶であるその人を殺そうとした。結果的にその人は父を殺し、母を失った」
この時、初めてティルエルが悲しそうな顔をした。今の話はきっと実際にあった話なのだろう。
「――私は、魔法をこの世から消す。私の力で全ての人の魔力を取り除いて、真の平等を作る。そうすれば、人々は魔法で人の価値を決めつけない、その人の本当の価値に気づくことができるッ!!」




