6話 反抗の叫び
「なに睨んでんだよ、気持ち悪いなッ!」
「――ぐッ!」
女剣士の拳がミゾオチにめり込み、不快感が喉を通って地面に落ちた。
立っていられなくなって地面に手をつくと、口から溢れた胃液と涎が剣士の靴にかかった。
「きったな!! マジありえないんだけど!」
俺の顔で拭うように靴を押し当てられ、最後には頬を蹴られた。
「アンタ、もしチクったりしたら分かってんでしょうね?」
コイツらは自分たちの私利私欲のためならなんでもありか……!
こんな奴らにリオン達は心痛めて……!
腹にはずっしりと重い痛みが、頬にはズキズキとした痛みが広がっていった。
でも、そんなのどうだっていい。リオンたちの気持ちを考えればこんな痛み……些細なものだ。
俺は震える足を押さえて、なんとか立ち上がる。
「おーい? 聞こえてますかー?」
わざとらしく俺の顔を覗き込む魔術師が、醜悪な笑顔を浮かべている。
「……ト」
「はい? 何言ってんのか聞こえませーん」
「――【反抗】ッ!!」
俺が叫んだ瞬間、覗き込んでいた魔術師が見えない何かに腹を殴られたように後方へ飛んだ。
一瞬遅れて風がぶわっと舞い上がり、飛んでいった魔術師が民家の外壁に叩きつけられた。
「がはッッ!!」
「……は?」
「【反抗】ッ!!」
続いて後ろに立っていた狩人も頭上からの圧を受けて、顔面を地面に叩きつけられた。笑っていた顔は土と鼻血で汚れ苦悶の表情へと変わった。
俺は女剣士に向けて手の平をかざす。そこに浮かぶのは紫色の光を放つ詠唱紋。
女剣士は頬を引き攣らせ驚いた顔で俺を見ている。
「ま、魔法!? どうして! なんで男が!?」
「……謝れよ、リオン達に」
「一体どうやったら男が魔法使えるんだッ!!」
女剣士は仲間がやられた恐怖で混乱しているようだった。
「真面目に真剣に……上を目指している人に……リオン達に謝れッ!!」
人は、得体の知れない物には恐怖を覚える。
恐怖は体を動かし、その原因を排除しようとする。
憎しみの魔女が民から恐れられた結果が、俺にも降り掛かろうとしている。女剣士は剣を抜いて剣身に炎を纏わせた。
ゴウッと音を立てて燃え盛る炎は、銀色の剣身をオレンジ色に染めた。
村での敵視魔法だけではない。この人が俺に向ける敵視は純粋な侮蔑。魔法を使えない男を見下す根本的な性格からくるものだ。
だから、ここまで威力が上がってしまうんだろう。
手の平より少し大きいほどだった詠唱紋は俺の頭身よりも大きくなっていた。
岩山で熊型モンスターと対峙した時と同じほどに。
「その傲慢さ、まるでモンスターだな」
「クソガキィィイイイイ!!」
炎剣が振り下ろされるより早く、俺は詠唱を叫んだ。
「【反抗】ォオ!!」
ドッという鈍い音がした。
詠唱紋から解き放たれた『風の鉄槌』は渦を巻き、女剣士を回転させながら吹き飛ばしていく。
後方へ十数メートル飛ばされた女剣士は、路地にあるゴミ溜めに身を沈ませて、動かなくなった。
* * *
チリンチリンと扉に付けられた金具が音を立てた。
店内は昼間の喫茶店から様相を変え、今は居酒屋となっている。そろそろお客さんが入ってくる時間だ。
店内の清掃をしていた俺は台拭きを止めて振り返る。入り口にいるであろう客人に、歓迎の言葉をかける。
「いらっしゃいませー……ごふっ!?」
「タクトーー!!」
客人がいきなり俺の胸に飛び込んで来た。突然の出来事に支えきれず、押し倒される形で揃って床に倒れた。
俺に覆い被さっていたのはオレンジ色の髪を揺らす女の子、リオンだった。
鼻水と涙を俺の服に擦り付けている。正直やめてほしい。
「タクトタクトタクトタクトーー!!」
「おい、リオンそのへんにしておけ」
「タクトが困っていますよ」
店の入り口にはユルナとカナタも立っていた。できれば静止ではなく引き剥がしてほしいんだけど。
「ど、どうしたんだ三人揃って?」
「報告と礼を言いに来た」
「外は寒いのです。中に入っても?」
張り付くリオンをなんとか引き剥がした俺は、おじさんに来客を伝える。
「ご新規三名さまでーす!」
四人掛けのテーブル席へ通し、改めて話を聞いた。
「……それで報告とお礼って?」
「救護室で魔力の回復を待っていたら、突然冒険者ギルドの人事担当が来てな」
「私たち『ランクアップ』だって言ったのぉおおお!! うぇえええん!」
泣くと喜ぶを同時に表現する器用なリオンをカナタが落ち着かせた。
「人事の人が言うには、『相手チームが魔力ポーションを使用していた』と自己申告があったそうだ。不正により勝敗の結果が訂正されて私たちが勝ち、ランクアップすることができたよ」
そう、あの冒険者グループに不正を自首するよう促したのは俺だ。もし自首しなければ……と少し脅しをかけたがちゃんと白状したんだな。
「そうだったんだ……ちゃんと評価されてよかったよ」
「ねぇタクト、私たちに何か隠しているでしょう?」
なんのことやらさっぱりだ。カナタに思考を悟られないように別のことを考えよ。
今日のおすすめは豚の角煮だったなー。がっつり半日煮込んでるからトロトロなんだろうなぁ。まかないが楽しみだなぁ。
「違うこと考えて誤魔化そうとしても無駄です。あの冒険者グループの思考から読み取って、ここに来たのですから」
な、なるほどー! まさか、自首したあいつらに会ってるとは思わなかったッ!
