59話 誓いと言う名の願い
「リーフィリア! まさか、コイツを信用するつもりかッ?!」
突如として現れた憎しみの魔女に、ユルナは困惑の声をあげた。
ユルナの言っていることは至極まともだ。いきなり現れては、自身を『憎しみの魔女』という人を、信じる者はまずいないだろう。もし信じる者がいたとすれば、ソイツは相当な大馬鹿者だ。
……私は大馬鹿者と笑われてもいい。コイツの恐ろしさは、身をもって体験しているから。
アークフィランで戦った時、その圧倒的な魔力と魔法によって、私は手も足も出ずに負けたのだ。今やり合っても勝てる自信なんか、到底ない。
だからこそ彼女が言った『彼を救いたい』という言葉を、無条件に信じてしまう。レイラの力ならそれも可能だと思えてしまうのだ。
「……教えてくれ。どうしたらタクトを助けられる?」
レイラはジッと私の目を見つめる。
業火にも、鮮血にも見える真っ赤な瞳に見つめられ、緊張から息が詰まりそうになる。
彼女を照らす月明りが途切れて、その瞳が闇に光る。彼女の妖美な口元が小さく動いた。
「魔力譲渡だ」
「譲渡……? 私たちの魔力をタクトに分ければいいのか?」
「それでは駄目だ。男の彼が魔法を使えるのは、私が魔力を完全に受け渡したからだ。彼の体は、私以外の魔力を許容することができない」
はっきりしない言い方にまどろっこしくなってくる。
私たちの魔力が駄目なら、他にどうしろというのだ。
「私の魔力を、リーフィリア……お前に譲渡する。そしてお前がタクトに魔力譲渡を行うのだ」
「は……?」
言っている意味が分からない。なぜ私を介する必要がある?
疑問はつい口を突いて出ていた。
「……それなら直接タクトに譲渡すれば済む話じゃないか」
「それができないのだ」
彼女は目を細めると横たわったタクトを見つめる。その表情はどこか寂しそうにも見えた。
「今の私は、魔力暴走を起こした不安定な存在だ。この状態で意識の無い彼に魔力を注げば、制御しきれない魔力が彼の体を蝕み、内側から破壊していくだろう」
「でもそれって……リーフィリアにとっても危険なことなんじゃ……?」
私があえて聞かなかったことを、ユルナが問いただした。
薄々分かっていることだった。私にとっては答え合わせになる話を、レイラは包み隠さずに話す。
「ふむ……ユルナ、といったか。お前の言っていることは正しい。私の魔力に耐えられなければリーフィリアにも同じことが起こる」
「――ッだ、だめだ! もっと他に安全な方法があるはずだ!! リーフィリア、こんな奴の話を信じるなッ!!」
ほかの方法……ユルナの言う通り、探せば見つかるのかもしれない。だが、そうしている間にもタクトの脳はダメージを受け続けて……戻ってこれなくなるかもしれない。
そうなれば今ここで決断しなかったことを、私は悔やんでも悔やみきれないだろう。
彼を助けるにはあまりにも、時間が足りなかった。
「リーフィリアよ。お前には私の魔力が多く受け継がれているようだ。ここにいる者の中で、私の魔力と親和性の高い、お前にしかできないことだ」
「いけませんリーフィリアッ!!」
「やめろ! 考え直せッ!!」
「だめ……だめだよリーフィリア……!!」
必死に止める三人の声が聞こえたが、もう答えは決まっていた。
すまない皆。でも……そうすることでしか、タクトを助けることができないんだ。
……私は誓ったんだ。信頼し、思いやり、支える……そして仲間を助けると。
長い間ずっと孤独だった。やっとできた仲間を失いたくない。
皆、どうか私を信じてほしい。きっとタクトを助けてみせるから。
声に出さず願った声に、カナタだけは気づいていたようだ。
私と目が合ったカナタは黙って首を横に振る。
私の真意に気付いてもみんなには言わないあたり、カナタも分かっているんだろう。
もう何を言われても、私は考えを改めないってことが。
私は最終確認のつもりでレイラに質問をした。
「……本当にそれでタクトを救えるんだな?」
「それは、お前次第だ」
気休めも言ってくれないレイラに、私は鼻で笑って返してやった。
望むところだ、憎しみの魔女。
力で負けても、気持ちで負けるわけにはいかないからな。
「貴様の魔力を私に寄越しな。必ずタクトに届けてやる」
「……よく言った」
一瞬、その冷徹な表情がすこしだけ綻んだように見えた。
レイラの手のひらが私に向けられると、手の先に紫色の光が集まりはじめる。
まるで詩でも歌うかのように詠唱を紡ぐ。
「【憎しみの源泉、我が身に宿る反抗の命魂よ、今その怒りの全てを解放する】」