「タクトあなたは――」
まずい! 今この場でカナタが『タクトは魔法を使える』と話せば、おじさんおばさんにも知られてしまう。頼む! バラさないでくれ!
俺は必死に目を瞑り心で念じた。
言葉を止めたカナタに恐る恐る目を開けると、ジトっとした目はそのまま、カナタは微笑んでいた。
「……何か訳があるのですね」
「カナタ、今はその事は置いておこう。それよりも言わねばならない事がある」
三人が俺を見て、同時に頭を下げた。
『ありがとう』綺麗にハモったあと顔をあげる。
「お礼を言われる事なんて何も……」
「何言ってるの! タクトが不正を暴いてくれたおかげで、やっと私たちはランクアップ出来たんだよ!」
「これで私たちも次の町へ旅立てるというものだ」
……そうか、ランクが上がれば受けれる依頼も増える。そうなればこの町よりもさらに大きな町に行った方がいい。
せっかくこうして話す仲になったが彼女たちは冒険者で、俺はただの一般人。居なくなってしまうのは……少し寂しいな。
「ま、旅立つのはもう少し準備をしてからって考えてるけどね」
「タクトはどうやら私たちと別れるのが寂しくて泣きそうらしいです」
「な……そういうのは言うなよ! しかもしれっと泣きそうとか付け足すな!」
店内を三人の笑い声が包んだ。そんな時、キッチンにいたおじさんが出てきた。
やる気を見せつけるように袖を捲って、太い腕露わにする。
「じゃあ今日は嬢ちゃん達のランクアップ記念に良いもの作ってやらんとな! タクト手伝ってくれ」
「あ、はい!」
そうだ、一応仕事中だった。
三人から飲み物のオーダーを取って俺はテーブルを離れた。
「おじさん! おまかせコースでじゃんじゃん宜しく!」
「おう! まかせとけ!」
その後は他の常連さん達も続々と来客し、店内はいつも以上に騒がしく、賑やかな夜が始まった。
十人ほどしか入れない狭い店内だが、毎晩満席になるほど人気だ。仕込み分を決まった量しか作らないので入店を断る事もよくある。
ユルナはお酒が好きらしくグラスを次々と空けていく。二十歳とは思えない飲みっぷりだ。
前に親父の目を盗んで黄色いシュワシュワする酒を一口飲んでみたが、苦くて飲めたもんじゃなかった。大人になればあれが美味いと感じるんだろうか?
カナタとリオンはウチの料理にハマったみたいだ。ウチの料理はおじさんが一人で作っていて、日によってメニューが変わる。
中でもたまーに作られる『鶏肉をホロホロになるまで煮込んだ料理』がめちゃくちゃ美味い。今日はそれがある日だ。
「こ、これすっご……」
「鶏肉が……舌と上顎だけで崩れていくのです……」
俺も初めて食べた時は同じ感想だった。美味しいとびっくりが同時にきて感動した。
……できれば、まかないになる分だけ残ってくれないかなぁ。
「タクトー!! お酒が空いたぞぉ!!」
「この角煮もう一個追加で!」
「タクト、お刺身はありますか?」
「いっぺんに喋るなよ! わかんねーよ!」
そうして楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
* * *
夜も深くなり冬の寒さが際立つ頃、閉店時間を迎えた。お客さんはみんな上機嫌で帰っていく。
「じゃあ、私たちはギルドの宿に帰るね。今日はとっても楽しかった!」
息を白く曇らせながらリオンが言う。騒ぎすぎて少し熱っぽく頬を赤らめていた。
ユルナは完全に出来上がっていて、背の低いカナタに引きずられていく。
「気をつけて帰ってね。おやすみなさい」
三人が冬の闇に溶け込んで見えなくなるまで、その背中を見送った。
「……俺もいつか、冒険者仲間ができるかな」
今はただ、その時を夢見る程度に考えていた。