彼女の透き通った声は部屋で残響し、天井に空いた穴から夜空へと吸い込まれ消えていく。
光は徐々に輝きを増して、紫だった光は白色へと変わっていった。
その神秘的な光景は、聖女の【浄化】を彷彿とさせるほど、綺麗で美しかった。
――魔法に見惚れたのは初めてだ。
いつの間にか部屋は真っ白に埋め尽くされて、レイラの手の先に光の玉らしきものが形作られていた。
光の玉は一際眩い光を放つ。
「【主たるこの身を以ってして、彼の者に力を明け渡す】」
レイラが詠唱を言い終わると同時に、光の玉が私に向けて放たれた。
「ぐッ……!!」
光の玉は私の額に当たるとスッと体内に溶け込んだ。その瞬間、全身に激痛が走った。
体験したことのない痛み。内側から火で炙られ、針を刺され、肉を切られるような……説明し難い苦痛だった。
あまりの痛みに意識が飛びそうだ。
握った拳からは血が滴り、食いしばった歯はギリギリと音を立てた。
でも、負けられない。折れない。この痛みに耐えて、必ずタクトを助けるんだ。
ただ、それだけを考えていた。
* * *
俺はどうなったんだろう。
気づいた時には真っ暗闇にいた。
何も見えない。何も聞こえない。体を動かすこともできない。
俺は、たしかティルエルに魔力を吸われて……体に力が入らなくなって……。
あれまてよ……ティルエルって誰だ?
必死に思い出そうとするが頭の中がぐちゃぐちゃで、全然考えがまとまらない。
そんな時だった。どこか遠くから俺を呼ぶ声が聞こえた。
『……クトー。おーいタクトー』
野太く、遠くまで良くとおる男の声。たぶん生まれてから一番聞いた声だ。
声のするほうを見ると、真っ暗な闇の中でその場に浮いたように立つ、二人の姿があった。
「親父……? 母さん……?」
『どこいってたんだ。ほら、帰るぞ』
『今日はタクトの好きなイノシシ肉のカレーよ。早く帰っておいで』
二人は背を向けると俺から離れていく。
二人は歩いているはずなのに、まるで馬車に乗っているかのような速さで、どんどんと俺から遠ざかっていった。
「ま、まって……ッ! 親父ッ! 母……さん?」
追いかけようとしたところで、ふとした疑問が湧いた。
あれ? あの二人って誰だっけ?
なんとか思い出そうとするが、記憶にモヤがかかったようにはっきりとしなかった。
いつの間にか二人はどこかへ消えてしまっていた。
あれは誰だったんだ……?
『……ボウズ。おいボウズ!』
「お、おじさん? それにおばさんも」
この人たちは覚えている。村を追い出された俺を、優しく迎え入れてくれた二人だ。
俺を本当の家族のように想ってくれている、俺にとっても大切な二人。
なんで二人がここに? ここはどこなんだ?
『いつでも帰ってきていいんだからね。ここはアンタの家なんだから』
そう言っておじさんとおばさんも、手を振りながら離れていく。
「ちょ、ちょっとまってよ!!」
俺が止めても二人はどんどん遠ざかっていく。
おじさんとおばさんまで……みんなどこに行っちゃうんだよ……。
しかし、その考えもすぐに気にならなくなった。
あの人たちは誰だったんだろう。
『ねえねえタクト! 次はこの依頼を受けようよ!』
『何言ってんだ! こっちのほうがいいだろ?』
『私は楽なほうがいいと思います。タクトはどう思いますか?』
気付けば、仲間の三人が俺を取り囲むように現れていた。
俺を冒険者にしてくれた……三人を忘れるはずがない。
「ユルナ! カナタ! リオ、ン……」
俺の呼びかけに答えることなく、三人は闇に吸い込まれて消えていく。そしてまただ。
……思い出せない。さっきまでそこにいた人たちのことが、何一つ思い出せない。
俺にとって、とても大切な人たちだったはずなのに。
「俺にとって……? 俺って誰、だ……?」
俺は誰だ? 自分はなんなんだ。この思考は、考えは、言葉は、声は。
俺という存在は……なんだ?
『……』
考えに悩んでいた時、また誰かの声が聞こえた。視界の端に小さく揺らめくものが見える。
あれは……炎だ。真っ青に燃える炎が、闇の中にぽつりと浮かんでいる。
炎はその体を大きく揺らしながら、どんどんと近づいてきているようだった。
『し……』
何か喋ってる? それに聞いたことのあるような……この声は誰だっけ……。
炎は徐々に勢いを増し、やがて目の前が炎で埋め尽くされるほど大きくなっていた。
炎からおぼろげに聞こえていた声が、今度ははっきりと聞こえた。
『――死ぬなタクトッ』
「リー、フィリア……?」